長尾たかしの・・・未来へのメッセージ

自民党衆議院議員長尾たかしのブログ。平成11年からネット上で情報発信を継続。サラリーマン生活を経て政界へ。

理想と現実

2006-11-10 13:39:44 | 政治信条
「長尾さんよぉ、政治に理想ばかり求めてもダメ、現実にある陳情を解決できなきゃ政治家の存在価値はない」

そういう有権者の意識が世の中をおかしくしている。そりゃぁ、私も理想と現実は使い分けているが、そういう発想は、度が過ぎやしませんか?
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心理学の視点から見る自殺の連鎖・・・林道義先生

2006-11-09 11:40:22 | 教育
自殺の連鎖が止まらない。これは想像以上に深刻である。

林道義先生の分析は実に興味深い。


以下、先生のコラムから、
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いじめ自殺の心理学

 いじめられた子供が自殺する事件が何件か続いた。同じ動機や気持ちを持っている子供は大勢いるし、子供は暗示にかかりやすいので、子供の自殺は連続して起きるものである。この不幸な流行を止めるために、何が必要なのか、心理学の視点から考えてみたい。

いじめられる側の心理

 報道を見るかぎり、いじめといっても、それほどひどいものではなさそうである。肉体的に虐待されたというほどでなく、ただ「うざい」「きもい」などという言葉によるいじめを受けただけらしい。もちろん、それでも受けた当人にしてみれば、堪え難い苦痛であったのであろう。ただ、いくら辛くとも、自殺するまでには、いくつかの関門があるはずである。たしかに、子供の場合には、生と死の境目が大人ほどにはっきりしていない傾向はある。しかし、実際には、その境目は厳然と存在しているのであり、そう簡単に乗り越えられるものではないのである。

 人間は本能的に死を恐れるようにできているし、家族の中で愛されているという実感があれば、めったに死を選ぶことはない。それを乗り越えて、はじめて実行するに至るのは、関門の強さに比べて死への動機の方が強くなってしまうからである。

 今回の一連のいじめ自殺を見ていると、一見、自殺した子供が「もろい」「精神的にひ弱」という印象を受ける。言葉によるいじめを受けただけで自殺してしまうというのは、大人から見ると「弱々しい」と思えてしまうかもしれない。しかし、この問題、ただ「弱い」「もろい」というだけで片付けられないところがある。自殺に至る心理はなかなか複雑だからである。自殺する人は、ただ「弱い」というだけでなく、反面「強い」ところがあるものである。

 一般的に言って、自殺するには相当大きな心的エネルギーがいる。自殺は自然の摂理に反する行為であり、人間の体も心も「生きる」ためにできているので、それに反する決断は自然に逆らうものであり、それゆえある意味での「強さ」がないと自殺はできないのである。その証拠には、一人では死ぬ勇気のない者たちは、ネットで募集しあって、集団で自殺する。「弱い」者は、仲間がいないと一人ではなかなか自殺もできないのである。

 それでは、いじめ自殺に至る場合の、「強さ」と「弱さ」とは何であろうか。

 一般的に言って、子供は大人が思っている以上にプライドが高い、つまり自尊心が高いものである。とくに小学校高学年から中学にかけて自尊心が発達する、あるいは強くなる時期である。言い換えると、自分を肯定したい気持ちが強い、周りから評価されたいという気持ちが強いとも言える。そのような心理を持っている子供ほど、「言葉によるいじめ」は大きなダメージを受けやすい。それは「おまえは価値がない」とか「存在する意味がない」と言われているに等しいからである。

 そういう否定的な「言葉」に対して、対抗する手立てがないのが普通である。自分の能力に対してかなりの自信のある子供ならば、「いまに見ていろ」「いつか偉くなって見返してやる」と考えることも可能だが、そこまでの自信のない子供は、てっとりばやい復讐を考える。いじめた子供の名前を書いた遺書を残して死ぬというのは、弱い者がてっとりばやくなしうる最も強い復讐である。もちろん復讐という動機だけで自殺したとは言わないが、動機の中に復讐が大きい割合を占めていたとは言えるであろう。

 いじめる者の否定的な言葉に対して、自己肯定感を保ち、自信を保持し続けることができるためには、何が必要であろうか。それは一口に言えば家族愛である。子供の側から言えば、親に十分に保護されているという感覚、親の愛を十分に受けており、親から大切に思われているという実感である。

 親が子供を大切に思っているということが、子供の心に十分に感じられている場合には、自分が死ねば親がどんなに悲しむか分かるはずである。親に愛されていること、大切に思われていることを日頃十分に感じ取っている子供は、学校でどんなに辛いことがあっても、家に帰れば保護された空間があり、暖かい雰囲気の中で癒される時間がある。それが強ければ、いざ死のうと思ったときに、いわゆる「母の顔」が浮かんできて、死を思いとどまる可能性が高い。

 大切なのは、親が子供を大切に思っているかどうかより、親から大切に思われていると「子供が感じている」「強さ」なのである。ところが、昔から「親の心、子知らず」と言うように、親が思っているほどには、親の愛情を子供は感じていない場合が多い。夫婦間でもそうだが、分かりきっていると思って表現しないと、じつは分かっていないということになりかねない。愛情というものは、表現しないと分からない場合が多い、ということを自覚することから、始める必要がある。



いじめる側の心理

 以上、いじめられる子供の心理に焦点を絞って考察してきたが、もちろん、いじめる子供たちの心理も考えてみる必要がある。

 第一は母性の不足である。知り合いの校長・教頭先生たちは、口をそろえて、いじめるのは保育園出身者が圧倒的に多いと言う。一般的にいって、母性が不足していたり、満たされない心を持っている子供は攻撃的・暴力的になる傾向がある。アメリカの研究でも、保育時間が一定以上に多いと、子供が攻撃的になるという結果が出ている。母親との接触時間が短いと、不満や不平が外に対する攻撃となって現れるのである。よく親の都合で「密度濃く」「集中的に」かわいがればよい、などと言うが、子供がそれで本当に満足しているかどうか、真摯に考えてみるべきであろう。

 第二は父性の不足による「男らしさ」の否定や正義感の欠如が、子供の世界のいじめの様相にも影響を与えている。このごろ男女区別を否定する思想が蔓延し、「それでも男か」とか「男のくせに」とか「弱い者いじめをするとは、男の風上にも置けない」という非難ができなくなった。それに比例して「卑怯」という言葉も死語になってしまい、集団で一人をいじめるのは「卑怯だ」と批判しても、相手はどこ吹く風で、恥もなにも感じないという有り様になっている。「男らしさ」や「父性」が否定された結果である

 第三は特殊なコンプレクスやルサンチマンの存在である。強い劣等感や、差別されてきた(いる)という強い恨みの感情を親が持っている場合には、その感情は容易に子供に感染する。そういう家庭の子供は、なんらかの弱さを持った攻撃しやすい「標的」を見つけていじめることにより、うっぷんをはらそうとする。



教師側の問題

 このように見てくると、いじめの根源には親の問題があるとはいえ、親の母性も父性もルサンチマンも簡単に解決できることではないので、いじめをただちになくすことは不可能と言ってもいい。そこで大切になってくるのが、学校・教師の介入指導である。そのためには、まずいじめの事実をいかに早く掴むかである。

 いじめをなくす対策として最も効果的なのが、学校を中心とした「いじめ情報ネットワーク」を作ることである。教師への信頼感が強い場合には、子供たちから「誰がいじめられている」という情報が入りやすい。いじめ対応の基本は、いじめの事実をできるだけ早く掴むことである。

 いじめが問題になると、よく学校関係者が「いじめの事実を確認できなかった」と言うのを聞かされるが、そんなことは絶対にありえないのである。教師と子供、教師と保護者のあいだの信頼関係がありさえすれば、いじめの事実はただちに教師の耳に入るはずである。 「確認できない」という言い方は、教師が親や子供たちから信頼されていないとか、無能であるということを白状しているようなものである。それどころか、教師の中に、いじめる子供に共感したり、かばったりする者が潜んでいる場合がある。

 教師自身が歪んだルサンチマンを持っている場合には、最悪のシナリオが現実のものとなる。教師はいじめの事実を知っていても見て見ぬふりをし、むしろいじめる側にひそかに肩入れしたりする。その結果、いじめはなかったことにされてしまう。それでは、いじめられる子供は救われない。こういう犯罪的教師は即刻追放すべきである。

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又、小児科医であり医学博士の田下昌明氏は「子供が親に求めていることは、自由だの、権利だの、独立などではありません。無条件、無制限の愛による「強い保護」なのです。それはどんな些細なことでも常にまじめに本気で聞いてくれて、最後は必ず味方になってくれるという固い絆です。」と著著に記していた。

はたして昨今の親達は、子供への無償の愛を注いでいるだろうか。強い保護で子供を守っているだろうか。以前記したように、次世代や子供のことよりも、自分の生き様を優先してはいないだろうか。自分の、自由や権利を優先し、子供を後回しにしてはいないだろうか。自分の権利自由を行使したいがために、子供にも愛や、強い保護ではなく、権利自由を与えればそれで子供は救われるなどと問題を摩り替えてはいないだろうか。
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第16回タウンミーティング開催・・・ゲストは河村たかし衆議院議員

2006-11-07 19:05:17 | 活動
以下のとおり、タウンミーティングを開催

第16回 平成18年11月12日(日)
午後7時~午後8時30分 サンヒル柏原大会議室
ゲスト:河村たかし衆議院議員

11/5、七五三を終え、家族で帰阪するも、私だけ名古屋で途中下車。河村たかし事務所へ。

予定の時間よりすこし早目に着いてしまった。事務所が閉まっている。5分ほど待っていると、ガラガラガラとシャッターを開ける御仁がいる。河村たかし衆議院議員だった。「今日は休みだでよぉ、だれもおらんでかんわ」と正調名古屋弁でお出迎えを受ける。

わたしにとって、この日、名古屋は11年振りだった。

たっぷりと1時間いろいろとお話をうかがう。桑名へ会合に出向かれるというので、名古屋駅までタクシーでご一緒した。道を歩けば、「河村さん」「河村っ」の声が掛かる。その数たるや物凄い。タクシーの運転手さんも、河村議員のご乗車に大感激!駅を歩けば、前に進めないくらいオバ様方の熱い激励の荒らし。

11/12のタウンミーティングが楽しみである。
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七五三

2006-11-06 17:01:12 | プライベート
親馬鹿をしておりました。娘7歳、息子5歳の七五三です。少しは親孝行をできたかもしれないという3連休でした。
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小沢一郎政治塾・・・ご案内

2006-11-02 18:16:40 | 民主党
小沢一郎政治塾応募のご案内

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概 要

設立目的
21世紀の日本の在るべき姿と歩むべき道筋を構想し、かつその実現を担い得る、志の高い若い人材を発掘、養成する。そのために、衆議院議員小沢一郎が「塾長」として指導に当たり、「小沢政治の理念と哲学」を直接教育する。

指導方針
日本を抜本的に改革するという壮大な志と、何としても改革をやり遂げるという責任感。その「志と責任感」の育成を重視する。

各界各分野で創造的・指導的役割を果たす人材を育てる。ただし、入塾者・塾卒業者に選挙の立候補を約束するものではない。

塾 生
男女とも、20歳以上、35歳以下とする。国籍は日本であること。
募集定員は、原則として30人とする。

在塾期間
前期1年、後期1年の2年間とし、各期とも1月開始~9月終了の9ヵ月間とする。前期を終え、後期へ進級を志望する者は、進級審査を受け、合格者が進級できる。 2年間修了者には小沢塾長より修了証を授与する。

カリキュラム
(1) 毎年2月と7月にそれぞれ4日間の集中講義、討論を行う。
(2) 4回のリポート提出など。

集中講義概要
日本でトップクラスの講師陣と小沢一郎塾長が講義、討論を行う。若手議員との徹底討論も実施。
講義課目:政治論、経済・財政政策、行政改革、教育問題、環境問題、日本文明論、他

費用負担
各研修に要する費用のうち、実費は本人負担とする。
例えば、年2回の集中講義については、会場までの往復の交通費と合宿費(宿泊費、食事等4万円程度)は全ての塾生の自己負担とする。講師に関する諸経費(謝礼、交通費、宿泊費等)と懇談費は主催者が負担する。
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締切は11/8です。積極的なご応募お待ちしています。
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いじめはなくならないという前提で、、、

2006-11-02 12:30:28 | 教育
いじめを苦にした自殺の連鎖が止まらない。実に憂えるべきことである。

以前記した言葉だが、


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今、教育現場に必要なことは
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「宿命」を受け入れる潔さ
「不条理」を生き抜く図太さ
   (「戦後教育で失われたもの」新潮新書 森口 朗)
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である。私も社会人になった時、学生時代に経験したことは全て吹き飛んだ。社会とはかくも不条理なものかと愕然とした。しかし、陰湿な虐めも、受験戦争も経験していたからか、多少の不条理に対する免疫が出来ていた。

教育とは、社会に出て生き抜く術を身に付けているかどうか、図太く生きていけるかどうか。そのためにあるような気がする。
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「いじめはなくならない」。これを前提に教育を考えることは出来ないのだろうか?いじめの発生は学校側にとって、評価に大変悪影響を及ぼす。だから、「今、そこにあるもの」を、「ない」と断言するのではないか?遺書があっても、いじめとの因果関係は認められないと居直るのではないか?

仮に学校社会でいじめがなくなったとしても、社会とは、いじめばかりの世界である、不条理な世界である。実際教育の現場はこんな発想には無理があるのだろか?それほど、子供達は傷つきやすくなってしまったのだろうか?

ただ、私が経験上一つだけ言えることは、昔の親は、子供がいじめをしている、いじめを受けていることは、把握していたと思う。というか、家庭内の空気で察することが出来たと思う。家族が食卓を囲むとはどういうことなのか、家族で共に会話をするとはどういうことなのか?この辺りに問題解決の糸口があるような気がする。

少年のこと・・・・実は、長尾たかしの少年時代のこと
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6カ国協議再開

2006-11-01 10:03:50 | 中国外交
米国、中国、北朝鮮の間で、秘密裏に会談があり、6カ国協議が再開される模様。

米の北制裁「小さなことで大きな損」呉委員長、小沢氏に懸念
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【北京=船津寛】中国を訪問中の民主党の小沢一郎代表は27日夕、北京市内の人民大会堂で呉邦国・全国人民代表大会常務委員長(国会議長)と会談し「北朝鮮の核の火遊びをやめさせてほしい」と要請。呉氏は「米国には小さなことで大きな損をしないように言っている」と述べ、過度の制裁により北朝鮮を追いつめるべきではないとの認識を示し、「最終的には北朝鮮と米国との話し合いになる」との見方を示した。

 小沢氏は「北朝鮮の今回の行動が周辺国に大きな影響を及ぼしている」と指摘。日本の核保有論議に関しては「残念に思う。ひと昔前ならハチの巣をつついたような騒ぎになっていただろうが、拉致問題の流れの中で、何となく国民がそれを受け入れてしまう風潮にあり、一抹の危惧(きぐ)を覚える」と語った。

 呉氏は「米国がマカオ銀行の(北朝鮮の)2400万ドルの金を凍結しても問題解決にならない」と米国の金融制裁措置を非難。「北朝鮮は2回目の核実験はしないと言っているが、米国次第だとも言っている」と対話による解決を主張し、日中は「(米朝の)真ん中に立って協力しなければならない」と指摘した。

 また、安倍晋三首相の先の訪中を「日中関係が前向きになった」と評価。ただ、小泉純一郎前首相時代に首脳間交流が途絶えたことにも触れ、「今日までの友好関係に傷を付けた」と述べた。

(10/28 00:44)
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私は光栄にもこの場に立ち合わせて頂いた。(※写真参照…呉委員長と握手 右端に小さく代表も写っている) 記事にある様に、金融制裁を評価している私とは中国の立場は違っていた。では、問題解決の為に中国がどんな方策を講じていくのか?丁度この頃3カ国で調整が進んでいたのかもしれない。※記事にはないがこの会談で、呉委員長は産経新聞について言及。産経新聞が中国についてどんな主張の記事を載せているかを呉委員長は十分に認識していた。会談の場では、出席者が苦笑していた。

10/28の晩餐会で、中華全国青年連合会の李女史と靖国問題(内容は後日記する予定)などいろいろな意見交換をした。軍拡の話になったので、私は「核を保有している中国が北朝鮮に対し、核実験を中止せよといっても、やっぱり説得力が欠けるなぁ」と意見した。すぐに場が中締めとなってしまったので、残念ながら、コメントを聞くことは出来なかった。彼女はどう思っただろうか?

中国は相当面子を潰されていると思う。勿論、韓国は論外。中国が今後どんな面子の張り方をするか?今は、心から期待するしかない。対して北朝鮮がどんな行動に出るのか?他人事ではない。我国の目と鼻の先にある危機の問題である。
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