何か理に反することを企てても、他人の目を考えると一線を越えられないものだ。昔流に言えば、「お天道様が見ている」からだ。だから、人は悪事は裏でこっそりと行う。悪事を肯定するつもりはないが、それがたしなみであり、少なくとも罪悪感に苛まれ、何かを背負う分には、まだまだ人間らしさが残っている。
しかし、最近の子供も大人も、組織も個人も、社会全体で、表に出て来て堂々と悪事を行う。卑怯なことも平気で行う。我が身の主張を正当化することに脇目も振らず、当然、人の目など気にしない。「自己チュー」もここまでくれば、ノーベル賞モノである。その論理、理解できる人間こそどうかしている。「お天道様が見ている」など、もはや死語。悪事を正せと指摘すれば、逆ギレし、居直り、ゴネ捲くる。そのくせ、相手にはルールを求めてくる。ドン詰まり、互いに収拾が付かなくなると、暴走を止めるために、正しい者たちが「落としどころ」を模索し始める。ルール違反者が折れるのではなく、正しい者たちが折れてしまう。そんな風潮はおかしい。
どこかで箍が外れてしまっている。
※以下、ぼやきデス、複数の方の顔を思い浮かべて記す・・・・・・私の周りにも、そういう人達がいる。誰のことかッて?私は正義を貫きますので、悪しからず。このコラムを読んで、ムカついたとしたら、、、、、そう、あなたのことかもしれませんねぇ。私は見た目とは裏腹に、想像を超えて、柔ではない。
ひとつよろしくっ。私のエネルギーは、世に対する「怒り」であることを、お忘れなく。