※本稿は5/19発行のメールマガジンを一部リライトして掲載しました。慰霊の日ということで
有料メルマガをご購読頂いていない方にもお伝えしたく掲載しました。ご理解下さい。
今日は20万人余りが犠牲となった沖縄戦から、69年目の「慰霊の日」です。
心からご冥福をお祈りすると共に、祖国を守る為に命を賭してくださった方々に感謝を申し上げたいと思います。
沖縄の悲劇に絡んで、「ブロ市民たる反戦平和主義者」がよく口する言葉があります。
「沖縄戦で命を落とした学徒看護隊は犬死にだ」
→悲劇を生んだのは、戦争そして日本軍であり米軍だから、基地は沖縄からでていけというイデオロギーの為に、犬死にでなければ都合が悪いのです。
「普天間の子供達をこれ以上危険に晒すな、米軍は沖縄から出て行け」
→実際に普天間では、危険除去の為に学校を移転させようという運動がありました。 しかし、そうなると危険がなくなってしまう。 だから学校移転に反対し、危険を温存させてきた経緯があります。 本音では子供達の安全よりも、子供達の回りの危険を温存する方が重要なのです。
両者の共通点は、子供達を盾に自分たちの主張を押し通し、国家を貶めているという点ですね。
このように、沖縄戦に散った兵士達、学徒隊、一般人は犬死にだったと標榜し活動する輩達が、本土から沖縄に「侵攻」しています。
一万歩譲って犬死にだとしましょう。 彼等が犬死にならば平和が築けるのでしょうか?憲法九条を掲げて平和が確保出来るのでしょうか?
出来るならば、憲法九条をベトナムと中国、フィリピンと中国の領土領海紛争の間に持っていって、その効力を確かめてみたらどうでしょうか?即座に「蜂の巣」にされ、瞬時に幕は下りてしまうでしょうね。
犬死に?とんでもありません。 断じて犬死にではありません。
彼等は祖国平和の為に戦い命を落としたのです。 犬死にと断ずることが、彼等の遺志を、尊厳を、名誉を傷つけていることに気づかないのでしょうか?
いや、気づいている筈です。 それでも犬死にとするのは輩達の目的が公の為ではなく、個人のイデオロギーを残すことだからです。
過去沖縄を何度も訪れましたが、なかなか叶わぬことがありました。 学徒看護隊の慰霊です。
学徒看護隊といえば「ひめゆりの塔」が有名ですね。 過去3度慰霊に参りましたが、いつも多くの参拝の方々で賑やかです。 しかし、学徒看護隊はひめゆり看護隊の他にも8隊存在したことはあまり知られていません。
5年程前青山繁晴さんがとある番組で、他にも存在した学徒看護隊のことについて話しをしておられ、機会を作りいつかすべてを慰霊したいと思っていましたので、今回(5/16)それが叶いました。
学徒看護隊には、
ひめゆり学徒隊・・・師範学校女子部、県立第一高女
白梅学徒隊・・・・・県立第二高女
なごらん学徒隊・・・県立第三高女
瑞泉学徒隊・・・・・県立首里高女
積徳学徒隊・・・・・私立積徳高女
梯梧学徒隊・・・・・私立昭和高女
宮古高女学徒隊・・・県立宮古高女
八重山高女学徒隊・・県立八重山高女
八重農女子学徒隊・・八重山農学校
が、ありました。
今回私は、塔参拝だけでなく、彼女達が身を賭し傷病兵達を看護した「ガマ」のひとつ「糸数アブチラガマ」を見に行きました。
「アブ」とは深い縦穴の洞窟、「チラ」とは崖のこと、「ガマ」とは洞窟のことです。 沖縄本島は隆起珊瑚礁で出来た地域が多く、自然の洞窟が各地にあり、戦争が激しくなるとガマは軍民同居の形で米軍の攻撃の的となってしまったのです。
全長270メートルのガマは、一部に階段と手摺、非常用設備があるだけで当時そのままの状態で私を迎えてくれました。 ヘルメットを被り、懐中電灯を片手に極端に狭い穴から入ります。 広いところでは高さが7~10メートル程度、ひんやりとしたガマの中は鍾乳洞。 上からは水滴が落ちてきます。 ガマの中で生活ができたのはこの水のお陰。 しかし、生活とはほど遠い足元が岩だらけ、まず平坦なところはありません。 当時は二階のバラックを建て施設としていた様です。
ここで、600名以上の傷病兵を、医師3名、看護師3名、16名のひめゆり学徒看護隊で看護していたのです。
米兵が侵入して来ない様に、また爆風が奥まで来ない様に、何重も石垣が積まれていました。 バラックの天井が爆風で飛ばされて、岩に突き刺さっていました。 爆発の激しさを物語ります。 当然周辺の岩場は真っ黒に焼けこげています。
内臓がとび出している、手足がちぎれている、破傷風、精神的に口がきけない兵士達の部屋があった場所は状態に応じて分けられていたそうです。 今で言う、トリアージ(治療の優先順位)が行われていて、奥に行けば行くほど重症で息があっても助からないと判断され、遺体の山の場所に運ばれていくこともあったでしょう。
当時はロウソクで灯りを確保。 懐中電灯を消してみると漆黒の闇。 何も見えません。 通気口があるといっても、「臭い」は想像を絶していたでしょう。 糞尿はひめゆり隊の女子高生が米兵に見つからぬ様に捨てにいっていたのです。 遺体はそのままです。
彼女達が一時の休息を得た場所がありました。
愕然としました。
一番ゴツゴツとした岩場、寄りかかる壁も尖っています。 まだ恋いすら知らぬ少女達です。 平成の時代に生を受けていれば・・・・・こんなところで、命を落とすことも・・・・。
懐中電灯を消し、闇の中に水滴が落ちる音が聞こえます。 小さな水の流れの先には水溜まりがあります。
「食べ物のない中でお腹いっぱいに水を飲んで生きていることを感じていた」
と、生き残った、たった7名のうちお一人が戦後そう語っていらっしゃったそうです。
ガマの奥を引き返し、出口間際で電気を消し、目が慣れた頃でしょうか。 一筋の光が差し込んでいることに気がつきました。
これこそ「希望の光」です。
彼等が、ガマの中でこの光を見ながら、日本の行く末を案じていたと思うと、言葉がありません。
ただ確実に言えることは、彼等達、彼女達は立派に戦い、任務を遂行し、生き抜いたと思います。 祖国の為に、私心を捨て公の為に命を燃やしてくれたのです。
彼等を犬死に呼ばわりする連中の気が知れません。 陥れ、恥ずかしめ、尊厳を傷つけてでも反日イデオロギーを押し通したい連中に怒りを禁じ得ません。
白梅の塔は少しずつ知名度が上がってきましたが、他の塔はいまだにその存在を世間にあまり知られることなく、ご遺族や、同窓生達によって慰霊されています。
梯梧学徒隊の塔は、なんと、ひめゆりの塔のすぐお隣にありました。 「ひめゆりの塔に一番近い駐車場」と書かれた駐車場の奥の方にありました。 看板などありません。
その駐車場からは実質、ひめゆりの塔よりも梯梧の塔の方が近いのです。
4年前に我が子を連れてきて、学徒看護隊のことを偉そうに説明していた自分自身を心の底から恥じました。 梯梧の塔の魂は私をどう思っていたのだろうかと?
「私たちはここにいるのに、何故気づいてくれないの?」と。
沖縄のことを多少は知っているつもりで情報発信をしてきました。 しかし、それは愚かなことでした。 沖縄の悲劇のほんの一部、「観光地化された戦跡」を知っている程度で、私は何も知らなかったのです。
白梅の塔では一頭の黄色い蝶々が私を追いかけてきました。 立ち止まると葉っぱに止まり動きません。 私が歩き始めると、又追いかけてきました。
涙が止まりませんでした。
祖国を守る為に命を落とした兵士、学徒隊、民間人は断じて犬死にではありません。 国を護ることに自らを捧げた彼等の遺志を我々は受け止め、私たちはそれを現代において実行し、後世に伝えていく義務があるのです。
奇跡的に今に伝えられた魂の叫びを、私たちは、確実に、正しく、怖れを持って受け止めていかなければならないと痛感しました。