長尾たかしの・・・未来へのメッセージ

自民党衆議院議員長尾たかしのブログ。平成11年からネット上で情報発信を継続。サラリーマン生活を経て政界へ。

岡田代表を招いて、柏原街宣、羽曳野タウンミーティング

2005-05-30 15:05:34 | 活動
岡田代表を迎えての、第7回タウンミーティングを無事終えた。柏原での街頭宣伝にも200名ほどの方々にお集まりいただいた。

何はともあれ、両会場共に、自主警備指導が凄まじく、40名を超える多くのボランティアにお集まり頂けた事は私として大きな財産を得た気がしている。

タウンミーティングの主旨を貫いた。質疑応答を中心としたが、やはり人数と時間には限界があり、通常のタウンミーティングとはいかなかった。まぁ、これは当たり前。告知は、基本的に会場周辺のチラシ配りで参加者184名。あぁ、まだまだである。もっと足腰を強くする必要がある。

さはさりながら、今回は「岡田代表来る」を最大限に利用させてもらった。事務所としてもあらゆる面で良い経験だった。

いやーっ、3週連続して集会が続いた。今週は「弾詰め週間」。6.11は第8回タウンミーティング・山本である。
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日露戦争勝利100周年の海軍記念日

2005-05-27 15:18:06 | 歴史・伝統・文化
今日は海軍記念日である。

それも、日露戦争勝利100周年。

100年に一度の記念日である。この記念すべき100年目の今日、全国各地で記念式典が開かれる。私も対馬へ行く予定だったが、明日に迫った岡田代表を招いてのタウンミーティングの準備等々で行くことが出来ない。その分、岡田代表にいろいろな質問をぶつけてみようと思う。

さて、心も新たに100周年を迎えるべく、以下の文章を自分自身に言い聞かせる。以前私が運営していたグローバルネットというサイトに自分で記したものである。

混沌とした平成にあって、東郷閣下の言葉は魂に沁みる。

折りしもこの記念すべき時に旧日本兵生存者がミンダナオ島で発見された。産経新聞
-------------------------

日本海開戦の意義

東郷平八郎
(生)1847(弘化4)年 鹿児島加治屋町(死)19
34(昭和9)年 東京 海軍大将、元帥。1863(文久
3)年の薩英戦争が初めての戦場で、戊辰の役にも従軍、
維新ののち海軍に入って明治4年イギリスに留学、11
年帰国。日清戦争では浪速艦長で黄海海戦に参加、日露戦
争では連合艦隊司令長官として、日本海海戦でバルッチク
艦隊に完勝した。

東洋のネルソンと呼ばれ、今も錦江湾に入る外国軍艦は多
賀山の元帥銅像を表敬するのが例となっています。

日露戦争は「カラードがホワイトに勝った史上初めての戦
争」でした。カラードとは、有色人種。ホワイトは、白人
のことです。皆さんは人種差別というと同和問題や民族問
題を思い浮かべると思います。しかし、我々日本人はイエ
ローとして知らないところで世界的に差別を受けていま
す。外国で生活感のあるところへいきますと実感できま
す。

例えば私の体験から銀行でのこと。引き出しの為、海外通
貨口座を持っていたのでATMに並んで順番を待っていたとこ
ろ、後ろのホワイトがどんどん私の前に割り込んでくる。
誰も注意しようとしない。しかし、この状況はあちらでは
常識なのです。

また、ある方の経験談で、飲食店でのこと。ムードのある
ショットバーがあったので入ろうとしたらドアノブのとこ
ろに「No Colored」。つまり、有色人種はお断わりとして
あったのです。次の店へいっても全部そうで、其の街全部
の店がそうだった。

これには驚いたそうです。自分が差別されているとはじめ
て体験した瞬間だったそうです。

日露戦争前は全世界がホワイトの独壇場で、カラードの
人々はすべて植民地化されていました。ホワイトの次の標
的が日本だったわけです。全世界がロシアの勝利を確信し
ていました。国力も戦艦の数も資金力も兵隊のレベルすべ
てがロシアのほうが優っていると思われていました。しか
し、日本は勝利した。全世界の驚き、特にホワイトの驚き
たるやいろいろな資料を見るとそれは天と地がひっくり返
るような衝撃だったのです。

日露戦争における日本の勝利を日本以上に喜んだのがカラ
ード植民地の人たちです。時代変わって、大東亜戦争後、
日本は敗戦しましたが、アジアの国々では「我々にも其の
チャンスがあるかもしれない」と心の底から勇気づけられ
自国の為に独立運動を試みる風潮が生まれたのです。

ですから、東郷平八郎も、日本もアジア諸国でも英雄でし
た。

海の向こうに連合艦隊解散の訓示に感動したホワイトがい
ました。カラードながらあっぱれというところでしょう。
アメリカ大統領ルーズベルトです。この訓示はルーズベル
トの命を受けアメリカ全土の教育機関を通じて広められ、
其の精神が今も尚語り継がれています。しかし、一方で東
郷平八郎を生んだ日本では「不適切」ということで、戦後
の教育で紹介されたことはありませんでした。



[東郷平八郎・連合艦隊解散式訓示]

連合艦隊解散の訓示 二十ヶ月にわたった戦いも、すでに過
去のこととなり、我が連合艦隊は今その任務を果たしてこ
こに解散することになった。しかし艦隊は解散しても、そ
のために我が海軍軍人の務めや責任が軽減するということ
は決してない。

この戦争で収めた成果を永遠に生かし、さらに一層国運を
さかんにするには平時戦時の別なく、まずもって、外の守
りに対し重要な役目を持つ海軍が、常に万全の海上戦力を
保持し、ひとたび事あるときは、ただちに、その危急に対
応できる構えが必要である。

ところで、戦力というものは、ただ艦船兵器等有形のもの
や数だけで定まるものではなく、これを活用する能力すな
わち無形の実力にも左右される。百発百中の砲一門は百発
一中、いうなれば百発打っても一発しか当たらないような
砲の百門と対抗することができるのであって、この理に気
づくなら、われわれ軍人は無形の実力の充実すなわち訓練
に主点を置かなければならない。

この度、我が海軍が勝利を得たのは、もちろん天皇陛下の
霊徳によるとはいえ、一面また将兵の平素の練磨によるも
のであって、それがあのような戦果をもたらしたのであ
る。もし過去の事例をもって、将来を推測するならば、た
とえ戦いは終わったとはいえ、安閑としてはおれないよう
な気がする。

考えるに、武人の一生は戦いの連続であって、その責任は
平時であれ戦時であれ、その時々によって軽くなったり、
重くなったりするものではない。ことが起これば戦力を発
揮するし、事がないときは戦力の涵養につとめ、ひたすら
にその本分を尽くすことにある。過去一年半、あの風波と
戦い、寒暑に耐え、たびたび強敵と相対して生死の間をさ
まよったことなどは、容易な業ではなかったけれども、考
えてみると、これもまた長期の一大演習であって、これに
参加し多くの知識を啓発することができたのは、武人とし
てこの上もない幸せであったというべきであり、どうして
戦争で苦労したなどといえようか。

もし武人が太平に安心して目の前の安楽を追うならば、兵
備の外見がいかにりっぱであっても、それはあたかも砂上
の楼閣のようなものでしかなく、ひとたび暴風にあえばた
ちまち崩壊してしまうであろう。まことに心すべきであ
る。

むかし神功皇后が三韓を征服されて後、韓国は四百余年間
我が国の支配下にあったけれども、ひとたび海軍が衰える
とたちまちこれを失い、また近世に至っては、徳川幕府が
太平になり、兵備をおこたると、数隻の米艦の扱いにも国
中が苦しみ、またロシアの軍艦が千島樺太をねらってもこ
れに立ち向かうことができなかった。目を転じて西洋史を
みると、十九世紀の初期、ナイル及びトラファルガー等に
勝った英国海軍は、祖国をゆるぎない安泰なものとしたば
かりでなく、それ以降、後進が相次いでよくその武力を維
持し世運の進歩におくれなかったから、今日に至るまで永
く国益を守り、国威を伸張することができたのである。

考えるに、このような古今東西のいましめは、政治のあり
方にもよるけれども、そもそもは武人が平和なときにあっ
ても、戦いを忘れないで備えを固くしているかどうかにか
かり、それが自然にこのような結果を生んだのである。

われ等戦後の軍人は深くこれらの実例を省察し、これまで
の練磨のうえに戦時の体験を加え、さらに将来の進歩を図
って時勢の発展におくれないように努めなければならな
い。そして常に聖論を奉体して、ひたすら奮励し、万全の
実力を充実して、時節の到来を待つならば、おそらく永遠
に護国の大任を全うすることができるであろう。神は平素
ひたすら鍛練に努め、戦う前に既に戦勝を約束された者に
勝利の栄冠を授けると同時に、一勝に満足し太平に安閑と
している者からは、ただちにその栄冠を取り上げてしまう
であろう。

昔のことわざにも教えている「勝って、兜の緒を締めよ」
と。

明治三十八年十二月二十一日
     連合艦隊司令長官 東郷平八郎
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スタッフ表を見て某氏が、、、

2005-05-25 15:37:24 | 活動
第7回タウンミーティングに岡田代表が出席することで、警備について警察との打合せがとりあえずひと段落。次第もほぼ決まったが、警備の細かさに少々面食らった。

柏原街宣の後、羽曳野タウンミーティングという欲張りスケジュールを組んだため、警備も倍必要となる。当初事務所で提出した人数計画では足りないというので、結果、更に倍は必要とのこと。「こんなに多くのスタッフ頼んだことないぞっ」。

14区に各政党の代表、総裁、党首が入るのはどうも初めてらしく、更に計画が細かい。「1000人来た場合の対応は考えているんですか」。あらゆるシュミレーション・・・、とは言うけれど、それが際限がないような気がしないでも、、、。

しかし、あらゆる状況を想定せねばならないことに変わりは無く、ここで議論を挑んでも時間の無駄と飲み込み、ここはひとつ「壮大な計画」を、ド素人だけで見事円滑にやりあげてみせようと腹を決める。

選挙さながらのスタッフの動員。まぁ、「代表来るっ」を出汁に、声を掛けづらいところにも声を掛け、形は出来た。

スタッフ表を見て「ほぅ、前回選挙時と8割はメンバーが入れ変わっとる」と某氏が呟く。

少々「長尾たかし色」が出ているということか。確かに前回選挙ではスタッフを頼むのも人頼みだった。これも落選して初めて経験できること。すべては「その為」なのかもしれない。

※あぁ、また黒塗りの街宣車が騒いでいる。さぁせっせと、対策、対策・・・。「あぁ、俺はあんた達とどちらかといえば気が合うと思うんだけどなぁ。俺のコラムバックナンバー読めよっ」(非公式発言)
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意固地な政府と、審議拒否

2005-05-23 15:38:23 | 行財政・金融
郵政民営化特別委員会の設置を巡る与野党の激突により、今週から国会は空転。よって、拉致問題特別委員会までも急遽延期。他にも問題山積の中で、延期、延期、延期。

過去の審議拒否戦術はすべて失敗。民主党は政策議論で戦う政党であるべきなのに、今回もこの戦術とは、、、。

どうせなら、民主党と自民党郵政民営化反対派と手を組むという禁じ手を使ってでも廃案へ持ち込む覚悟があるか。

選挙区にいると民主党の戦術に対し厳しい指摘を頂く事が多い。国会議員は永田町にいるから良いものの、地元で矢面に立つ我々が、有権者に説明できるような戦術を組み立てて欲しいし、失敗して欲しくない。

郵政民営化に振り回されて、あれもこれも審議が出来なくなっていく。これでいいのでありましょうか。どっちもどっち?・・・呆れ顔っ。

あぁ、複雑な思い。
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あ~っ

2005-05-21 15:39:07 | 活動
「民主党の長尾たかしです」
「あ~っ、はいはいっ」

この、「あ~っ」というのが、何なのかいろいろと考える
のだが、初対面の方に名乗ったとき、先方様の「あ~っ」
を大切にしている。

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やってみよう

2005-05-19 15:40:03 | 中国外交
街宣時に配布しているチラシが130号を超えた。先々週配った127号を読んだ某有権者が電話をくださった。

以下、127号。

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中国での反日暴動、反日デモに思う

仮に日本政府が中国の求めるように「過去の歴史」に謝意
を表明しても、中国の反日姿勢が改められることはない。
それは、中国という国家の宿命であるからだ。中国政府
は、東京裁判史観に基づき「侵略国家日本」に勝利し、中
国共産党は蒋介石率いる国民党をも追い出し、人民を解放
したという歴史観で人民を統治している。

中国は政治的には一党独裁共産主義である一方、経済的に
は資本主義を導入している。この国内矛盾に加えて、文化
大革命では自国の人民2000万人以上を虐殺し、天安門事件
では解放軍が民主化を求める人民に容赦なく武力制圧をし
ている。止まらぬ官僚汚職、貧富の差などを含め国内には
反政府的感情が潜在的に存在しているのだ。

さらに江沢民時代に徹底した反日教育を受けた世代が、イ
ンターネットを通して、自由主義社会から民主的な情報を
得始めている。政府としては人民の民主化への覚醒を何が
何でも阻まなければならない。その為に「外に敵を作るこ
と」が政府の基本方針とならざるを得ない。今回の反日運
動、反日暴動、兎に角、「反日」が唯一の拠り所なのであ
る。

今年は日中友好条約30周年である。友好が大切ならばこの
節目に条約に対しては忠実でありたいものだ。第一条に
は、「両締約国は、日本国政府及び中華人民共和国政府
は、主権及び領土保全の相互尊重、相互不可侵、内政に対
する相互不干渉、平等及び互恵並びに平和共存の諸原則の
基礎の上に、両国間の恒久的な平和友好関係を発展させる
ものとする」とある。

違う国の間では歴史観は一致しない。我国には我国の歴史
がある。これが執拗に干渉されるならば、真の友好の為に
も「友好条約違反である」と毅然とした態度を取ればよ
い。

懸案の靖国問題。我国には戦争犯罪者、「戦犯」はいない
というのが私の認識である。それは国会で決定されてい
る。昭和28年8月に遺族等援護法が改正されて、連合軍によ
り軍事裁判で有罪とされたすべての人たちは、日本の国内
法においては罪人とみなさないという判断基準が明確に示
されている。これは選挙で選ばれた国民の代弁者の決定、
つまり「国民の総意」と理解している。

我国は法治国家である。ならば、私は先代達のこの決定を
尊重する。これは特別なことではなく、自然なことであ
る。
------------------------------

さて、電話をくださった某氏は、岡田代表が、

------------------------------
小泉純一郎首相が靖国神社の参拝問題で、中国、韓国の反
発に不快感を示したことに関しては「日本国の首相として
の自覚を欠いている。(靖国に)行くことに正当性がある
ならば、中国や韓国をきちんと説得する責任がある」と批
判した。
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のように発言したことで、「5月28日のタウンミーティングに岡田代表が来たとき、貴方の127号の意見をそのまま代表にぶつけて欲しい。」というものだった。

有権者のご意見である。・・・やってみようと思う。
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多忙ということ

2005-05-18 16:16:59 | 政治信条
多忙ということ。これは大変良いことだ。私などは現職に比べスカスカの予定を埋めるのに必死である。まぁ、それでも、ここ数ヶ月予定らしい予定になってきている。

雑感だが、一般的に議員という仕事は「忙しく振舞うこと」が重要であると勘違いしていると思う。ご公務多忙ゆえ遅刻、中座は当たり前。私はまだバッチを付けたことがないので、本当の忙しさを知らないだけなのかもしれない。本当に忙しいのだとは思う。ただ、自分の名前が紹介されれば一目散に退席という予定の立て方は、一般人から見ると少々疑問。「チョッと来て変えるなら来なけれゃいいジャン」と口にする人もいる。

お陰様で私には公務がないので、お招き頂いた会合には最後までいることにしている。まぁ、当たり前ではあるが、、、。ところがこれが結構、逆に目立つのである。私はその視線から糸口を探している。しかし、「暇だと思われるよ」とアドバイスされたことがある。そう言い残した彼はロビーの喫茶店で談笑していた。他数名の主催者から目撃されている悲劇を彼は知らない。

拉致被害者を救出する集会でも、最後まで残った議員はたったの一人。ほとんどは20分ほどで退席していた。つまりは、「その集会には、もう用がなくなった」のである。

ある団体主宰の国会議員を招いての勉強会。2時間の勉強会にはじめから最後まで参加していたのは、枝野議員のみ。他のべ18人の議員は、遅刻か中座。遅刻して中座する議員もいた。

これで会合の主旨がわかるのだろうか。わかるのが議員なのだろうか。
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拉致被害者を救う羽曳野集会が終了

2005-05-16 16:17:49 | 活動
運動を風化させてはならない。拉致被害者を救う羽曳野集会が終了した。

450名を越える方々にご参加頂き心から感謝。有本嘉代子さんに「お疲れになったでしょう」と労うと「いえいえ、全然疲れてませんの。明日も街宣なんですよ」。79歳、被害者を救うために疲れている暇など無いのだ。母の一念、質問した自分が馬鹿だった。

地元市議会議員の方にもボランティアで参加して頂いたのだが、一部の世間からはボランティアとは映らなかったようで、右翼の街宣車からケチがついた。よって、後味が少々悪かった。

JR西日本事故、イラク問題、郵政民営化問題。マスコミが北朝鮮問題を目立って報道しなくなった。某日行われた某会場では1000人の会場で400人だったという。羽曳野大会も1割ほど空席。

運動を風化させてはならない。
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大量破壊兵器の戦略的曖昧性・・・村田教授

2005-05-10 16:27:47 | 安全保障
私はアメリカのイラク攻撃を支持しない。この考え方に変わりは無いが、村田晃嗣先生の講演を参考に、一寸立ち止まって今一度考えてみた。

冷戦中日本は「危機の主正面であるヨーロッパ」の裏側で、アメリカの傘の下に守られて来た。冷戦が終わり、9.11以降危機、危機、戦争の定義が変わってきた。宣戦布告など無い、国家が単位ではない、テロへと変化する。

所謂、戦争と、テロはどう違うのか。テロは「何時、何所で、誰が、何故、どの様にして」被害者になるかが全く分からない。首謀者は国家とは限らない。

国家でないということは、国家間の抑止力が効かないということである。

イラクには大量破壊兵器を保有しているという疑惑があった。今は結果として、無かったと判断できるわけだが、大量破壊兵器が「無かったこと」と、「持っているかもしれない」という脅威は別問題。

大量破壊兵器を「持っているかもしれない」という曖昧性が最大の脅威なのである。フセインはこの曖昧性でアメリカと戦っていたわけだ。(※同志社大学の村田教授はこれを戦略的曖昧性と称していた)

国家が保有する「大量破壊兵器の使用」は現実性が無いと考えてよい。(※クルド人に使用したときの国際世論を思い出して欲しい) 何故ならば一瞬にして想像を絶する被害者が発生し、国家として国際的な非難を浴びる事は確実である。世界から完全に孤立する。

しかし、「持っているかもしれない」以上に、「使用するかもしれない」のが、テロ組織である。テロ組織は組織に過ぎず、国家という単位ではない。今までの国際法の範疇にある危機とは全く別の次元の危機であり、抑止が効かない。

従来の国際法、国際世論を超越した危機、これがテロの本質である。ならば、イラクが「持っているかもしれない」大量破壊兵器が、テロ組織に「わたるかもしれない」というシュミレーションを考えたとき、アメリカによるイラクへの先制攻撃が、必ずしもナンセンスとは言い切れないと考えてしまうのである。

繰り返すが、私はアメリカによる先制攻撃を正当化しない。ただ、結論に至るまでのあらゆるシュミレーションの中に、「テロとは何か」を前提に、新たな選択肢を持つ必要があるのではないか。それほど9.11は危機という概念を変化させたのである。

テロは他人事ではない。9.11では日本人同胞、20数名の命が奪われていることを忘れてはならない。
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償いは済んでいる

2005-05-09 17:00:51 | 歴史・伝統・文化
韓中からは「謝罪、謝罪、謝罪」の要求ばかり。謝罪の次は、「では、行動で示してもらおうか」ということになるのだろう。

百歩、いや千歩譲って、A級戦犯に戦争に関する全ての責任があったとしようか。彼等は死をもって償いを済ませているのではないだろうか。死者にも尚鞭打つ国々には理解できないかもしれないが、そう考えることは日本人の死生観である。

A級戦犯は、靖国に合祀してある14人だけではない。起訴されたA級戦犯は、荒木貞夫、板垣征四郎、梅津美治郎、大川周明、大島浩、岡敬純、賀屋興宣、木戸幸一、木村兵太郎、小磯国昭、佐藤賢了、重光葵、嶋田繁太郎、白鳥敏夫、鈴木貞一、東郷茂徳、東条英機、土肥原賢二、永野修身、橋本欣五郎、畑俊六、平沼騏一郎、広田弘毅、星野直樹、松井石根、松岡洋右、南次郎、武藤章の28名。

さて、重光葵などは、7年の禁固刑の後、1951年に出獄後、改進党総裁・日本民主党副総裁を務め、第一次鳩山一郎内閣では外務大臣を務めている。

また、賀屋興宣も、1955年、仮釈放され、1958年正式赦免。自民党公認で総選挙に立候補し初当選。1963年第2次池田改造内閣に法務大臣として入閣。第3次池田内閣でも留任。

つまり服役の後、名誉を回復している。

共に元A級戦犯である。我々は彼等をまた、彼らの家族たちを戦犯扱いしているだろうか。服役をし罪を償ったのだから、罪人扱いはしていない筈だ。

一方、絞首刑になった7人を含む、14人の名誉は回復されているのだろうか。遺族達はいまだに名誉が回復されていないことをどう考えているのだろうか。

私達国民はこの矛盾を一度でも考えたことがあるだろうか。BC級戦犯たちも死をもって償った(言われ無き裁きをうけ)のではないだろうか。

「償いは済んでいる」と毅然とメッセージを伝えられないのは何故だろうか。
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第5回タウンミーティング

2005-05-02 17:29:04 | 活動
第5回タウンミーティング第5回タウンミーティングが終了。動員もかけず60名以上の方々にご参加頂く。竜華地区の民主党に対する期待感を感ずると同時に、責任感をもひしひしと感ずる。

全員からご意見を聴くことはできないと思い、急遽パネルディスカッション形式に変更。尾立源幸参議院議員、田中誠太大阪府議会議員、吉村晴之市議会議員にはご迷惑をかけた。激論が飛び交い「八尾はアツイねぇ」と帰りがけ尾立議員がポツリ。

昨日は朝から連合南河内地区のメーデーに参加。その後午後の予定がキャンセルとなり自宅へ帰る。自宅マンション前では、某団体が警察に厳重に守られてデモ行進をしていた。チョッと不思議。

溜まった本を読もうと机に置いてみたが、睡魔が、、。予定がキャンセルになったことをイイ事に、午後は自宅で爆睡してしまった。目が覚めると枕元で子供達が大暴れしていた。暫しの休暇であった。

お陰で夜全然眠れずひどい目に遭う。
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