長尾たかしの・・・未来へのメッセージ

自民党衆議院議員長尾たかしのブログ。平成11年からネット上で情報発信を継続。サラリーマン生活を経て政界へ。

訪印報告

2011-09-26 10:41:00 | 外交一般
マモンハン・シン首相、インド世界問題評議会(ICWA)理事長テヴアレ氏、メノン国家安全保障顧問、アドバニBJP議会団長、アントニー国防大臣、クマール科学技術担当大臣、インド商工会、邦人記者、他多数の方々との意見交換、懇談会であっという間に訪印日程を終えた。社交辞令的なものから、かなり突っ込んだ議論等非常に幅広い感触。斎木インド大使を始め、外務省の方々には本当にお世話になった。

全体の印象としては、安全保障問題、特に対中政策に対する危機感とも云うべき議論、原子力発電に関する議論、人的交流の議論が中心であった。そもそも、この訪印計画は、我々に国家基本問題研究所の皆さんが、インドの中国に対する危機感の高まりについて、国会議員は是非体感するべきとの提案から始まった。インド商工会の皆さんとの議論を除き、ほぼ全ての会合において話題の中心は安全保障問題であった事に予想していた事ではあるにせよ、正直いって驚きを感じた。同時に、認識の甘さを痛感した。北部にはカシミール地方、北西部にはパキスタン、北東部には中国、南部はインド洋である。120万人の軍隊の7割はパキスタンシフト、3割は中国シフト。核は北京を向いているという印象を受けた。戦後ロシアとの関係を余儀なくされ、兵器の7割はロシア製。徴兵制はなく志願兵で安全保障に臨んでいる。与党議員は私が唯一の参加者で、いろいろと気を使って頂いたものの、インド洋給油作戦からの撤退については厳しい評価を頂いていると確信した。生命線とも云うべきインド洋のシーレーン確保については、対海賊対策も含め更なる日本としての形ある結果が問われていると確信した。中国という国はどの国に対しても、まずは、国家としての意志を示し、これを何年も継続して言い続ける。国内法を都合の良いように改正し、たった一つの既成事実を何としてでも作り上げる。ひとつでも突破口が見いだせれば、それを呼び水に一気に攻め上げる。1960年、中国のインド侵攻に対するインド国民のトラウマは染み付いて色褪せる事はない。親中派と呼ばれる勢力の存在は皆無であろうと推測する。所謂「真珠の首飾り」についての危機感。これらは、我が国こそが特に共有するべきと思う。

インドは、第一次産業から、第二次産業を飛越えて、第三次産業が華々しく栄えたという特殊な歴史的経過がある。確かに人口動態を見れば日本と真逆で、奇麗な正三角形を描いている。生産年齢人口は世界的規模で増え続けると予測され、市場としても、生産拠点としても期待されるところだが、深刻な問題点がある。それは、増え続けるであろう「人財」としての労働人口のすべてを第三次産業で受け入れる事は出来ないという現実である。所謂、サービス業、IT産業に従事し、いまインドのみならず世界を牽引している勢力がインドだが、正確には印僑。これは割合としては一握りの世界。カースト制度を表面では否定しているものの、リアルな生活の場面ではこれを否定できず、あらゆる世の中の成り立ちがこの上に存在している。前述したように、第二次産業、つまり製造業、つまり学歴がなくとも従事できるプラットホームそのものが存在していないのである。第二次産業が、膨大な生産年齢人口の受け皿となる事が出来るかどうかが、インドの経済発展、いや国策として大きな課題となっているのである。製造業が根付かなかった理由は幾つか挙げられるが、とにもかくにもインフラの脆弱性である。道路、鉄道、電力など未整備が製造業の繁栄を阻んでいる。今回はニューデリーから一歩も外に出る事なく出張を終えたが、道路事情の劣悪度合いは想像を絶するという。鉄道網も分断されており、複数の鉄道において軌道の幅がバラバラ。いちいち荷物を積み替えなければ次の鉄道網に乗せられない。これでは、資材も製品も運べない。また、終日10%程度の電力不足が続いており、一年中計画停電が行われている。停電は日常茶飯事。これでは、精密部品等の製造は不可能。それでも、SUZUKI自動車をはじめとする日本企業が自家発電などの確保等あらゆる手段を尽くし根付いて入るのだが、共産党主導の激しい労働運動が経営者として悩みの種。世界最大の民主主義国家であるが故の現象でもある。

これら事情を理解すれば、原子力発電技術における、インドの日本への期待感が高まっている事も必然と云える。今回の訪問団としては、軽水炉加圧式型の原子炉に、電源の確保、事故発生時の緊急避難誘導マニュアル(作業員・周辺住民に対する)をパッケージにして技術提供をすることをイメージしながらの議論を進めた。日本国内に原発についてのいろいろな議論があるという事を先方は当然承知していた。それでも、福島で事故が発生して尚、世界で最も安全な日本製の原子力発電技術がどうしても欲しいという事なのだ。我が国が原子力発電技術提供をストップしたとしよう。ならば、日本製よりも信用度が格段に低い原子力発電所が世界各国に出来上がってしまう事にもなりかねず、これは地球規模の危機監理の問題としてこれを許してよい筈もない。我が国が、インドを名実共に世界一の経済大国として支えていく為には、インフラ整備に対する貢献、電力の安定供給への貢献、ひいては製造業の定着への貢献しかないと確信した。

今回の参加者は、安倍晋三、下村博文、衛藤晟一、山谷えり子、加藤勝信、長尾敬の各国会議員、国家基本問題研究所から櫻井よしこ、田久保忠衛、冨山泰、石川弘修、島田洋一各氏。当初、長島昭久、渡辺周、笠浩史、北神圭朗各議員も参加予定たったが、政府要職就任で欠席。与党では私一人の参加となり、新人として光栄極まる思い。党派を超え、永田町を超え、いろいろとご指導頂いた。まだまだ記したい事も沢山あるのだが、これは折に触れて記す事とし、今後の私の議員活動に結果を出す為の財産として役立てていきたいと思う。今回6名の国会議員が訪印したが、これは4年振りだと云う。ビックリした。これも世界最大の民主主義国家にして世界最大の親日国家に対し、非常に恥ずべき事だと思った。中国も大切であるが、彼ら程似て非なる民族はない。民間人も含む更なる積極的な人的交流を大切にするべきと痛感。

「あるべき友」を見間違う事なく精進して参りたい。
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延長国会・・・インド視察許可おりる

2011-09-17 00:25:50 | 活動
国会が延長された。野党の要望を受け入れたもの。ツイッターで多くの皆さんとこの件についてレスポンスさせて頂いたが、来週予算委員会が総理のいない中で開かれるか、開かれたとしたら、どのような内容の質疑応答がなされるのか、ご注目頂ければと思う。

で、私は、インドへ視察に行かせて頂く。今回予算委員を仰せつかっていないので、出席するべき委員会はなく、先程、国対担当副委員長へ請暇届を提出し、衆議院議長より、19日~23日までの訪印を認めて頂いた。

当初は閉会中なので、どなたと行くのかを党に届ける必要もなく、こっそりと参加する予定であったが、国会が延長されたため、そうもいかなくなり諸申請書を作成し提出。「なっ、なんだ???このメンバーはっ?!?!」と驚きの国対担当者。たまたま院内で遭遇した長島首相補佐官を捕まえて、事情説明に同席して頂いた。

「長尾ちゃん、離党は絶対しませんから大丈夫」と長島補佐官が国対に説明。実は、今回の企画は某シンクタンクのもので、民主党、自民党それぞれ5名程度で、今年の5月に実施する予定だったが、東日本大震災が発生し、これを見送り、今回の日程変更となった。ところが、野田内閣の発足で、長島昭久議員他、民主党参加予定の先輩議員が皆、政府に入ってしまった為、民主党参加者は私だけになってしまった。自民党からは、総理経験者をはじめそうそうたるメンバーなので、民主党はほんと、見劣りする。代理出席対応はしないという方針なので、多少ジタバタしたが、インド共和国に対し与党全員欠席という訳にもいかず、加えて「長尾さんは大丈夫かしらぁ~ァ~、大丈ぉ~夫よねぇ」と主催者の甘ーいお声。その他あらゆる包囲網に接し結果腹を決める。国対に対しての事情説明に長島補佐官がいなかったら、実に不自然なメンバー構成。晴れて、「離党の疑い」も掛けられる事なく、出席可能と相成った。もちろん、全額実費!!!!!観光なしっ。

ニューデリーでは、首相、国防相、副大統領、元BJP総裁、元下院野党リーダー、国民会議派書記長など、要人との会見。邦人記者懇談、インド各界要人約40人との立食レセプション、元総理講演等、盛り沢山の予定。今後の経済政策、安全保障、原子力発電技術問題、等等しっかりと、意見交換をしてくる。

土日は、地元。これまた、スタッフが随分頑張ってくれて、すんゲェ予定。某組合定期大会、JAまつり、地元紙取材、第100回タウンミーティング、某税理士事務所主催のレセプションで講演、懇親会。翌日、市民まつり、総合市民フェスティバル、大阪有識者セミナー、市民総合フェスティバル、日本会議中河内支部大会、上京し、成田泊、翌日、インドへ・・・おぉ、インドまで10時間かかるってかぁ!!!!!!
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臨時国会、もうあと2日

2011-09-14 17:57:25 | 国会
通常、6月中旬に国会を閉じて、7月~8月と閣僚を含め、補正予算、次年度予算を作成し、9月下旬に予算案が我々議員に提案され、秋の臨時国会でこれを審議する。ところが、震災の対応等あり、一次、二次補正、かつ震災に係る法律案の作成、審議、成立の為国会が延長され、8月31日に閉会。その後、三次補正、来年度予算の作成となり、物理的に霞ヶ関、永田町の住人である、閣僚、議員、官僚など、膨大な量の対応に追われる。すべては一刻も早い復旧復興の為だから、これも職責。

言い訳がましく聞こえる方もいらっしゃると思うが、落ち着いて考えて欲しい。この様な状況下において臨時国会を開くならば、大臣の所信、対する代表質問をして、予算委員会をせずに国会を閉じることに何ら不自然な部分はないと思っている。何故ならば、予算案がないからである。これまで何もしなかったのではなく、一次・二次とやるべき事を行い、次に三次補正作成。ようやく、本日朝、各省庁から三次補正予算案が出てきた。私の場合、只今、厚生労働省の6529億円の予算案の精査をしているところである。これまでの補正予算と重複する部分もあれば、被災地の事情に変化があり、それに対応するべく予算案の中身も変化している。今日は、復興特別委員会にも関連する、原子力災害による食品中の放射性物質への対応方針に関連する予算のレクを等を受けた。他、各部門会議の取りまとめを今週中に行い、政調で党としての意思決定を経て、国会審議にかけていく。来週にはこれを決する必要があるので、本当に時間がない。行程としては遅れており、一刻の猶予もならない。繰り返すが全ては一刻も早い、復旧復興の為である。

もしも、この状況下にあって今日明日に、予算委員会を開けば野党は政局の話で徹底抗戦を仕掛けてくるだろう。正直申し上げて、野党が手ぐすね引いて攻撃したくなるような諸混乱は、「身から出た錆」という側面もある。これは認めたい。ただ、予算案がない中で、予算委員会を開き、長時間、衆議院参議院予算委員会に閣僚を椅子に縛り付ける時間があるならば、補正予算案作成、意見調整、来年度予算案作成に汗をかいていく方が物事は確実に進む。実は、予算以外の審議は、閉会中審査の中で何時でも委員長の判断で審議を行う事が出来る。国民の多くがこの手続きの存在を知らぬ事を良い事に、「与党は逃げ腰」と糾弾するやり方は頂けない。タバコ税、素人発言などなど、何もテレビカメラが入る予算委員会ではない場所で堂々とやれば良いのである。何故、その土俵に出てきて追求しない? 国会は事実上、既に「通年国会状態」になっているのである。

さてさて、昨日、かなりツイッター上で皆さんからの意見にレスポンスさせて頂いた、野次の事。「野次は議会の華」とも云われるが、気の効いた野次ならばまだしも、「野卑な野次」が野党から多く浴びせられ本当に残念だった。ツイッター上では140文字という制限があるので伝わらなかった部分もあると思うが、私が本当にガッカリした野党の野次について。

私は「ここは、野次るところではないだろう」という怒りに震えた。

以下は、野次られた、首相所信の部分である。
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(前略)

あの3月11日から、はや半年の歳月を経ました。多くの命と穏やかな故郷での暮らしを奪った大震災の爪跡は、いまだ深く被災地に刻まれたままです。そして、大震災と東京電力福島第一原子力発電所の事故は、被災地のみならず、日本全国に甚大な影響を与えています。日本の経済社会が長年抱えてきた課題は残されたまま、大震災により新たに解決が迫られる課題が重くのしかかっています。

 この国難のただ中を生きる私たちが、決して、忘れてはならないものがあります。それは、大震災の絶望の中で示された日本人の気高き精神です。南三陸町の防災職員として、住民に高台への避難を呼び掛け続けた遠藤未希さん。防災庁舎の無線機から流れる彼女の声に、勇気づけられ、救われた命が数多くありました。恐怖に声を震わせながらも、最後まで呼び掛けをやめなかった彼女は、津波に飲まれ、帰らぬ人となりました。生きておられれば、今月、結婚式を迎えるはずでした。被災地の至るところで、自らの命さえ顧みず、使命感を貫き、他者をいたわる人間同士の深い絆がありました。彼女たちが身をもって示した、危機の中で「公」に尽くす覚悟。そして、互いに助け合いながら、寡黙に困難を耐えた数多くの被災者の方々。日本人として生きていく「誇り」と明日への「希望」が、ここに見出せるのではないでしょうか。

 忘れてはならないものがあります。それは、原発事故や被災者支援の最前線で格闘する人々の姿です。先週、私は、原子力災害対策本部長として、福島第一原発の敷地内に入りました。2千人を超える方々が、マスクと防護服に身を包み、被曝(ひばく)と熱中症の危険にさらされながら、事故収束のために黙々と作業を続けています。そして大震災や豪雨の被災地では、自らが被災者の立場にありながらも、人命救助や復旧、除染活動の先頭に立ち、住民に向き合い続ける自治体職員の方々がいます。御家族を亡くされた痛みを抱きながら、豪雨対策の陣頭指揮を執り続ける那智勝浦町の寺本真一町長も、その一人です。

 今この瞬間にも、原発事故や災害との戦いは、続いています。様々な現場での献身的な作業の積み重ねによって、日本の「今」と「未来」は支えられています。私たちは、激励と感謝の念とともに、こうした人々にもっと思いを致す必要があるのではないでしょうか。

 忘れてはならないものがあります。それは、被災者、とりわけ福島の方々の抱く故郷への思いです。多くの被災地が復興に向けた歩みを始める中、依然として先行きが見えず、見えない放射線の不安と格闘している原発周辺地域の方々の思いを、福島の高校生たちが教えてくれています。

 「福島に生まれて、福島で育って、福島で働く。福島で結婚して、福島で子どもを産んで、福島で子どもを育てる。福島で孫を見て、福島でひ孫を見て、福島で最期を過ごす。それが私の夢なのです。」

 これは、先月、福島で開催された全国高校総合文化祭で、福島の高校生たちが演じた創作劇の中の言葉です。悲しみや怒り、不安やいらだち、諦めや無力感といった感情を乗り越えて、明日に向かって一歩を踏み出す力強さがあふれています。こうした若い情熱の中に、被災地と福島の復興を確信できるのではないでしょうか。

 今般、被災者の心情に配慮を欠いた不適切な言動によって辞任した閣僚が出たことは、誠に残念でなりません。失われた信頼を取り戻すためにも、内閣が一丸となって、原発事故の収束と被災者支援に邁進(まいしん)することを改めてお誓いいたします。

 大震災後も、世界は歩みを止めていません。そして、日本への視線も日に日に厳しく変化しています。日本人の気高い精神を賞賛する声は、この国の「政治」に向けられる厳しい見方にかき消されつつあります。「政治が指導力を発揮せず、物事を先送りする」ことを「日本化する」と表現して、やゆする海外の論調があります。これまで積み上げてきた「国家の信用」が今、危機にひんしています。

 私たちは、厳しい現実を受け止めなければなりません。そして、克服しなければなりません。目の前の危機を乗り越え、国民の生活を守り、希望と誇りある日本を再生するために、今こそ、行政府も、立法府も、それぞれの役割を果たすべき時です。

(以下省略)
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この所信の一部には、与党も野党も、政局もない。何故、このくだりで、「野卑な野次」が飛ぶのだろうか? この呼びかけに、野次で返す「心」がわからない。この他の件に対する野次ならば、まぁ良しとするにしても、「ここ」で、野次はないだろうっ!!!!

誰が総理であれ、どの政党が与党であれ、野党であれ、この国難にあたっては、一致団結するということに何故政局を持ち出してくるのだろうか? 野党の立場に立って考えれば、落選した同志達を再び国会に呼び戻す為にはこのタイミングで解散総選挙を叫びたい気持ちもよくわかる。しかし、それは政局における一部の都合であって、今は、政権から一刻も早く引きずり降ろしたい民主党が与党であっても、「この環境下」で、野党が主張する、二重ローンの問題や、雇用創出等の諸問題を一刻も早く解決の糸口へ導ける法律を作る事が最優先ではないかと思うのだ。そして、これは閉会中でも審査が出来る事なのである。これを国民に隠しながらの政局議論はどうかおさめて貰いたいと心からお願いしたい。

総選挙は、この後の結果責任をもって審判して頂く形が、一番良いタイミングなのではないかと思う。
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臨時国会に臨んで

2011-09-12 21:31:02 | 国会
ツイッター、FB、各種SNSが意外にも便利で簡単で、多くの方々とコミニュケーション可能なので正直ビックリしている。それでも、こちらでのコメント欄はすべて拝読させて頂いている。メール等も、ほんと、毎日200通は下る事なく、本当に有り難い。ただ、基本的にコメントへのレスポンス、メールへの返信は全てにおいて対応できると言い切る自信が「全くない」ので、呉々もご承知おき戴きたいと思う。何が何でも意見が聞きたいという方は、東京事務所、国会事務所でアポ取りを遠慮なくお申し付け頂きたいし、電話での回答もさせて頂いている。ただ、お名前ご連絡先等これはお聞きする事を前提とさせて頂きたい。また、タウンミーティングの告知も徹底できている訳ではないが、各種前述したツール等で情報収集を頂ければと思っている。

久し振りに10日間、地元活動が出来た。スタッフにも感謝したい。都合、100社以上の企業・業界への訪問が出来たし、第6回企業人会議、第98、99回タウンミーティングも開催できた。藤井寺市とは来年度の予算要望についての意見交換も実施。地域各所の敬老祝賀会では昭和の激動の時代を生きてこられた方々から、逆にエネルギーを頂いた。220日の間、実施できても月曜日の朝のみの午前7時から8時30分までの駅立ち、これも委員会の都合等で月曜日も上京せねばならず、加えて東北への視察等があり、まったく満足に実施できなかっが、久し振りに平日連続して8日間実施する事が出来た。それでも、浪人時代に比べ全然足りない事を痛感しつつ、臨時国会に突入する。

この間、野田政権に対する様々な意見交換、期待、激励、お叱りを頂いた。全ては私の血となり肉となる。東京にいると役所の話ばかりで良い事、都合の良い事しか耳にしない。現地での状況を聞いてみると、そのキャップに驚く事がある。そういった意味でも、やはり情報は地元、原点は地元にある事を改めて確認した。

向こう一年間の委員会も決定した。かなりの駄々をコネ、お陰さまで三度、厚生労働委員会、拉致問題特別委員会、東日本大震災復興特別委員会所属となった。この二年間に頂いた宿題を放置したままで他の委員会を希望等できない。また、基本的にあれもこれも上手にこなすタイプではないので、一期目はじっくりと特定委員会で腰を落ち着けて、族議員ならぬ、専門議員を目指そうと思っている。党の様々な役職、また議連の役職等について、今は積極的に遠慮させて頂いている。ずるいようだが、その時間があれば私は委員会の仕事と地元対応に今は集中したいというのが本音。
※日本会議国会議員懇談会の事務局次長、フランチャイズ議連の事務局次長、憲法96条改正議連幹事は、お引き受けしている。

過日、地元支援者の方が中学二年になる子供さんを事務所に連れて来られた。何でも、文化祭研究テーマに私の国会議員の仕事をテーマにし発表されるという。幾つかの質問の中に、「大変だと思う事は何ですか?」というのがあった。簡単な質問ほど答えるのが難しい。「理想と現実の差を近づけていくことと、近づけるだけでは永遠に結果が出ないので、何処で合致させたら良いのかを考える事」と、かなりいつも自問自答しているマンマを答えてしまった。参考になったかどうかわからないが、これも本音である。

いろいろと議論はあるが4日間の臨時国会が始まる。今、上京中、新幹線。頭を切り替え臨む決意。

国会が終われば、インド出張。ある研究所の主催で超党派での体裁を整えた企画だったが、与党出席予定者が私を除き4人が皆、政府に入ってしまったので、欠席。あぁ、野党5人に対して、与党からは私たった1人。ここは、総理経験者にいろいろと学ばせて頂く良いチャンスと割り切り、付き人覚悟でいろいろな準備をしようと思う。
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【討論!】どうなる!?民主党と日本の政治

2011-09-06 20:24:07 | 民主党
たっぷり3時間。何も言わず、ご覧戴きたい。大人の議論にいろいろと学ばせて頂きました。休憩中の雑談が面白かったのですが、、、、。

その1その2その3

パネリスト
潮 匡人 (評論家)
宇都隆史(参議員議員)
衛藤晟一(参議院議員)
小池百合子(衆議院議員)
新藤義孝(衆議院議員)
長尾 敬(衆議院議員)
藤井孝男(参議員議員)
山村明義(作家)
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