国営飛鳥歴史公園のボランティア活動で普段活動されている歴史が大好きな皆さんと一緒に先日、三重県明和町にある「斎宮跡」等を巡ってきました。
今回は、「斎王」に出会う伊勢路を、紹介したいと思います。
いつもは、飛鳥でボランティア活動やガイド等を行っている国営飛鳥歴史公園の「歴史サークル」の皆さんですが、今回は、研修の一環として三重の方まで約50人位で貸し切りバスを借りて研修に行ってきました。
(行程) 明日香村ー斎宮歴史博物館ー斎宮跡歴史ロマン広場ー伊勢神宮ーおかげ横丁ー明日香村
「斎宮跡(さいくうあと)」は、古代から中世にかけて設置された斎宮(斎王の居住した宮殿と、役所・斎宮寮)を中心とする遺跡です。斎宮は「いつきのみや」とも呼ばれ、斎王の宮殿と斎宮寮(さいくうりょう)という役所のあったところです。三重県松阪市と伊勢市にはさまれた多気郡明和町に所在します。近鉄山田線「斎宮駅」から徒歩ですぐの場所です。「斎宮寮」は、伊勢神宮の祭祀を行うために皇室から派遣された斎宮が執務した場所です。斎宮は、天皇の代替わり毎に交替し、南北朝時代まで続いたとされています。斎宮跡は、伊勢神宮から約15km離れており、都と伊勢神宮を結ぶ伊勢道のルート上に位置しています。斎王制度は、約700年前の後醍醐天皇の時代に途絶えてしまいましたが、斎宮跡(昭和54年国史跡指定)は、東西2km、南北700mの広大な遺跡として、今も地下に眠っています。
出土遺物は、土製の飾馬、三彩陶器、緑釉陶器以外に、土師器や水司、膳司、殿司など役所名を墨書した土器も発見されています。遺物は、古里地区の「斎宮歴史博物館」に収蔵・展示されています。
「斎宮歴史博物館」は、国指定史跡斎宮跡の一角に建つ県立の博物館です。「斎宮」の歴史を紹介するため、伊勢神宮に使えた未婚の皇女・斎王(さいおう)の役割や、当時の斎宮の様子などを資料や模型、映像を使って分かりやすく紹介しています。博物館では、映像と学芸員さんの詳しい説明を受けました。
国史跡「斎宮跡」は、、その規模は、東西約2キロメートル、南北約700メートルに及び、約137ヘクタールもの広大な面積を有します。
昭和45年(1970年)に始まった発掘調査によって、「幻の宮」とされてきた斎宮の解明が進んでいます。そして、国史跡に指定された昭和54年(1979年)以降は、調査だけでなく、史跡「斎宮跡」を守り伝えるために、史跡を整備し活用していくことも重要な課題となっています。この「斎宮」は天照大神の御杖代として、代々の天皇ごとに伊勢に派遣されていた「斎王」の御所であるとともに、その事務を取り扱った官人の役所でした。かつて斎王が住んだ宮跡といわれ、近くから関係遺跡が発掘されました。斎王は、天皇に代わって伊勢神宮に仕えるため、天皇の代替りごとに皇族女性の中から選ばれて、都から伊勢に派遣されていました。
斎王の宮殿である「斎宮」は、伊勢神宮領の入口に位置し、都さながらの雅な暮らしが営まれていたと言われています。
地元の人々によって神聖な土地として守り続けられてきた「斎宮跡」一帯は、日本で斎宮が存在した唯一の場所として、皇女の祈りの精神を今日に伝えています。
現在、「祈る皇女斎王のみやこ 斎宮」として、「日本遺産」にもなっています。
「斎宮跡歴史ロマン広場」では、地元のボランティアガイドさんによる案内のもと、復元された建物や史跡斎宮跡を1/10のスケールで縮小した公園を案内していただきました。建物は、平安時代前期(9世紀)の復元建物3棟(正殿・西脇殿・東脇殿)を、発掘調査で発見された位置そのままに再現しています。
公園の東側では、奈良時代の終わり頃に造られた碁盤目状の区画、方格地割が再現されていました。
また、「斎宮歴史博物館」前にある塚山古墳群は、斎宮以前の古墳時代、博物館のある一帯には小さな古墳が群集して造られていました。博物館正面の1号墳、南東の2号墳、道向かいの林の中に3号墳が整備されています。
「斎宮跡」見学後、伊勢神宮にお参りしました。平日にもかかわらず、多くの方が参拝に来られていました。参拝後、江戸期から明治期の伊勢路の建築物を移築などで再現した「おかげ横丁」を散策し名物の赤福を買ってきました。
今回、あまり知らなかった「斎王」関係の研修は大変勉強になりました!