泉飛鳥塾

「古(いにしえ)の都・飛鳥」の原風景と共に、小さな旅で出会った風景等を紹介したいと思います!

古代の予想される「飛鳥地域の道路網をブライズミ」(4)

2022年06月29日 09時49分52秒 | 歴史
奈良県の飛鳥地域の予想される道路を、古代に思いを馳せて研修で学んだ「古い道と遺跡を考える」の資料や文献資料を参考にしながら、たいした根拠もありませんが、何か痕跡が残ってはいないか探しながら「ブラタモリ」ならぬ「ブライズミ」をしてみました。
前回は、「飛鳥寺周辺の道路」でした。
第4回目は、「飛鳥京に入る道路・その1」です。
〇飛鳥京に入る道路(奈良県橿原市)
古代の官道である下ツ道(紀路)(ほぼ現在の国道169号線に重なるようです)から飛鳥京に入る玄関口には、2か所あったと予想されます。2回に分けて、紹介したいと思います。
「飛鳥京に入る道路・その1」
・場所
下ツ道(紀路)(現在の岡寺南の交差点)ー朱鵬台公園(住宅地)ー聖徳中学校のすぐ北の谷筋の田畑ー「川原下の茶屋遺跡」ー「飛鳥の横大路」ー「飛鳥京」のエビノコ郭の西門
古代の官道である下ツ道(紀路)から、現在の「平田梅山古墳」のやや北側から東側に直線に行く道です。明日香村立聖徳中学校のすぐ北の谷筋を通って、飛鳥時代の交差点?とも言われる「川原下の茶屋遺跡」(現在の野口駐車場の所)に通じる道です。

 

・痕跡
残念ながら、下ツ道(紀路)(現在の岡寺南の交差点)ー朱鵬台公園(住宅地)ー聖徳中学校のすぐ北の谷筋の田畑ー「川原下の茶屋遺跡」までは、痕跡らしきものは残っていません。
明日香村立聖徳中学校のすぐ北の谷筋の田畑をよく見ると直線的な平坦地が見受けられます。何の根拠もありませんが、ひょとして古代の道路の跡かも?

痕跡1 「川原下の茶屋遺跡」
この遺跡からは、飛鳥時代の交差点が検出されていて、数少ない道路跡の遺跡です。東西道は、道幅約12m・南北道は道幅約3mで側溝もみつかっています。ここから東側に行くと橘寺近くまで、直線的な道路になっています。現在この場所は、野口駐車場横の十字路の所です。古代の、「十字路」とも呼ばれたりしています。



痕跡2 「東西溝」
川原寺の南西約100mの個人の住宅地から幅1.2m深さ55cmの東西溝が検出されています。
この道は、地図で確認すると古代の官道である下ツ道(紀路)(現在の岡寺南の交差点)に通じているようです。東西道路は、直線道路と考えられ西は下ツ道に交わり、東は「飛鳥京」のエビノコ郭の西門にに続くと予想されます。
次回は、「飛鳥京に入る道路・その2」(奈良県明日香村)を紹介したいと思います。

        
  
   

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