泉飛鳥塾

「古(いにしえ)の都・飛鳥」の原風景と共に、小さな旅で出会った風景等を紹介したいと思います!

2017 「さきがけウオーキングin五條」

2017年04月06日 16時54分00秒 | 歴史

奈良県五條市において、4月2日に「井上内親王1300年記念と天誅組史跡を巡る」ということで、「五條市観光ボランティアガイドの会」の方の案内によって、歴史散策を行いました。

今回は、2017「さきがけウオーキングin五條」について紹介したいと思います。

(コース)

五條市立民族資料館(9時出発)-五條新町ー大川橋(五新鉄道)ー岡松邸長屋門ー満願寺ー御霊神社本宮(昼食)-他戸親王墓ー北家墓所ー井上内親王宇智陵ー山縣家見学ー御霊神社ー黒駒古墳ー五條市立民族資料館(貸切バスにて14時30分頃到着)

本年は、聖武天皇の長女井上内親王生誕より1300年となります。明治維新さきがけと讃えられる「天誅組義挙」より遥か1000年以上も前に、その子他戸親王とともに幽閉された地がここ五條市です。その悲しい2人の物語に触れながら天誅組史跡も巡り、桜が咲く五條市を観光ボランティアガイドの方の案内で1日歩きました。

〇「井上内親王 ・他戸親王」

奈良時代の末ごろ、皇后と皇太子の地位にありながら廃され、幽閉先で不自然な死を遂げたため、後に怨霊として恐れられた母子がいました。

母は「井上内親王(いのえないしんのう/いがみないしんのう)」、息子は「他戸親王(おさべしんのう)」です。幽閉先だった奈良県五條市には、それぞれの陵墓(お墓)とその魂を鎮めるために祀られた「御霊神社」などがあります。772年、井上内親王が光仁天皇を呪詛したとして、母子はその地位を剥奪されます(この時、代わりに皇太子となったのが桓武天皇です)。さらにその翌年、別の呪詛を行った嫌疑により、他戸親王とともに奈良県五條市の没官(官職を取り上げられた人)の家に幽閉され、775年に二人同じ日に亡くなってしまいました。

この直後から、平城の都には天変地異が相次ぎ、事件に関わった光仁天皇や桓武天皇、藤原百川らは悪夢に悩まされます。これは井上内親王や他戸親王らが怨霊となって祟っているためだとして、死後に名誉を回復したり神社を作って魂を鎮めたりと、手厚く祀られるようになりました。

〇「天誅組」

1863 年8月 13日、孝明天皇の大和行幸の詔勅を契機とし,元侍従中山忠光ら尊王攘夷派の急進的公家や浪士ら五百三十余人が五条代官所を襲撃しました。朝廷の直轄領とする宣言を行なったが, 八月十八の政変 により追討を受け瓦解し忠光は長門に脱出後,暗殺されました。

「五條市観光ボランティアガイドの会」の方の詳しい説明によって、春の一日楽しく歴史散策することが出来ました。

それにしても、参加費1300円で昼食(ちらし寿司)が付き、帰りは貸切バスにて、五條市立民族資料館まで送って頂きました。至れり尽くせりの歴史散策でした!

                                              

 

 

 

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