泉飛鳥塾

「古(いにしえ)の都・飛鳥」の原風景と共に、小さな旅で出会った風景等を紹介したいと思います!

日本古代史最大の謎「邪馬台国と卑弥呼」

2014年08月12日 17時29分54秒 | 歴史

日本古代史最大の謎である「邪馬台国」と、その国の女王「卑弥呼」!

江戸時代から続く日本史最大のミステリー「邪馬台国」論争。距離にこだわった「九州説」と、方角にこだわった「畿内説」。

2世紀後半から3世紀後半くらいまでの間で、「邪馬台国」を治めたとされる女王「卑弥呼」、その正体とは?

とても、興味をそそられるテーマです。

今回は、先ほどテレビで放映された歴史秘話とヒストリア「女王卑弥呼はどこからから来た」の舞台である、福岡県糸島市にある「平原遺跡」と、「邪馬台国」の有力候補として有名な「纏向(まきむく)遺跡」を撮ってきました。

 

〇「伊都国」(平原遺跡等)・・・福岡県糸島市

古代国家「伊都国」。それは、「魏志倭人伝」に「代々王あり」と記述され、強力な力を持っていたと言われています。

現在の福岡県糸島市と考えられ、多くの遺跡が今に残されています。「伊都国」の王墓と考えられる1号墓を中心とした墳墓遺跡は、1965年に発見されました。副葬品は銅鏡40枚、鉄刀1本、ガラス製勾玉やメノウ製管玉などの玉類が多数出土しました。特に銅鏡は、直径46.5センチの内行花文鏡(日本製)が5枚あり、日本最大の物です。

そして、注目すべき副葬品としては、武器はほとんどなく、ネックレスやブレスレットなどのアクセサリーが多いことから、この墓に葬られた人物は女性、すなわち「女王」ではないかと考えられています。しかも、あの「卑弥呼」と関係ある人物ではないかと言うのです。近くにある「伊都国歴史博物館」で、ボランティアガイドの方に詳しく説明していただき、大変興味を持ちました。「平原遺跡」周辺には、多くの古墳や、九州西北部に多く分布する「支石墓」などを見ることができました。

             

〇「纏向(まきむく)遺跡」・・・奈良県桜井市

奈良県桜井市にある「纏向遺跡」は、弥生時代末期から古墳時代前期にかけての大集落遺跡です。「邪馬台国」の有力候補地とされている所です。この遺跡の中に、3世紀最大の前方後円墳である「箸(はし)墓」があります。全長約280メートル、高さ約29メートル、後円部の直径は約155メートルある大変優美な形をした古墳です。この古墳が建造されたのは3世紀半ばとされており、「卑弥呼」がいた時期と重なります。「卑弥呼」の墓は、「魏志倭人伝」のなかでは、「径百余歩」と記されています。

大変興味深いのは、当時の「魏(ぎ)」の国の1歩は約4尺7寸7分とされ、現在のメートルに換算すると約150メートルとなります。箸墓の後円部の直径は、約155メートルです。

はたして、ここに眠るのは「邪馬台国」の女王「卑弥呼」なのでしょうか。

「纏向遺跡」には、多くの古墳があります。遺跡から発掘された遺物は、近くにある「桜井市立埋蔵文化財センター」で見ることができます。

それにしても、現地に行き実物を目にすると、歴史がいっそう興味深く感じられます! 

             

 

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