伊藤ファミリーBLOG

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【今日の聖句】 2017/11/23

2017-11-23 07:10:07 | 今日の聖句
詩篇 100:4
「感謝しつつ、その門に入り、ほめたたえつつ、その大庭に入れ。主に感謝し、そのみ名をほめまつれ。」

造り主なる神様に感謝を捧げ、その御名をほめたたえることこそ、神のかたちに造られた人の本分です。心からの感謝と畏敬の念をもって、神様に礼拝を捧げる日々となす私たちでありますように。

http://bible.com/81/psa.100.4.ja1955
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【COGHCC聖書通読】 2017/11/22

2017-11-22 07:32:37 | 一日一章・聖書通読日記
詩篇 143:1-2
「主よ、わが祈を聞き、わが願いに耳を傾けてください。あなたの真実と、あなたの正義とをもって、わたしにお答えください。 あなたのしもべのさばきにたずさわらないでください。生ける者はひとりもみ前に義とされないからです。」

生まれながらの罪人である私たちが何の備えもなしに義なる神様の御前に立つならば、その罪があらわにされ、たちまち滅びに定められてしまいます。神様の厳しい裁きを受けることのないよう、偉大な弁護者なる主イエス様の御名を通して祈り求め、神様の憐れみを請い求める私たちでありますように。

http://bible.com/81/psa.143.1-2.ja1955

*****

詩篇 143:4-6
「それゆえ、わが霊はわがうちに消えうせようとし、わが心はわがうちに荒れさびれています。 わたしはいにしえの日を思い出し、あなたが行われたすべての事を考え、あなたのみ手のわざを思います。 わたしはあなたにむかって手を伸べ、わが魂は、かわききった地のようにあなたを慕います。[セラ」

この世の激しい攻撃に晒されて、私たちは精魂尽き果て、立ち上がる気力すら失われてしまいます。そのようなときに私たちに必要なことは、目の前の現実からいったん身を引き、静まって神様と一対一で交わるデボーションのときを持つことが必要です。慌ただしい現代社会の時間の流れの中で、立ち止まって御言葉を黙想し、祈りの中で神様の御心を求めるときを捻出して、身も心も魂も消え失せることのないように、神様と交わるひとときを持つことを心掛ける私たちでありますように。

http://bible.com/81/psa.143.4-6.ja1955

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詩篇 143:10-11
「あなたのみむねを行うことを教えてください。あなたはわが神です。恵みふかい、みたまをもってわたしを平らかな道に導いてください。 主よ、み名のために、わたしを生かし、あなたの義によって、わたしを悩みから救い出してください。」

私たちが神様の御旨を守り行うならば、主は御霊をもって私たちを導き、山あり谷ありの私たちの生涯も平坦に、主に向かって真っ直ぐに延びる大通りのようにされます。主の偉大なる御名の故に私たちを救い出してくださいと、主の憐れみを引き出す祈りの生活を通して、平安な義の道へと導かれる私たちでありますように。

http://bible.com/81/psa.143.10-11.ja1955
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【今日の聖句】 2017/11/22

2017-11-22 06:45:57 | 今日の聖句
詩篇 9:1
「わたしは心をつくして主に感謝し、あなたのくすしきみわざをことごとく宣べ伝えます。」

神様の賜る数々の恵みに応答して私たちにできることは、主に感謝を捧げ、救いの御業を広く宣べ伝えることです。神様の恵みをただ受ける一方で終わらせることなく、この恵みをまだ知らない人々に伝えることを通して、神様の御心を行う私たちでありますように。

http://bible.com/81/psa.9.1.ja1955
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【COGHCC聖書通読】 2017/11/21

2017-11-21 07:25:42 | 一日一章・聖書通読日記
詩篇 142:1-2
「わたしは声を出して主に呼ばわり、声を出して主に願い求めます。 わたしはみ前にわが嘆きを注ぎ出し、み前にわが悩みをあらわします。」

ダビデのマスキール、教訓と紹介された今日の詩篇は、私たちが四面楚歌、絶体絶命の窮地に陥ったときに、冷静な心を保つ秘訣を教えます。それは声を出して主に呼ばわる、祈ることの大切さです。主の御前に心の嘆きを注ぎ出して祈り、すべての悩みを委ねることのできるさいわいに心から感謝して、日々祈ることを学ばせていただく私たちでありますように。

http://bible.com/81/psa.142.1-2.ja1955

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詩篇 142:3-4
「わが霊のわがうちに消えうせようとする時も、あなたはわが道を知られます。彼らはわたしを捕えようとわたしの行く道にわなを隠しました。 わたしは右の方に目を注いで見回したが、わたしに心をとめる者はひとりもありません。わたしには避け所がなく、わたしをかえりみる人はありません。」

すべての人は孤独を味わいながら生きています。誰も自分のことなどわかってくれない、自分のことを気に掛けてくれる人などいないなどと思っているうちは、自ら自分の殻に閉じこもり、鍵を架けているのと同じで、誰一人として近寄ることすらできるはすがありません。たとい全世界の人々が自分に敵対して攻めてきても、私たちの右手には万軍の主が共にいてくださり、主に寄り頼むことのできる希望が残されていますから感謝いたします。

http://bible.com/81/psa.142.3-4.ja1955

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詩篇 142:5-6
『主よ、わたしはあなたに呼ばわります。わたしは言います、「あなたはわが避け所、生ける者の地でわたしの受くべき分です。 どうか、わが叫びにみこころをとめてください。わたしは、はなはだしく低くされています。わたしを責める者から助け出してください。彼らはわたしにまさって強いのです。」』

祈りの順序は、まず私たちの信仰告白が先です。どれほど美辞麗句で祈りの言葉を飾りたてたとしても、主に対する信仰なしには、すべての祈りは虚しいものです。恥も外聞もかなぐり捨てて主の御前に平伏し、絶対的な信頼に基づく真摯な祈りを捧げる私たちでありますように。

http://bible.com/81/psa.142.5-6.ja1955

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詩篇 142:7
「わたしをひとやから出し、み名に感謝させてください。あなたが豊かにわたしをあしらわれるので、正しい人々はわたしのまわりに集まるでしょう」。

「ひとや」という言葉は、新改訳聖書では「牢獄」と訳されています。偉大な信仰の先達たちも、牢獄につながれ自由を奪われた中にあってもなお、主に信頼して感謝する、健全な姿勢を貫きました。主の御前に正しく歩むとき、主の憐れみの故に、私たちの周りには自ずと正しい人々が集まり、信仰の共同体が形成されます。たとい牢獄の中にいるような孤独でどうすることもできない状況に陥っても、逃れの道を備えてくださる主に信頼して希望を抱き、主にある兄弟姉妹たちと共に生きるさいわいに与る私たちでありますように。

http://bible.com/81/psa.142.7.ja1955
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【今日の聖句】 2017/11/21

2017-11-21 06:35:24 | 今日の聖句
イザヤ書 ‭25:1
「主よ、あなたはわが神、わたしはあなたをあがめ、み名をほめたたえる。あなたはさきに驚くべきみわざを行い、いにしえから定めた計画を真実をもって行われたから。」

この世の歴史を司られる神様は、私たち一人一人の人生にもあらかじめご計画を持っておられ、素晴らしい救いの御業を成し遂げられるお方です。誰一人として無駄な人生などないことを覚え、神様の御心に従って生きる喜びを味わい知り、主をあがめ御名をほめたたえる私たちでありますように。

http://bible.com/81/isa.25.1.ja1955
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【COGHCC聖書通読】 2017/11/20

2017-11-20 07:27:23 | 一日一章・聖書通読日記
詩篇 141:1-2
「主よ、わたしはあなたに呼ばわります。すみやかにわたしをお助けください。わたしがあなたに呼ばわるとき、わが声に耳を傾けてください。 わたしの祈を、み前にささげる薫香のようにみなし、わたしのあげる手を、夕べの供え物のようにみなしてください。」

私たちの祈りは神様の天の御座に立ち上る薫香、私たちの祈りの手は夕毎にほふられる犠牲の供え物と同等のきよい捧げものとして喜んで受けてくださいます。この世のすべてを統べ治められる神様に祈りが聞かれるさいわいに感謝し、祈りの手を下ろすことなく主に呼び求め続ける私たちでありますように。

http://bible.com/81/psa.141.1-2.ja1955

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詩篇 141:3-4
「主よ、わが口に門守を置いて、わがくちびるの戸を守ってください。 悪しき事にわが心を傾けさせず、不義を行う人々と共に悪しきわざにあずからせないでください。また彼らのうまき物を食べさせないでください。」

口は災いの元といわれるように、私たちの唇は、放置するととんでもないことをつい口走ってしまいます。また悪の誘惑は私たちの舌に甘い果実のように思われますが、罪の毒に満ちていて、私たちの心を蝕んでゆきます。大言壮語や偽りの言葉を語らぬよう聖霊なる神様に唇の戸を守っていただき、悪しき者の業に荷担することのないよう、御言葉の基準に照らして言動を慎む私たちでありますように。

http://bible.com/81/psa.141.3-4.ja1955

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詩篇 141:5-7
「正しい者にいつくしみをもってわたしを打たせ、わたしを責めさせてください。しかし悪しき者の油をわがこうべにそそがせないでください。わが祈は絶えず彼らの悪しきわざに敵しているからです。 彼らはおのれを罪に定める者にわたされるとき、主のみ言葉のまことなることを学ぶでしょう。 人が岩を裂いて地の上に打ち砕くように、彼らの骨は陰府の口にまき散らされるでしょう。」

私たちに苦言を呈する人ほど、私たちと親密な関係にある者、真に私たちのことを思っている人であることの証です。逆に、私たちと希薄な関係、何の責任も負わずにすむ人ほど、耳障りの良い、都合の良いことばかり並べ立てて、私たちを甘やかし、堕落させます。罪の誘惑という悪しき者の油が注がれてしまうと、たちまち主に絶ち滅ぼされ、その骨さえ陰府にまき散らされて、跡形もなくなってしまいます。そのような希望のない人生を歩むことのないよう、人の忠告に耳を傾け、自らを省みて行動を改め、神のきよさに一歩ずつ近付く私たちでありますように。

http://bible.com/81/psa.141.5-7.ja1955

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詩篇 141:8-10
「しかし主なる神よ、わが目はあなたに向かっています。わたしはあなたに寄り頼みます。わたしを助けるものもないままに捨ておかないでください。 わたしを守って、彼らがわたしのために設けたわなと、悪を行う者のわなとをのがれさせてください。 わたしがのがれると同時に、悪しき者をおのれの網に陥らせてください。」

神様に近付くには、神様から目を離さず天の御国を見上げることが重要です。そうすれば悪しき者の罠に自ら陥ったり、罪の誘惑に心を奪われたりする危険性が一段と減ることになります。主に向かい目を上げる者を、決して見捨てることも見放すこともなさらない主に全幅の信頼を置いて、悪から遠ざかり、罪の罠を避けるきよい信仰生活を送らせていただく私たちでありますように。

http://bible.com/81/psa.141.8-10.ja1955
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【今日の聖句】 2017/11/20

2017-11-20 06:35:16 | 今日の聖句
詩篇 63:3-4
「あなたのいつくしみは、いのちにもまさるゆえ、わがくちびるはあなたをほめたたえる。 わたしは生きながらえる間、あなたをほめ、手をあげて、み名を呼びまつる。」

私たちのいのちは神様からの授かり物と悟るならば、自ずと主をほめたたえずにはおれません。私たちのために数々の恵みで満たしてくださる主に向かい、手を挙げてほめたたえ、限りない感謝の意を込めて御名を讃美する私たちでありますように。

http://bible.com/81/psa.63.3-4.ja1955
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ブログ開設5,001日目

2017-11-19 23:45:46 | Weblog
うっかり一日過ぎてしまいましたが、ブログ開設から5,000と1日だったそうです。

途中、更新していなかった時期もありましたが、よく続いているなと思います。ありがとうございます。
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【COGHCC聖書通読】 2017/11/19

2017-11-19 23:40:54 | 一日一章・聖書通読日記
詩篇 140:1-3
「主よ、悪しき人々からわたしを助け出し、わたしを守って、乱暴な人々からのがれさせてください。 彼らは心のうちに悪い事をはかり、絶えず戦いを起します。 彼らはへびのようにおのが舌を鋭くし、そのくちびるの下にはまむしの毒があります。[セラ」

主の祈りの中に「われらを試みに会わせず悪より救い出したまえ」との一節がありますが、この世に生きる限り、私たちは常に悪との戦いの最前線に置かれています。私たちが気付かない所に潜む彼らの害はまむしの毒の如く、私たちの魂を死に至らしめます。そのような臨戦態勢にある私たちに必要なものが、悪しき者の手から守られるようにとの祈りです。不必要な戦いを避け、悪しき者の罠に陥ることのないよう、神様の完全な守りを日々祈らせていただく私たちでありますように。

http://bible.com/81/psa.140.1-3.ja1955

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詩篇 140:6-8
『わたしは主に言います、「あなたはわが神です。主よ、わが願いの声に耳を傾けてください。 わが救の力、主なる神よ、あなたは戦いの日に、わがこうべをおおわれました。 主よ、悪しき人の願いをゆるさないでください。その悪しき計画をとげさせないでください。[セラ」』

ダビデ王が息子アブサロムの謀反に遭ったとき、天才的な軍師アヒトペルのはかりごとを虚しいものとしてくださいと祈りました。もしアヒトペルの戦略が採用されたならば、ダビデはその命を失っていたことでしょう。しかし神様は人々の心を動かして、アヒトペルの計画を退けさせ、ダビデは辛うじて謀反に勝利することができました。私たちの共通の敵であるサタンは、アヒトペルよりはるかに勝る天才的な悪の戦略家です。ですから悪しき者との戦いに臨むにあたり、私たちに必要なものは、主こそわが神、わが救いの力であるとの絶対的な確信をもって、悪しき者のはかりごとが打ち破られるようにと祈る必要があります。

http://bible.com/81/psa.140.6-8.ja1955

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詩篇 140:9-11
『「わたしを囲む者がそのこうべをあげるとき、そのくちびるの害悪で彼らをおおってください。 燃える炭を彼らの上に落してください。彼らを穴に投げ入れ、再び上がることのできないようにしてください。 悪口を言う者を世に立たせないでください。乱暴な人をすみやかに災に追い捕えさせてください」。』

正しき者を陥れようとする悪しき輩は、必ず自ら掘った罠に陥って自滅します。罪の裁きという燃えさかる炭は、悪しき者に相応しい報いです。ですから私たちは悪に対して悪をもって立ち向かう必要はありません。ただ主の救いと正しい裁きが行われるようにと祈る私たちでありますように。

http://bible.com/81/psa.140.9-11.ja1955

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詩篇 140:12-13
「わたしは主が苦しむ者の訴えをたすけ、貧しい者のために正しいさばきを行われることを知っています。 正しい人は必ずみ名に感謝し、直き人はみ前に住むでしょう。」

主は神の義を守り行う正しい者の味方であり、その訴えを聞き届けて正しい裁きをなさることは、神様を信じていない人でも漠然と知っています。ただ知るだけに留まらず、主の御名に感謝し、御前に歩むことを何よりの喜びとして実践するまことの信仰者でありたいと願います。

http://bible.com/81/psa.140.12-13.ja1955
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【今日の聖句】 2017/11/19

2017-11-19 06:42:47 | 今日の聖句
詩篇 3:3
「しかし主よ、あなたはわたしを囲む盾、わが栄え、わたしの頭を、もたげてくださるかたです。」

故なく私たちに敵対し、後ろ指を指すような輩のなんと多いことでしょうか。しかし全知全能の神、万軍の主が、私たちの周りを取り囲む盾となって守ってくださいますから感謝いたします。この世の現実に意気消沈するときにも、栄光の主を見上げて、今日を生き抜く力を得る私たちでありますように。

http://bible.com/81/psa.3.3.ja1955
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【COGHCC聖書通読】 2017/11/18

2017-11-18 08:00:23 | 一日一章・聖書通読日記
詩篇 139:1-4
「主よ、あなたはわたしを探り、わたしを知りつくされました。 あなたはわがすわるをも、立つをも知り、遠くからわが思いをわきまえられます。 あなたはわが歩むをも、伏すをも探り出し、わがもろもろの道をことごとく知っておられます。 わたしの舌に一言もないのに、主よ、あなたはことごとくそれを知られます。」

神様は私たちのことを誰よりも、もしかしたら自分よりもよくご存じであられるお方です。なぜなら私たちは人に言われてはじめて自分の新たな一面に気が付くことがあるからです。たとい私たちが神様から遠く離れたように思えても神様の目には何一つ隠れることなく、また自分の思いを言葉にして発する前から心中を察してくださるお方です。私たちのことを知り尽くしておられる神様に心から信頼し、すべてを委ねて生きる平安を得る私たちでありますように。

http://bible.com/81/psa.139.1-4.ja1955

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詩篇 139:13-16
「あなたはわが内臓をつくり、わが母の胎内でわたしを組み立てられました。 わたしはあなたをほめたたえます。あなたは恐るべく、くすしき方だからです。あなたのみわざはくすしく、あなたは最もよくわたしを知っておられます。 わたしが隠れた所で造られ、地の深い所でつづり合わされたとき、わたしの骨はあなたに隠れることがなかった。 あなたの目は、まだできあがらないわたしのからだを見られた。わたしのためにつくられたわがよわいの日のまだ一日もなかったとき、その日はことごとくあなたの書にしるされた。」

神様は私たちがこの世に生を受ける前から知っておられたとは、なんと驚くべき恵みでしょうか。そして神様は私たち一人一人に生きる意義、人生の目的を持っておられます。自分は何のために生きているのかわからないと、人生に虚しさを覚える人が多くいますが、神様は決してそのような目で私たちを見てはおられません。私たちが神様を求めるとき、神様から与えられた人生の目的、自分の使命を発見することができますから感謝いたします。

http://bible.com/81/psa.139.13-16.ja1955

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詩篇 139:23-24
「神よ、どうか、わたしを探って、わが心を知り、わたしを試みて、わがもろもろの思いを知ってください。 わたしに悪しき道のあるかないかを見て、わたしをとこしえの道に導いてください。」

私たちは時折、自分がわからなくなってしまうことがあります。あるいは何かをきっかけに悪しき感情や後ろ向きな思いに支配され、人が変わってしまったようになることもあるでしょう。本来の自分を見失ってしまったとき、私たちが立ち返るべきは、私たちを造られた神様、私たち一人一人の人生に目的を持っておられる神様の懐に抱かれることです。私たちの心の内をすべて神様に明け渡し、悪しき思いや虚しい思いに支配されてしまっていたら神様にもう一度心を造り替えていただき、本来の自分を取り戻して、再び義の道を歩み出すことこそが唯一の解決の手段です。

http://bible.com/81/psa.139.23-24.ja1955
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【今日の聖句】 2017/11/18

2017-11-18 07:15:13 | 今日の聖句
コリント人への第二の手紙 9:15
「言いつくせない賜物のゆえに、神に感謝する。」

私たちが生きる上で必要なものは、自分の手で働いて得たように思えても、実はすべて神様から賜ったものの一部に過ぎません。ですから自分だけで独り占めすることなく、感謝の心をもって困っている人々に与えることが神様の御心です。惜しみなく賜る主に倣い、惜しみなく与える者となる私たちでありますように。

http://bible.com/81/2co.9.15.ja1955
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【COGHCC聖書通読】 2017/11/17

2017-11-17 07:33:23 | 一日一章・聖書通読日記
詩篇 138:1-3
「主よ、わたしは心をつくしてあなたに感謝し、もろもろの神の前であなたをほめ歌います。 わたしはあなたの聖なる宮にむかって伏し拝み、あなたのいつくしみと、まこととのゆえに、み名に感謝します。あなたはそのみ名と、み言葉をすべてのものにまさって高くされたからです。 あなたはわたしが呼ばわった日にわたしに答え、わが魂の力を増し加えられました。」

ダビデは神様をほめたたえるべき理由を挙げて主に感謝し、讃美を捧げました。これはダビデの神様に対する絶対的な信頼と、主の恵みに気付く霊性に拠るものです。私たちが当たり前のように一日を過ごすならば、ざるで水をすくうようなもので、実に多くの恵みを受け損ねてしまいます。雨のように降り注ぐ神様の恵みを漏らさず受け取ることのできるように、信仰のアンテナを張って感性と霊性を磨き、ダビデのように心からの感謝を主に捧げる私たちでありますように。

http://bible.com/81/psa.138.1-3.ja1955

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詩篇 138:4-5
「主よ、地のすべての王はあなたに感謝するでしょう。彼らはあなたの口のもろもろの言葉を聞いたからです。 彼らは主のもろもろの道について歌うでしょう。主の栄光は大きいからです。」

ダビデは自分だけが恵まれていればそれでよいとは思わず、すべての王が神様の存在に気付き、主の栄光に目が開かれて御言葉に耳を傾け、主の道に歩んで感謝と讃美を捧げるようにと勧めています。これは当時の近隣諸国の王だけでなく、私たち一人一人、自分という一国一城の主として王のように振る舞い、君臨している者にも向けられたものではないでしょうか。もし私たちの心の中を自我が支配しているならば、直ちに神様に明け渡し、自画自賛ではなく主の栄光をほめたたえる者とならさていただきたいと願います。

http://bible.com/81/psa.138.4-5.ja1955

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詩篇 138:6-8
「主は高くいらせられるが低い者をかえりみられる。しかし高ぶる者を遠くから知られる。 たといわたしが悩みのなかを歩いても、あなたはわたしを生かし、み手を伸ばしてわが敵の怒りを防ぎ、あなたの右の手はわたしを救われます。 主はわたしのために、みこころをなしとげられる。主よ、あなたのいつくしみはとこしえに絶えることはありません。あなたのみ手のわざを捨てないでください。」

いと高き天の神様の前に自ら高ぶる者は主の恵みを受けることはできません。これは実に厳粛な神様の観点です。私たちが心からへりくだり、神様の御前に身を低くするならば、神様は私たちを顧みてくださり、力強い右手をもって私たちを敵の攻撃から防ぎ、絶体絶命の危機からも救い出してくださいます。ダビデは何度もこのような状況から守られ、救い出された経験があるからこそ、その確信は揺るぐことはありませんでした。ダビデの信仰告白に倣って主の御前にへりくだり、私のために御心を成し遂げてくださいと、主の憐れみを乞い願う私たちでありますように。

http://bible.com/81/psa.138.6-8.ja1955
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【今日の聖句】 2017/11/17

2017-11-17 06:35:06 | 今日の聖句
コリント人への第一の手紙 15:56-57
「死のとげは罪である。罪の力は律法である。 しかし感謝すべきことには、神はわたしたちの主イエス・キリストによって、わたしたちに勝利を賜わったのである。」

人は誰一人として逃れることなく、必ず死を迎えます。しかし主イエスの十字架と復活を信じる者は、死に勝利して永遠のいのちを得ることができますから感謝いたします。聖書に記されたこの奥義と真理に目が開かれ、キリストと共に永遠に生きる希望を抱く私たちでありますように。

http://bible.com/81/1co.15.56-57.ja1955
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【COGHCC聖書通読】 2017/11/16

2017-11-16 07:25:10 | 一日一章・聖書通読日記
詩篇 137:1-4
『われらはバビロンの川のほとりにすわり、シオンを思い出して涙を流した。 われらはその中のやなぎにわれらの琴をかけた。 われらをとりこにした者が、われらに歌を求めたからである。われらを苦しめる者が楽しみにしようと、「われらにシオンの歌を一つうたえ」と言った。 われらは外国にあって、どうして主の歌をうたえようか。』

祖国を失い、遠くバビロンの地に捕囚として連行されたイスラエル人たちは、かつての首都エルサレムを思い出しては涙する悲嘆の日々に明け暮れました。そんな悲しみのどん底にある彼らに向かい、征服者であるバビロンの人々は、余興としてシオンの歌、すなわち神様への讃美を歌うようにと命じましたが、これほどの屈辱はありません。讃美は神様をほめたたえるためだけに捧げるもの、まして神をも畏れぬバビロン人の余興の一つとして神殿の竪琴を奏でることなど、イスラエル人には到底できないことです。彼らは今も祖国のために、分断された首都エルサレムの回復のために、涙を流して祈る日々を送っています。彼らの悲しみを共に担い、聖なる都エルサレムの真の回復を祈り求める私たちでありますように。

http://bible.com/81/psa.137.1-4.ja1955

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詩篇 137:5-6
「エルサレムよ、もしわたしがあなたを忘れるならば、わが右の手を衰えさせてください。 もしわたしがあなたを思い出さないならば、もしわたしがエルサレムをわが最高の喜びとしないならば、わが舌をあごにつかせてください。」

この箇所は、どうしてエルサレムを忘れることができるだろうかと、エルサレム帰還を切望してやまないイスラエル人たちの切実な願望が記されています。ここで右の手とは聖なる手、力の象徴ですから、右の手を衰えさせるとはすべての力の根元を失うこと、侮辱され瀕死の状態に陥ることといえるでしょう。舌をあごにつかせるとは、日本語の慣用句にはありませんが、殺されても構わないといった場面で用いられているようです。命を賭して聖なる都エルサレムの回復を祈り願うイスラエル人たちの心に寄り添い、共に祈り続けさせていただく私たちでありますように。

http://bible.com/81/psa.137.5-6.ja1955
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