箴言 1:1-6
「ダビデの子、イスラエルの王ソロモンの箴言。 これは人に知恵と教訓とを知らせ、悟りの言葉をさとらせ、 賢い行いと、正義と公正と公平の教訓をうけさせ、 思慮のない者に悟りを与え、若い者に知識と慎みを得させるためである。 賢い者はこれを聞いて学に進み、さとい者は指導を得る。 人はこれによって箴言と、たとえと、賢い者の言葉と、そのなぞとを悟る。」
今日から箴言の通読に入ります。箴言は先に通読した詩篇の大半を詠んだダビデ王の子ソロモンが記した言葉です。ソロモンは後の代にも先にも比類なき知恵者であり、箴言、伝道の書、雅歌と、卓越した知恵の言葉を残しました。今日から学ぶ箴言はその最初であり、一言一言に金銀財宝にも優る知恵が満ちています。
まず最初に、ソロモンが箴言を書き記した目的が説明されています。箴言を通して語られる知恵の言葉とは、学校で学ぶような単なる知識ではなく、人生の意義、目的、人が人であるためのあるべき姿を教え諭す神の知恵です。ですから箴言の言葉をただ読むだけで自分の生活に適用しないならば、何一つ意味がありません。私たちは箴言に散りばめられた知恵の言葉から自らの人生を省み、適宜軌道修正する真摯な姿勢をもって箴言を読み進めたいと思います。
http://bible.com/81/pro.1.1-6.ja1955
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箴言 1:7-9
「主を恐れることは知識のはじめである、愚かな者は知恵と教訓を軽んじる。 わが子よ、あなたは父の教訓を聞き、母の教を捨ててはならない。 それらは、あなたの頭の麗しい冠となり、あなたの首の飾りとなるからである。」
まず最初の戒めは、天地万物の造り主であられる神様を畏れることであると、ソロモンは開口一番に教え諭します。そして父母の教えを軽んじてはならないとも続けますが、これは父ダビデの失敗からの反省点です。ダビデは力の限り神様に仕えた立派な信仰者でしたが、自らの信仰には熱心でありながら、子どもたちの信仰を育てることにはあまり力を入れていませんでした。そのため晩年のダビデは息子アブサロムの謀反や家庭内の不和が原因となった数々の問題に遭遇しました。神様を畏れずに権力を手にした者の行く末は、実に哀れで悲惨であり、国をも滅ぼす一番の原因となります。そこでダビデは愛する息子ソロモンの養育を預言者ナタンに託し、徹底して神様を畏れ敬うことを教育しました。その大切さを知ったソロモンだからこそ、神様を畏れることがすべての知恵のはじめ、父母の戒めに聞く耳をもって守ることを、箴言の最初に記したのだと思います。私たちは神様の御前に謙虚になり、心を頑なにせず、神に仕える父母や年長者の教えに聞き従うことが、まことの祝福に満ちた人生のはじめです。
http://bible.com/81/pro.1.7-9.ja1955
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箴言 1:10, 15-19
「わが子よ、悪者があなたを誘っても、それに従ってはならない。
…
わが子よ、彼らの仲間になってはならない、あなたの足をとどめて、彼らの道に行ってはならない。 彼らの足は悪に走り、血を流すことに速いからだ。 すべて鳥の目の前で網を張るのは、むだである。 彼らは自分の血を待ち伏せし、自分の命を伏してねらうのだ。 すべて利をむさぼる者の道はこのようなものである。これはその持ち主の命を取り去るのだ。」
次いでソロモンは悪しき者の誘惑に乗ってはならないと戒めます。晩年のソロモンは他国から迎えた妻の顔色をうかがって異境の神々を拝み、まんまと悪の道に足を踏み入れてしまいました。この反省を込めて、箴言に記されているのではないでしょうか。罪と悪の誘惑は、自分の目には正しく、魅力的に見えますが、その実は己の身を滅ぼす害毒に他なりません。罪の誘惑に負けないために、御言葉で心を武装し、神様の御前に正しくきよい心を保つ私たちでありますように。
http://bible.com/81/pro.1.10,15-19.ja1955
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箴言 1:32-33
「思慮のない者の不従順はおのれを殺し、愚かな者の安楽はおのれを滅ぼす。 しかし、わたしに聞き従う者は安らかに住まい、災に会う恐れもなく、安全である」。
私たちは実に不従順で、その場しのぎの快楽を慕い求めて己の行為の結末を悟ることもできない愚かな者です。だからこそ、未来永劫に及ぶ平安と災いのない人生を手にするために、神様の教えに聞き従うことが必要です。良薬口に苦しとの諺の如く、当座は自分の意に反することもあるかもしれませんが、神様の御言葉という最高の良薬を飲み、永遠に平安の義の実を結ぶ人生を手にする私たちでありますように。
http://bible.com/81/pro.1.32-33.ja1955
「ダビデの子、イスラエルの王ソロモンの箴言。 これは人に知恵と教訓とを知らせ、悟りの言葉をさとらせ、 賢い行いと、正義と公正と公平の教訓をうけさせ、 思慮のない者に悟りを与え、若い者に知識と慎みを得させるためである。 賢い者はこれを聞いて学に進み、さとい者は指導を得る。 人はこれによって箴言と、たとえと、賢い者の言葉と、そのなぞとを悟る。」
今日から箴言の通読に入ります。箴言は先に通読した詩篇の大半を詠んだダビデ王の子ソロモンが記した言葉です。ソロモンは後の代にも先にも比類なき知恵者であり、箴言、伝道の書、雅歌と、卓越した知恵の言葉を残しました。今日から学ぶ箴言はその最初であり、一言一言に金銀財宝にも優る知恵が満ちています。
まず最初に、ソロモンが箴言を書き記した目的が説明されています。箴言を通して語られる知恵の言葉とは、学校で学ぶような単なる知識ではなく、人生の意義、目的、人が人であるためのあるべき姿を教え諭す神の知恵です。ですから箴言の言葉をただ読むだけで自分の生活に適用しないならば、何一つ意味がありません。私たちは箴言に散りばめられた知恵の言葉から自らの人生を省み、適宜軌道修正する真摯な姿勢をもって箴言を読み進めたいと思います。
http://bible.com/81/pro.1.1-6.ja1955
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箴言 1:7-9
「主を恐れることは知識のはじめである、愚かな者は知恵と教訓を軽んじる。 わが子よ、あなたは父の教訓を聞き、母の教を捨ててはならない。 それらは、あなたの頭の麗しい冠となり、あなたの首の飾りとなるからである。」
まず最初の戒めは、天地万物の造り主であられる神様を畏れることであると、ソロモンは開口一番に教え諭します。そして父母の教えを軽んじてはならないとも続けますが、これは父ダビデの失敗からの反省点です。ダビデは力の限り神様に仕えた立派な信仰者でしたが、自らの信仰には熱心でありながら、子どもたちの信仰を育てることにはあまり力を入れていませんでした。そのため晩年のダビデは息子アブサロムの謀反や家庭内の不和が原因となった数々の問題に遭遇しました。神様を畏れずに権力を手にした者の行く末は、実に哀れで悲惨であり、国をも滅ぼす一番の原因となります。そこでダビデは愛する息子ソロモンの養育を預言者ナタンに託し、徹底して神様を畏れ敬うことを教育しました。その大切さを知ったソロモンだからこそ、神様を畏れることがすべての知恵のはじめ、父母の戒めに聞く耳をもって守ることを、箴言の最初に記したのだと思います。私たちは神様の御前に謙虚になり、心を頑なにせず、神に仕える父母や年長者の教えに聞き従うことが、まことの祝福に満ちた人生のはじめです。
http://bible.com/81/pro.1.7-9.ja1955
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箴言 1:10, 15-19
「わが子よ、悪者があなたを誘っても、それに従ってはならない。
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わが子よ、彼らの仲間になってはならない、あなたの足をとどめて、彼らの道に行ってはならない。 彼らの足は悪に走り、血を流すことに速いからだ。 すべて鳥の目の前で網を張るのは、むだである。 彼らは自分の血を待ち伏せし、自分の命を伏してねらうのだ。 すべて利をむさぼる者の道はこのようなものである。これはその持ち主の命を取り去るのだ。」
次いでソロモンは悪しき者の誘惑に乗ってはならないと戒めます。晩年のソロモンは他国から迎えた妻の顔色をうかがって異境の神々を拝み、まんまと悪の道に足を踏み入れてしまいました。この反省を込めて、箴言に記されているのではないでしょうか。罪と悪の誘惑は、自分の目には正しく、魅力的に見えますが、その実は己の身を滅ぼす害毒に他なりません。罪の誘惑に負けないために、御言葉で心を武装し、神様の御前に正しくきよい心を保つ私たちでありますように。
http://bible.com/81/pro.1.10,15-19.ja1955
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箴言 1:32-33
「思慮のない者の不従順はおのれを殺し、愚かな者の安楽はおのれを滅ぼす。 しかし、わたしに聞き従う者は安らかに住まい、災に会う恐れもなく、安全である」。
私たちは実に不従順で、その場しのぎの快楽を慕い求めて己の行為の結末を悟ることもできない愚かな者です。だからこそ、未来永劫に及ぶ平安と災いのない人生を手にするために、神様の教えに聞き従うことが必要です。良薬口に苦しとの諺の如く、当座は自分の意に反することもあるかもしれませんが、神様の御言葉という最高の良薬を飲み、永遠に平安の義の実を結ぶ人生を手にする私たちでありますように。
http://bible.com/81/pro.1.32-33.ja1955