伊藤ファミリーBLOG

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【COGHCC聖書通読】 2018/07/05

2018-07-05 07:45:10 | 一日一章・聖書通読日記
エゼキエル書 44:1-3

こうして、彼はわたしを連れて、聖所の東に向いている外の門に帰ると、門は閉じてあった。 彼はわたしに言った、「この門は閉じたままにしておけ、開いてはならない。ここからだれもはいってはならない。イスラエルの神、主が、ここからはいったのだから、これは閉じたままにしておけ。 ただ君たる者だけが、この内に座し、主の前でパンを食し、門の廊を通ってはいり、またそこから外に出よ」。

エゼキエルが宮の外に出ると、先に神様が通って入られた東の門は閉じられていました。この聖なる門を通って主の宮に入ることができるのは、神様と、メシヤなるキリストだけです。ですからエルサレムの神殿はずっと東の門は閉じられたままとされました。やがて主が栄光の御姿で再臨されるとき、この門が開かれることでしょう。その時が来たる日を期待して待ち望む私たちでありますように。

http://bible.com/81/ezk.44.1-3.ja1955

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エゼキエル書 44:4-5

彼はまたわたしを連れて、北の門の道から宮の前に行った。わたしが見ていると、見よ、主の栄光が主の宮に満ちた。わたしがひれ伏すと、 主はわたしに言われた、「人の子よ、主の宮のすべてのおきてと、そのすべての規定とについて、わたしがあなたに告げるすべての事に心をとめ、目を注ぎ、耳を傾けよ。また宮にはいることを許されている者と、聖所にはいることのできない者とに心せよ。」

測り竿を持った天使がエゼキエルを北の門の道から宮の前に連れて行きます。これは先に学んだように、主の宮の北側には祭司が主の御前に仕えるための準備をする建物がありましたから、祭司であるエゼキエルはこの道を通って神様の御前に出ることになるのです。そこで見たものは、主の宮に満ちる神の栄光でした。エゼキエルは直ちにひれ伏します。これこそ主の御前に仕える者の取るべき態度です。神様はエゼキエルに、主の宮に仕える者の規定を授け、ことに主の宮に入ることが許されている者と、許されない者の区別に注意するように命じられました。詳細はこの後に記されていますが、山上の垂訓にもあるように、心のきよい者だけが神を見ることができるのです。

http://bible.com/81/ezk.44.4-5.ja1955

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エゼキエル書 44:6-9

「また反逆の家であるイスラエルの家に言え。主なる神は、こう言われる、イスラエルの家よ、その憎むべきことをやめよ。 すなわちあなたがたは、わたしの食物である脂肪と血とがささげられる時、心にも肉にも、割礼を受けない異邦人を入れて、わが聖所におらせ、これを汚した。また、もろもろの憎むべきものをもって、わが契約を破った。 あなたがたは、わが聖なる物を守る務を怠り、かえって異邦人を立てて、わが聖所の務を守らせた。 それゆえ、主なる神は、こう言われる、イスラエルの人々のうちにいるすべての異邦人のうち、心と肉とに割礼を受けないすべての者は、わが聖所にはいってはならない。」

神様はかつてイスラエルの人々が、エルサレムの主の宮を汚したことを責められました。本来主の宮に入ることができたのはイスラエル人の中でもレビ族の者だけであったのに、彼らは自らの聖なる勤めを怠り、奴隷の異邦人に雑用をさせていたこともあったようです。これは神様の御前に仕える栄誉ある勤めの重大さに心を留めなかった不遜と怠慢の罪です。神様はそのような憎むべきことをやめよと言われます。今の私たちも、自らの礼拝の姿勢がどのようであったか、礼拝を喜びと感じずマンネリ化、義務化していないか、改めて礼拝の姿勢を正す必要があります。

http://bible.com/81/ezk.44.6-9.ja1955

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エゼキエル書 44:10-13

「またレビ人であって、イスラエルが迷った時、偶像を慕い、わたしから迷い出て、遠く離れた者は、その罪を負わなければならない。 すなわち彼らはわが聖所で、仕え人となり、宮の門を守る者となり、宮に仕えるしもべとなり、民のために、燔祭および犠牲のものを殺し、彼らの前に立って仕えなければならない。 彼らはその偶像の前で民に仕え、イスラエルの家にとって、罪のつまずきとなったゆえ、主なる神は言われる、わたしは彼らについて誓った。彼らはその罪を負わなければならない。 彼らはわたしに近づき、祭司として、わたしに仕えることはできない。またわたしの聖なる物、および最も聖なる物に、近づいてはならない。彼らはそのおこなった憎むべきことのため、恥を負わなければならない。」

イスラエルが滅ぼされる前、本来は主の宮をきよく保つことに心血を注ぐべきであったレビ人さえも、世と迎合して偶像礼拝に陥ってしまいました。それゆえイスラエルの人々はますます偶像礼拝に身を傾けるようになりました。このようなきっかけを作ったレビ人が、主の宮の中で神様の御側近くに仕える神聖な勤めに就くことを二度と許されなかったのは当然のことです。現代に生きるクリスチャンも、聖なる者とされて、神の祭司に等しい者とされています。この名誉ある特権を汚すことのないよう、自らを律して神様に仕える私たちでありますように。

http://bible.com/81/ezk.44.10-13.ja1955

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エゼキエル書 44:14-16

「しかし彼らには、宮を守る務をさせ、そのもろもろの務と、宮でなすべきすべての事とに当らせる。 しかしザドクの子孫であるレビの祭司たち、すなわちイスラエルの人々が、わたしを捨てて迷った時に、わが聖所の務を守った者どもは、わたしに仕えるために近づき、脂肪と血とをわたしにささげるために、わたしの前に立てと、主なる神は言われる。 すなわち彼らはわが聖所に入り、わが台に近づいてわたしに仕え、わたしの務を守る。」

神様の御前に仕えるレビ人たちのうち、ザドクの子孫だけは世の罪と迎合することなく、その聖なる勤めに忠実に仕えました。そのため神様は、主の宮に仕える祭司をザドクの子孫と選任されました。私たちもこの世の風潮や思想、処世術などに左右されることなく、ただ聖書の御言葉の教えに忠実に聞き従い、神様の御前に罪きよめられ聖なる者となって、主の僕とならせていただく光栄に与らせていただきたいと願います。

http://bible.com/81/ezk.44.14-16.ja1955

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エゼキエル書 44:17-19

「彼らが内庭の門にはいる時は、麻の衣服を着なければならない。内庭の門および宮の内で、務をなす時は、毛織物を身につけてはならない。 また頭には亜麻布の冠をつけ、腰には亜麻布の袴をつけなければならない。ただし汗の出るような衣を身につけてはならない。 彼らは外庭に出る時、すなわち外庭に出て民に接する時は、務をなす時の衣服は脱いで聖なる室に置き、ほかの衣服を着なければならない。これはその衣服をもって、その聖なることを民にうつさないためである。」

祭司は宮の中でその勤めをなすとき亜麻布の装束を着て仕え、宮の外に出るときには着替えなければなりませんでした。これは聖なる宮と、罪の世とを隔絶する必要があることを意味しています。宮の北と南に祭司のための建物が備えられていたのはそのためです。亜麻布は、罪汚れのないきよい状態を意味します。私たちも神様に進み出るとき、心の内にある罪さえもすべてきよめていただいて、聖なる者として仕える者でありたいと願います。

http://bible.com/81/ezk.44.17-19.ja1955

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エゼキエル書 44:20-23

「彼らはまた頭をそってはならない。また髪を長くのばしてはならない。その頭の髪は切らなければならない。 祭司はすべて内庭にはいる時は、酒を飲んではならない。 また寡婦、および出された女をめとってはならない。ただイスラエルの家の血統の処女、あるいは祭司の妻で、やもめになったものをめとらなければならない。 彼らはわが民に、聖と俗との区別を教え、汚れたものと、清いものとの区別を示さなければならない。」

神様に仕える祭司は、聖なるものと俗なるものを区別することが必要です。身だしなみはもとより生活態度、家庭環境、身辺の隅々に至るまで自らをきよく保つための努力を惜しまないこと、これが聖なる者とならんとする者の姿勢です。

http://bible.com/81/ezk.44.20-23.ja1955

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エゼキエル書 44:28-31

「彼らには嗣業はない。わたしがその嗣業である。あなたがたはイスラエルの中で、彼らに所有を与えてはならない。わたしが彼らの所有である。 彼らは素祭、罪祭、愆祭の物を食べる。すべてイスラエルのうちのささげられた物は彼らの物となる。 すべての物の初なりの初物、およびすべてあなたがたのささげるもろもろのささげ物は、みな祭司のものとなる。またあなたがたの麦粉の初物は祭司に与えよ。これはあなたがたの家が、祝福されるためである。 祭司は、鳥でも獣でも、すべて自然に死んだもの、または裂き殺されたものを食べてはならない。」

祭司の使命は神様の御前に仕えること、ただその一事でした。神様のために奉職し、神様に捧げられたものの中から与えられたものだけを食べて生計を立てることを求められました。神様に捧げるものはこの世で得られる最上のものに限定されていましたから、自動的に祭司は世の中で最上のものを与えられることになります。神様に忠実に仕える者は、最高級のものを授かる特権に与っていることを覚えて感謝したいと思います。

http://bible.com/81/ezk.44.28-31.ja1955
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【今日の聖句】 2018/07/05

2018-07-05 06:35:40 | 今日の聖句
ヨハネの手紙一 4:11 新共同訳

「愛する者たち、神がこのようにわたしたちを愛されたのですから、わたしたちも互いに愛し合うべきです。」

愛する心は人間が神様から授かった賜物です。神様の愛を受けた者は神を愛し、神より受けた完全な愛で敵さえも愛することができるようになります。人の感情を越えた神の愛を以て互いに愛し合い、この世の悪に打ち勝って愛と平和の支配する世界を造り出す私たちでありますように。

http://bible.com/1819/1jn.4.11.新共同訳
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