伊藤ファミリーBLOG

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【COGHCC聖書通読】 2018/02/27

2018-02-27 07:35:14 | 一日一章・聖書通読日記
イザヤ書 39:1-2
「そのころ、バラダンの子であるバビロンの王メロダク・バラダンは手紙と贈り物を持たせて使節をヒゼキヤにつかわした。これはヒゼキヤが病気であったが、直ったことを聞いたからである。 ヒゼキヤは彼らを喜び迎えて、宝物の蔵、金銀、香料、貴重な油および武器倉、ならびにその倉庫にあるすべての物を彼らに見せた。家にある物も、国にある物も、ヒゼキヤが彼らに見せない物は一つもなかった。」

死に瀕する病から癒されたヒゼキヤは、バビロンの王が遣わした使者の快気祝いを手放しで喜ぶがあまりに、国の最高機密でもある宝物や財産、武器蔵、倉庫のすべてを、何一つ隠さず見せてしまいました。ソロモン時代のように圧倒的な勢力を誇っていた時代ならばまだしも、常に近隣諸国の脅威にさらされていた緊縛した時代に、国の資産や戦力を暴露してしまうとは、一国の王としてはあまりにも軽率で迂闊な振る舞いです。南ユダ王国の中興の名君と賞賛されるヒゼキヤ王の最大の欠点は、この有頂天になりやすく、喜怒哀楽の激しい心です。感情豊かであることはよいことですが、冷静さを欠く言動は、後に命取りとなりますから注意が必要です。

http://bible.com/81/isa.39.1-2.ja1955

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イザヤ書 39:3-4
『時に預言者イザヤはヒゼキヤ王のもとに来て言った、「あの人々は何を言いましたか。どこから来たのですか」。ヒゼキヤは言った、「彼らは遠い国から、すなわちバビロンから来たのです」。 イザヤは言った、「彼らは、あなたの家で何を見ましたか」。ヒゼキヤは答えて言った、「彼らは、わたしの家にある物を皆見ました。倉庫のうちには、彼らに見せなかった物は一つもありません」。』

バビロンの使者に国の重要機密をすべて見せてしまったヒゼキヤ王のもとに預言者がやってきて、彼らは誰で、何を見たのかと問い詰めました。ヒゼキヤ王は、彼らは遠い国バビロンから来た使者で、彼らに見せなかったものは何一つありませんと答えましたが、その言葉には緊迫した様子は見当たりません。当時、まだバビロンは小さな新興国家で、ヒゼキヤ王の目には取るに足らない国としか見えなかったかもしれません。しかしそれは人の見る目で、神様の視点とは異なります。神様はこの時すでにバビロン捕囚までの歴史をイザヤに示していました。私たちは自分の判断ですべてを決めてしまわず、何事もまず神様にお伺いを立ててから行動に移す習慣を身に付けさせていただきたいと願います。

http://bible.com/81/isa.39.3-4.ja1955

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イザヤ書 39:5-8
『そこでイザヤはヒゼキヤに言った、「万軍の主の言葉を聞きなさい。 見よ、すべてあなたの家にある物およびあなたの先祖たちが今日までに積みたくわえた物がバビロンに運び去られる日が来る。何も残るものはない、と主が言われます。 また、あなたの身から出るあなたの子たちも連れ去られて、バビロンの王の宮殿において宦官となるでしょう」。 ヒゼキヤはイザヤに言った、「あなたが言われた主の言葉は結構です」。彼は「少なくとも自分が世にある間は太平と安全があるだろう」と思ったからである。』

バビロンの脅威に気付かないヒゼキヤ王に対し、預言者イザヤは、やがて起こるユダ王国の滅亡とバビロン捕囚の預言を伝えました。しかしヒゼキヤ王の取った態度は、神様の警告の言葉を無視した、不敬虔な態度です。ここにヒゼキヤ王の信仰の弱さがあります。彼の関心は自分がこの世に生きている間だけのもので、あとは野となれ山となれといった、実に無責任極まりない、自己中心な心です。もしヒゼキヤが自分の犯した失敗を素直に認めて悔い改めていたならば、バビロン捕囚の憂き目には遭わず、現在に至るまでイスラエル民族が放浪の民となることはなかったでしょう。これが前の章で学んだ、ヒゼキヤ王が命乞いをしたために訪れることとなった過ちの結果です。この世の幸福と利益にしか関心のない心は、永遠のいのちを信じるクリスチャンには相応しくありません。

http://bible.com/81/isa.39.5-8.ja1955
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【今日の聖句】 2018/02/27

2018-02-27 06:35:15 | 今日の聖句
ヨハネの第一の手紙 3:18
「子たちよ。わたしたちは言葉や口先だけで愛するのではなく、行いと真実とをもって愛し合おうではないか。」

口先だけで愛の言葉を語るのは簡単ですが、実の伴わない偽りの愛には何の価値もありません。身を挺して限りない愛を示されたキリストのように、心の底からわき上がる真実の愛、言行一致する愛をもって互いに愛し合う私たちでありますように。

http://bible.com/81/1jn.3.18.ja1955
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