inspiration-macrobiotique・随想古事記

マクロビオティックインスピレーション・随想古事記・日本語と歴史・バベルの塔・日々雑感

マクロビオティックで暮らしたい?!

2005-09-30 11:22:37 | 出版記事
マクロビオティックがこの世の真実だと思っても、マクロビオティックで暮らしていくことには色々なしがらみがありますよね。まあ一人暮らしなら、自分の気持ち次第で何とかなるかもしれません。でも家族がいたら、愛する家族なだけに押し付けたい気持ちになりますよね。でもそこに大きな問題は潜んでいることが多いのです。

先ず第一にどうしてマクロビオティックがいいのか相手に納得させることができないこと。つまり自分の整理不足と、相手の必要性の実感の欠如です。子供はまあ小さければ母親の影響力大です。しかし親や夫となると、これは最初の第一印象で拒否反応を生み出しかねないところがあります。この場合はひたすら寛容の精神を発揮するしかありません。
そのうち(どれくらい長い間かは分かりません)段々変わってくるように少しづつ仕掛けるのです。相手が病気になったら、仕方がない、喜びましょう。それこそ改心させるチャンスです。それまで自分の勉強を進めましょう。

第二に社会はおよそマクロビオティックとかけ離れた食の原則によって動いているような感じです。外では食べるものを見つけることが困難です。以前よりはずいぶんと変わってきたなと思いますが、牛丼事件のニュースを見ても、なんと言ったらよいのか考えてしまいますね。マクロビオティックは産業構造、経済構造をひっくり返す危険性があるので、マスコミで宣伝してもらうことにはならなかったのですが、国民の健康が脅かされてきているという現実に目をそむける事は出来なくなりつつあります。それを良いことに逆手にとって種にしている番組もありますが、体系的に説明する事はなくて、あれが良い、これがよいという商品の販売目的が見えています。“まし”な物を選んで少し食べるかしかありませんが、ご心配なく!! マクロビオティックでは少食が原則です。出かける時は1日1~2食にすればよいのです。子供連れは手作りおにぎり弁当にしましょう。それからお店でも省いてほしいものを遠慮なく言いましょう。おそばの汁のお砂糖は無理にしても、カレーソースのクリームは省いてくれますよ。何とか乗り切る方法を考えるのも、頭の体操と思ってやってみましょう。私はなるべく食べないようにしていますが、先日紹介したお塩を携帯して、一粒おそばなどのだしや、お汁に入れています。

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ローマ人の物語

2005-09-27 07:16:59 | Weblog
皆さんは塩野七生さんのローマ人の物語という書物を読んだことがおありですか.私はローマ人の物語が大好きです.第一巻からずっと愛読しています.なぜ好きかという理由の大きなウエイトを占めるのは、多分私の父の記憶です.塩野七生さんが言っておられたので自分でもはっと気がついたのですが、父にとってハンニバルやアレクサンダーやナポレオンは、陸軍士官学校の用兵術の時間という若き日に戻ることだったのだと思います.私が幼い頃ハンニバルの物語を話し聞かせる父の若々しい目の輝きは父の若かりし日の時間の記憶だったのです.そういうわけでこの世で最も好きな人の記憶は、私に受け継がれ孫達に受け継がれています.もっともそれぞれ好きな歴史上の人物は違っていますが。

自分の父との思い出もあってこの書物が好きなのですが、著者である塩野七生さんという方の歴史解釈というか、マキャベリズムの研究が専門であられただけにそのローマ人のような(?)現実主義というか即実主義というか、熱い心をもった非情さが好きなのです.実際お目にかかるような幸運はもちろん無いのでイメージでしかないのですが、私達が日本では想像もできないような現実が日常だった時代の生身の記憶を取り戻すことができた方だと思っています.そしてローマ人って心の奥底をぎゅっと締め付けるような、日本人と似通った美学の持ち主がいるんです.塩野さんはそんなローマ人にほれたのだと思っています.興味がある方は読んでみてください.

歴史とマクロビオティックと関係があるかとお思いですか?ところがあるのです.私は過去の時間は記憶として今あるものだと思っているのです.時間は宇宙の実体の現われ方の一つです.陰陽で時間が陽性、空間が陰性と習うでしょう.そのことについても考えてみてください.哲学者になれるかもしれません。
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玄米について

2005-09-25 14:21:15 | Weblog
前回の記事に質問を頂きましたので、お答えをしようと思います.圧力釜で炊いた玄米を食べ続けると色が黒くなるか?というものです.お答えはこうです.塩がききすぎると黒くなることもありえます.また圧力を掛けすぎることも影響します.それで夏場は短く、冬場は長めに時間の調整をします.陽性過剰になると縮むのですから、ゴム風船を膨らませると色が薄くなリ、しぼむとまた濃くなるのと同じです.玄米に加えるお塩は、口に入れて塩気を感じないくらいと久司先生は教えていらっしゃいます.

原則的に質問へのお答えは難しいと思いますが、皆に役に立つよう一般的ななものにはできるだけお答えしたいと思います.個人的なご質問は個人差と状況がわかりませんのでお答えできません.

玄米は私達の主食です.日本は世界でも水稲栽培技術と品質を誇っています.日本人には古事記によれば天照大神の御神勅という形で主食がイネの実として与えられています.古事記は稗田阿礼(ひえだのあれい)が暗誦していたものを太安万侶(おおのやすまろ)が記述したといわれています.仏教伝来と共に漢字博士の王仁(わに)が漢字をもたらしたのが文字の始まりといわれていますが、真偽ははっきりしません.なぜかというと多くの場合未開民族は文字ばかりでなく、国語そのものも文明国に同化されてしまうのが世の常ですが、日本人はなるほど漢字を取り入れましたが、世にも奇妙な取り入れ方をしたのです.漢字は日本人に発音しやすいようにして音読みという形で取り入れ、漢字の意味からは日本人が前から持っていた表わし方で読みつける訓読みというものを作り出して二刀流にしたのです.主体性を持って国語の幅を広げるやり方を編み出しました.日本人は同等かそれ以上の文明を持っていたことの証だと思います.それは何によって培われたのか、それは主食によるのだと思います.主食となるほど豊富にあったイネの実、これが千五百穂秋の瑞穂の国の真相です.

日本人はその植物にイネと名をつけました.イネのイは今のイ、命のイ、根は根っこのネ、屋根のネ、船のネ、骨のネ.イネは命の根です.日本人はイネを食べて日本人になります.日本の祭りは取り入れ後の秋祭りです.神前に稲を供え、神前で楽しいお祭りをします.五穀豊穣を祈ります.イネは五根でもあるのです.麦、稗、キビ・粟、豆もまたイネです.この穀物、イネの実が人類を霊長類から、霊長類を哺乳類から分かったのです.これこそが大脳の発達を約束したのです.動物はそれぞれ主食を持っています.キリンにはキリンの、いるかにはいるかの主食があります.人間はイネの実を食べなければ人間の機能を発揮できません.主食は本来そればっかり食べても生きていけるものです.完全な形で食べれば生きていけるのです.でも籾殻を捨てるので、その分の補給をする必要があります.人間は脱穀して、煮炊きをしてと色々な工夫により、イネの実を主食にしました.それがなければ大脳を発達させるだけの栄養を取り入れられなかったでしょう.そして動物の種としては非常に稀なほどの幅広い野菜類を食べる調理という知恵を発達させました.

人類は穀物を食べねばなりません.そして日本人にとって稲の実である玄米は特に大切なものです.ですから今も神棚に供えるのは、塩とお水とお米です.
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塩について

2005-09-23 10:23:01 | 出版記事
昨日しその実の塩漬けについて書きました.その時使った塩についても書きました.それで塩について補足です.

マクロビオティックの勉強では、人間の基本的な味として穀物の甘みというものを習いますが、それ以前の生命にとって最も基本的、と言うより不可欠のものは塩です.塩は生命の必要条件なのです.なぜかといえば、その塩の環境に私達の先祖の生命が誕生したからです.だから今でもそれなしに生命は存続できません.このことがわかってみれば塩とはどういうものか、どういう塩でなければ生命の健康を保てないかわかってきますよね.
私達にとって塩は最大限の代価を払ってよいものの一つです.後もう一つ、それは水です.この二つの自然の恵み、これが私達の命の親であり、環境です.これがあったればこそ私達は此処にいます.太陽系という大枠の中で地球が塩と水の星になったので私達は人間になりました.何と有難い事でしょう.

塩とお水はたとえ代価を払って買ったとしても、自分のものではありません.自分の命と同じで、自分のもののようだけど、自分のものではないのです.自分のものなら、命をいつまでも永らえることが出来るはずです.でも望むと望まざるとに関わらず、生まれてきたものは死にます.でも命を安く見積もる人はいませんよね.その命を生かすものは、命の環境です.環境は命に必要なもの全てを含みます.親の愛も食べるものも、自分に取り入れるものは全て環境です.本当を言うと前にも言ったように自分のものは何一つ無いのです.私達は環境保護などと偉そうに言っていますが、私たちこそが環境に保護されています.自分より大切にしなくてはいけないのです.だから、わがままを少し我慢し節約して、環境や塩や水に手間とお金とをかけねばなりません.汚すことも厳しく慎まなければなりません.

お金という勝手な代価の代用品を作ったばかりに人間は大切な物とそうでない物との区別をはっきりと意識しなくなりました.命と地球の関係も見失いました.命は地球の塩の一粒なのに、命は地球よりも重いなどと傲慢なことを言うようになりました.もう一度塩と水、ひいては地球の環境のことを考え直しましょう.私達は悔い改めねばなりません.

命に必要な塩と、工業塩の残りの安く市販されている精製塩は同じものではありません.命をはぐくむものは全部自然界で生物の命をはぐくんできたものです.工業的に生産された、特に純度の高いものは皆毒です.それでマクロビオティックでは精製された物を排除するのです.余談ですが毒と薬は本来同じものです.お薬はごく微量だからお薬になります.微量でもあれだけの作用をするのです.だから毒をもって毒を制することが出来るのです.

良いお塩を使ってください.命に良いお塩を、ご自分の嗅覚で探し当てて使ってください.そして日本人が環境と共同して作り出したお塩の兄弟分、味噌と醤油についても同じく大切にしていきましょう.
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しその穂の塩漬け

2005-09-22 13:54:01 | 出版記事
久司道夫先生が来日していらっしゃいます.来月いっぱいご滞在の予定です.各地で講演会があるはずです.お尋ねは先生の東京事務所、03-5774-4190 にお願いします.

庭にしその穂がいっぱい出ています.あんまりたくさんできたので、蜂やバッタと一緒になってつみました.しその実の塩漬けを作ろうと思ったのです.洗って水気を切って塩をまぶしてビンに入れました.まだ2~3時間しか経っていなかったのですけれど、あまりの良い香りに誘われて、ついお味見、その美味しさにお代わりしたいのをじっとこらえました.でもこれは大部分塩の美味しさなんです.私が使ったのは、平戸の和みさんのお塩、イキな塩です.このお塩は三年前、久司先生が来られた時にも味を見ていただき、「いいね」と誉めていただいたお塩です.追加の穂を採りに行って作り足しました.
(自然食品和み、0950―23―2566)

食欲の秋、ご飯が楽しみです.他におかずはいりません.よく噛んでプツプツいう口の中の音と香りを楽しみながらたしなんで頂きます.ややこしい手の込んだお料理は苦手でこういう単純な味が好きです.やっぱり10月からの教室の調理実習も、自分にあった単純な後なんにでも変化し得る基本的なお料理実習にします.生徒さんが好みで何とでもしてください!

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教室再開

2005-09-20 07:31:42 | Weblog
お約束どおり教室を再開します.10月は22日(土)、13:00~15:00の予定です.プログラム等詳細についてはまだはっきりと提示できませんが、早くお知らせしたほうが予定を組まれるのに便利かと思った次第です.

マクロビオティックは、何でもそうでしょうが、富士山みたいなもので、登山口はたくさんあります.今回は何処から登ろうかというみたいなものです.また全く同じ所から登っても、その人の精神状態や日々の向上度合いによって、以前聴いたのと違うことを聞き取れるのです.また講師が意図しなかったことを、或いは講師の能力以上の事を生徒さんは理解したりするのです.後生畏るべし!!

そんな風にして教室ではどちらが講師でどちらが生徒かわからないような事態になります.生徒さんの質問を受け付けると、そんな感を深くします.でもありがたいことに答えは宇宙にあるのです.宇宙の果てから答えがインスピレーションに乗ってやって来ます.
私はただスポークスマンになります.

もう一つ、研究会教室を開こうかと思っています.これはウイークデーの夕方6:30くらいから、和み弁当つきにしようかと思っています.理論だけの講座や桜沢先生などの本の勉強説明会にしようかと思っています.これについてはご希望があれば書き込みをたくさんお願いします.皆さんマクロビオティックの同志ですから何でも書き込みで意見を表明しましょうよ.このブログをお使いください!
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るに点々と平戸人

2005-09-19 10:16:24 | 平戸
先日遠い昔(?)の日幼い長女が「る」に点々は「ドゥ」と言って感心した話をしましたが、私の住んでいる平戸の人のなまりを笑った戯れ文があります.

ひらろのかろの うろんやれ びーるがろっぽん ころろった ひろうてみたら かららった

平戸の角の うどん屋で ビールが六本 転どった 拾ってみたら 空だった

つまり平戸人はだ行が発音できないと言うのです.るに点々と逆ですが、これは意外と珍(?)発見ではなかろうかと思います.ビールが出てきますから、最近の作だろうと思いますが(どんなに古くても明治以降)、なかなか考えさせられるものがあります.

こんな平戸の環境分子が、幼い長女にるに点々なる発想を引き起こしたのかもしれません.記憶は引き継がれるものですものね。こういう記憶が本能の正体ではないかとつくづく思います.記憶や本能はインスピレーションによって媒介される、これがブログタイトルの由来です.

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子供の教育

2005-09-17 09:20:43 | Weblog
虫の声が楽しい季節になりました.この虫の声を親しく楽しく、或いは美しく聴くことは日本人の特技だそうです.全部がそうとは限らないでしょうけれど、多分ヨーロッパの言語を話す人々には単なる騒音にしか聞こえないという記事を読んだことがあります.これは言語の音を聞き分ける能力と対応していると思われます.日本人はそういう音の世界に生きてきた民族です.ですから国語は音を基本にして教えるべきであり、小さいときから外国語教育をする事は、外国語に堪能で日本語の分からない日本人(?)を生み出すばかりだと思います.外国語はブロークンでも良いと思います.前回書きましたが、子供にはイザナギイザナミの両尊がなされたように正しい音読教育を最優先すべきだと思います.

また子供の教育といったらすぐに思い出すのが、ツバメの雛の姿です.ツバメの巣をご覧になったことがおありですか?親鳥が帰ってくると一斉に黄色い嘴を最大限にあけて口ばかりのような格好で餌をねだります.親鳥が去ると水を打ったかのようにシーンとなります.その必死の姿は愛らしいと言うか何と言うか、欲しいという心の一途さに私は打たれるのです.そして子供の教育をいつも思うのです.

家庭教育もそうですが、学校教育は特にそのありがたい意図とは別のものになって、食べたくない者というより食べたいのだか食べたくないのだか判らない雛を作り出しているのではなかろうかと思います.そして口をつぐんでいるものの口を愛情のあまり無理やりこじ開けて餌を押し込んでいるのではなかろうかと、、、、先ず知りたい心、飢えの心を作り出すことが必要ではないでしょうか.ゆかし心、まほし心、昔の人はそう言いました.
これが学問の始めであって、教育とはそんな心を育てることではないでしょうか.

桜沢先生も学問は一人でするものだと書いておられますが、教育者は親も教師も知らまほしという心をくすぐるものでなければ勤まらないんだなーというのが、今小さな教室を開いて再び人にものを言う身になってPTAの昔に見たツバメの雛の姿を思い出す今日この頃です.
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猫のストレス

2005-09-16 08:30:33 | 出版記事
近頃ニュースで事件後の子供達の心理上のケアについてよく見聞きするようになりました.ストレスというすっかり日本語の中に定着してしまった感がある言葉ですが、このストレスに対処する道筋の複雑さが人間の心理症状の複雑さを生み出しているような気がします.我が家のシマネコちゃんのストレスの発生時から消滅時までの状況をつぶさに観察する機会に恵まれたために、はっきりとその思いを深くしました.

それは四年余り前、孫がすっかり歩けるようになって我が家にきてくれた時のことです.子供は好奇心の固まりですから、シマネコちゃんに対しても好奇心と嬉しさ丸出しで、あらんばかりの表現力でシマに迫ります.大体猫というものは子供が嫌いです.猫は自由が好きで、子供に対して譲るのが苦手なのですが、そこは飼い猫の身多少人間社会にもなれて人間との接触を調節して生きています.猫は通常我慢の限界まで我慢して、度を越すと一撃に転じ逃げ出します.でも我が家のシマネコちゃんは、じじばばの孫可愛さをよく察してひたすら逃げてくれたのです.

でもどんな動物にも油断できる場所というものが必要です.飼い猫はあのお腹を丸出しにしてひっくり返って寝る場所が必要なのです.これが飼い猫の長生きの秘密です.
そんな我が家をシマネコちゃんは奪われてしまいました.孫に見つからないようにと多少の配慮はしたのですが、シマネコちゃんもまたテリトリーを主張したかったのです.孫の目のいく範囲で寝ることに固執しているかに見えました.シマネコちゃんは一日に何度も孫の大歓迎に会い、日々やつれていきました.やせ細り毛は落ち毛色はあせて明日にも死ぬかとさえ思われたのです.

孫が帰京する日になりました.じじばばは寂しさに襲われていましたが、シマネコちゃんは途端に元気になりました.あのやつれ様は跡形もなくすっかり消えてしまいました.こんなに猫のストレス回路は短かったのです.思いは体に直結し、良きにつけ悪しきにつけ問題の展開は早いのです.原因がなくなった途端心身ともに解決します.人間と猫は何処が違うか、それは大脳の働き以外にありません.ストレスを振り返ってその機序を認識することに、人間のストレス対処法の糸口があるような気がします.

孫は段々大きくなって猫に対する思いやりも身につけシマネコちゃんに遠慮するようになりました.今ではあの台風のようなストレスもシマネコちゃんは覚えていないと思います.マクロビオティックの観点からいうとストレスも食べ物(取り入れるもの)の一つなのですから、私達は自分達でその対処法を見つけなければなりません.ちょうど良いストレスは生きるために必要なものです.その良い範囲の広さには個人差があります.ストレスについていろいろ考えさせられた孫とシマネコちゃんの思い出でした.

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大事なのはその後どうするか

2005-09-13 09:37:13 | 出版記事
昨日の話題の断食セミナーで排泄物は自分の大便から言語に至るまで全て美しくなければいけないというお話をしました.前にもちょっとふれましたが、糞転がしは誰かの糞を一生懸命探し回っているし、かくいう私達人間も植物の排泄した酸素がなければ一分も生きていられません.世の中って逆から言うと排泄物の循環で成立しているのです.ですから自分のものと思っているものにも一つとして厳密に自分のものはありません.

人間の文化は各人の所有を認めていますが、それだって宇宙の真理から言うと殆んど根拠がありません.こうなってくるとユートピアを目指した共産主義みたいになってきますが、残念ながら共産主義を実現する政治機構や社会組織は出来ません.ユートピアは絶対世界のものであり、社会は相対世界のものだからです.もしどうしても実現したいと思ったら、個人を投げ捨てて黙々ときめられた責任を果たさなければなりません.蟻の社会のように!!働き蟻は女王蟻になりたいとは絶対に思いませんよね.女王蟻もまた働き蟻のように自由にあちこち歩き回りたいとは思いません.

元に戻りますが、だから自分の排泄物は自分と同じようにきれいにしなくてはいけません.昔(?)シャンプーが毎日の行事になり始めた娘達に、「自分だけきれいにして汚い泡だらけの排水で地球を汚して」、と言って嫌われたものです.人間社会はなかなか還元できないゴミを大量に作り出して科学技術の進歩だとか言ってきましたが、循環のサイクルの中から勝手に一部を引っ張り出して元に戻るのに人間の時間の枠からはみ出したものを作ってしまったために、今自分たちが困っているという始末になりました.人間の排泄物を美しくしなければ、自分達が困る事態になったのです.今までは他の動物や生命のことを気にしている振りでよかったのですが、とうとう「地球に優しい」などとの奇麗事ではすまなくなってきています.

これはとても喜ばしいことで、此処にきて私達は自他の区別のない世界であることを認識しようとしています.もともと私達は全てがひとつだったのですから、その心をまた私達の生活に取り返すことができたら世界はもっと楽しくなるのではと思います.昨夜たまたまテレビで銭形平次を見ていたら、誰でしたか、笹野様(?)とかいう与力(これまた?)が
女の子に言っていました.「間違いは誰でもする.大事なのはその後どうするかだ」って.
マクロビオティックを知る事は大変にありがたいことです.でも大事なのはやはりその後どうするかなのだと思います.

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マクロビオティック半断食セミナー

2005-09-12 11:04:17 | Weblog
夫と共同でマクロビオティック半断食セミナーを開催しました.昨日一昨日のセミナーでしたが、第一回目とあってプログラムの進行に無理がないか、設定に感覚的な違和感はないかなどといった運営上の事柄が気になっていたと見えて、今は多少疲労感というか脱力感に襲われています.

今回の私のマクロビオティック講座は、講師としての観点から言うと、宇宙のものさしである陰陽の説明でちょっと迷いを覚えてしまいました.聴いておられる方のマクロビオティックに対する態度の差がひどく大きく見えたからです.マクロビオティックを受け入れておられる方とそうでない方に対して同時に陰陽を説明することの難しさを講座の最中にふと感じてしまったことで、夫に指摘されてしまいましたが自分の内側で歯切れが悪くなってしまいました.

夫の受け持ちのマクロビオティックと医療の関係を加味した医学講座はとてもよかったと思います.断食をすることの医学的な意味、効果などについても分かりやすく説明したと思います.ちょっと気分が悪くなられた方もおられましたが、医師がついているということは参加者にとっても精神的負担が少なかったと思います.今後も二三ヶ月に一回くらいの間隔で開きたいと思っています.

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あわ歌

2005-09-10 08:09:08 | 日本語・古事記・歴史・日本人
今日からの私たちのセミナーの講座にも取り入れたのですが、音の力によって体を整えるチャンティングというものがあります.これは音そのものが波動という宇宙を構成するエネルギーの一つであり、私達人間がその音を操ることが出来るという特性を利用したものです.

それぞれの国に国語の基本音というものがありますね.私たちの国語である日本語は五十音、ヨーロッパの国々はアルファベット、多分言語の数ほど民族があるのだと思います.
言語を同じくする民族は兄弟、同じ系統の言語をもつ民族はいとこ、まあ人間の言葉を持つもの同士は親族というところでしょう.

私たちの日本語は数ある言語の中でも特に全ての音が開音になっている五十音を持っていて、とても穏やかな響きを持った言語です.開音というのは、全ての音が母音の音で終わる音のことです.
例えば、カ、サ、タ、ナ、ハ、という音はみな アの音で終わるということです.それで古来より色々な言葉遊びが発達してきました.和歌の世界にも、「上から読んでもトマト、下から読んでもトマト」のような歌があります.和歌の世界では返歌といって、和歌を贈られたら必ず和歌のお返しをするのが習いですが、そういう和歌はお返事が出来なくて、ホツマツタエという書の中にはそういう求愛の和歌を贈られたので結婚を承諾する以外にないといった記事があります.

今回のセミナーでもそのホツマツタエから、あわ歌というものを紹介します.これは太古の昔、皆様ご存知のイザナギ、イザナミの両尊が国の乱れを救おうと思われて全国人々の発する言葉の音を、このあわ歌によって修正して回られ、人々の健康と幸福を回復されたというお話です.このあわ歌も五十音(四十八音)で、国の健康を秩序ある音のもつエネルギーで整えようとされたのですね.というわけで私たちの体の秩序も回復するのです.
この穏やかな開音のエネルギーで、私たちの体も整えようというわけです.

余談ですが、長女が小さい時こういった話をして遊んでいる時のことです.濁点をつけたらどんな音になるかということを実験(?)していたのですが、濁点を付けても読めない音があります.例えばナ行とかマ行の音です.一つずつ進んでいたのですが、ルのところで娘は「ドゥ」といいました.私は妙に感心してしまって、今でももう三十年近く経ちますがよく覚えています.

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進化について

2005-09-07 09:33:35 | マクロビオティック
マクロビオティックの勉強を始めると、実践上の二大原則、身土不二と一物全体ということを習いますよね.そして人体に至る進化も学びますよね.
単細胞から始まって長い進化の道のりの後、魚類、両生類、爬虫類、鳥類、哺乳類、そして霊長類と人類に至ります.この子供の頃学校で習った人類への道程も、時々視線を変えてみるといろんな事が考えられますよ.

例えば爬虫類と鳥類ですが、此処までは卵生ですよね.蛇の中でもマムシは卵胎生です.マムシに胎生への進化の糸口が一つ見つかりますね.爬虫類と鳥類の大きな違いは、二本足と四本足ですよね.爬虫類の中にも四本足と二本足がいますよね.あの恐竜時代を描いた絵を思い出してください.ティラノザウルスとブロントザウルスを思いだして下さい.

こうして見ると爬虫類の時代に二本足と四本足、胎生と卵生の分岐点があるような気がします.それから哺乳類になってからの有袋類と子宮を大きく出来るものの違いの萌芽もこの辺にあるような気がします.カンガルーなどは手が小さくて二本足(三本足?)だし、、、、、.有袋類の赤ん坊は皆小さいのですが、ジャイアントパンダの赤ん坊もあんなに小さいし、、、、、.

とにもかくにも魚類だって安穏に暮らしているのを捨てて好き好んで両生類になったんではないのです.陸上に打ち上げられてそれは苦しみもがいたのです.西原克成先生の「顔の科学」という本がお勧めですよ.人間に至るまでのいろいろな環境の変化と苦労に思いをめぐらすと、自分の細胞の記憶を知ることが出来るし、自分のありがたさが身にしみるというものです.そして何を食べようかということへの考え方にも大きな影響を与えますよ.自分の学説(仮説)を組み立ててみてください.
コメント (2)
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狸の兄弟

2005-09-06 09:23:26 | 平戸
大型の台風が九州の縦断しようとしています.段々風がひどくなっています.庭中木の葉を敷き詰めたみたいになっています.

ところで一昨日狸の兄弟と思しき三匹が庭に出てきました.我が家の庭には狸やイタチやテンが時々出没します.数年前には狸の間に毛が抜け落ちてしまう病気が発生して、その狸を初めて見つけたときには、新種の動物がいると興奮したものです.何しろ奇妙ないでたちだったのです.所々毛があって胴体は皺が見えていたのですから.

夫は狸が通るとにわかに飼育係に変身して、獣道に餌をおいてやります.が飼い猫のシマはそれが許せません.何、我輩のテリトリーに他人(?)の餌?とばかりに見張りに立ちます.十年以上も前でしたか、ある日狸が我が家の犬、エスの餌を狙ってやってきて、エスに追い詰められ細い裏溝で身動きが取れなくなりました.吠え立てられて震えているのを見つけましたが最初は何がいるか判りませんでした.お箸の先に餌をさしてやってみると食べたので、その顔を塀状になっている下の隙間から確認しました.

助け出さねばうるさくて眠れません.それで先ずエスを閉じ込め、古いシーツを噛まれないようにと分厚く折り、やせて細い私はその隙間に入り込みました.狸の表情豊かな顔を鮮明に見ました.オトナシクシナサイネと言い聞かせながら、狸にシーツをかぶせしっかりと捕まえました.抱えあげて後退り、何しろUターンは出来ないのです、狸があんまり動けないくらいなのですから!狸もびっくり、もがきます.落としたら大変としっかりつかみます.半分後ずさりしたところで、狸が顔を出すことに成功、私の親指に噛み付きました.仕方がない!手を離せません!狸の口ってとんがっているのだなーと妙なところに感心しながら、無事救出、用意した移動用ポリバケツに収監しました.

ところが狸って本当に狸寝入り!!するんです.おならもするんです.スカンクみたいです.生理的には気絶状態なんでしょうね.餌もいれてエスから離れたところにバケツの蓋を開けて放置しました.やれやれと安心したのですが、私は噛まれたほうの腕がしびれてきたことに気付きました.仕方がない、夫は学会でいません.抗生剤を飲んで、知り合いの外科医に電話をかけました.狸にですかああ!それでいいでしょう?と呆れられました.ところが狸は餌に味をしめたのか、また来るんです.もう放っておきました.そのうちエスも吠えなくなりました.狸に噛まれた経験って貴重です.

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パラダイスを目指して

2005-09-05 07:02:45 | Weblog
ここの所マクロビオティック半断食セミナーの資料作りに追われてました.体調不良が当たり前のように罷り通っている今日この頃です.本当に健康な世の中では医薬品業界というのは社会の脇のほうにひっそりとあるはずなのですが、大きな業界になっているというのも今の世界の世相というわけです.そんな私たちの不健康に急ブレーキをかけるもの、それが断食というものだと思います.というわけで、医師である夫と共に穏やかな24時間の半断食を土日にまたがる一泊のセミナー形式で提供することになったのです.

良い資料を作って、参加者が帰られた後、一人で生活に取り入れられるようにと願っています.実際のところどんなにマクロビオティックを知っていても、毎日の小さな一歩がなければ何も始まりません.娘の言い草ではありませんが、昨日よりましならいいやで始めて頂きたいのです.皆が健康な社会ってどんな社会でしょうか?それこそがパラダイスなんだろうなと思います.

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