inspiration-macrobiotique・随想古事記

マクロビオティックインスピレーション・随想古事記・日本語と歴史・バベルの塔・日々雑感

蕗・春の味

2015-03-31 14:39:44 | 季節・週末散歩

蕗の味は『春の香気』ですね!!!ちょっと切るだけで鼻を突いてくる香気・・・・・板摺して茹でると、香気を放つヒスイ色・・・・・嗅覚と視覚と味覚とがない交ぜになった『春の味・・・・・』、そして幼い日の母の顔が浮かんでくる記憶の味・・・・・『

その蕗を買ってきました。お店で地元産のしっかりした蕗を見つけてつい買ってしまいました。母の教え(?)通り、油揚げと煮ます。いつかも書いたような気がしますが、蕗と油揚げ・・・・・これは絶妙な組み合わせだと思います。板摺をしてたっぷりのお湯で茹でます(お鍋の大きさに合わせてとりあえずの長さに切る)。そして水にとり、皮をむきます。香りと色を楽しみながら、盛り付けの長さに切ります。お鍋に移して、だしを張ります。この『だし』ですが、蕗の場合私は昆布だし(昆布は一緒に煮てしまってもよい)に鰹節と椎茸のだしを加えます。(きのこや筍などは、昆布だしに鰹節だしを加えます。)それに油抜きをした油揚げを適当な大きさに切ってのせ、よいお塩(私の場合は例の『イキな塩』)をほんの少し加えて蕗が柔らかくなるまで煮ます。最後に薄口しょうゆで味をととのえ火を止めて味をふくませます。後は香りと味を楽しんで、満足あるのみ!!!!!

 

山ウドも見つけて買ってきました。これも母の味・・・・・ウドはぬたで食べます。木の芽があると言うことはありません。その時は香りの無い(?うすい)ワカメだけを取り合わせにします。この『ぬた』ですが、最近はぽらん広場の白みそに自然食品和みから送ってもらったりんご酢とバルサミコ酢で作るようになりました。母の味とは少し違いますが、これがまたまた絶妙な味で私編集の『母の味』にしています。菜の花なども茹でてこれでぬたにしたり、和えてしまったりします。分葱のぬたも本当においしいし、もうすぐ筍とワカメの取り合わせも・・・・・楽しみです。

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道端にスズラン?

2015-03-23 13:39:31 | 季節・週末散歩

 

今日は昨日と打って変わって、風の強い肌寒い日になりました。歩いていると吹き飛ばされそうだったんですが、それでも道端にはほとけのざが可愛らしい小さな花をつけていました。そして土手のようになったところには、スズランの白い花が揺れていました。

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体験記(6)・それからのマンダラゲ

2015-03-20 10:04:02 | manndarage2(膵炎体験記)

『お腹を縫われた狼』の私は自宅に戻ってきました。入院の経験がおありの方は良くお分かりだと思いますが、退院すると自分の現状に愕然とするものです。入院中は快復してくるにつれ何でも出来るような気がしてきますが、いざ退院してみると体力の無さに気が付きます。私も例外ではありませんでした。30分くらいが連続して立ち仕事をする限界!!!・・・・・立ち居振る舞いもテキパキとは出来ないし・・・・・傷が気になってか、うつ伏せにもなれない・・・・・深呼吸も二段式になっているし・・・・・深く息をすると、途中でつっかえるんです。呼吸が短いのではなく、途中で区切らないと完成しないんです。

夫は気を使って、朝食と昼食と病院でとったり外食にしてくれました・・・・・だけどだけど・・・・・自分の食事の準備も思うに任せませんでした。入院前に冷凍しておいた玄米ご飯・・・・・これをお粥にして食べました。お野菜は『ポカらの宅配』というのがあるんですけれど、それで何とかしのいで・・・・・知人の助けと、平戸の堀江さんと自然食品和みの力とをかりて・・・・・・不足がちの食生活を始めました。ところが、実はそれが病気には何よりの助けなんです。玄米という完全食に青菜と胡麻と味噌(塩)とがあれば(出来たら、海藻と)、他に取り立てて必要はないんです。必要なのは質の良い『不足』という事態です。そうすると体の中のすべてが駆り出されて、不足を埋めることになる・・・・・それが生命力であり治癒力なんだと思います。髄膜腫の体験の時も、決め手は小食でした。必要なものを最低限・・・・・これがカギです。それに玄米ご飯を炊くくらいのことは、病人特有の『億劫さ』を制御しさえすれば(まあ一番はこれが問題で、気力が続かないものですからすべてにやる気なしなんですけれど)、慣れたことで問題ありません。

 

近くにおいしいお蕎麦屋さんがあります。初めてそこに行ったとき、メニューに『鴨南蛮』という項目を見つけました。以前他所で『鴨南蛮』を注文したら鶏肉のおそばが出てきた驚きの経験がありました。それでお店の人に「鴨って書いてあるけれど、鴨ですか?」って聞いたんです。そしたらお店の人から憮然として、「鴨は鴨だ」と言われてしまいました。それ以来そこの『鴨南蛮』を贔屓にしていたんですが、ある日夫のお昼の外食に付き合って私も行ってみることにしました。そして大丈夫かな???・・・・・と思いながら『鴨南蛮』を注文しました。退院するとき膵酵素の補剤ももらってきましたし・・・・・ですが・・・・・何かつっかえたような気分で、食べられませんでした。『まだだ~~~』って思いました。昔から傷に蕎麦は良くないと言われていますよね・・・・・久司先生も大腸を切られたとき、お好きな蕎麦をしばらく控えられたと伺ったことがあります。それに腸管通過障害を考えれば、麺類もパンなどの粉類もよくないに決まっています。今回の身にしみた実験ではありましたが、外食に付き合おうなどという気になっただけでも少しずつ元気になっていると実感もしました。

 

年が明けて1月の末私は東京まで出かけました。平戸の猶興館の同級会が毎年恒例で楽しみにしています。私の体力を心配した娘も飛び入り参加させてもらって、楽しく過ごしました。そのあと吉祥寺で一泊して、例の『うぐいす餅』を買ったというわけです。2月には平戸まで行きました。最初新幹線の3時間半が少しこたえて、それからまた3時間平戸の自宅についた時にはかなりこたえました。それでも色々な用事も無事にこなせました。もともと疲労回復は早いので、あまり疲れたということはありませんでした。今月(3月)内科を受診しました。先生から膵臓の酵素等も含めて全くの正常で、(私の食事事情をお話ししていたからと解釈していますが)『さすがですね』と仰っていただきました。完全に無罪放免とまでは行かず念のため8月に再診をとのことでしたが、それでも十分だと思います。やっと私には自由が与えられました。そしてこれまでマクロビオティックで作ってきた私の体力(生命力)は、この異常事態を完全に(?)克服したと言ってよいと思います。

 『お腹を縫われた狼』には時が経つのが薬でした。昨年中は腹帯をしないと、お腹の石ころがごろごろして???真っ直ぐ立てないような気分でした。そうして家事をこなす量が少しずつ増えていくうちに、今年になって「あ~あ、(あの異様な感覚も)消えていくんだなあ!!!」と感慨深く思いました。以前柿本医院で使っていた妊婦さんの腹帯が妙なところで役に立つんだなあと感心(?)して使っていましたが、それも今では不用になりました。現在は傷のひきつりの痛みとまでは言えないような痛みと見事に(?)残った傷痕がどうなるかというのが、目下の関心事です。痛むと言えば、退院後の外科外来受診で先生に伺いました。手術の傷の痛みというのはかなり長引いて、一年たっても痛む人もいるとか・・・・・まあこの痛み方というのはそれほど大してひどいものではないと思いますが、それよりもドレーンを立てた傷のほうが私には気になります。

 

手術で私の免疫力が落ちているのを気にして、息子は季節がらインフルエンザなどについても心配しています。私はと言えば、これまでインフルエンザに罹ったことがありません。大学時代高校時代にも・・・・・とくに中学時代にも覚えがありません。それで覚えている限り、ワクチンの接種をした覚えもまたありません。マクロビオティックを知ってからは、生物の食の掟なるマクロビオティック論を柱に、何の迷いもありません。生物は食のあるところで生存する(菌ならば増殖する)・・・・・このことに関しては今も疑念の欠片もありません。自分の体をインフルエンザの培地(餌場)にしなければよい・・・・・と100%思っています。実はここ数日鼻がグズグズして、風邪を引いたか???・・・・・声も緩んできているし、それともまさか、花粉症????、と思う事態になりました。手術などで体力が急に落ちると『何でもあり』の状態に陥ります。息子も急性虫垂炎の術後、喘息になってしまったことがあります。体力が回復するにつれ治ってしまいましたが、手術などという大きなひずみを作ると、どこかに何らかの形で異常が現れてきます。今回は花粉症にもならず風邪もよくなり声も元のようになりましたが、しばらくは息子の心配を心にとめて気をつけようと思います。

 夫もまたインフルエンザに罹ったことはありません。若い時はあまりに多忙すぎて(一晩に4~5件の手術で倒れるスタッフもいたと聞きました)、インフルエンザにかかって休暇が取れれば・・・・・と思ったこともあるそうです。今は自分流のマクロビオティック(?)でやっています。その基準は私の考え方とは違うこともある・・・・・・でも「久司先生から聞いた」と主張しています。ともかくもその多忙極まりない若い日はそんな基準は知りませんでしたが、病気一つしたことがありません。頑丈な生命力を父母から受け継いでいます。

 

マクロビオティックは『人間の食事』を提唱してきましたが、その『人間の食事』というマクロビオティックの基準にも、様々なレンジがあり多様性がある・・・・・今日と明日の条件は異なっており、こことあそこの生産条件の違いによる差もあるし、実践する個人の体格や性格の差もある・・・・・つまるところ厳密にはわからない!!!!!その上現在の個人的な体力の差(たとえこれが食事によって培われたとしても!!)もある・・・・・『気』という言葉で表されている生命力にも差がある・・・・・つまり天地の息吹に感応する力に差がある・・・・・というわけで、要するにとどのつまりが、個人の問題なんです。

それでマクロビオティックは『個人で考える生き方』と言ってよいと思います。考え方と基本事項と標準食を教えてもらって、後は個人が考えなければなりません。『考える』というのが問題ですが、『それがそれ』で大事な大事な人生の奥義に行き着く入口だと思います。相似象の宇野先生も行き着く先のものを『ソレとしか言いようのないもの』とおっしゃっていますが、この『ソレ』が少しわかってきたと思えるまでに10年かかったと思います。今も日々『ソレ』とは何かと考え続けて、日々マンダラして今のマンダレゲをつくり、そのマンダラゲが『ソレ』と感応してまたマンダラし、また明日のマンダラゲを生み出す・・・・・これの繰り返しです。その日々の中には、今回の経験のような絶壁を飛び越えるようなマンダラゲもある・・・・・ありがたき仕合せだと、心から思います。

 

今回の記事で一応膵炎・手術騒動の完結編とします。今ではこのブログで中将姫のように、私の『曼荼羅図』という機織りをしているのだと思っています。


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立場と言葉

2015-03-18 15:33:11 | その時々2

お買い物に行ったスーパーでの出来事です。入口の扉に向かうところで、バギーを押した若いお母さんが向うからやって来ました。自動ドアではありませんでしたから、バギーを押しているとドアが開けにくいだろうと、私はドアを開けてあげることにしました。そしたらそのお母さんは『ありがとう』と言って通り抜けていったんです!!!!!

 

え?』って、私はそのお母さんの後姿を見送りました。別にくどくどとお礼を言ってもらおうと思ったわけではありません。でも、でも、でも・・・・・です。40も年下の見知らぬ人に『ありがとう』って言われるのは非常に違和感があります。反対の立場でも、私は見知らぬ若いお母さんに『ありがとうございます』と言ったと思います。皆様はどう思われますか。

 

 


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体験記(5)・疑い晴れて退院しました。

2015-03-17 14:20:57 | manndarage2(膵炎体験記)

如何ともしようがない術後1週間を何とか切り抜けましたたが、私にとってまだ問題が残っていました。先生方や看護師さん達から毎日「お通じは?」って聞かれました・・・・・腸管通過障害は開腹手術を受けたもの全員に降りかかる問題なんだそうです。「運動せよ、運動せよ」との看護師さん達の叱咤激励(?)もむなしく、とうとう夕食後下剤を飲む羽目になりました。お粥になった時に玄米がゆをどれほど食べたいと思ったことか・・・・・病院食に『玄米がゆ』の選択肢があったら、この問題も解決策があるのではと強く思います。

なかなか下剤の効果は無いように見えましたが、午後になって物凄い腹痛に襲われました。ちょうど夫がお昼休みに紅茶を持ってきてくれて、その香りにつられて久しぶりに飲みました。そしたらお腹の中で10センチくらいの棒が大腸の中でつっかえているような、こんなこともあるのかというような痛みに襲われたんです。10分くらい痛んで夫を散々心配させた挙句、私の大腸は機能を回復しました。そして最近はたいていの外科で、開腹手術を受けた患者に大建中湯という漢方薬を処方するのだそうです。腸管通過障害の予防だそうですが、私にも出ることになりました。(大建中湯は、今でも夫の指示で飲み続けています。最低一年は飲むようにと言われています。) 

 

夫は入院中毎日やってきました。夫の診療時間は一応午前中と午後4時から6時まで。まあ開業医と同じですから四六時中なのですが、それでもお昼休みと一日の診療後、ほとんど30分も居ないんですけれど、とにかくやってくる・・・・・医師にもいろいろいますが、メスを握るかどうかで大まかに内科系と外科系とに分けられており、産婦人科は外科系に属しています。私の観察から言えば、内科系は『会話説明型』で外科系は『事実(結果)がすべて型』・・・・・産婦人科は平常時両者にまたがっていますが、必要上外科系に傾いており、時として外科系『事実がすべて型』の極端なタイプに陥るんです。最初から救急の患者さんがやってくるのではなく、一瞬で瀕死の急患を抱えることになってしまう・・・・・それで夫のような完璧主義の産婦人科医は常に最悪の準備をすることになります。いつもそのことが頭を去らずイラついている・・・・・人の言うことは聞こえず自分の言いたいことだけを言う(性格にもよると思いますが)・・・・・傍で暮らすものにとってそれは妄想で迷惑かもしれませんが、そうやって患者さん共々夫は何度も九死に一生を得てきました。私の生活はそういう夫の生活の中に埋没して、夫のクッションの役目を果たしてきたと思っています。

それで私の病室に毎日通ってリズムを作っていたんだと思います。見慣れた顔と聞きなれた声での慣れた反応が必要だったのだろうと思います。このことが近くの病院を選んだ大きな要因ですし、それが出来ることを私達は本当にありがたく感じました。来なくてもいいと言う私に来ないかもしれないと言いながら、日課のようにちょっと来ては帰っていきました。段々日が短くなって暗くなるのが心配で、入院生活が早く終わるようにと念じてばかりいました。手術前の外来で「2週間くらいで帰ることが出来るでしょうか?」とお尋ねしたところ、最低でも3週間と言われました。「経過によっては2,3か月・・・・・」とも言われました。真冬の寒い時でなくてよかったと思いました。

 

術後10日目の日曜日、久しぶりに駅伝を見ました。何だか以前の生活を取り戻したような感じがして、とてもうれしかったのを覚えています。この頃にはずいぶん体も軽くなってきましたが、お腹の異常さ・・・・・そうですね、『七ひきの子ヤギ』という童話をご存知ですか。あの狼がお母さんヤギと子ヤギ達に、お腹に石を詰められて縫い合わされるでしょう。『あの狼と同じ気分では?????』と、自分で思いました。重たくて前にお腹が落っこちるような・・・・・それで前屈みがちになるし、腹帯でお腹を抑えていないと動くのが不安でした。この頃聞いた衝撃的な話・・・・・手術を受ける高齢者が多いので看護師さんに聞きました。「かなりの痛みにみんな耐えているのよね?」と。そしたら答えはなんと、「高齢者ほど鈍感になって、あまり痛まないらしい」・・・・?????ホント?????そうなんですか?????

『お腹を縫われた狼』の気分になってしまった私は、今回失ってしまったお腹の力について考えさせられました。お腹の力については昔から『臍下丹田に力を・・・・』と言ってきました。久司先生の『パームヒーリング』や『導引』を翻訳した時にも、『気海』と呼ぶ気力の貯蔵所が出てきました。要するにお腹の力というものが、私というまとまりを維持する力というべきか、そもそも私というものに纏まる力というべきか、それで私の出す力の当座預金のようなものであることを強く実感しました。それで気力をためなければ・・・・・と、気力発生の行に努めることにしました。

』というものについては賛否両論あると思いますが、誰でも気力が無くなったり湧いてきたり・・・・・沈んでみたり浮き浮きして来たり、どうしてだとお思いですか?????何がどう違って、同じ体でそうなるんですか?????・・・・・そういうわけで、私は気力を再びお腹に封じ込めなければ・・・・・と思いまして、私なりの行に励むことにしました。何とかこの『お腹を縫われた狼』の気分から抜け出したい・・・・・これが抜けるまで私は所謂ところの『病人』だと思いました。病人とは病気の人という意味ですから、気が病んでいるんです!!!!!気が病むということは、気の不足という意味だと思います。

そして一番大切な実感は、『気力発生』というか、『気力増幅』というか、そういったものは外部との『感応力』によるというものでした。そしてこれが『生命力』というものだと実感しました。生命力の回復・・・・・これが病気の治癒であり気力の充実であり、お腹の中から私の腹壁を引き込む力・・・・・『お腹を縫われた狼』からの解放だろうと実感しました。

 

月曜日朝一番で血液検査の採血がありました。この結果で退院の予定が決まるんです。膵臓の病理検査の結果もそろそろ出ます・・・・・そして、私は無罪放免となりました。『膵臓癌ではなかった』んです。(よりによって4センチ大の)嚢胞が出来ていて爆弾を抱えているようなものでしたから、まあよかったんだと思います。何より夫は『抗癌治療をしなくてよい』というお墨付きを喜んだようです。何しろ疑われたのが、膵臓癌でしたから。そして膵臓の切除術の半分は膵液が漏れたりするとか・・・・・何かと合併症の問題が多いらしいのです。それも全くありませんでした。10月末の2週間目に晴れて退院しました。希望通りたった二週間で退院しました。夫は驚異的な回復だと、私のマクロビオティックを評価してくれました。病気を発現はしたけれど、医学的処置を受けて、その後驚異的(?)に回復しました。これは食生活のたまものだと信じています。そして私は何物にも代え難い経験をしました。この世のおかげ様に感謝の気持ちでいっぱいです。

 


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イキな塩便利帳(2)

2015-03-16 09:00:31 | 自然食品和みさん

先日お知らせした『イキな塩便利帳』は一般的な食品についてでしたが、今回はマクロビオティックなどで人気の食品についてです。

 

一つ目は・・・・・大豆たんぱく。マクロビオティックのお料理で、鶏のから揚げの代用品です。若い人や子供たちに人気ですし、マクロビオティックではない人達にも受け入れられると思います。普通は水で戻してから揚げ用の味付けをします。その『水で戻す』プロセスと『味付け』プロセスの間に、簡単な下ごしらえプロセスを組み入れるだけで格段においしくなります。それは、前回の塩洗いよりやや多めのイキな塩の塩水に昆布片を1~2個入れて、大豆たんぱくを2~3分下煮します。そのまま冷まして水を切り軽く絞ります。この後の工程は同じ・・・・・私は生姜に薄口しょうゆ(下拵えの分、薄味にしてください)、そして必ず五香粉で味付けをし、小麦粉と葛粉をまぶします。先日賞味期限を切れた、ちょっと味が落ちるかなと思われる『大豆たんぱく』が出てきました。それもおいしく変身しました。

もう一つは・・・・・車麩。全く同じことをするのですが、下味の昆布を多めにします。そして、これはパン粉をつけフライにします。調味料は(私の場合)生姜と五香粉ではなく、黒胡椒と昆布茶用の粉末を利用します。すると・・・・・私には、どうしても『牡蠣』フライ???・・・のように思えます。

 

マクロビオティック料理に油料理が頻繁に登場することはありませんが、来客と同じものを食べる・・・・・という項目は大事だと思います。そんなときに『イキな塩』はいろいろと工夫して楽しい食卓を作るうえで強力な味方です。


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体験記(4)・手術と術後

2015-03-12 11:51:28 | manndarage2(膵炎体験記)

手術は無事終わりました。『乗り越えたんだなあ~~~』と生きていることを実感しました。日常生活だって何があるかわかりませんが、手術となると事故の危険性が格段に増します・・・・・麻酔で事故が起こるかもしれません・・・・・手術中に何か予期せぬ事態になるかもしれません・・・・・意識がないときに自分が何一つ判断できないうちに、死んでしまうことだって当然あります。99%大丈夫でも、1%が当たるかもしれません。意識を取り戻して最初の激痛の嵐が通り過ぎて、考えることが出来るようになりました。

そして・・・・・自分がどうなっているのか・・・・・分かり始めました。点滴がつないであります。ドレーンがたっています。動くこともできないし尿量も測らなければならないので、導尿も・・・・・体を起こすことは無論、まずもって身動きが出来ませんでした。寝かされている・・・・・という感じで気がついて初めての1日は過ぎました。外科の先生は暇を見つけては病室をのぞいて行かれるのですが、『手がこわばったりしませんか?』と尋ねられました。そう言われてやっと自分の手を眺める気が起こるというような状態でしたが、自分の手の異常にも初めて気が付きました。術中の失血で爪の先までちょっと浮腫んで真っ白け・・・・・ちょうどホワイトアスパラガスのようになっていました。その時になって自分はどんな表情をしているのだろうか・・・・・、まさか?????他人から見れば最悪が歴然としている状態で何の根拠もない希望だけが残っているような?????・・・・・でもそれほど感覚的には悪くない・・・・・自分の全身をスキャンするように意識を巡らせて、やっと私は自分を取り戻したような気がしました。

 

手術直後の回復室から戻った病室はナースステーションのすぐ近く、3時間おきに検温やドレーンなどを調べに、夜中も懐中電灯片手に看護師さんがやってくる・・・・・何かと忙しい外科病棟の騒々しさが、寝たきりの自分の中の区切りのようにうれしい・・・・・背中の麻酔のおかげで痛みから解放されちょっと落ち着いてみると、自由はきかず何もできないので何もすることがない・・・・・だけど寝たきりの体はだるくなる・・・・・それで身を動かそうとしても、お腹に力が入れられない、というか入らない・・・・・仕方なく看護師さんから教えられたように、電動ベッド(このおかげで、術後の病人は助かります)を立てて横を向き、腕を立てて身を動かし体位を変えます。そんなことすら自力だけでは出来ないんです。だけどただただ体がだる痛いので、しょっちゅう体の向きを変えたくなる・・・・・それで電動ベッドに頼りきりになって、何度も繰り返し身を起こしました。多分頭をベッドにくっつけたままだったからだと思いますけれど、頭がクラクラしてきました。体力が消耗していると、たったこれだけのことで平衡感覚がおかしくなってしまう・・・・・それで電動ベッドの力を借りるのは、初動の頭を少しだけ起こすことだけにしました。まあそれが一日の仕事で、忙しく働く看護師さん達が立てる音を聞いている一日でした。

術後3日目、体調も順調に回復していると判断されたのだと思いますが、ナースステーション直近の病室から少し離れた静かな病室へ移りました。それ以降、自分で『蟹足』とニックネームをつけて呼んでいたドレーンの液もだいぶ色が薄くなって血液も少なくなり、重湯の許可が下りて食事という一日にメリハリをつける区切りの仕事が出来ました。だけれども、内科の入院の時とは違って気力がない・・・・・本を読む気にもなれないし、テレビを見る気にもなれない・・・・・何から何まで看護師さん達の世話になって・・・・・何となく眠くなっては眠り、体がだるくなれば何とか身を動かし・・・・・そうしているうちに、長い長い夜を迎える羽目になろうとは・・・・・・

入院して寝るだけの病人に昼と夜との差はあまりない・・・・・だけど病院という仕事を持った場所には当然昼と夜とがある・・・・・だから面会時間も8時までで9時には消灯となる・・・・・手術で消耗しきっていた最初の数日間は、昼も眠り夜も眠ることができます。だけど良くなるにつれそんなには眠れなくなります。夜9時に看護師さんに灯りを消してもらって眠りにつき、「もうだいぶ寝たなあ、何時ごろだろう?」と思って時計を見ても、まだ0時前・・・・・「え???、まだ???」・・・・・それを繰り返していると、ついには30分しか経ってない・・・・・朝が待ち遠しくて待ち遠しくてたまらなくなります。朝の白み始めたのがわかるようにと、消灯の時にカーテンを開けたままにしてもらうことにしました。雀がチュンチュン言っている・・・・・朝が来るのがこんなに嬉しいのか・・・・・涙ながらに『朝だ朝だよ・・・・・』とつい歌ってしまいました。6時ごろ始まる看護師さん達がカートを押すガチャガチャという音も嬉しくてたまりません。

朝だ朝だよ、朝日が昇る。空に真っ赤な日が昇る。みんな元気で元気で起きよ。朝は心もからりと晴れる。あなたも私も、君らも僕も。一人残らず 起きよ、朝だ。

これほど朝の喜びが心にしみる歌は無いような気がします。はるか昔に小学校で習った歌が、自然に心の底から湧いてきました。朝起きて仕事が始まる・・・・・こんな日常がどんなに嬉しいことなのか、心の底から再確認しました。生きているものは、朝起きだすものなんです。

5日目には傷の痛みはあまりないけれど、ドレーンの痛み、硬膜外麻酔のチューブがどこかに触っているのか背中の痛み、点滴の針が血管壁に触っているのか時々感じる不快な痛み・・・・・それらもまじり合ってますます眠れなくなりました。眠れないので余計痛みを感じたのだろうと思います。辛いやら悲しいやら・・・・・『ヒフミヨイ』のウタを唱え続けました。外が白みかけて『朝だ朝だよ』の歌に自然に切り替わるまで、何十回も『カタカムナ』の第1首から第6首まで・・・・・私はここでも大切な経験をさせていただきました。『読書百遍、意おのづから通ず』・・・・・そうですよね、言葉とは振動であり、その振動の響き方を人間が聞き分けて音を区別し、その音の組み合わせが言葉となったんですから・・・・・響き方の認識が意味なのですから・・・・・新しい境地が目の前に開けたような気がしています。(『ヒレフリ山』教室が楽しみです。)これを知るためにこんな目に遭ったんだとしたら、私はどんなにか感謝しても足りません。私の『マンダラ』で『マンダラゲ』です。この眠れない夜は、私にとって人生の貴重な夜となりました。

背中の硬麻のチューブとドレーン1本、それに導尿管が外れました。ですが看護師さんに尿量測定という仕事をもらいました。ちょっと運動量が増えて、大腸にも良いのでは・・・・・と期待しました。意識を取り戻して以来、毎日外科の先生方にも看護師さん達にも毎日「ガスは?お通じは??」と聞かれました。手術前日下剤をかけられ眠れない夜を過ごしました。お腹の中は空っぽになって、手術を受け、点滴から重湯になりお粥になり・・・・・だけど大して食べてはいません。麻酔で腸の運動も抑えられてしまうので、麻酔時間が長いほど癒着の可能性が高まるのだとか・・・・・・腸管そのものを切ってはいないのでだいぶ楽なのですが、それでも手術後の腸管通過障害は大問題なのだそうです。毎日看護師さんから、『歩いて!!!』と発破をかけられました。少し自由になったこの日、ここ数日の不眠騒動でかなりクラクラ状態の私は、明日のCT検査に備えて睡眠剤のようなものを出していただきました。翌朝5時前に目が覚めるまでおかげでぐっすり眠りました。

ドレーンの漏れがあったり液の白濁があったりしましたが、尿量測定も必要なし、血液検査もCTも問題なし・・・・・で1週間目には抜糸・抜管となりました。晴れて全部取れ、完全に自由!!!!!体につながっている管は全部無くなって動きやすくなりました。平戸の自然食品和みの堀江社長がのぞきに来てくれました。こんな不便なところに、40分の暇しか無いのにわざわざ寄ってくれました。でも異常な姿を見せずに済んで、ホッとしました。この日の夕食の献立は、『アユの塩焼き』・・・・・なんという巡り合せか、偶然のお祝い膳となりました。病院の入院食は、かなり悲しいサーカス的(突飛)なお献立で、驚くばかりでした。でもこの日は和食という統一テーマに沿った、心休まるお献立でした。嬉しくて全部いただきました。術後1週間はこうやって(手術というものはわかっていましたが)、『術後』という思いもしない経験をしました。そして患者にとってこちらの方がどれだけ大変なものだろうと、つくづく実感しました。

 


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イキな塩便利帳

2015-03-10 13:05:05 | 自然食品和みさん

これまで時々平戸の『自然食品和み』さんの『イキな塩』をご紹介してきましたが、今日は誰にでも喜ばれる利用法をお知らせしたいと思います。

もちろん何に使っても最高の能力(?)を発揮するのですが、今どきの季節特にご紹介したいものがあります。それは、しらす干しやチリメンジャコに特有な臭み消し、というか嫌な味をとるというか・・・・・ともかく格段においしいしらす干しやチリメンジャコが出来上がります。

 

塩味がかすかにするくらいのイキな塩の塩水を作ります。その中に、釜揚げのシラスであろうが、普通のしらす干しであろうが、チリメンジャコであろうが、ともかく入れてサッとかき回します。すぐにざるに上げて水を切ったら、キッチンペーパーの上に広げて水分を取ります。新しくキッチンぺーパーをバットに敷いてその上にシラスを広げ冷蔵庫に入れ、好みの乾燥具合で出来上がり!!!!!ご飯にかけてもあの嫌な生臭みと味が取れて、本当においしくなります。

 

同じように鯛のお刺身などを作るときも使えます。天然の平戸の鯛でも、脂がのり過ぎ・・・・・というような場合に、同じく塩水の中で洗いペーパーで水分を取って冷蔵庫でちょっと締めると、全く別のものとでも言うべき美味しさになります。ブロッコリーなどのお野菜の塩茹でにも、塩味を薄目にしておいて最後にちょっと粋な塩を加えると美味しさが増します。これは先日も『芽キャベツ』の記事でご紹介した『あく抜き』に連なるものですが、ぜひそれぞれの工夫でお試しいただきたいと思います。『イキな塩』は高価なお塩ですが、そのつもりで大事に下準備に使うのも食卓の幸せに一役買うと思います。

 


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芽キャベツ

2015-03-04 10:58:20 | マクロビオティック

春野菜の季節になりました。美味しい菜の花もたくさん出回っているし、母の思い出の味『結びネギ』・・・・・あの清々しい浅緑色の分葱のぬた・・・・・近ごろは自然栽培やら有機栽培やらと、それなりに無農薬野菜の選択肢も増えているのがとてもうれしく有難く思います。

が、です。そういった栽培品目に芽キャベツを見つけるのはなかなか難しい・・・・・・それでもなお、私は芽キャベツが食べたい・・・・・私は芽キャベツが好きです。それもあっさりと塩茹でにして食べるのが好きです。おやつのような感じです。だけれどどこにでもは売っていません。先日も平戸からの帰途、名古屋駅の高島屋に寄って買って帰りました。そして昨日初めて自宅近くのスーパーで見つけました。もちろん、買って帰りました。

 

こういう春野菜で一番活躍するのが、『自然食品和み(0950-23-2566)』発案の『あく抜き法』です。私は野菜に応じてそれなりの簡略化もしますけれど、お蔭で安心して美味しく食べます。春の定番、『セリの胡麻和え』もこれ無しには考えられません。5年前に出版した私の『マクロビオティックに学ぶ暮らしの知恵』の中でも『ぶくぶく装置』としてご紹介したものと同系列のものです。『ぶくぶく装置』を使った方が強力ではありますが、あく抜き塩を使ったものからお塩だけの簡略なものまで、色々あります。春野菜の季節、気になる方にはお役に立てるのではと思って、記事を書きました。

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馬子にも衣裳

2015-03-02 11:46:45 | manndarage2(膵炎体験記)

目下手術体験記の継続中ですが、手術台の上で『馬子にも衣裳』という事態を実感したと書きました。『どんな者もそれなりの身なりを整えればそれらしく見える』ということだと、これまで一般的に特に注意することもなく解釈してきました。それで何の問題もありませんでした。だけど今回『体』という塊りとして手術台に身を横たえることになり、なんというか、凄まじいまでの現実を思い知ったという気がしています。

手術台の上の意識を失った私は、『手術の対象物』としてのみそこに存在していたと思います。またそれでなければ、外科の手術はできないと思います。それが『手術中』というものだろうと思います。周囲の外科医も麻酔科医も、看護師さん達も・・・・・みんな手術場の秩序の中にいて、つまりお役目があってその立場を表す出で立ちをして・・・・・・私だけがお役目と衣装を持たなかったのです。

 

衣裳は存在の『在り様』だったんです。昔から『衣・食・住』と言いますよね。この順番は、人間社会の『掟』なんだろうと思い知りました。動物であれば『食・食・食』なんだろうと思います。最後の食は『生息地』に変えてもかまいませんが、『衣・食・住』の『住』ではありません。社会とは秩序の別名であり、人間は進化の先に『社会』を生み出し、社会あっての人間だろうと思います。人間は『食』のみがあっても生きることはできないんだろうと思います。

 

私たちの先祖は『分を知る』という言葉で、自分の立ち位置とお役目を知って来たのだと思います。そしてそれなりの品位というか分に適った衣装を身に着けてきた・・・・・・あまり衣装に興味を持たなかった私ですが、自分の『衣』というものに改めて注意を払おうと深く感じています。現代社会は、何を着てもいい自由な社会かもしれませんが、衣服は案外人間というものの深層心理に無意識に働きかけているような気がします。不愉快な話ですが、以前外国の男性が言っていると聞いたことがあります。「日本の若い娘の多くは娼婦に見える」・・・・・社会や服飾業界が風潮や衣装を誘導(宣伝広告)する側面が大きいと思いますから、どうぞ日本の若い娘たちの品位を損ねるようなものは作り出さないでください。

 


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