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マクロビオティックインスピレーション・随想古事記・日本語と歴史・バベルの塔・日々雑感

もうお雑煮!!

2012-12-29 11:47:01 | 季節・週末散歩

我が家ではいつも年末からお雑煮を食べます。結婚したての頃は、『どうして年も明けないのに・・・・・?????』と年末にお雑煮を食べたがる夫が不思議でなりませんでした。それが平戸で開業医の裏方を経験するうちに、妙に納得したものです。そしてそれが忙しかった姑の考案した家族に対する空き腹封じの妙策だったのだろうと思います。

姑は入院患者さんのお正月の支度はもちろん、当直にあたる看護婦さんや賄いさんその他もろもろのお正月の支度で、それは大変でした。業者の方々のあいさつとは別に、田舎のこと年末のあいさつに来られる患者さんもいらっしゃいます。大きなお魚をまるごと持って来てくださる方もいらっしゃいました。姑と私がそんなお魚の始末を終えるのはいつも真夜中でした。それに元旦には居合わせた全員で祝い膳を囲みます。簡単なお雑煮の支度も人数が増えると、お餅の煮具合の管理も大変でした。舅と夫は溶けそうに柔らかいのが好き、誰それは大食い・・・・誰それは・・・・・と色々でした。

そんな多忙を極めた姑が、簡単にお腹を満たせるお雑煮を年末から食べるようにしたのは、たしかに妙案です。それが夫の忘れられない味としてインプットされたのだろうと、その忙しさを体験した身になれば心底から納得できるというものです。そして今年も年末のお雑煮を作りました。平戸から焼あごを取り寄せていつも変らぬ大根と白菜のお醤油味の煮雑煮を作りました。折から届いた自然食品和みさんの荷物、お正月用のかまぼこも添えました。夫にとってお雑煮は年末年始の味のようです。

今年は教室にお休みを頂きがちでした。ちょっと反省しています。ヒレフリ山教室のお休み分は来年分のうちで補講扱いとさせていただきます。次回2月にお目にかかりますが、今朝方面白い夢を見ましたのでそれも題材にしたいと思います。ちょっと考えておいていただきたいので、宿題を発表します。『日本人(少なくとも)はどうして幽霊には足が無いと思ったのか?』発表を伺うのを楽しみにしています。楽しいお正月をお迎えください。




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     私達は横田めぐみさん達を取り戻さなければならない!!!


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平戸ぶんたん便り

2012-12-22 19:31:26 | 平戸
今年は文旦の当たり年だそうです。ブックマークにご紹介している平戸のNPO法人『平戸遊学ネット』の先輩から連絡を頂きました。収穫で大わらわだそうです。文旦オーナーに登録しているので、娘達にちょっとだけおすそ分けすることにしました。これからひと月くらい、文旦収穫体験も受け付けてもらえるし、文旦の注文も受け付けてもらえます。美味しく出来たそうです。

お近くの方はどうぞお出かけください。味見だけご希望の方はどうぞ注文をしてあげてください。最新の平戸便りをお届けしました。




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年末にさしかかりました。

2012-12-21 10:40:56 | Weblog
今年の年賀ハガキは東海版になりました。新年を尾張一宮で迎えようとしています。それにしても九州人の頭は本州の地理的中央にある尾張平野を思うことはあまり無かったなあと、今更のように感じています。また当地に来て私はブログでご紹介してきた川崎真治先生によって啓発された『五色人の謎』を追体験しています。

長崎県も奇妙な地名が多いと言われていますが、ここ尾張平野はもっともっと奇妙(?)です。最初本当にびっくりしました。こんな漢字の並べ方があるのか・・・・・????要するに漢字が漢字の意味をなしていない・・・・・・つまり漢字が表音文字として使われている!!!!!これは凄いことですよ。

考えてみれば名古屋と言う地名も見慣れているから何も感じませんが、これも『名古屋』という漢字の地名があったのではなく『ナゴヤ』という所があっただけなんです。それを適当に漢字を使って表現しただけなんですね!!!!すぐ近くにある『岐阜』、これは信長公が16世紀になって漢字の意味をくんで命名したものですから非常に常識的です。この驚きのきっかけは、『刈安賀』、何と読むと思われますか、『カリヤスカ』・・・・・・九州人なら妙に納得できる音ですが、此処の葦か何かが質の良いもので刈安くておめでたかったのか・・・・・それとも川崎先生が提唱されたように『安』を『馬』の符牒ととるか・・・・・

ともかく一宮近辺は興味深いところです。これからしばらくそういった探究もしてみようと思います。主人の少年時代の思い出は長崎平戸一色ですが、私は父が転勤族だったので違います。私の小学校入学は、ここ東海地方の浜松、当時は鴨江町というところにあった鴨江小学校です。先生はとても優しかった田中松(?)子先生、学校内のことはあまり覚えていませんが、住んでいたすぐ近くで銃撃事件のような物騒な事件が起こった事を覚えています。後で母に聞いたことでしたが、父が家を借りたところは昔遊郭があったりしてあまり環境が良くなかったらしく、両親は同じ浜松で転校しないでもよいところに移転しました。

そこはお向かいが大きな古いお宮で、弟とお宮の境内でよく遊びました。新しい借家は生け垣に囲まれたとても大きな家で幾部屋もあり、『開かずの間』もありました。泉水もあって鯉も泳いでいました。それで引っ越したばかりの年末の大掃除は大変!!『徹底居士』の父のこと、徹底的にお掃除をして集めたごみを裏の畑で燃やしました。その煙はもうもうと立ち上り、誰かの通報によりとうとう消防車が出動する始末・・・・・消火用の水を用意して火の番をしている準備周到な父は、あまり燃やさないようにと注意をされて年の暮の大掃除が終わりました。年賀状の準備をしながら半世紀以上も前の事を懐かしく思い出しました。




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銃社会アメリカ

2012-12-18 11:34:30 | マクロビオティック
アメリカで数日前に起こった銃乱射事件・・・・・子供達が犠牲になりました。オバマ大統領が今度こそは真剣に銃規制に向けて動き出そうとしていると報道されています。

私達日本人はずっとそういった殺傷兵器と無縁に暮らして来ています。考えてみれば太閤秀吉が行った『刀狩り』、日本人は世界に先駆けて16世紀にすでに当時の『銃規制』を時の権力によって実行しました。そして明治政府の『廃刀令』、日本人は『武器を持つ身分』をも社会からなくすことに成功しています。

最近資料を整理していた主人が、以前私達が平戸で開催した久司先生の講演のビデオテープを見つけ出しました。それで昨日夜中まで二人で懐かしく思い出しながら、若い久司先生にお目にかかりお話に耳を傾けました。そして再び久司先生の『どうしたら人間をよくすることが出来るのか』という真剣な誠実な問題提起にふれ、アメリカの事件を考えています。

要するに

  『肉』を食べている間は、戦争を含めて暴力行為を無くす道はない!!           ということなんです。

ということはまた、熱帯から温帯までは何とか人間の暮らせる範囲だけれども、温帯北部から寒帯地方では人間は暮らせない・・・・・?????個人的には気候帯の条件に沿ったせいぜい血縁地縁社会の平和は保てたとしても、これまたせいぜいヒューマニズムまでの精神構造しか期待できない・・・・・?????その証拠に宗教が戦争の原因となって来ました。異教徒に寛容な肉食文明の宗教はありません。

つまり宇宙の秩序とその起源にまで到達できる精神構造の土台はベジタリアンにしか恵まれない!!!そしてあまりにも陽性の灼熱の大地は人間の精神の精華までも蒸発させてしまうので、人間の身体と霊体とを同時に自分と認識することが出来ない!!!!!ならば穏やかな人間性の高い人類へと成長できる地域は温帯域に限られるのでは・・・・・・そうなれば現代の過剰人口をどうすることも出来ないのでは・・・・・?????

マクロビオティックで病気からの解放を目的にしておられる方が多いと感じますが、病気は身体の病気ばかりではありません。それこそ『physicai,menntal and spiritsual』で、メンタルの病気が個人から家族の関係の異常、家族から地域社会、国際社会までの紛争がスピリチュアルな病気と言っても良いと思います。

人類社会の平和運動として大きく社会を変える力をマクロビオティックに見出され活動してこられた久司先生!!今も見果てぬ夢として講演を続けておられますが、それは『夢』なのでしょうか。弟子達が師の志を継ぐのは当然ですが、それも見果てぬ夢なのでしょうか。太閤秀吉が刀狩りをした日本社会はその昔勅令をもって四足の食用を禁じた社会でした。今はやりの循環型社会には肉食人の『肥え』は畑に使うことが出来なかったからです。勿論枠外の人々もいましたが、それが一般的な国民のphysicai,menntal and spiritsualに支えられた社会でした。

私達日本人は再び肉食を捨てることが出来るでしょうか。随想古事記シリーズで世界の奇跡・人類の融和に触れてきましたが、日本社会で出来ないとしたら、それは世界中で永遠にできないと思います。でも今日の国際社会、周りは肉食獣(?ではなく人)に囲まれています。ですがヨーロッパの昔話にも『ライオンのとげを抜いてやった青年』の話がありましたよね。誰がその人なのでしょうか。確実に言えることは、その人は『パルス』を食べていた青年だろうということだけです。そして日本人に投げかけられているのは『言行一致』、つまり本当に『言っていること(平和の希望)』のために『具体的にしていること(何を食べて自分を作るか)』に矛盾がないかということだろうと思います。




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勘九郎坊や

2012-12-07 09:22:33 | マクロビオティック
あまり芸能ニュースは好きでありませんが、歌舞伎役者中村勘三郎さんの訃報は残念に思いました。この役者さんは私達が初めて伝統芸能としての歌舞伎を知る頃、多分中学生から高校生のころ『勘九郎坊や』として鮮烈な役者デビューをしています。それでかなり親近感を持っていました。

テレビで繰り返される『芸一筋とどんちゃん騒ぎが好き』という報道にかなりの違和感を感じます。どうして『どんちゃん騒ぎ』が『芸一筋』と矛盾しないのか・・・・・マクロビオティックの徒としては、とてもとても残念に思います。身体あっての芸なのでは・・・・・???身体が無ければ舞踊という、或いは歌舞伎という演劇は成り立たないのでは??????

数年前に久司先生がお示しになったことを思い出します。紀元前の事件を扱った聖書のお話です。ダビデとその友人ら10人は敵対するソロモン王に捉えられます。ソロモンはダビデを殺すことを惜しんで、自分の最強の戦士10名と闘って勝利をしたら開放してやろうと言います。それに当って武器でも何でも望み通りの条件を許すというのです。それに対するダビデの要望は何だったと思いですか?ダビデの希望は、

   これから試合までの10日間自分達がずっと食べてきた伝統的な食事、パルス(パピルスだったか?)のみを食べさせてほしい

というものでした。ソロモン王は言いました。『そんな粗末な食事ではなく、自分の食事を分けてやろう』。ダビデらはそれを有り難く受けたのではなく、有り難く固辞して『パルス』だけの食事を許してもらいました。多分『パルス』だったと思います。その時常識的に『パピルス(紙)?』と思ったことを思い出しますが、間違っているかもしれません。ですがその『パルス』というものが何だったかというと、食用の種実、つまり雑穀だったのです。

そしてダビデらは心身ともに回復して、ソロモンの戦士に打ち勝ち解放されます。苦難を乗り切るためにはダビデ(つまり人間)の伝統食でなければならなかったのです。これが必要にして十分な条件でした。現代社会を見渡せば、ソロモンの栄華が咲き誇っています。でもそれは社会の表側だけで、裏側は不健康が蔓延しています。不健康産業でみんなが生活をし仕事を得ています。社会の苦しみはそれでも今の段階ではやり過ごすことが出来るかもしれません。でももっともっとスパンの短い私達一人一人の人生では、それは待ったなしの問題です。裕福な勘三郎に象徴されるソロモンの栄華は、人生を短め人生という判断を狂わせ、達成すべきソロモン王国の安泰を約束してはくれません。追求すべき芸道人生を全うさせてはくれません。

私達はもっと厳しく考える時期に差し掛かっているのではないかと思います。個人より大きなスパンの社会も今に崩壊するでしょう。不健康社会だって、健康な人に支えられなければなりません。でも健康な人がいなくなるかもしれません。勘三郎の歌舞伎の新しい可能性を惜しんで記事を書きました。




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