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マクロビオティックインスピレーション・随想古事記・日本語と歴史・バベルの塔・日々雑感

平戸のメバル

2011-05-27 15:37:38 | 平戸
平戸に来ています。明日はお料理教室とヒレフリ山教室です。先ほど今年はメバルにあたらないのかなあ・・・、何しろ昨日までお天気が悪かったみたいだし・・・・と思いながらお店を覗いてみると、

あった!あった!ありました!平戸の金メバル!!

これがメバルの中で一番美味しいと思います。東京で見る赤と黒のメバルではなく、全体が金茶色のメバルです。早速鱗をはいで鰓と腸をとって、おまじないの水(起源水MF-平戸の和み製-)をかけて冷凍しました。このお水をかけると細胞破壊が少なくて解凍した時に美味しいのです。お煮付けが出来るように塩をふらずに冷凍しました。

もう一つ忘れてはならない平戸の味、あらかぶ(かさご)をお味噌汁用に作って冷凍しました。あらかぶのお味噌汁は、産婦のお乳の出をよくすると、平戸地方の産婦人科には欠かせない献立でした。東京に送って平戸の味を夫にふるまおうと思います。息子達も来るかもしれません。


それでは今日も:

     私達は横田めぐみさん達を取り戻さなければならない!!!

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ふと思ったこと(久方の夫のごあいさつ)

2011-05-17 09:14:13 | Weblog
家内が私の最も好物としている ちゃんこ につい記事をだしましたが、ちゃんこなべ屋の店主だった元関取が言っていた『二子山部屋 秘伝の味』も家内が何とか工夫して似たような味を作り出しました。材料のアジの鮮度が 平戸の新鮮さと比較したら雲泥の差と書いていましたが、確かに東京へ来て、味覚が落ちたのか 食べ物がおいしいと感じることが少なくなりました。田舎にいるときは 贅沢な雲丹やフグもほとんど漁師さんから直接手に入ってました。その頃は特に感じていませんでしたが東京に住んでみると大変贅沢なことでした。

味覚が落ちている このことに気づくと 私の中で様々な 原始人的な部分 田舎者の自然さが錆びついたのではないかと不安になります。私は嗅覚、聴覚には今でも自信がありますが、何となく ひょとしたら自分の原始感覚が鈍ってきたのかもしれないと感じてます。原始感覚が鈍ると自分の体調の好不調の判断さえ鈍りますし、患者さんの顔を見た瞬間に感じるものも感じにくくなります。やはり日常の食べ物からくる感覚の鈍りがあるのでしょうか。

田舎には本当に深夜の何ともいえない静かさがあります。どんな小さな音がしても正常異常を感じ分け、無理なく周囲への注意や関心をはらえたものです。楽しみのゴルフに行くときは 早朝まだ明けないうちにおき出した鳥の声を聞くと『ああ今日は晴れる 大丈夫』と安心してもうひと眠りしたものですが、都会は夜も色々な音がして回りのことに注意が散漫になり自然とのバランスに無関心になりがちです。このことがひどくなると関心が内を向いて自分だけになり様々な心療的病を作るのかもしれません。都会では どうしようもない食べ物の鮮度、そんな中にも精神的病の原因があるのではとちゃんこを食べ終わり感じたものでした。今は今後田舎で仲間と生きていくための体力、知力の充電に励んでます。(keitan49)
 
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アジのつみれ鍋

2011-05-15 11:31:21 | Weblog
昨夜の夕食は、夫の言う『ちゃんこ鍋』でした。これはアジのつみれを作って水炊きにし醤油だれで食べる鍋料理です。ポン酢ではなく醤油だれなので、お野菜はキャベツ、ニラ、春菊、エノキダケです。柔らかい春キャベツは格別ですし、お豆腐は木綿が私の好みです。これは夫の好みで、夢にも出てくる(?)くらいのメニューで毎日でもよいと夫は言っています。長女が生まれた頃私達は東京に住んでいたのですが、その当時夫が大好きだったちゃんこ鍋屋さんがありました。このお店は双子山部屋のお相撲さんだった人がやっていたので、初代若乃花も時には顔を出されていたそうです。そのお店の秘伝(?)の味に近づけるべく努力した結果の我が家の味です。何年か前平戸のお料理教室でもやったことがあります。マクロビオティックではほとんど使わないアジですが、マクロビオティックではない家族のためにたまには原則を破ることも必要です。・・・・よね??

夫の三大好物はこのちゃんこ鍋と、鯛茶漬けと、おそうめん・・・・・我が家にはおそうめんをゆでる専用のお鍋があるくらいです。それくらい茹で方に気を使います。銘柄も決まっていますし、筋金入りにゆがかなければなりません。おそうめんをお湯に入れたら秒単位の勝負です。それですからどんな呼びかけにも答えませんし、要求にも応じられません。夫もこの時ばかりは文句を言いません。まあ簡単と言えば簡単な夫の胃の腑ですが、それなりに面倒な手間がかかります。アジはさばかなければならないし、小さく刻んで包丁でたたき、すり鉢ですらねばなりません。機械でやるとかまぼこのすり身みたいになっておいしくないのです。鯛茶漬けも鯛探しから始まって同じく鯛をさばかなければなりません。お魚をさばくには包丁研ぎから始まります。包丁の切れが良くないと刺身を引くことは出来ません。

それでと言ったらなんですが、上京してからめっきりちゃんこ鍋を作らなくなりました。何故かというと1.新鮮な材料が手に入らない。2.お台所が狭い!。東京で平戸のように新鮮な材料を入手するのはほとんど無理というものです。そしてお台所が狭いというのは、料理人の意欲をそぐ大きな原因です。平戸にいる時も子供達のアパートでそれを実感したものですが、今回上京して心からそう思います。東京では平均的な家庭的なお台所だと思いますが、お魚をさばいたり大きなすり鉢を据えたりするのにはやはり狭いと思います。広いお台所は幸福の物差しではないかと思います。東京でお惣菜屋さんが幅を利かすのもよくわかります。

昨日は行きつけのデパートの食品売り場に行ったところ、三枚下ろしにして皮もはいだ丁度手頃な大きさのアジがお刺身用として売ってありました。それで久しぶりに夫の好物を作ろうと決心をして買って来たというわけです。それでも平戸のアジの新鮮さとは雲泥の差、仕方ありません本でもご紹介した例の『ぶくぶく装置』の出番です。平戸のアジに近づけるために出来ることは全部して、中骨を取り腹骨の残りを調べます。薄く刻んだものを包丁でたたきます。ここでもご近所に響かないかと、布をかまし俎板を少し持ち上げてしまいました。それから青ネギとショウガのみじん切りを先ずすり鉢ですります。生臭みを消すためにお味噌を少々加えてすります。そこにアジのたたき身を加えてすります。お塩を加える前に十分すります。お塩を加えてもうひとすり、片栗粉とお酒、卵(好みで全卵、白身のみ、黄身のみ、無し)を加えてすり混ぜ出来上がりです。

たれはお醤油を昆布だしで半々に割ったものに刻みネギと炒り立て摺り立ての白ゴマに好みで八味を加えます。お野菜はキャベツ、ニラがメインで大きめに切ります。きのこ(我が家はエノキ)と好みで春菊などの葉野菜、木綿豆腐を添えます。後はご飯さえあれば何も要りません。沢庵があれば最高です。そういうわけで昨夜の夫のお腹は久しぶりに大満足だったと思います。それにしても平戸の我が家は恵まれているんだなあと思います。日本の都会の住宅のお台所に広い調理台があるようになりますように!!!


それでは今日も:

     私達はまだ横田めぐみさん達を取り戻していない!!!
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エンドウ豆ご飯

2011-05-13 08:45:23 | 季節・週末散歩

莢付きのエンドウ豆をお野菜屋さんで見かけたので、姑が大好きだったエンドウ豆ご飯を炊いてお供えしました。姑には知り合いのお祝い事のたびにお赤飯が届けられていました。お彼岸ともなればご近所のあちこちからおはぎがたくさん届きました。私は甘いものが苦手でしたから、『あんたはいらんね!』といつも言われていました。

意見が一致したのは季節の炊き込みご飯です。筍ご飯、エンドウ豆ご飯、栗ご飯、キノコご飯、ぎんなんご飯・・・・・それと熟柿です。熟柿は何時も分け合って食べていました。新旧嫁の至福の時で、『こんなに柿が好きだから柿本になったのかもしれないね・・・・?』って二人で妙に意見が一致したものです。それで炊き込みご飯と熟柿は先ず姑に供えなければなりません。

エンドウ豆ご飯の思い出は、こどもたちのお弁当です。『美味しいきれいなエンドウ豆でおにぎりを作ってやろう!!』そう思った私は、前日実のよく入ったたっぷりの莢付きエンドウ豆を買ってきました。前夜はご飯の準備だけです。だし昆布も一緒に少なめの水かげんに漬けておきます。そして朝4時頃起き出して身支度を済ませ、エンドウ豆を莢から取り出します。豆は、豌豆もそら豆も、むいておくと皮が硬くなって美味しくありません。使う直前にむくのが、美味しいエンドウ豆ご飯を炊くコツです。むき終わったらさっと洗って水けをきります。そしてご飯の昆布を取り出して(浸ける時間が短かったり量が少なければそのまま炊いてもよい)、上質のお塩で味をつけます。おにぎりにするのでお塩は控えめにします。エンドウ豆をいれて炊き上げます。

炊きあがりました。エンドウ豆はご飯の上に並んでいるのでお豆を壊さないように混ぜ返します。おにぎりにします。この時のコツと言ったらただひとつ!しかありません。それは、“手のひらが火傷するくらい熱いうちにおにぎりにする”ことです。手水をこれまた上質の味の良いお塩で用意して、おしゃもじで一つ分を手に取ります。熱くてとても持てませんから、お手玉よろしく放り上げながらむすびます。最後の方は冷めてきて放り上げなくても大丈夫です。こうするとキラキラしたおにぎりが出来ます。おにぎりの美味しさは、熱さとお塩の味で決まります。真っ赤になった手のひらは私の満足の証でした。

こんなにして出来た私のお弁当でしたが、娘のお友達の評価は、『柿ちゃんのお弁当はかわいそう!』だったそうです。美味しいおにぎりを作ることでお弁当に関して完結していた私の思考ですから、きっとおかずが少なかったのでしょう。唐揚げとたくあんだったかもしれません。竹かごのお弁当箱に最高にきれいなヒスイのようなエンドウ豆ご飯のおにぎりに他に何がいるというのでしょう!!!!?親の満足と子供の満足は違っているのですよね。子供には子供の世界があるし・・・・

でも私はあえて4人の子供達相手に私の考えを曲げませんでした。子供達とのお弁当談義を思い出します。『・・・ちゃんのお弁当にはいつもイチゴとかサクランボが入っている・・・・!』不満そうなかわいらしい顔が並びます。『でもね、イチゴはつぶれてたでしょ?、つぶれるものはお弁当に入れてはいけないの。サクランボは煮て赤い色のついたものだったでしょ?、あれはサクランボの味ではないし、色をつけたものはよくないの。』『ふう・・・・・ん??』それでも不服そうです。私はじっとサクランボの季節を待ちました。そしてデザートだけを持っていく日のお弁当箱に、きれいな美味しいサクランボをたっぷり並べて詰めました。蓋を取った時の子供たちの顔を想像するととても楽しい朝でした。

子供たちとの暮らしで親の好みを押し付けると時々ぎょっとすることもあります。食器もプラスチック製などを使いませんでした。においが気になりますし、取り扱いや質感を自然に知ってもらいたかったからです。それで子供たちから壊されたことはほとんどありません。でも歯の生える頃には、噛みつきたい子もいます。一口グラスなどは小さいからいいだろうと思っていると、カーブが噛みやすいのか、何度か噛み割って口の中でガラスが砕けたこともあります。けがをしたことはありませんでしたが、普通の大きさのコップに変えました。危険は避けなければなりません。

きれいな色のエンドウ豆を見るたびに昔の懐かしい思い出がよみがえります。子供達は子供達で違う思い出なんだろうなと思います。



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5月8日

2011-05-09 14:12:04 | Weblog
昨日は父の命日でした。父のいない日がこの世にあるなどと思いもよらなかった娘の私には最も画期的な悲しい出来事でした。毎年繰り返して迎える5月の8日ですが、昨年出版することが出来た私の初めての本『マクロビオティックに学ぶ暮らしの知恵』を、出来たら父の命日にこの世に送り出せたらいいなと思っていたものですから、何となくあてが外れたというか、がっかりしたような気分を味わったことを思い出しました。

本作りというのはなかなか難しくて、読者の好みと著者の好みというものが合っているのかどうかも分かりませんし、まあ十人十色というか、出版社の都合と著者の都合をすり合わせる作業もそれなりに時間がかかるものだということがよくわかりました。それで結局は8月にやっと皆様のお目に触れたというわけです。そしてまた父の命日を迎えてその事を思い出しました。

あの本を出したのは、勿論マクロビオティックそのものを知っていただくことも目的ではありましたが、それよりもかけがえのない人生と日々の行為・『食べること』とのかかわりを知っていただいて、自分の人生を積極的に考える方法としてのマクロビオティックを知っていただきたいと思ったからです。

無理やり読ませられた同級生から嬉しい感想をもらいました・・・・・・ある日のブログより・『母卒す』と『とんご柿』が一番よかったよ。死を間近にしたお母さんと死について語り合う時間を持てた人は、f(私の旧姓)さん、あなたしか多分いないよ・・・・・。それを聞いて本当に嬉しかったです。mさん、あなたも死について、誰しもが辿り着く人生の完結点について考えていらしたんですね。現代社会の死が訳の分らぬものになっていることを悩んでおられたのですね。大事に過ごしてきた人生の最後が苦しみの果ての昏睡で死を迎えることのむなしさを感じておられたのですね。読んでくださってありがとうございました。

私も母に死というものを知って死んでもらいたかったのです。そしてそれが私のマクロビオティックの一つの活動目標ととらえています。死というものが人生の終わりではなく、人生の新しいステージの始まりであるからです。その事を納得するためにマクロビオティックはあるのだと思っているのです。人間少なくとも30歳になったら自分の死というものについて考え始めるべきです。もし今回日本を襲ったような不幸に私達が巻きこまれてどうしようもなくても、自分の人生を見つめることが出来るようになりたいと思っています。健康に生きてもある日突然死に直面するのではなく、死に向かって展開している人生の意味を、そして死の意味をもっと身近に考える問題にしたいのです。そうしなければ健康に生きるという意味がなくなってしまいます。健康で生きたにしても必ず死ななければならないのですから。

社会において死が明確になれば、医療ももっと対処しやすくなるでしょう。哲学と宗教の役目ももっと明確になるでしょう。それよりもなお自分の人生がもっと自分のものになるはずです。死んでしまった大切な人々への供養ももっと明らかになるでしょう。記憶の中の人々とまだ見ぬ未来の人々と自分の関わりもはっきり自覚出来ると思います。


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雑・マクロビオティック暮らし

2011-05-03 09:05:03 | マクロビオティック
加齢は川下りのような旅路だと思います。各地を巡る旅行では同じような経験を繰り返しすることもあり得ますが、川下りで上流・中流・下流で同じ体験をするということは無いのではと思うからです。それをしみじみ感じています。

それというのは、このところ自分の歯茎に違和感を感じることが度々あるようになりました。もともと歯は強いほうでしたが、それなりに虫歯にもなりました。4人の子供を産んだ後は歯医者さんのお世話にもなりました。ある日幼い子供に大きな飴を噛み割っていたところ、奥歯がもろくも砕けてしまいました。それで砕けてしまった一番奥の大臼歯を抜きました。そしたらその奥の親不知が自然にその大臼歯の後に寄ってきて並んでくれました。歯医者さんは『ストラテジック・・・・(何とか)というんだ!30歳を過ぎたら難しいのに・・・・?』と興奮して喜んでくれたのを覚えています。

その後マクロビオティックを知ってそれなりに試行錯誤の毎日ですが、還暦を過ぎてこのごろ思うことは『どのように年をとっていくか』ということです。マクロビオティックで自然な身体の衰え(?)を完成しなければなりません。久司先生が仰るように『人体がこの大気の世界における胎盤である』とすれば、私達は精神の発達に伴って胎盤の絨毛組織のような母体につながっている部分を溶かし始めなければなりません。そしていずれ赤ん坊が『おぎゃあ』と叫んで胎盤をも捨てるように、私達は『おさらば』と人体を捨てて形の無い元の世界に行かねばなりません。だとすれば捨てやすい身体を作り上げるのが還暦後の人生の目的ではないのかと思うのです。へばりつかない体を持った自由な精神でなければなりません。身体の中にある精神だけ自由になってもうまくいかないでしょう。死に臨んで精神と身体を結ぶ臍帯が両者から共に脱落しやすいように努めなければなりません。マクロビオティックがあることを大変な幸せだと思います。

そんなことを実感させてくれる歯茎ですが、歯磨きには何も付けないかものすごく細かな塩(これもまた平戸の和み製・最極上塩天華)を使うかのどちらかで暮らしてきました。時々デンシーも利用しています。この昔ながらの知恵はやはり歯茎にはよく効きます。そして今日の記事でお知らせしたかった事なのですが、このデンシー、歯ブラシが黒く汚くなってしまいますよね。お使いの方はどうされていますか??私の経験では、使用後よく洗って一晩水につけておくのが一番です。大体きれいになります。(これが暮らしの知恵??)もうすでに皆さんご存知かもしれませんが、このところまたデンシーを使って思い出したので記事にしました。お役にたてない知恵だったかもしれません・・・・。




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