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inspiration-macrobiotique・随想古事記

マクロビオティックインスピレーション・随想古事記・日本語と歴史・バベルの塔・日々雑感

もうしばらく

2006-02-24 09:48:43 | Weblog
ブログ独断講座はお休みします.娘達が帰ってきましたから.私には子供が四人います.最初の出産から始まって育児と思しき期間は、私には二十年ありました.末息子が高校卒業迄ならば二十五年でした.今は夫と猫の三人暮らしですが、それでも時々子供が帰ってくると、忙しくなります.四人もいれば、どの子かが帰ってくるチャンスは増えます.なんとなく現役復帰ですね、張り切ってしまうのかもしれません.と言うわけで今しばらく忙しいというわけです.
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マクロビオティックの陰陽

2006-02-17 10:12:29 | Weblog
夫と一緒にマクロビオティックに取り組んでいらっしゃる皆さんのブログを読ませて頂いてますが、日記あり、報告あり、連絡ありでにぎわっていますね.マクロビオティックがずいぶんと浸透して裾野を広げているのがよく分かります.こうなってくると自分で配慮しないといけない事は、自分が独りよがりになっているのではないかということです.こういうものだと自分にも他人にも強制したり、反対にこういうものでよいのだと適当になったり.なかなか難しいものですね.

久司先生がマクロビオティックに五行論を取り入れられたのは、陰陽を変化の過程として理解しやすくするためだと思います.全ての現象をエネルギーとして理解できれば、或いはエネルギーとして感じることができれば、陰陽の調整の仕方が非常にやさしくなります.五行が出てきたために分かりにくくなっているとしたら、それは久司先生の願いとは全く裏腹なことをしているのです.どうしてそうなってしまったかと言えば、それは自分の整理が出来ていないからなのですから、少し辛抱して胸に抱いて温めてください.先生のお話や文章をじっくり噛み砕いてください.早合点して飲み込まないことです.そして今度は書いてみてください.分からなければ、丸写しでもいいのです.私にもそうした経験があります.これはなかなかいいですよ.上っ面を滑っていかないことが、後で役に立ちます.

 それから、分からなくてもいやにならないこと.分かるということは、その時その時のレベルの問題なのです.その時分かったと思っても、何れまた分からないことがでてきます.それは同じ事のように見えても、また別のレベルの問題のことが多いのです.久司先生もおっしゃっておられるように、人間の理解もスパイラルに展開するのです.そうして成長するのですから、達磨大師のように面壁九年でしたっけ、そこまではないにしても、石の上にも三年だと思います.カタツムリは牛のようにのろくて殻をつけているから、蝸牛と言うのでしょうね.でものろい歩みの見本になった牛は時にはこって牛になります.こって牛って皆さんご存知ですか?頑強のオス牛のことですが、日頃はおとなしくても持っている力は強いのですから、暴れ出したらその速いこと強いこと!人間だって三年もすれば、じっと考えてきたことが、ある日ほとばしり出ようというものです.それはそういう体になったからです.マクロビオティックは実践と比例します.実践すればそれだけのことになるのです.だから食によって聖者にもなれるし野獣にもなれます.どっちになるかは自分次第です.三年やってみましょう.そんなにしないうちに実践していれば、いろんなことが見えてくるものです.今は遠くのお仲間もインターネットでうんと近くなりました.不安ならお医者様をチェックのために利用しましょう.そのほうが余程ましです.
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皆さん、今日は

2006-02-14 17:38:38 | Weblog
なんて暖かい日なのでしょうか.誰かが閉め忘れていったドアも気にならないし、厚手の靴下がうっとうしい!外は静かに雨が降っています.ここのところ暖かいと吹き荒れた風も今日は静かです.もうこのまま暖かくなるでしょうか.春は花冷えといって何時までも寒さが残ったりしますが、それでも春というのは心嬉しくなる季節ですね.これは年令には関係なさそうです.花の季節を楽しみましょう.猫柳も可愛い風情ですよね.今我が家の庭ではふきのとうが伸びすぎています.これも変化の一部ですよね.去年のほうずきにその思いを強くして、可愛くなくなったふきのとうを愛でています.周囲を楽しみながら、自分の内側の季節にも対応したいと思います.
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昨夜は簡単メニュー

2006-02-10 10:27:27 | Weblog
昨夜は夫の食事が不要でした.久しぶり自分だけの美味しい手抜きご飯を作りました.炊き立て玄米ご飯に、キンピラごぼう、それに前日油抜きをしておいた残り物の厚揚げと茹でキャベツの蒸しなおし.我が料理ながら美味しいお食事でした.今のキャベツは本当に甘くて美味しいですねえ.だしで半割にしたお醤油を温めて下ろし生姜を混ぜてかけました.皆さん手抜きでないメニューにも加えてください.キンピラも美味しく出来ました.人参の余り具合の都合で分量の割合が多くなって(何しろ片付けメニューですから)、歯ごたえがどうかなと思いましたけれど、これがまた美味しく出来ました.すっかりお腹が幸せになって、のんびりコタツに座ってローマの休日のビデオを見ました.

ローマの休日のどこが好きかっていうと、一番は宮殿に戻った王女がお付きの人たちに言うせりふです.すっかり威厳ある大人になった人間の言葉と、その後漂う寂しさが好きなのです.そしてあの時代の人間は洋の東西を問わず人間としての美しさを残していますよね.グレゴリーペックの魅力には、今の経済界の男達は適いません.それにしても「商は詐なり」と言った昔の日本人の本質を鋭くつく眼力には恐れ入ってしまいます.商というものは人間に道を失わせる危険を持っているのです.自他共に利する心が商人の心の道であり、自分のみを利する心が詐欺師の心です.私達の社会は、商というものの性質を規制するだけの自制心を失ってしまったのでしょうか.
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七夕について その2

2006-02-05 10:34:30 | Weblog
今ごろ七夕でもありませんが、私のブログの最初の記事は「七夕について」でした.七夕という日本語が、私の“宇宙の真理”追求(?)のきっかけであることを書きました.

ふとインスピレーションがやってきました!あの時の疑問もふとやってきたように、答えもふとやってきました.七夕は、“たなばた”、つまり“手機”だったのです.神代の昔、私達の暮らしは、女は機織、男は農耕でした.男は田臣、“田の臣”だったのです.田臣が民になりました.民が作るものが、宝になりました.つまり、“田から”できるものです.それでお百姓を、“おほみたから”と読みました.おほみは三重に重なった美称です.手機も田臣も同じ語源だったことが伺えます.田臣は“たなおみ”とも読めるのです.手機の機は畑と同音を持っています.七夕という音は男女の手仕事という両面を持っているのかもしれません.

七夕の夜の逢瀬は、その昔、またまた昔のその昔、人間も他の動物と同じように(?)、一斉に子供が生まれたのではないでしょうか.動物は子育て上、寒さを避けて食糧確保に便利な時季にいっせいに生みます.冬眠のように特殊な環境を作り出すものもいます.私達人間の同居ではない時代の結婚も記憶かもしれません.日本で同居が一般的になったのは、鎌倉時代前、つまり武士の世になってから.少なくとも源氏物語では、同居ではありませんよね.紫の上は育て親(光源氏)の元にいたのですから.女の家に男は通ってきたのでした.ですから、男は家をたくさん持っていました(?).というより家は女のものでした.今でも妻を家内といいますよね.男は家の外をうろうろ歩き回っていた?!

群れを作る動物は同居でしょうか?でも家は作りませんね.ゴリラも毎日移動して、家(ではなく、寝床)を作り直しますよね.それでも自分用の寝床を作るだけです.家とはいえないと思います.どう思われますか?人間の別居同居は別として、家を作って始めて、人間の生理を獲得したのではないかと思います.農耕も機織も定住してなければ出来ません.七夕は定住を始めた頃、人間の文化の曙光の頃の記憶かもしれません.火を使い始めて家を作るまで、或いは農耕の始まりまで、どれくらいの時間が流れたのでしょうか.農耕と家は同じ頃かと思います.七夕は、人間の最も古い慣習の一つでしょう.
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季節の移り

2006-02-02 10:22:23 | Weblog
春を迎えようとしています.我が家の周りは、水仙の花盛りですし、梅の木もつぼみが大きくなってきました.玄関内にあった白梅はもう散ってしまいました.それよりも先日から、チョッチョ、チョッチョと鳴いていたうぐいすが、今日はきれいに、ホー、ホケキョって鳴きました.アー、うぐいすが鳴いたなあと思います.これから数ヶ月、うぐいすの声で朝を迎えられます.しみじみ嬉しくなります.幸せってこんなものかもしれませんね.それから花の季節.花の季節の前には、裸の桜の木の黒い枝が、赤く見えてきます.ドウダンつつじの低い枝も赤くなります.つぼみや芽が脹らみ始める時って赤くなるのです.それから花、桜の季節.遠くに桜か、かすみか白くかすむきれいな風景が広がります.平戸はきれいですよ.海の青と桜と空がなんとなくぼやけて見える春の季節です.

次が緑の季節.緑の季節には色々な緑があって、白い緑や、黄色い緑が新緑の季節.次に緑が濃くて圧倒されてしまう夏の季節の来る前に、水を張って黒く見える田んぼに並んで植えられた稲の繊細な緑の季節があります.私はこの田植え直後の田んぼが大好きで、ついつい、玉苗植うう~る夏~は来ぬ、と歌いたくなるのです.自分が農耕民族の末裔であることを感じます.その前後にもう一つ、私が楽しみにしているものがあります.柿の木の若葉です.この若葉の色は一種独特です.その美しさにこころは、弾みます.毎朝それが真っ先に目に飛び込んでくるように、窓のカーテンを開けて寝ます.東山魁夷の絵画もこれには及ぶまいと思います.私の幸せです.

自然は常に巡っています.私達人間もそれに倣って、体の準備をしましょう.文明社会におぼれているのですから、いつも自然の巡りに敏感に自分の調整をしていきましょう.地球の上で、自転公転のスピードに取り残されてのけぞっている自分を想像したら、おかしいですよね?もう春です.体に溜めていたものを噴き出さねばなりません.噴き出しの調整をしましょう.美しく噴き出せるか、これがマクロビオティック同志の問題点でしょう.
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マクロビオティックって何のこと?

2006-02-01 10:36:12 | Weblog
マクロビオティックについていろいろ翻訳が試されていますよね.なかなかぴったりですっきりした訳語がありませんね.皆で試してみませんか? 訳語募集中です.
先ず手始めに私から.何でも、隗より始めよ、ですからね.宇宙的生活法??、巨視的生活法??.初めから珍解答?でしたか.言葉の本質を探ることになるので、マクロビオティックの理解を深める効能があります.ふるってご参加ください.2月の初め、講座のプログラム表を作りながらの感想です.
ついでながら、教室は2月18日、土曜日、13:00~16:00です.マクロビオティック基礎講座というシリーズで、理論講座、実践講座、実習、全10回、夫の飛び入り漢方講座もある予定です.一回毎に申し込みが必要です.詳しくは柿本医院のホームページをご覧下さい.
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