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地震多発に思うこと

2012-01-30 14:37:42 | Weblog
土曜日生家と婚家の生活習慣の違いについて、息子と思い出話をしていて考えたことです。私の父は幼年学校~士官学校と、軍人となると決まった子供時代を過ごしました。ですから私の子供時代の生活習慣もほぼ父のそのころ身に付けた生活方式だったのだと思います。

敗戦後父は公職追放のあおりで、故郷に戻って農業のまねごとをして暮らしました。その間に父は結婚をして私達姉弟が生まれました。その後自衛官となりましたので、父は基本的に何も変えずに我が家の家風を作ったと思います。その証人は父の妹である私の叔母です。父が戻った家には、祖父と父の姉と妹がおりました。後から母が嫁いできます。父は毎朝全員を整列させ(もちろん祖父は父の横です。上官(?)ですから。)当日の仕事の予定と道具を発表し、みんなを作業場に引率しました。一日の終わりもまた整列、明日の予定を発表して解散したそうです。

そんな叔母が結婚した先で体験したことです。朝起きて部屋の掃除をかいがいしくしていたそうです。そして気が付いたら誰もいなかったのだそうです。叔母の婚家はもとは儒学者の家でやはり農業をしていましたが、家族構成は舅、兄夫婦、叔母夫婦で、つまり叔母は二男の嫁でした。びっくりして探しまわったそうです。やっと見つけたそうですが、全員畑で農作業をしていたとか。叔母の述懐によると、『私は点呼で始まるものと思っていた・・・・・』叔母も軍隊式に慣れていたのだそうです。

私が結婚した柿本の父(舅)は海軍軍医で、交代して上陸した潜水艦が撃沈されるという、過酷で非情な運命で生き残った人です。舅は敗戦後大学病院に戻り、その後産婦人科を開業しました。折しもベビーブームで、座る間もない多忙な生活だったと聞いています。きっとその暮らしは臨機応変、食べられる時に食べ、眠れる時に眠る、というようなものだったと思います。

それで結婚した私が感じたことは、『自由』でした。特に家族全員が同じにしなければならないというような決まりがありませんでした。具体的に言うと、生家ではお風呂に入るのも順番通り、お風呂上がりは下着を変えて明日着用する予定の服を着る、就寝時布団のわきで着替えて脱いだ服をたたみ着用順に上から重なっているように枕元に置く・・・・・・・などなど。まあ毎日決まっていますから、楽と言えば楽、余計な事は考えなくて済みます。叔母と同じです。それが一度に臨機応変になったのです。多分誰でも多かれ少なかれ、ある意味カルチャーショックを体験するのだと思います。

でもこの明日着る服を用意して枕元に置き、暗がりでも着ることが出来る・・・・・というのは、いつ非常事態になるかどうかわからない今日この頃、もう一度取り戻したい習慣のように思いました。夜中に起こることもあるでしょうから。




それでは今日も:

     私達は横田めぐみさん達を取り返さなければならない!!!
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ゴマ油と菜種油

2012-01-29 17:55:45 | マクロビオティック
菜種油のニオイが部屋中に残っていささか閉口しています。昨日若者の希望でから揚げを作りました。これまでほとんどごま油のみでやってきましたが、はずみで菜種油を混ぜました。

ニオイって揮発性物質が原因ですから、“陰性”のはずですが、菜種油の陰性さって、かなり粘着性が強いような、ねっとりとした感じです。ゴマ油の芳香とは違いますよね。かなり閉口しています。

私が衣をつけた油料理が好きではないので、我が家ではあまり登場しない揚げ物ですが、子供達が小さい時はよく素揚げというかから揚げを作りました。マクロビオティックも知らなかった頃で長崎でのことですから、きびなごの天ぷら(というよりから揚げ)、貝柱とネギの掻き揚げ、白魚と青さの天ぷら・・・・・・塩味だけのさっぱりとした揚げ物にレモンなどの酢で食べたものです。子供達も揚げたての熱々を食べました。美味しそうな顔の幸せな思い出です。

きびなごの天ぷらは、頭とはらわたを取って、塩水で洗いざるに上げます。片栗粉にくず粉を混ぜるとからりとします。きびなごにまぶしつけあげるだけです。頭とワタを取っているので単純な味で子供達も好きでした。貝柱は真珠の養殖場が近いのでよくもらいました。白魚は春の季節限定です。夫の『踊り食い』の残りですが、白魚はこれが一番のような気がします。




それでは今日も:

     私達は横田めぐみさん達を取り戻さなければならない!!!




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末息子の結婚式

2012-01-24 11:03:24 | Weblog
1月21日土曜日、息子が結婚式を挙げました。子供4人皆、配偶者を得て独立しました。親として務めを一区切り果たしたと思って、今ホッとしています。

ご列席いただいた方々のおかげで思い出深いご披露宴でした。息子夫婦二人で計画し成し遂げた最初の共同事業だったと思います。ご披露宴の後、新郎新婦を抜いて、親族だけの二次会をしました。日頃離れ離れに暮らしている一族の親睦会で、遅くまでにぎやかに話が弾みました。ご披露宴の後も長くほのぼのとした思いの名残が続いて、とても幸せな気分を味わいました。有難うございました。

同じ日、母校猶興館の東京同級会だったんです!!とても楽しみにしている同級会ですが、今年は欠席でした。来年は出席したいと思います。そして翌日は長女の結婚記念日、13年前舅姑も出席した結婚式を思い出しました。




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北方領土のこと2

2012-01-13 09:38:22 | 父の懐
昨年の記事『北方領土のこと』で父から聞いたお話をしましたが、その中でソ連軍の侵攻から同胞を死守した最北端の部隊の事に触れました。その部隊名を忘れてしまったことをその時本当に残念で申し訳なく思っていました。そうしたら父の導きだと内心本当に思っていますが、昨年12月の産経新聞『談話室』の欄に読者の投稿記事が2回も掲載されました。もっと早くここにご報告すべきだったのですが、うまく言葉にすることが出来なかったのです。お許しください。

  その最北端の部隊を死守し、捕虜となり、シベリヤに抑留され、帰国なさった方のお話
  そしてもう一つは、その記事を読んだ私より10歳余り若い男性の読者の思い

繰り返し繰り返し父の言葉の記憶をたどって思い出せなかった『その部隊』は、千島列島の最北端『占守(シュムシュ)島』の部隊でした。殆ど殲滅状態だったと聞いていましたが、生き残ってご苦労をなさった方がいらしたんですね。カムチャッカ半島から北海道に連なる千島列島!この千島も日露戦争や樺太との交換を経て日本領と確定した地域でした。

この北方領土と、そして最南端の沖縄に流された血の犠牲を私達は忘れてはならないと思います。




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お雑煮

2012-01-07 10:56:39 | 季節・週末散歩

末息子が新妻を連れてやって来て言いました。『お雑煮が食べたい!』息子夫婦が言うことには

新妻の言い分:『お雑煮って美味しいような、美味しくないようなもの・・・・・でしょう?』
息子の言い分:『お雑煮は美味しいものだから、食べさせてやって!!』

なあるほど、なあるほど。息子はお餅を五つも食べてお雑煮を堪能し、関東育ちの嫁は目新しいお雑煮の作り方を見学して味見をして帰りました。息子の嫁はとても素直な人なので、屈託なく『おいしい~~』と喜んで、研究(?)してみると言って帰りました。

息子にとって“おふくろの味”というものは特別なもの・・・・・その中でも“お雑煮”は格別な気がします。私が結婚した時も夫は“お醤油仕立ての雑煮”にこだわり、とうとうそれが我が家の味になりました。私の実家も同じ平戸なのですが、お雑煮は“澄まし仕立ての雑煮”でした。お出汁は同じ“焼あごと昆布”です。結婚したては特に食べ慣れたお雑煮を恋しく思いました。そのうち夫の味覚を変えてやろうと思ったのですが、季節限定のお雑煮は変えるのは困難です。あきらめてしまいました。そしてそれが我が家の子供達の“お雑煮”になりました。

ちなみに私の母の実家は、中間と言うべきか、お醤油仕立てでお餅を一旦焼いて煮るというものでした。それも非常においしいと思ったことがあります。とても味わいの濃いお雑煮で、母が嫁入りした時はさぞもの足りなかっただろうと思います。母も私と同じように夫の記憶の味に従ったのだと思います。ただ雑煮はお出汁がお餅で濁りますから何度もおかわりは出来ません。

夫はお雑煮が大好きで、年末から年始にかけて、ずっとお雑煮を食べます。舅は特に溶けたようなお雑煮が好きでした。その血のせいか(?)、夫も柔らかめが好きです。私はあまり柔らかいお雑煮は好きでありません。それで私はよく玄米餅を焼いて夫のお雑煮にお相伴をします。ちょっと母の実家のような味わいです。お雑煮以外は私の味になってしまいましたが、姑から受け継いだお雑煮を食べて喜ぶ息子の顔を見て、それでよかったような気がします。




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新年のご挨拶

2012-01-05 09:14:43 | Weblog
明けましておめでとうございます。どんなお正月をお迎えですか。ご家族お賑やかにお過ごしですか。

私達は夫婦二人の静かなお正月でした。とはいうものの夫は元旦未明の3時から手術に呼び出されるという、まあ産婦人科医としては日常的(???)な年明けでした。それがなければ子供達の家族が来たりする以外は、ご推察通り(?)駅伝三昧で暮らしました。一日は実業団駅伝、二日と三日は大学生の箱根駅伝・・・・・・駅伝は本当に心を揺さぶります。

それにどの選手もみんな控えめで心美しい!!どの選手も世の中にあふれている『感動を与えられるように・・・・』などという横柄で自己中心的なものの言い方はしません。『少しでも元気を出してもらえるように・・・・』みんな身の程をわきまえている・・・・・その姿勢がタスキをつなぎたいという意志として現れています。

          私は駅伝が好きです!!!


駅伝の選手達の新たな練習の一年が始まったように、私も心を尽くして今年が楽しく振り返ることのできる年になるように努力したいと思います。どうぞよろしくお願いします。




それでは今日も:

     私達は横田めぐみさん達を取り戻さなければならない!!!
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