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マクロビオティックインスピレーション・随想古事記・日本語と歴史・バベルの塔・日々雑感

私のマクロビオティック・マンダラゲ

2016-03-26 10:36:08 | 教室情報

 

 今年教室を再開することになりました。私の『マンダラゲ』としてのマクロビオティック教室にしたいと思います。後日また詳しく発表したいと思いますが、5月の第4土曜日に第1回目を開きます。テーマは『私達日本人が長く愛用してきた調理道具・すりばち』としたいと思います。ヒレフリ山教室のテーマは、『生きているうちに知りたいことの意味』とします。『知るべきこと』と言いたいのはやまやまですが、それは人それぞれ・・・・・・私と同じことを知りたい人が満たされればそれでよい・・・・・とします。それが私のマンダラゲの限界だと思うからです。色々と予定をお入れになる必要がおありでしょうから、取り急ぎこれだけご連絡いたします。

 

前記事でちょっとご紹介した私の伯母・・・・・・93歳で少し足が不自由になって外出の頻度は少なくなったそうですが、それでも立派に自立しています。家の中も私とは比べられないほどすっきりきれいに片付いていました。その伯母が言いました。「和子ちゃん(伯母にとって私はいつまでも小学生くらいの女の子です!)、私も食事には気をつけて、バランスよく献立を立てほとんど自分で作り、たんぱく質もお野菜もきちんと食べるようにしているのよ。」

伯母は主婦の鏡みたいな人生を歩んできた人です。家事全般・・・・・お料理もお掃除もお裁縫も・・・・・何でもできるんです。それも特別上等に!!!!!マクロビオティックではない(?)けれど、健康で美しく心穏やかです。伯父は物静かで無口なタイプでしたから、賑やかに交流したという思い出はありません。ですが伯母から聞く伯父との思い出話は、伯父の心優しい立ち居振る舞いを想像させるに余りあります。要するに伯父伯母夫婦は取り立ててマクロビオティックを必要としなかった!!!と思います。それでマクロビオティックに出会わなかった・・・・・のだと思います。今回美しく老いた伯母に会っての感想です。

マクロビオティックが追究している『人間の食』・・・・・それに出会うということは、その人の人生がそれを必要としている・・・・・それが最大の理由だと思います。その必要の理由が、健康上のものか精神上のものか・・・・・そうした違いによって人生が決まってくるし、それよりもその前にその違いを生み出してくるものを持って私達は生まれてきます。私達は一人一人人生の前提条件が異なっているのです。私達はそれぞれの父と母の子であり、その父と母はそのまた父と母の子・・・・・・私達は思っているほど自由ではありません。『自由』と『平等』・・・・・人間の権利と理想と思われていますが、よくよく考えてみれば『あり得ない』ことだとわかってきます。そもそも生まれてくる前提条件が自由でも平等でもありません。私達は小学生の時に育てた朝顔の種と同じです。赤い朝顔の種なら赤い朝顔が咲くし、紫色の朝顔の種なら紫色の朝顔が咲きます。私達は『なんともしがたいもの』を背負って生まれてきます。

 

なんともしがたいもの』・・・・・現在の私達がこれまでの多くの生命の歴史の末端として生きている以上、私達はこの条件を変えることは出来ません。私達はそういった身体と精神をもって、新しい種を次代に残さなければなりません。それが新しく繰り広げられる『マンダラゲ』で、起源を求めながら辺縁に『』していく(作用して変化していく)私達の人生だと思います。

 

 

 

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異説・東海林さん2

2016-03-22 13:12:48 | 日本語・古事記・歴史・日本人

先々週すぐ下の弟夫婦と千葉県松戸に住む伯母を訪ねました。松戸駅で同学年の従兄夫妻の出迎えを受けて、伯母の自宅へ・・・・・伯母は今年93歳ですが、現在も一人暮らしで炊事も掃除も、本人の言によれば、自由にやっているそうです。子供の頃から憧れの気丈な伯母ですが、伯父が亡くなってからは悲しくて毎日泣いていたそうです。このままではいけないと一念発起、編み物を始めてコートなどの大作も編んだとか・・・・・見せてもらいました。スーパーウーマンです。

その伯母の長男、つまり私の従兄の奥様の旧姓が『東海林さん』だと弟から聞きました。それも『とうかいりん』とお読みするんだそうです・・・・・・それで再会を楽しみにしていました。戸籍調べと笑いながら話のタネにしていろいろと伺いました。

従兄を含めたご本人のご意見によると・・・・・『ショウジ』へとの読み替えが起こったのではなく、荘園の役人を荘司と呼びその役職名が『東海林』のフリガナになったのではなかろうかという説もある・・・・・ということでした。山形県には『とうかいりん』さんがおられるそうです。

 

 

そうかもしれません。だとすれば、荘園発生後のことでしょうし、荘園を『ショウエン』と普通に呼び荘(園の)司を『ショウジ』と呼ぶようになってからのことでしょう。それがいつのことか?????・・・・これはもう少し考えなければならないと思います。『東海林』さんはそれ以前におられたことになります。或いは『ショウジ』に前回記事にしたように、『東海林』を当てたのかもしれません。そしてその後『とうかいりん』さんに戻したのか・・・・・ただ『東』はまぎれもなく誇り高き『邪馬』を意味しており、『トウ』という音をそのまま選んだ家門だとだけは断言してよいと思います。そのほかにも色々な参考意見をおもちの方は、どうか教えてくださいませんか。お願いします。

 


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春の香り

2016-03-10 09:35:23 | 季節・週末散歩

近所のスーパーできれいな蕗を見つけた嬉しさについ買ってしまいました。油揚げと煮よう!!!!!・・・・・下拵えをしようと包丁を入れた瞬間、清冽な春の香りが!!!!!一面に広がったと見えて、夫の鼻にまで届きました。母の言葉を思い出しながらお料理をし、母の顔を思い出しながら美味しくいただきました。毎年言っているような気もしますが、蕗と油揚げ、絶妙の取り合わせです。


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追記:売・・・・・メ(ヒメ・イラツメ)

2016-03-05 10:11:51 | 日本語・古事記・歴史・日本人

『ヒメ』の『メ』として抵抗のある『売』の字・・・・・・選ぶには選ぶ理由があったはずです。そもそも『売』とはどんな意味だったのか?????・・・・・・・・・・いかなる理由で『売』という字を『娘』という意味に当てたのか?????・・・・・・・・・・私達現代人にはちょっと訝しい感じを受けるし、特に女の身からすればあんまりいい気はしない・・・・・・・・・・だけど『売』という字を高貴な人の娘に使っている・・・・・・・

 

つらつら考えてみたのですが、やはりこれは『売買』から来ているとしか思えません。しかしその『売買』がそもそも『交換』という意味でそれぞれ『交換されるもの』という単純な意味だったら・・・・・?????家長族長にとって娘は愛おしいものであると同時に、『やるもの』でその交換物は『関係』や部族の『利益』だったのかもしれません。確かに政略結婚として現代も残っている(?)・・・・・それで音では問題の無い『売』という字が大切な『メ』に当てられたのだろうと思っています。

 

古事記などを漢字で書き表した人にとって、その読み方というか発声の仕方(される音)が当然一番大切だっただろうと思います。だけれども、輸入された漢字には意味があったのですから、それを無視しては書き表せなかったと思います。時の朝廷の大事業だったのですから。『どうしてその字を当てたのか?』・・・・・これはその事象を読み取るカギになると思います。そして『バベルの塔』という画期的事件の持つ意味を考え直すことになると思います。

 

 


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比古・郎子・・・比売・郎女(ヒコ・イラツコ・・・ヒメ・イラツメ)

2016-03-03 09:26:37 | 日本語・古事記・歴史・日本人

正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命・・・・・マサカツ・アカツ・カチハヤヒ・アメノオシホミミノミコトと読みます。天照大神の第一皇子です。長いお名前ですが、私が思うにマサカツアカツカチハヤヒの天之忍穂耳命というわけで、カタカナの部分はアマテラスの喜びの感想句です。『天之』が苗字で『忍穂耳』が名前です。この皇子が天下りなさる筈でしたが、そのまた皇子、つまり天津日子日高番能邇々芸能命・・・・・アマツヒコヒコホノニニギノミコトがヒムカの高千穂に天下られまして、わが日本の国づくりが始まったといわれています。この方の苗字は同じく『天之』ですが、それを天津日子と呼びなおして続き柄に置き換えさらにその中でも日高で番(ホ)である邇々芸能というお名前の皇子と言っています。

 
 
私達が初めて『古事記』に触れて、多分誰しもが抱く違和感・・・・・明らかに現代の私達が使っている日本語と漢字の関係と同じ当て方と、全く何処からとってきたのかというような訳の分からぬ漢字の当て方・・・・・・そして古事記の原文にも漢文としての現代の用法と同じものと、これにもまた何処からとって当てたのかというようなものとがあることを知ります。万葉集などを含め、これが漢字採用字の混乱と高校時代に片付けられても、心の奥底にすっきりとしない違和感は消えず抱き続けるしかありませんでした。多分これが私なりの歴史探求のきっかけだろうと思っています。(これについては、以前にも書きましたが、東海・中部地方に住んでみて随分と共感を持つようになりました。)
 
そして勝手に師と仰がせていただいている川崎真治先生の御本に触れ段々ともやが晴れてくるのを感じてきました。その中に苗字というものが部族や家門を表しているから『姓・カバネ』といい、天皇家の苗字は『阿毎・アマイ』だと中国の史書に残っている・・・・・とありました。父から教えられた最高位と最下位の身分に苗字がない日本の国柄・・・・・苗字を持つものはみな朝廷の家来だと・・・・・いつ朝廷は苗字をお捨てになったのだろう?????(多分これの答えが、最初に書いた苗字は同じく『天之』ですが、それを天津日子と呼びなおして続き柄に置き換え、というくだりにあるのだと思います。)さらには歴史界に横行する様々な歴史改竄説や乗っ取り説・・・・・果ては自分が王朝の正統だと主張する輩ども・・・・・(今ではそれらが全部有りでもなお、それが錬金融和国家『大和朝廷』を築き上げられたことに由来するのだと、確固たる自分のアイデンティティに落ち着きました。)
 
 ですが、どうしても、『どういうわけでその字を当てているのか?』というようなことがずっと気になってたまりませんし、日常生活に埋没していてもふと夢に出てきたり・・・・・気が済まないんです。例えば始めに出てきた天津日子日高番能邇々芸能命・・・・・この方のお名前でも、どうして日子日高なのか、コノハナノサクヤヒメとの間に生まれるホヲリノミコト(通称山幸彦)は、天津日高日子ホホデミノミコトといわれるんですよ。日子日高(ヒコヒコ)が日高日子になっているんです。どうして順番が違うのか、どうして繰り返さなければならないのか、どうして『高』の字なのか・・・・・悩みは尽きません。その中には、どうしてもそうしなければならない理由と、単なる体裁上の理由とがあったに違いないのです。
 
 
 
そんな中ふと夢にヒントを得たことがあります。それが今日のタイトルの『比売・郎女』・・・・・『ヒメ・イラツメ』です。(まあ、ヒコ・イラツコでもいいのですが。私達日本語の音の原感覚(カタカムナ・・・・・日本列島には多様な民族がやってきましたが、そこには歴然とした言語体系があって、その許容度の大きさにより取り込まれてしまい現代の日本語として集大成していったのだと思います。)によって考えれば『コ』は繰り返し、『メ』は新しい兆しのような意味で、受け継がれる命の『コ』が男(家系)、『メ』が女(嫁に行って脇芽の家系)を表すようになったと思います。古事記の前半では大方が『比売』で後半は『郎女』が混じってきて多くなります。私が知っている限りでは、開花天皇の孫のお妃として『郎女』が出てきます。ヤマトタケルの大叔父(この頃の血縁関係は不明です)の妃ですか?????そこからは大体みな『郎女』・・・・・ずっと理由はもちろん、全く訳のわからないことでした。ですが前回『平・比良・ヒラ・イラ・・・・』について書いたこともあっての成り行きだったのかと思いますが、『ヒメ』から『イラツメ』になったことも、これは私の仮説ですが、基本的に『ヒ』『イラツ』が全く同じものだったからではないかと思いあたりました。
 
 
 現代人になじみなのは『彦・姫』ですが、古事記時代には『比古・比売』『毘古・毘売』でした。『日子・彦』『日女・姫』になったのには画期的な出来事があったのだと思います。そもそも『子』は孔子や老子などに使われているように敬称でしたし『女』は今で言う娘のことでした。この現代の娘は『郎女』から出てきたのではと思います。『日子』『日女』が出てくるのは『日いづる国』が念頭に出てきて、ヤマトが日本になってからだろうかと考えています。古事記には時間的にも当時の過去と現在が同時に存在していると思います。『比』と『毘』の扱い方にそれほどの差があるとは思えませんが、 或いは『比』は犬族で『毘』は邪馬(鳥)族と蛇族かもしれません。用いられなかった『彦』と『姫』が牛族ならば、姫姓は牛族だといわれる川崎先生の説とも合うような気がします。このような区別は大和民族成立後段々と忘れられ、あるいは意図的に捨てられたのだと思います。漢字以前の民族も漢字になれ漢字に熟達してやってきた民族も加わり、私達の漢字はすっきりと整理されていきました。それで整理されてから見れば、訳の分からない漢字になったのだと思います。その整理の時代、熟達していた民族の必要と感覚に応じて、当て字の取捨選択が行われたのだと思います。
 
 
 
どうして『メ』に『売』が当てられたのか?????・・・・・これはmとbとがものすごく近い音だったのだろうと思います。現代の私達の日本語の中にも『さびしい』と『さみしい』、『望』の音に『ぼう』と『もう』が混在している等々のように、中国では私達の『米国』が『美国』であるように・・・・・民族と移り過ぎてきた時空を超えて、私のテーマである『バベルの塔』事件を象徴しているように思えてなりません。私達は皆アフリカから出発して、様々に展開し、今多くの違いと問題を抱えていますが、いずれまた収束し一つになる点を模索し続けていくのが人類の運命のように思います。そこに錬金国家・大和なる日本の歴史が灯台としてのお役目を与えられているように思います。
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米大統領選挙

2016-03-01 08:59:54 | Weblog

今回のアメリカ大統領選挙をみていると、『選挙』というものの限界ここに極まれり・・・・・という感じですね。久司先生が苦笑しながら仰ったのを思い出します。

           『選挙では、だんだん悪くなる・・・・・・』

そうですよね。選挙は人気投票であるべきではないけれどそうなりがちだし、私達選挙民は自分の目の前のことで頭がいっぱいだし・・・・・だけど政治家は国の行く末を祈りながら現在の義務を果たさなければならないんですから。


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