若い人達の悲しい、そしておぞましい事件にまたまた日本国中が揺らいでいると思います。《いじめ》の言葉に仲間内でのメールのやり取り・・・・・どうしてこんなになってしまったのか・・・・・・今度の選挙でも特に感じました。候補者の口から出る言葉の羅列に、一体その奥に何かがつながっているのか・・・・・特に『強い国より、優しい国』というスローガンには違和感を覚えてしまいました。弱い国が国民に優しくなれるのか?????国際社会の現状を思うと、言葉に酔っているとしか思えませんでした。言葉ってそんなものですか???
東京から愛知県に来て一年になりますが、道を尋ねるたびに当地方に住んでいる人々の親切さに心打たれました。一方で住んでみると報道される事件の多さにも、頻繁に移動するパトカーの騒々しさにも驚きました。愛知県というところは、このところの私のテーマであった『五色人』がもっとも古くから混在したところだと思います。それは今でも続いていて、国際的というか、外国人も多くいます。こんな親切な人々の住む地方は穏やかなはずですが、混在するがための誤解もあるだろうと思います。そしてその誤解を解くカギも言葉以外にないような気がします。
昔は良かったとは言いたくないのですが、日本人独特の良さはだんだんなくなっているのは事実だと思います。社会の風潮にもよるのでしょうし、近代化とはいつも昔気質が失われるのかもしれませんが、家庭と学校という日本人教育機関の崩壊という以外にないような気がします。動物にとって教育機関は家庭というか、親の薫陶以外にありません。そこは『見習う』というたった一つの教育方針に貫かれています。人間にとってもそれが基本に違いありません。その上に人間はよりよい向上心に支えられて社会を作り出し、家庭という教育機関の延長・学校を作ってお互いを支え合ってきました。それを考えると学校教育は個人のためでもありますが、本来の目的は社会のためなのではないかと思います。そしてその肝心要は言葉ではないかと思うのです。
親の語りかける言葉を聞き、自分も真似てみる。言葉が子供の人間形成の全てです。ホツマツタエには、荒廃した国をたて直すために、イザナギ・イザナミ両尊が国民の言葉を正されながら全国を回られる記事があります。最初ホツマツタエにふれた頃はそれほど実感的に感動しませんでしたが、『言葉』というものが認識のすべてだということを実感すると、それ以外に無いのだと心の底から思います。そしてかえりみると、社会に氾濫する『酷い言葉』、『汚い言葉』、『むなしい言葉』、『うつろな言葉』・・・・・敬語を使えとは言わないまでも、丁寧な言葉を使うべきではないのでしょうか。丁寧な言葉で《いじめ》は出来ないと思います。
テレビの番組から、少なくとも子供が見る機会のある番組から、乱暴で汚い言葉を追放するべきでは・・・・・芸人さん達も汚い言葉で笑ってもらうような、そういう風潮を捨ててもらいたいと思います。相手を貶めて人の笑いを誘うようなものの言い方はやめて欲しいと思います。《いじめ》のお手本になっているのではありませんか???相手をめちゃくちゃに言うことはおかしいことなのだと思われても仕方がありません。子供達の脳はそれを真似ていくのですから・・・・・それで脳神経を発達させていくのですから・・・・・言葉は恐ろしいと思います。毎日かしこみかしこみ口を開かなければならないと思います。
それでは今日も:
私達は横田めぐみさん達を取り戻さなければならない!!!
東京から愛知県に来て一年になりますが、道を尋ねるたびに当地方に住んでいる人々の親切さに心打たれました。一方で住んでみると報道される事件の多さにも、頻繁に移動するパトカーの騒々しさにも驚きました。愛知県というところは、このところの私のテーマであった『五色人』がもっとも古くから混在したところだと思います。それは今でも続いていて、国際的というか、外国人も多くいます。こんな親切な人々の住む地方は穏やかなはずですが、混在するがための誤解もあるだろうと思います。そしてその誤解を解くカギも言葉以外にないような気がします。
昔は良かったとは言いたくないのですが、日本人独特の良さはだんだんなくなっているのは事実だと思います。社会の風潮にもよるのでしょうし、近代化とはいつも昔気質が失われるのかもしれませんが、家庭と学校という日本人教育機関の崩壊という以外にないような気がします。動物にとって教育機関は家庭というか、親の薫陶以外にありません。そこは『見習う』というたった一つの教育方針に貫かれています。人間にとってもそれが基本に違いありません。その上に人間はよりよい向上心に支えられて社会を作り出し、家庭という教育機関の延長・学校を作ってお互いを支え合ってきました。それを考えると学校教育は個人のためでもありますが、本来の目的は社会のためなのではないかと思います。そしてその肝心要は言葉ではないかと思うのです。
親の語りかける言葉を聞き、自分も真似てみる。言葉が子供の人間形成の全てです。ホツマツタエには、荒廃した国をたて直すために、イザナギ・イザナミ両尊が国民の言葉を正されながら全国を回られる記事があります。最初ホツマツタエにふれた頃はそれほど実感的に感動しませんでしたが、『言葉』というものが認識のすべてだということを実感すると、それ以外に無いのだと心の底から思います。そしてかえりみると、社会に氾濫する『酷い言葉』、『汚い言葉』、『むなしい言葉』、『うつろな言葉』・・・・・敬語を使えとは言わないまでも、丁寧な言葉を使うべきではないのでしょうか。丁寧な言葉で《いじめ》は出来ないと思います。
テレビの番組から、少なくとも子供が見る機会のある番組から、乱暴で汚い言葉を追放するべきでは・・・・・芸人さん達も汚い言葉で笑ってもらうような、そういう風潮を捨ててもらいたいと思います。相手を貶めて人の笑いを誘うようなものの言い方はやめて欲しいと思います。《いじめ》のお手本になっているのではありませんか???相手をめちゃくちゃに言うことはおかしいことなのだと思われても仕方がありません。子供達の脳はそれを真似ていくのですから・・・・・それで脳神経を発達させていくのですから・・・・・言葉は恐ろしいと思います。毎日かしこみかしこみ口を開かなければならないと思います。
それでは今日も:
私達は横田めぐみさん達を取り戻さなければならない!!!