inspiration-macrobiotique・随想古事記

マクロビオティックインスピレーション・随想古事記・日本語と歴史・バベルの塔・日々雑感

もう一つ独断宣言!

2006-01-27 00:31:36 | 父の懐
最近、マクロビオティックと直接繋がっていないことばかり(?)書いていますが、もうひとつおまけです.

それは皇位継承問題です.なぜ天皇陛下は男でなければならないか?答えは簡単です.それは 神なるものが女(の性)だからです!! 天皇陛下は神殿で毎朝私達の安寧を祈って神と向かい合っておられるのです.向かい合われる神が女だから、天皇陛下は男でなければならないのです.すべてのものは女ー男ー女ー男という風になっているのが、安定した社会秩序になるのです.だから宮中を内裏というのです.内裏におられるのが神なのです.内裏の顔として外の国民の方を向かれたのが天皇陛下です.その時は朝廷になります.朝日のごとくお出ましになられたのです.最初の女である神はカクリミなのです.最初が女だから、次におられる天皇陛下は男でなければなりません.

私達の家庭も同じです.女はおかみさんです.だから女は隠れて実権を握るのです.少なくとも日本人は昔からこの世のからくりを知っていたと思われます.だから天照大神を女神にした神話を作り上げたのです.徳川の世はずいぶんと窮屈になったかもしれませんが、日本は世界でも珍しい女が活躍した国です.その訳は何しろ女は神なのです.夫は妻の意向を無視できません.

マクロビオティックの道を進んでおられる皆さん、どんなに人間の文明が発達しようと、この宇宙が陰陽のエネルギーで出来ている事は不変です.先ず見えない世界があるのです.その中から見える世界が生まれました.見えない世界が生み出す力です.だから女が神なのです.女は見えない命を生み出すことが出来るのですから.陰陽を考えれば、社会の仕組みもわかろうというものです.この次には、マクロビオティックらしい記事を書きましょう.
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父の思い出の歌

2006-01-25 20:47:19 | 父の懐
昨日父の思い出の歌を見つけました.土井晩翠の詩で、星落秋風五丈原という題の歌!有名な「死せる孔明、生ける仲達を走らす」という場面の、まさに孔明の死に直面しようという悲愁な歌です.父は帰宅すると和服に着替え、私達子供を膝に乗せて歌を歌ったり、話を聞かせてくれたものです.以前にも書きましたが、ハンニバルや、ナポレオンの話、平清盛の話、義経の話、楠正成の話、日本海海戦の話、目の輝いた楽しい父の顔を思い出します.子供達の顔も輝いていたに違いありません.孔明の話もまた同じですが、この悲哀に満ちた五丈原の歌は、子供にも深い思い出となりました.私はこういう風にして父から、美しさというものを学びました.

父親が子供に父性の美しさというものを教えられないから、こんな世の中になっているのではないかと思います.世の中がお金本意になってしまって、法律も事件の表面だけしか規制できない.美しさも何もかも何処かへ行ってしまって、法律に触れなければいいという世の中になっているのではないのでしょうか.だから毒とわかっているものも平気で売ることが出来るし、裏を隠して表だけを主張することが出来る.すぐには死なないけれども、徐々に体を蝕んでいって発病する.因果関係を証明できないから、罰せられることもない.世の中が自分の偽善に気がつかない.安部司さん(食品の裏側の著者)は、自分の作ったものを自分の子供が食べているのを見て愕然としたと書かれています.でも世の中はそうしたものなのです.自分が他人に投げつけたものは、遅かれ早かれ自分に戻ってくるものなのです.自分が食べられるものを売るべきなのです.そうしたら、こんなにマクロビオティックを実践することに苦労しなくてもいいのです.

父は特攻隊の生き残りです.明日死ぬはずだったのが生き残って私がいます.特攻隊の皆様の、「天皇陛下万歳!」は、「おかあさーん」と一緒なんだと父は言いました.武によって平和を守る意志が父性の源泉だと思います.字面ばかりを追いまわしても、心はわからなくなるばかりです.今の世の中は父性の精神性を忘れています.母性は今日のご飯でいいのです.今を生かす母と、明日を生かす父がいて、家庭は成り立つのですから.母は今日を明日に繋ぎ、父は明日のために今日を生きる.明日のために耐える父の、やさしさと厳しさの混じった顔が子供に見えなければいけません.男の美しさを見せることが必要です.男の美しさはお金に埋まってはいないのだと思います.真っ先に貧乏をしのばねばなりません.お金ばかり追及する男なんて!! さもしい心,貧乏な心は恥ですが、貧乏は恥ではないと教えられました.

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コニカ・ミノルタ

2006-01-22 11:40:17 | Weblog
今日の産経抄に、コニカ・ミノルタのフィルムカメラ部門からの撤退が紹介されていました.私はもう35年以上前、当時小西六写真工業株式会社という名称だった会社に新入社員ならぬ、新卒嘱託として入社しました.その時は大卒の女子職員はまだ採用されていなかったのです.大卒女子の就職先はずいぶん限られていたと思います.その前に市ヶ谷にあったアジア経済研究所の採用試験を受けました.二次試験では東畑先生などの方々が面接官をなさっていました.よい経験になりましたが、そこでふるい落とされました.

そうしているうちに口を利いてくださる方が在って、小西六の開発研究所というところに勤めさせて頂くことになりました.その研究所はフィルム部門が日野に、カメラ部門が八王子にありました.私はそこの所長付きという部署で、まあ秘書室みたいな感じなのですが、そこが研究所ですから外国との研究関係の連絡など、結構楽しかった思い出が沢山あります.日野から八王子まで、といっても甲州街道をはさんでいるだけなのですが、自転車で往復したものです.所長付きですから、部屋にこられる方は、部長研究員、課長研究員くらいの方が多く、たまには他所の所長さん方、重役さん方もこられました.外国出張のお土産話や、実験の間の時間つぶしや、色々ありました.私が努めている間に、今でこそ強いコニカのマラソンですが、マラソンのオリンピック選手選考会のようなマラソン大会で、研究所のあった日野工場内に勤めておられたコニカ陸上部、加賀美さんという方がトップで35キロ地点まで快走されました.日野工場の総務部におられた三上さんという方が、オリンピックに行くようになったらどうしようと思ったと後で言われたのを思い出します.総務部としては応援団を繰り出さねばと思われたのでしょうね.

開発研究所の方々ばかりでなく、とにかく多くの方に可愛がって頂きました.それで私は今も愛社精神旺盛で、コニカフイルムを探し、何かにつけ当時の、なんていったか忘れましたが、さくらフィルムを!と口に出して注文することという従業員用の宣伝活動をずっと続けて来ました.それを止めるのはなんだか淋しい!!でも私の勤務時代に始まった(?)コピー部門は続くんですよね.小西六はある意味シンクタンク的な研究部門を持っていると思います.小口所長さんはいつも、ノウハウ、ノウハウと言っておられました.小西六が新しい発展をするようにと祈っています.何でこんな肩入れをするのか分かりませんが、一緒にあの時代を過ごさせて頂いた方々に、今でも懐かしい親しい感情を持っています.長柄さん、高橋さんという事務の方々にもお世話をかけました.笠原さん、清宮さん、柴田さん、内田さん、江田さん、平田さん、深瀬さん、楽しかったです!

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私達の味覚の信用度

2006-01-20 22:39:22 | 出版記事
美味しいとはどんなことでしょうか.どのように人間は美味しいと感じるのでしょうか.動物達は美味しいと思っているのでしょうか.植物は肥料をどのように吸い上げているのでしょうか.人間と他の動物全部といってもいいほどの境界をなしているものは食の多様性ですよね.人間は、何でも食べます.少なくとも現在の人間ほど多様な物を食べている者はいないのではないかと思います.蟻は何でも食べるとお思いですか?蟻は蜜や液は集めますが、野菜は持っていきません.蟻は大まかに言って肉食(?)です.でもペット用の缶詰の中には、蟻も寄り付かない物も在るのです.何で出来ているのでしょうか.何が入っているのでしょうか.人間の住宅に付いたら困ってしまうシロアリは木材を食べます.こちらは植物食ですね.でもそのシロアリは、山の木材の循環に大切な役目を果たしています.蟻にもいろいろいますが、その食性ははっきりしています.

人間は食糧調達の方法と何でも食べ物にしてしまうことが出来る料理法を編み出しました.そして人間の動物としての能力をはるかに超えた移動まで可能にして、今では人間は世界中のものを食べるようになりました.挙句の果てには、化学的に作り出した物まで食べています.このスピードと進化のスピードが一致していれば、何事もないのかもしれません.牛乳でさえ自分の体内にその消化酵素を獲得した人種は僅かに北欧人種だけなのです.何万年かかったことでしょうか.私達はそういう身体の構造を今でも持っています.科学は万能(?)でも、人間の身体は自然の掟に規制されているのです.

でもでもなぜ美味しいと思うのでしょうか.なぜお酒を美味しいと思うようになったのでしょうか.世間ではなぜ、甘いもの、脂ののったものが美味しいのでしょうか.バターこってり、卵たっぷり、お砂糖たっぷりがみんなの好みなのでしょうか.なぜチョコレートが、お肉が、マグロの大トロが、海老が、かにが、なぜでしょう.美味しいと思わなければ、今の様にはならなかったでしょう.わざわざマクロビオティックなどと言わなくても、みんな健康だったでしょう.

美味しさの一番最初は体の必要性だったはずです.その証拠に、からからの喉に、お水が何と美味しいことでしょう.私達は、自分の美味しいという感覚の訳を知らなければならないと思います.そうしないと、自分の感覚の信用性に対して根拠をもてません.一人一人自分の答えを見つけてください.そうすると、いろんなことの答えも一緒に発見すると思います.今日の課外授業に答えはありません.皆さん、お考え下さい.これは長い話になると思います.何れ研究会の議題にしようと思います.
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健康とは

2006-01-17 11:10:20 | 出版記事
健康とは一体どういうことでしょうか.高校時代の保健の試験を思い出すではありませんか.そもそも健康だとか、マクロビオティックなるものが人間の意識に登場したこと自体が、もう既に不健康が一般化していた証拠でしょう.有史以前は分かりませんが、今の私達がうかがえる事は、昔ほど不老不死が望みで、お釈迦様の昔には既に病気や悩みがあったということです.我らが記紀の昔は、300歳などと平気で書いてありますよね.

健康を害してマクロビオティックを始めた方もおられるでしょう.みんな一生懸命健康を追求しています.追及しすぎて病気になる人もいるくらいです.まあ文明が発達して病気について何が変わったかといえば、病気をしていても生きられるようになったということかもしれません.だから病気からの回復が病気にかからないという本来の有り方と同じように重要になったのでしょう.それまでは多分生死そのものが問題だったでしょう.ある意味で文明こそが病気の原因だといえます.文明が開けてはじめて病気も開けたのです.文明は自然に対する病気の別名です.健康とは人間を含めた動物の自然だったといえます.健康はこれもまた自然の別名なのです.生物の体とその精神活動の自然を健康と特別に呼んでいるだけなのです.私達は自分の自然の度合いで健康か不健康かが決まります.健康回復とは自然回復なのです.

これがマクロビオティックで自然なものがよい、自然なものがよいと言う理由です.自分を振り返って、生活の中から不自然さをなるべく捨てることが、健康回復や病気治療の第一でしょう.文明と自然の関係をもう一度見つめなおして文明に規制を加えることが、人間の叡智だと思います.人間は自然の一部であって、自然を規制する事は、自分の首をしめることと同じです.だから自然を汚せば人間が苦しむことになるのです.健康とは自然なことなのです.私達人間は自然から生まれ、自然を食べ、自然にまた戻ります.不自然は許されません.それが寿命を決めます.そして文明を如何に自然なものに変えることが出来るかどうかが、久司先生の言われる“ホモ・パシフィック”に人間が進化出来るかどうかの鍵になるのではないかと思います.
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痛みとマクロビオティック

2006-01-14 11:12:34 | 出版記事
年末から久しぶり(?)に歯医者さんに通っています.哀しいかな、マクロビオティック教室の講師ともあるまじき姿ですね(?).でもこれも自分を省みるよすがとありがたく頂いて、歯の治療をしました.今では歯の治療には殆んど麻酔がかけられますよね.我慢しても涙がでてしまったり、筋肉の痙攣のようなぴくりと動いてしまう辛さは昔話になりました.注射針も細く細くなって、芸術ともいえるような気がします.昔、つまり私が小学生くらいの時は、腕にする注射と同じだったのですから、私にとって隔世の感が大きいのです.皆様はいかがですか?注射針の話ではなくて歯痛の話なのですが、治療後に流石に体も怒って(?)痛みますよね.マクロビオティックのスタイルで体を作っている人は痛みも少ないのですが、それも時と場合によります.体の反応というかバランス調整なのですから.それでこういうのは痛みが痛みを呼びますから、歯医者さんでは必ず痛み止めを処方してくれますよね.私は便利な夫がいますから、こういう時取って置きの漢方薬をもらいます.この漢方薬は歯痛の初期などの痛みにもけろりとさせてしまうので、必ず歯医者さんに行きなさいと言わなければならないほどです.

人間って、なかなか頭部の痛みに対処するのは難しいなと思います.体は自由に動くはずですが、目や耳、歯の痛みに自分で対処するのはかなり大変です.誰しも経験があることです.・・・か?.そこでこの漢方薬の登場となります.歯を治療などで不自然にいじった時には、痛みが来ないうち、つまりまだ麻酔が効いているうちに一服飲みます.そして食事を厳しく陽性よりの中庸にして、寝る前にもう一服飲んで寝ました.あくる日はもう歯は痛くないのですが、今度は麻酔薬によるちょっとした頭痛です.こんな時は、梅しょう番茶が一番です.甘いもの食べ過ぎの頭痛と同じです.

痛みって何でしょうか.これも昔話ですが、不注意に包丁で人差し指の先を爪に2,3ミリかかるくらい削ぎ落とした事があります.すぐに血止めをして手当をしたのですが、夜になってズキンズキンと眠られなくなりました.一人で我慢するのも辛いものですが、このとき痛みの正体を知りました.痛みはシグナルです.救急部隊出動の合図なのです.ですからこのとき何をすべきかというと、シグナルは「ここだー!」と叫んでいるのですから「そこねー!」って応えればよいのです.おかげで眠る事が出来ました.このときの傷はかなり重症だったのですが、とても良い経験だったと思います.だから動物が怪我をした時は泣く事もなくひたすらじっとしているのですね.人間は痛みの辛さに心を奪われがちですが、痛みが体の大切な伝令だということを知ると余程のことでない限り早く痛みから解放されるように思います.

もう一つマクロビオティックを知っていたか知らなかったか忘れましたが、その頃の痛みの話があります.非常に疲れていたのだと思います.尾篭なお話で申し訳ありませんが、夜中に痔の痛みで目がさめたことがあります.地割れのように筋肉が割れたかのような痛みでした.温めれば何とかなるかもしれないと、そーッとトイレに立ちました.辿り着くなり痛みで卒倒してしまいました.それから先は覚えていないのですが、大きな音がしたのでしょう.寝かされて点滴を受けていました.人間も能力限界の痛みは気絶するものらしいとこれも貴重な経験です.あの(以前ブログに登場してもらった)狸の気絶を目の当たりにした時、それを思い出したものです.

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教室再々開

2006-01-11 14:43:07 | Weblog
やっと日程が決まりました.2月18日、土曜日、13:00~です.場所等は前回に同じです.プログラムの詳細は未定ですが、これからは少し細かくしていこうと思います.出来たら発表します.現在お蔭様でまた翻訳進行中です.なんとなく夫の手伝い兼主婦業の片手間仕事が多くなって落ち着きません.でもこういう地味な仕事も皆久司先生の夢のお手伝いになると思えば、ありがたいはずです.そう思って先ず日時を決めました.今後は原則として第3土曜日にします.

ところでここの所気になって仕方がないことを一つ.最近日本もずいぶんひどい世の中になりました.幼い子が悲惨な犠牲者になり、可愛いい子供が残酷な加害者になり、或いは未来そのものである子供が自分の未来を消し去ってしまう事件が多発しています.居たたまれない事件が報道されることが日常になってしまいました.ご両親の悲しみと心痛はいかばかりかと思います.画面で見る私ですら言葉に表わせない思いですから、周囲の方々の思いも又いかばかりかと思います.でもテレビ画面で当のご両親の前に、幸運にも災いをまぬかれた子供を連れて葬儀に参列しているのを見ます.或いは学校などから引率しているような映像を見ます.これはなんと残酷なことかと思ってしまいます.参列している側は、止むに止まれぬ思いでのことに違いありません.でもご両親の胸の内のお気の毒さを思わなければならないのではと思うのは私だけでしょうか.自分本位のお悔やみに行きたいという感情を済ませるのではなく、一番の辛い人の気持ちを少しでも静かにすることが大切だと思います.

万葉の昔、防人に行くは誰が背と問う人の見るがともしさ物思いもせず と歌った人妻がいます.お気の毒ねという人には、言われる人の真の心はわからないものなのです.私達はもう一歩踏み込んだ思いやりの仕方をする社会を作らねばいけないのではないでしょうか.自分の思いを知らせることが、もしかすると残酷なことではないかという反省も必要ではないかと思うこのごろです.
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パンからご飯へ

2006-01-06 09:06:56 | Weblog
夫からマクロ美風さんの記事を見せてもらいました.熱心に記事にまとめて頂いています.こういう内容はみんなの目に触れるほど力が強くなるように思います.
なるだけ沢山の方にお読みいただきたいと思います.その記事にあったキッチンカーですが、それに乗って使命感に燃えて活動をしてしまったという管理栄養士、刀坂成子さんのお話が大阪、正食協会の機関紙、むすびの昨年12月号に掲載されています.是非お読みいただきたい記事の一つです. 

せめて学校給食だけでも何とかならないでしょうか.以前から全国を回って活動をしておられる幕内先生の学校給食を考える会の運動を、全国の教育委員会、父母の会、何でもいいのですが目に留め考えていただきたいものです.パンがご飯になるだけでもいいのです.玄米と贅沢は言いません.白米ご飯で結構です.そうすれば自然に、ご飯に合ったおかずになるでしょう.お砂糖の入ったお菓子のようなデザートも減るでしょう.牛乳もお汁に変わるでしょう.それだけでもどんなにか、子供の心身の成長を健全なものに戻してくれるはずです.各家庭でそれぞれ、パンとご飯、牛乳とお汁の選択だけでも出来るようになったらと思います.一日も早くそうなるよう祈っています.孫が二人になりました.ますますそう思います.

以前とても強烈な印象を受けた本を読みました.ずいぶんと誤植があって、脈絡をきちんと掴んで読まないと大変だなと思いましたが、太田龍さんといわれる方の、天寿学(泰流社)という本です.どういう方か分かりません.4冊あって私はずいぶんとためになりました.天寿学、中江藤樹、水野南北、日本神道と続いています.学校給食についても唸りたくなるような記事がありました.興味のある方はお読みください.
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おいしい玄米ご飯

2006-01-05 11:26:20 | Weblog
皆さんの玄米ご飯は美味しくないですか?玄米ご飯の炊き方は今では何処ででも見つけることが出来るけれど、美味しい玄米ご飯にありついている方は少ないのでは?との趣旨(?)の意見を頂きました.みなさん、そうですか?!

私は美味しくない玄米ご飯を食べたことがありません.と思っていましたが、一回だけあります.東京のあるお店でお昼ご飯か何かで頂いた時、5年以上前になりましょうか、自然食が東京の人気ダイエットになり始めた頃です。まあ食べられなくはない味でした.一度お水の分量を間違って、2合のお米に600ccのお水で炊き始めたことがあります.なんかお水の量が多いなと思いながら.圧力がかかって蒸気が出始めたころ思い出しました.あ!今日は2合だった!あわてて火を止め圧を抜き、お水を減らして炊き直しました.それでも炊き上がった玄米ご飯は美味しかった!そして何よりもっともっと感動したのは、その時汲み出したお水(お湯)の美味しかったこと!!この世の甘露でした.

玄米ご飯を美味しく炊く方法.といっても私がやっている手順を書くしかありませんが.
1.玄米を選ぶ.なるだけ自然の農法で取れて天日で干されたもの
        貯蔵方法が自然で、無理がないもの.
        自分の好みに合うもの.

2.お水を選ぶ.お料理に使うお水が味の半分を決めます.お水は人間の体の大部分を占めます.体内でもお水が代謝の鍵です.お水の質も身体の質を左右します.大切に選びましょう.

3.お米を洗う.今は冬ですから、私はそっと優しく、いわゆる拝み洗いをします.冬場でお米の生命活動もゆっくりしているので、多少物理的な傷をつけようとの考えです.夏場は回してゴミを流すだけにしています.浸水速度を考えてのことです.この時優しいお礼の気持ちを込める.これは非常に大切なことです.

4.浸水時間は、原則6時間.冬に特に時間が3時間しかないなどという時は、拝み洗いをお薦めします.固めが好き、柔らか目が好きという好みに合わせて、多少の調整が出来ますが、浸水時間はきちんととった方がよいと思います.

5.お塩は火にかける寸前に加える.電気釜でタイマーをかける時などは浸水開始から加えざるを得ませんが、お塩は他のお料理と同様調理の時点で加えるのがよいと思います.このとき大事なのはお塩の質です.自然海塩を用います.高くてもよいお塩を少し使ってください.そもそもお塩は、シホといって、バランスの取れたもののことです.満ちたり引いたりするのも潮(シホ)、宇宙の原則のとおり、動きの中のバランスです.潮時というものがあります.工夫してやってみてください.

6.圧力釜.今は夫婦二人になりました.鍋の内側にガラスが張ってあるシコマチックという圧力鍋で炊いています.以前大家族の時使っていた大きなお鍋は今では教室用になりました.目安は内側がステンレス製などアルミではないもので、なるべく分厚いもの.

7.火加減.最初は中火以上にしないと圧がかかるのに時間がかかります.私は浸水を充分にしているのでシコマチックでは10分くらいで圧がかかるようにしています.これはお鍋とガスの質にもよります.私のところはプロパンガスです.ステンレスの圧力鍋では20分から30分かかります.それから火を弱めて20分~25分.お米の量やその時の好みで決めます.つまり豆を混ぜたとか、季節とか.ステンレスのお鍋の時は、火からおろす寸前にちょっと火力を上げてから火を止め、ガス台からおろして圧が抜けるまで自然放置します.

8.天地返し. 私は圧が抜けたら、すぐにお櫃に移します.それも、天地返しも、とにかく蒸気を放っておくとご飯を美味しくなくするからです.お鍋に入れておくのだったら、天地返しした後も、布巾をかませるなど何らかの工夫をすべきです.ボールとザルに経木などを利用して促成お櫃だって出来ると思います.これが最後の味の決め手かもしれません.

長くなってしまいました.今回はこれで終わりにしますが、お米をつけたお水はどうして替えないのかなどと問題はつきません.皆さんもお考え下さい.私も解決のついてない疑問が沢山あります.試行錯誤が真実かもしれません.美味しいご飯のために努力しましょう.

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マクロビオティックへの第一ステップ

2006-01-03 10:58:08 | Weblog
新年を迎えて新たにマクロビオティックの食事法を実行してみようと決心をしてくださる方へ!

 1.やれる所から始めようと思う方.
    おかずの全体量を減らす。おかずの中で野菜の分量を増やす.
    調味料を上質のものに変える.(自然海塩、天然醸造の味噌、醤油、酢、甘味料)
    ご飯を分づき米にするか、雑穀を混ぜる.
    お水の質について考える.

   1.の目標. 食事の全体量の中で、ご飯を半分以上にする.
      乳製品と動物性食品を極力減らす.
      お砂糖の質を変えて、減らす.

   まあ取りあえずこれ位からやってみましょう.これだと家族の中で自分ひとりでも何とかやってゆけます.自分がやろうと思ったからといって、家族全員に強制してはいけません.次のステップに進むまでに皆で話してみるのがよいでしょう.自分の変わり様が最も説得力があると思います.


 2.玄米を食べようと決心をした方.
   玄米を美味しく炊く. よい玄米を選ぶ.
              原則6時間くらい浸水させる.
              お塩は炊く寸前に、炊き上がり塩味を感じない位入れる.
              心の持ち様が味を左右することを知る.
              炊き上がったら、お櫃に移すなど水蒸気の始末を考える.

  2.の目標.  よく噛む.何回くらい噛めるか?50回?100回?
     油の量を極力減らす.
     自分の生活スタイルを見直す(エネルギーの流れを妨げないように).
     物事の受け止め方を考える(物事の全てがエネルギーの発現である事を知る).
     身土不二と一物全体の原則を取り入れる.
          
                           
玄米を食べようと決心がつかれた方、おめでとうございます.これでいろいろな新しいマクロビオティックの宇宙観光旅行の切符を手に入れられたと思います.マクロビオティックは玄米を食べなければ真の意味で始まりません.玄米によって味の嗜好が変わり選択が変わっていきます.単に80歳以上の長寿だけなら、1.の段階で充分達成できるかもしれません.ですがこの世の真実を知りたければ、どうしても玄米菜食に達しないといけません.それが精進料理の意味なのですから.だからどうしても美味しく炊かねばなりません.玄米が毎日の食事の基本になるように美味しく炊きましょう.美味しくない玄米を食べておられる方!、それが玄米の味だと決めないで、誰か他所の方のご飯を食べさせて貰うのも一考です。マクロビオティックは苦しい修行ではありません.楽しい精進です。皆様のマクロビオティックの船出が順調に行くように祈っています.

    
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お正月

2006-01-01 00:10:05 | 日本語・古事記・歴史・日本人
あけましておめでとうございます.新年を迎えて心新たに,久司先生ではありませんが夢を実現すべく進んでいきたいと思います.

ところで一月一日は何の日か皆様ご存知ですか.暦は一月一日に世界中が一斉に新年を迎えるので,そんなもんだとお考えでしょうが,明治になって暦を世界に合わせるため日本でも改正が行われましたよね.それでも耳慣れたお正月はお正月ですから現在の私達は今のお正月に心あらたまるわけです.で外国もお正月に私達のように心入れがあるかというと,西洋ではクリスマスのほうがみんなの心を引き付けているのです。外国の一月一日は何を基準に決めたのでしょうか.

私達の日本では、何の日でしょうか.それは天照大神のお生まれになった日なのです.これはホツマツタエという古文書によるものです。その信憑性がとやかく言われてはいますが,この天照大神(ホツマツタエでは天照君)のお誕生日をもって年を改めたというのはなかなか日本の暦としては真実味があります.そしてその日に日本人がみな一つ年をとると考えたのも,楽しいではありませんか.イザナギ・イザナミ両尊が乱れた日本の整理をなさって新しい国をアマテラスをキミとして始められるのですが,そのアマテラスのお生まれになった日が国の始めで年の始めの日に最もふさわしいと,現代に生きている私でさえも思います.アマテラスはイザナギ・イザナミ両尊が太陽のエネルギーを体内に受けれてお生まれになるのです。“えな”に包まれてお生まれになったといわれています.そのえなを割くのに樫の木を使われたので,その樫の木は一位の位を与えられて「いちいの木」になったのだと聞いています.

このえなに包まれてお生まれになったというのもとても興味のあることで,また別の機会に意見発表をしたいと思います。まあ皆様ご自由にお考え頂いて結構ですが,太陽系の始まりが地球の始まりでもあるわけで,私達はよい神話を持っているとは思われませんか.天の岩戸隠れでも分かるように,天照る君に天照らして頂かなければ,私達の世界は闇になるのです。私達の心の中にも,天照る君に住んで頂きましょう.その年神様をお迎えする日が新年の一日なのです.その朝に登る太陽はその年神様なのです。だから私達日本人は初日の出を殊のほかありがたく思うのです。私達は延々と昔の記憶を持って生まれてきています.だから“何におわすか知らねども,そのありがたさに”胸を締め付けられるのです。素直に新年を喜びましょう.私達の命のよみがえりなのですから.

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