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マクロビオティックインスピレーション・随想古事記・日本語と歴史・バベルの塔・日々雑感

『バベルの塔』道標・縦書きと横書き

2013-03-30 10:45:32 | 日本語・古事記・歴史・日本人
私達人類は圧倒的に長い文字を持たない時代を生き、文字を持った有史時代はわずか1万年・・・・・その文字によって歴史を共有し自分達の過去を認識することが出来ています。この世は、この世そのものの次に文字の恩恵によって成り立っていると言っても過言ではないと思います。文字によって時空を超えて、つまり出会わないはずの人々とも出会うことになりました。知らないはずの事柄をも認識することが出来るようになりました。私達はイエス様とも出会うことが出来るし、孔子様とも出会うことが出来ます。

その文字を最初につかった人々の必要も、現代の私達と同じように時空を超えて(具体的な程度の差はあれ)認識を共有することだったと思います。それが文字が考案された理由だと思います。その文字の配列、つまり言葉と文章を眺めてみると、その方法は今のところ縦書き(漢字文化圏)と横書き(アルファベット文化圏)の2種類しかありません。そして横書き社会には左右の起点の違いがあります。右から書き始める中近東の社会と左から書き始めるヨーロッパ系の社会です。私達現代日本人は文章を日常的に縦書きにも横書きにもしますが、基本的には東洋の縦書き社会に生きてきました。そして(あるいはそれで)明治になって横書きを併用採用した時、横書きでも右を起点としました。

ところで人類は最初から縦書き・横書きをしたわけではないようです。あちこちで発見されている超古代の文字遺跡は、それこそ『文字か?絵か?』という類で、その解読は専門家でないと難しい・・・・・?認識を共有するのではなかったのか?????と疑問に思えてくるくらいです。でも同時代に生きた人々には十分共有できたはずです。その証拠に私達日本には美しいお手本があります。和歌を詠み記した色紙に配置された文字列は左右上下に散らされ飛んでいます。それを美意識(?)によって十分共有できたわけですから。

川崎真治先生の示される線刻は私には到底判読不可能です。ですが現代社会に生きている私と違って、その石は線刻をした人々の表すべき世界であり伝達すべき領域だったのでしょうから、同じ世界に住んでいる人々にとってそれで充分だったのだろうと思います。あちこちに散らされた線刻をつなぐ意味を当然知っていたのだと思います。


私達宇宙の陰性過程に生きている人間は社会も広がり時空も広がりすべても広がって大きな石一つでは間に合わなくなっています。現代日本社会の一面である歌謡曲の歌詞もひどく散文的になっています。陽性の極致とも言える俳句の社会とはかけ離れています。私達は何もかも説明しなくてはいけない社会を生きています。僅か数百年前の大岡越前の頭の中の道理では役に立たなくなり(?)、六法全書に『いけない』と規定されていないかどうかが問題の社会にあって、長文に悩まされています。つまり書き記された文字列の長さと量に大きな違いを感じています。

それで思うのですが、あの石の線刻とロゼッタストーンとの間、それも線刻の方に近いところにあるはずの『バベルの塔』前後の文字列は、どんなものだったのでしょうか。私はそこに『渦』を思ってしまいます。楢崎先生によって現代に命をつないだ『カタカムナ』の文字の配列、『右回りの渦』を思ってしまいます。その配列も最初は僅かの音(音符)の渦、後になるにつれ長くなり、言葉(図象符)の渦・・・・・・となっています。必要量の変化だったのではと思うのです。渦こそが古代社会で発生の道筋を示す図象なのですから、そこには順番も示されている・・・・・必要量が多くなるにつれ規則性が求められたのだと思います。

線刻の散らばりから渦へ・・・・・・これが縦書き横書きへの過渡期の文字列だと私は思います。私がワタツ人と名付けた人々がこの『カタカムナ』文字の発明者であり使用者ですから、これが『バベルの塔』以前だったのか以後だったのか・・・・・もしも以前であったのなら、少なくともインド洋沿岸を南越海岸を沿ってどこかにその痕跡が出てくるのではと期待しています。ただあまりにも時間がたち過ぎて『ワタツ人』以前の蛇族の人々の遺跡があるかどうか・・・・・・もしも以後であったら、『バベルの塔』事件は文字列の規則性の問題の象徴ではないかと思います。何処を先に積むのか、指示書が判読不能になったのではないかと思います。




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東歌

2013-03-26 12:07:01 | 日本語・古事記・歴史・日本人
今年64歳になりました。この年になって64歳で亡くなった私の祖母を思い出します。その祖母の命日が今月29日です。祖母は生まれて間もない私に会いたがり、産後の母に早く戻って来て欲しいと頼んだそうです。それで母は予定を早めて戻ったらしいのです。そして私を見て腕に抱き、その2週間後に他界しました。

私はこの事を覚えているわけではないのですが、父母から何度となく聞かされたのだと思います。祖母に親近感を持って育ちました。祖母の残した本を読み、祖母の心の軌跡をたどったのだと思います。そしてそれが父祖から祖母へ、父へと受け継がれてきたものだと思います。

その祖母の年になったなあとしみじみ思うのです。23400余の日々の繰り返しを思います。そして連想してしまうのが今日の記事の題でもある東歌の中の言葉『クリタタネ

その東歌は

     君が行く 道の長手を くりたたね 
                    焼ほろぼさむ 天の火もがも


という私の感慨とは全く関係もない歌なのですが、『クリタタネ』という音につられて思い出してしまうのです。この東歌は

中学校か高校か忘れましたが、もう一つの有名な東歌、

     信濃路は 今ははりみち 刈ばねに 
                    足ふましなむ 沓はけ我が背


と一緒に教わり、心に焼き付けられた歌です。

『クリタタネ』のどこがそんな連想を生むのかというと、『タタ』という音です。『タタナヅク』と同じ音です。繰り返し繰り返しの重なる景色を見るからです。この東歌の作者の心の中に作り上げた情景が空間的なので、私の記憶という『クリタタネ』られた時間空間を反対に引き延ばして見るような・・・・・・そんな共感を感じてしまいます。


問題は昨日からの引き続き、『東』です。これらの歌は『東(あづま)歌』という東国地方の名もない庶民の歌だと教えられてきました。ここ数年前までは特に何も思いませんでした。我が国の昔の庶民は何という芸術的なのか・・・・・・と感心するだけでした。でも今はそうは思いません。この『東歌』と名付けられた歌は、歌を詠んだこともないいわゆる『庶民』の歌ではないと思います。

『随想古事記』(カテゴリーに分類しています)のシリーズを読んで下さった方にはお分かりでしょうが、結論だけを言うとこれは『ツカル』歌、或いは『ツガル』歌なのです。鳥族の、或いは鳥族の住む(住んでいた)地の歌人の歌なのです。この東歌は独特の歌人としての風格を感じさせます。オトタチバナ姫をしのんで『吾妻、はや』と悲しまれた日本武尊が東の国と名付けられたと聞かされてきました。ですがそれよりもツカルの『東』を『吾妻』と呼び変えられたか、或いは後世の人々がヤマトタケルをしのんでなぞらえたのだと思います。そして『東北』は『ツガル』の北、『道の奥』だったのです。地名方角そのものが部族名と符牒して定着してきた私達の言語学的歴史の証だと思います。




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横綱白鵬

2013-03-25 12:34:00 | Weblog
このところ遠ざかっていたのですが、久しぶりにテレビでお相撲を見ました。ここ数年の相撲協会のテイタラク以来、何となく気が進まなかったからです。そこで久しぶりに見つけた横綱白鵬の品格のある姿・・・・・

特に足の姿が目立ち印象的でした。他の力士のドタバタした足の運びと違い、白鵬の足は、言わば『ゾウの鼻』という連想をさせるものでした。つま先がゾウの鼻先そっくりです。そしてぴた~!っと土俵に吸いつく・・・・・土俵と白鵬の引力を感じさせました。白鵬はゾウの鼻を二本持った横綱です。

相撲好きの主人と話したら、大鵬をまねることによってその域に達したんだとか・・・・前人未到の全勝優勝9回の偉業を達成し今も前進している白鵬の今後の境涯が楽しみです。

日馬富士との千秋楽の対戦・・・・・白鵬が時間ぎりぎりで足の運びが乱れ(?)ました。一瞬心に自分に対して恐れを抱いたのか・・・・・それでも熱戦の末勝利を収めました。見事だったと思います。そして自分に対する宿題も見つけたのではないかと楽しみです。

それから余談ですが、『日馬富士』のしこ名、日馬(ハルマ)。『日』がどうして『ハル』と読めるのか・・・・・これも『随想古事記』でご紹介した『日』が『東』であることを現代日本人も納得している暗黙の了解事項であることを示しているのでは・・・・・と思います。そしてモンゴル族の『馬』・・・・・よく出来ていますよね。しこ名は誰が付けるのでしょうか。最近のしこ名にちょっと違和感を感じていましたが、白鵬も日馬富士もよい名だと思います。


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スチームクリーナー

2013-03-23 18:29:40 | Weblog
使ってみました!!!ハンディタイプのスチームクリーナー。そしてちょっと落胆しました。

実は汚れがそのスチームで溶かされ流されるかと思っていたんです。宣伝を見て勝手にイメージを作り上げる・・・・・というのが私達なのでしょうか。カビの生えやすいところはにおいも発生しやすい・・・・・平戸暮らしでは考えられない窓もないお風呂場ですが、いつもスッキリとさせたいものですよね。

まあ今ではそれなりにうまく使う方法を見つけて、心の区切り(・・・?・・・?)を付けました。従来のお掃除をレベルアップさせしばしの殺菌(?)につかってます。まあそれで心なしかピカピカになったのですが、何となく失敗だったのか・・・・・という思いの残る考えさせられるお買い物でした。




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野菜の湯洗い

2013-03-23 11:54:07 | マクロビオティック
平戸の『自然食品和み』さんの社長、堀江さんが電話で言いました。『お湯でお野菜を洗うって知ってる?』もう半年前になるかと思います。その時は真剣に応答しませんでしたが、先日本屋さんで『50℃洗い』という本を見つけて買ってきました。これの事を堀江さんは言っていたんだなと思い思い、色々と考えてみました。

実のところブログでも本の中でもご紹介した『ぶくぶく装置』のお陰で特に問題はありませんでした。それになるべく自然な栽培方法の野菜を買うことが私の農業だと思ってきましたので、美味しい野菜を大事に食べてきたつもりです。それでも堀江さんに『考えてみる』といった手前、返答をしていない事が気にはなっていました。

それで読後感を述べてみたいと思います。先ず著者の平山先生の仰っていることは正しいのだろうと思います。だけど目に見えない汚れの化学物質がそのお湯に溶け出て吸収はされないのか、という点だけが気になりました。前提として自然な野菜という条件があるのでしょうか。それで一度流水か何かで洗い流してから『50℃洗い』をするのか、それとも残留物、特に付着して水にとけないものなどはもともと食べてしまうものなのか、あまり神経質になると現代社会では生きてゆけない???かもしれません。(ぶくぶく装置は、現在さらに改良されていますが、もとから中和法です。)

平山先生はもともとは蒸気がご専門だとか、それで『70℃蒸し』も提案なさっています。これには思い当たることがたくさんあります。『湯引き』と『魚の湯洗い』と『酒蒸し』です。イカや白身魚の刺身の湯引きは海岸ではおなじみの調理法でしょう。お吸い物も必ず塩を振ったお魚に熱湯を回しかけ、冷水で洗います。平戸の名物(?)『あらかぶの味噌汁』でも必ず熱湯で下拵えをします。うろこもきれいに落とすことが出来ますし、何より生臭みを消すことが出来ます。先日息子夫婦の所に行った時も、新米ママさんの嫁のために母の家庭料理『煮魚』を作って喜んでもらいましたが、煮魚にもお湯をかけ水洗いすることで生臭くなく美味しく作ることが出来ます。

そしてアワビやサザエは酒蒸しにします。姑に全て教えてもらいました。これは柔らかく蒸すためで、全部をお酒にするか、半分水を足すか、混合率はそれぞれですが、とにかく美味しく蒸しあがります。そしてお酒の沸点は当然水より低いのです。これは『70℃蒸し』なのではと思います。アサリも牡蠣もそうです。牡蠣については白ワインを使うべきだというのが私の持論です。

この本でいろいろ知ることが出来ました。1)55℃以上にならないと調理は進まない。そして2)43℃以下になると腐敗菌が増える。これは大きなことです。お魚やお肉の表面の酸化物を洗うことはとても良いことだと思います。もちろん食材の選択が第一ですが、食べる人のために身体に負担をかける要素は取り除くべきですから。それにそういったものが食材をまずくしているのですから。もう40年近くも前の事、グルメで知られていた邱永漢さんとおっしゃる方の家庭料理(?)とかいうような書名の本がありまして、そのなかに『鶏肉は必ず塩でもんできれいに洗う』というようなことが書いてありました。それ以来ずっと良いお塩でもみ脂と皮の毛穴などの掃除をして使うようにしてきました。表面の酸化物、つまり食べる前から老廃物になっているものを取り除くことが、健康上大切ですし美味しいのだと思います。

皆様はもうすでにご存知ですか。ご意見があったらコメントをお願いいたします。それをお伺いしたくてこの記事を書きました。




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花の季節になりました!!

2013-03-16 08:07:27 | 季節・週末散歩

先日伊豆に行った時も、先月末平戸に帰京した時も改めて感じた『地球の春の息吹』ですが、いよいよ花の季節を迎えます。今住んでいる愛知県の町でも、お買い物の道すがら、梅を、桃を、チンチョウゲを、モクレンの花を見つけます。先月からにわかに鳥の声も賑やかになっています。椿をヒヨがつついているのをよく見ました。

モクレンの花、あの小豆色の濃淡の大きな美しい花・・・・・・平戸の我が家には墓地の一画に紅白の木蓮があります。今はもう大木(?)になってお花が随分小さくなりましたが、幹がまだひょろっとしている頃に咲く大輪の小豆色の花モクレン・・・・・言いようもなく感動的なお花です。厳密に言うと美しいと形容出来ないかもしれないきれいな花・・・・・・私はこれが大好きで、夫に私が死んだら(もし私が先に死んだら・・・???ですが)骨をあの木蓮の根元に埋けてくれるよう頼んでいます。

何にそんなに心ときめくかというと、先ず幹の色、それから葉の色と形、それからもちろん花の小豆色と緑色を交えた白までのグラデーション!!!一つの花の中に柔らかな産毛が輝いているグラデーションです。白モクレンは楚々としているんですが、モクレンはいわく言い難い・・・・・

そうそうその白モクレンですが、平戸には樹齢300年の木蓮があります。田平町の海寺にあります。天然記念物になっています。お近くの方はどうぞお尋ねください。今がもう盛りでしょう。

夫が買ってくれた散歩靴。体重移動で体を鍛えるようになっているのだとか・・・・・それを履いてお買い物に行っています。だけどそれはさっさと歩かなくてはいけないのだとか・・・・・・それでもあちこちの木の芽やお花に立ち止まってながめてしまいます。それにこの辺にも槇で垣根を作っている家がかなりあります。なんだか平戸のようで懐かしい・・・・・という訳で春のお買いもの道中を楽しんでいます。




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4月教室のお知らせ

2013-03-11 09:57:35 | 教室情報
新年度教室の概略をお知らせをします。お料理教室は、『松見先生の薬膳教室』です。詳細は和みさんで公表されると思いますが、松見先生から当ブログに発表していただこうと思っています。年6回しかないので2年がかりで1年分になるかもしれません。もうしばらくお待ちください。最終土曜日の日程には変更ありませんが、開催月の予定は4月、6月、9月、10月、11月、2月です。

ヒレフリ山教室も同じ日程です。今年はもっと具体的にと願っていますが、『ミ』一つとってもこれほど具体的な言葉もないのに、それが具体的でない・・・・・・という悩みを抱えてお互い修行(?)いたしましょう。




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春の伊豆半島

2013-03-06 09:00:16 | 季節・週末散歩

雛祭りの土日、末息子家族のいる伊豆修善寺温泉に行ってきました。三島で新幹線を降りて伊豆箱根鉄道に乗りました。車窓から見えるのどかな春の景色は、梅に桃にミカン、というのが感想です。お天気に恵まれていたので、『伊豆は暖かいのだなあ』と心が緩みました。

昨年11月生まれたばかりの孫息子はちょうど100日、一生懸命語りかけるようになっていました。あっという間に楽しい時間は過ぎましたが、温泉気分を満喫できる旅館に泊まりました。日曜日に合流した夫は貸し切り状態になったお風呂と露天風呂を満喫しました。孫にも会えて温泉も・・・・・この上ない幸せだと思います。帰りにとても美味しいワサビ漬けを頂きました。朝のお食事に出ていたのですが、現代流通社会の複雑な味ではなく、清冽な美味しいワサビ漬けで、今朝も炊き立てご飯に添えて頂きました。

夫が産婦人科医ということもあって、私ども夫婦は旅行をすることもあまりなく過ごしてきました。子ども達が小さい時は頑張って数年に一度、それもせいぜい2泊3日、駆け足のような家族旅行をしたことはあります。ですが愛知県に来て周囲を見渡すとなかなかいい温泉があるらしい・・・・・とは思ってみたものの、『でつけた癖は元日まで』という訳で、なかなかその段になりませんでした。

孫の引力は強いんですね!!!近い(?)らしいという思いもあり、夫には別の用があり・・・・・・という状況もあって、私は土・日・月と3日の予定で出かけることにしました。息子に旅館の予約もしてもらって、新幹線の予約もして・・・・・いましたら、何と夫も『日曜日に俺も来るよ』と言いだして今回の良い思い出が出来ました。

春の伊豆地方はうららかです。平戸の春と少し違います。平戸の春は『玄界灘の春』、伊豆の春は『黒潮の春』です。一度行ってみたいと思っていた伊豆地方、次回は三島で少し時間を作って三島大社をお参りし、三島手の焼き物などを見れたらと思います。




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