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マクロビオティックインスピレーション・随想古事記・日本語と歴史・バベルの塔・日々雑感

人間性ーphysical,mental,spiritual

2006-12-26 10:40:04 | マクロビオティック
昨日娘2号から英語の単語について意見を聞かれました.人間を語るときその身体性については「physical」はよいのですが、「mental and spiritual」となるとその時々で目に見えない人間性を語る内容の問題になってきます.そのことについては私も昨年の「マクロビオティック健康診断法」の翻訳時から言葉選びに苦心しました.

結局のところ人間性というのは、桜沢先生が最初に定義なされた判断力のことで、その機械的判断力と感覚的判断力が身体性(physical)、それ以後の感情的判断力から最高判断力までが精神性(menntarl and spiritsual)ということになるのではないかと思います.その精神性に感情的、知性的、社会的、精神的、霊的判断力があって、その霊的判断力は更に無限と一体化するまで更に段階的判断力の度合いがあるとすれば一体その場その場で何と翻訳したものかと mental and spiritual という単語が出てくるたびに私は悩みました.

えいっと機械的に翻訳した時もあれば、散々考えた末にお決まりの言葉を選んだ時もあれば、省略した時もあります.日本語では心身と言えば済んでしまうのかとも思います.「心」はそれだけ身近でもあり悠遠でもあるような気がします.これはもう読む方にお任せするしかないのかもしれません.言葉の投げかけ合いというものは、発する時はその人のものであっても、後は受け手のもの、受け取る側の問題だと思います.

こうやってブログというインターネットの世界に発する文字も同じです.私の勝手な意見でも読んでくださる方の翻訳(判断力)によって役に立つと言っていただければ、発信機としては幸せなことだと思います.この世では発信機であり受信機でもある自分の立場を鍛えてお互いに助け合って生きていきたいと思います.皆様どうぞよろしくお願いします.

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マクロビオティック考、宇宙の秩序

2006-12-20 10:26:08 | 出版記事
旧宅の玄関先の『蝋梅』の花がもう脹らんでいます.香りは強くありません.でももう蕾がほころんで「咲いているなあ」という感じです.お正月が来るんだなあとの思いを強くします.動植物は本当に自然の巡り、地球の巡り、天の巡りと一体になっていますよね.天体の運行をややもすれば忘れがちなのは、独り人間とその社会だけです.

なるほど人間は文明の曙を太古の時代に通過して、今や文明の爛熟期を迎えたのかもしれません.しかしマクロビオティックならずとも古の昔より教えられてきたように、始めがあれば終りがあるもの、爛熟ともなれば残るものは崩壊しかありません.そこをどう生きるかということが人間の文明の尺度ではないでしょうか.真の文明というのは、人間もその社会も天体の運行の中にあるということを忘れないよう戒めた奥ゆかしい社会が持っているものではないでしょうか.

それを思うと私達は東洋の知恵に回帰するしかありません.東洋の知恵はもう何千年も前に天然自然の人間や地球を含めた天体の運行を、自然(じねん)という言葉に縮小して伝えてきました.「おのづから然り」、つまり「宇宙の秩序に因ってこうなる」という意味です.東洋の文明は宇宙の秩序を根本原理として宇宙の秩序から自分たちを眺めるという姿勢で発達してきました.したがって「先ず己あり」といった西洋の認識学的思考に反して、自己は宇宙全体あればこその存在ですから謙虚に自己を宇宙の変化の法則の中に見たのだと思います.西洋の観念論に対して東洋の自然論といえると思います.

東洋の宇宙は天体を天体としてあらしめ運行させる力を包含しています.したがって見える物と見えない物とがセットになりました.東洋はいつもその運行変化の原則を二面性で表しています.陰陽、女?伏羲(じょかふっき)、注連縄、イザナミイザナギ・・・・・
つまり私達も同じです.私達は体と心という見える物と見えない物とを持っています.生まれてきて死んでいきます.先祖と子孫という形で生きています.朝起きて夜寝ます.取り入れて(食べて、息を吸って、気配、力・・)、出します(大小便、息を吐いて、熱、汗、気合、力・・).私達はいつも二本立てです.

ここ数年久司先生のご本を翻訳させていただいて、桜沢先生やもっと以前の方々が「宇宙の秩序」を英訳するに当てられた「Order」という単語を見て思いました.なるほど秩序というものは順序であって、おのづから然らしむるものであるんだなぁと.マクロビオティックによる食事が治療法ではないのに病気から回復するというのは、順序に則った変化であって自然の秩序の「再生」です.医療やその他のケアは洋の東西を問わず、そういう意味では順序を誘うための逆序であって「穴埋め、修復」です.人間がもし進化の頂点に立つというならば、二つを融合すべきだと思います.和魂洋才は言い慣らされた言葉ですが、まことに適切な言葉だと思います.「便利」を使うのは「謙虚な奥ゆかしさ」でなければなりません.奥ゆかしさは「畏れる心」だと思います.私達を生かしているものに対する「畏れと祈り」だと思います.
コメント (6)
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今年最後の教室

2006-12-14 15:48:36 | 教室情報
12月9日は今年最後の教室でした.今年は主人の講演があったので、講演練習等多彩な内容になってプログラム通りではありませんでした.医学的な治療の方法は病状の穴埋めをするやり方、マクロビオティックによる結果的に治療とも言える方法は体を作り直すやり方、両方を知る事はマクロビオティックの理解に役立ちますので良かったのではないかと思います.

それでちょっとした復習をして最後の教室のメインは、混ぜご飯と滅多に無い(?2年間で初めて)簡単おやつの調理実習でした.娘から教えてもらったお菓子など、共通点はオーブンも使わないしややこしい事は何も無い、食べたいと思ったら直ぐに作れそうなものばかりでした.それでも皆さんは楽しそうでしたね.皆さんお菓子が好きですね.後はご自分で好きなようにアレンジして楽しんでください.お得意が出来たら発表して交換してください.私はお菓子が下手なので、そんな時間も作りたいと思います.記録を残しておいてください.

来月の教室は今回のシリーズの最後です.今年あまり詳しくお話しなかった陰陽についての復習をしたいと思います.第3土曜日です.お間違いのないようお願いします.

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マクロビオティック考、人間の食事

2006-12-06 10:16:06 | マクロビオティック
類人猿から人類への進化の原動力が種子食の内容の変化、つまり果実から堅果へ、堅果から穀類へとの移行だと教えて頂いてます.その間どこかで人類は火を生活に取り込みました.これが人類から人間へのモーターだと思います.つまり動物の種からのターニングポイントです.かつて陽性の天の力が地球というミネラルの塊にまで凝縮して、そこから生命を誕生させた陰性化へのターニングポイントを画期させたように、火という陽性の持っている陰性化の力が人間を誕生させたのだと思います.

先日から色々ありまして、前回の記事にもしましたとおり人類の動物性食についてあれこれ考えておりました.昨夜か今朝か(?)の夢で一応の解答を得たような気がします.多分主人と昨夜見た映画の影響もあると思います.「Struggle for life」と言うべきものでした.これにぴったりの日本語を見つけ出せないのであえて英語にしたのですが、自分の生との引き換えに他分(?)が死という現実を引き受け、逆であればそれが自分の一巻の終わりというわけです.動物界ではそれは当然餌食という事態なのですが、人間はなぜか人間同士食べもしないのに生死をかけてどちらかを争うわけです(そういう映画でした).

高等(或いは進化上後の)動物の間では共食いが何故起こらないかということも、解決しなくてはなりません.少なくとも群れの前段階で出来た行動のはずです.私は共食いが禁忌になるのは、多細胞化がある一定の段階に達した時だと思っています.明確に言葉にするにはまだ解決しなくてはならないことがたくさんあります.例えば、生殖に関係する時期に、蟷螂が何故オスを食べてしまうのか、哺乳類はなぜ胎盤を食べてしまうのか等々・・・・・いつかまた眠っている間に霧が晴れると期待しています???

ところで人間の食の問題ですが、何によって人類から人間へと移行するのか.それはStruggle を自他の関係から排除しようとする精神性の目覚めからだと思います.自他共に生きる道の模索、それで逃げようともがくものが人間の食事から外れていきました.究極的には精進料理の誕生です.人間は精神という地球から発生しても地球の物質に属さない生命の形を大きくして行きました.穀類の種子は、植物界という陰性の生命界の時間と時空の凝縮です.その陽性の形には、大きな陰性の力を秘めています.それをもって人間は精神性を高めてきたのだと思います.

今私達の食事には、人類食と人間食と二つあるように思います.人類食は人類が単細胞の昔から今日の人体を獲得して思索するようになるまでの食事形態、人間食は精神の目覚めを経験して更に精神の住処までその思索を高めようという食事形態です.人類食は捕まえられる程度の動物食を含み、人間食は穀菜食、そしてさらには真人食が単穀食、仙人食は野草食???.昨夜の夢はこのような内容でした.つまり人間とは、動物として自他共に生きる道を模索する人のことでした.
コメント (3)
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ひいらぎ

2006-12-03 14:59:44 | Weblog
玄関先のヒイラギが先月から白い花をつけ始めて、今盛りになりました.ヒイラギは木犀の同族で、よく似た花を咲かせますが、金木犀のように香りが強いわけではありません.銀木犀に似てはいますが、葉にとげがあります.顔を近づけるとかすかな香りがします.
そのお花はひっそりと高貴な雰囲気です.

もう12月になりました.主人は東京での講演会を終えて今日帰ってきます.通常の仕事の流れと全く違ったリズムで暮らしました.お食事も楽でしたし・・・・
ですが今朝はアジの開きを焼きました.誰が食べるのか?  それは我が家の一番下の息子(?)のしま猫ちゃんでした.主人がいなくて、ただでさえ乏しい猫の主食が底をつき、アジの開きの出番となりました.

猫は肉食で当たり前です.現代社会は猫のご飯も売ってある時代ですから可能ですが、本当は肉食と草食の動物は同居できませんよね.かわいいシマネコちゃんを見ながらしみじみとそう思います.主人がいると、武者修行とか言って夜外に追い出されるシマネコちゃんですが、甘やかして内に入れておきました.ですがこの甘やかしが長く続くと、体調不良をおこして弱くなります.猫はこれまた夜行性でした.

哺乳類は恐竜とほぼ同じ時代に生まれたらしいのですが、恐竜の餌食から免れる為、夜行性になったと言われています.猫は原種に近いのでしょうか.そうそう肉食から草食が分岐したのだそうです.なるほど人間もそうですよね.胎児期は完全な肉食(?)、乳児期は弱い肉食、離乳期から雑食になり、穀類を食べるようになって初めて人間になるというわけです.離乳期から成人(?)までは雑食・・・・・?でも人間の祖先の肉食はバッタのような昆虫食だったと思われます.蝗は日本人の正統な動物性食、カタツムリはフランス人の正統食???今日は?の多い日でした.
コメント (2)
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