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浅田真央選手の言葉2

2014-03-31 08:49:11 | Weblog

私がフィギュアスケートを見るようになったのは娘の影響、そういえば息子の影響でバスケットボールも見ました。世界の背番号23の事も教えてもらいました。弓道にはまっていた息子の『弓講釈』も熱心に聞きました。記憶の中の(つまり講談の中の)源為朝の弓の話・・・・・・・・などもしました。ですがフィギュアスケートは、その後私が好きになりました。

それは、スケートのもつ特殊な条件下で繰り広げられる技の戦いにおいて、若い選手が老成しなくてはならない状況にあることをひしひしと感じるからです。ある意味現代社会の同年代の若者とは全く隔絶されて、選手たちは心の成長もスケートのスピードで果たさなくてはならないのでは・・・・・・・・とその健気な心の内を推し量ると、可愛くて可愛くてなりません。

どの選手もそれぞれの事情でひたすら努力し自分を成長させて控えめなコメントをする姿には目頭が熱くなります・・・・・・・・その中で浅田真央選手の言葉にはいつもはっとさせられるものがあり、以前も記事にしたことがあります。今回は晴れ晴れとした顔で、『日本人で良かった』と言っていました。それは日本の観客が、誰にでも温かい応援をする、ということの感想でした。

外国選手は概して日本での試合が好きだそうです。それはもちろん昨年から流行した『お・も・て・な・し』の行き届いたイベント運営もあるでしょうが、そういった観客の応援態度が日本の心として捉えられているからだと思います。我日本の選手達は外国で経験してきた過酷な状況を一言も弁解の材料にしてはいませんが、日本人の心の上品さを『日本人で良かった』という言葉で表現したのだと思います。浅田真央選手の感じた誇りは、私達の誇りだと思います。ただただ繰り返し練習を積んで研ぎ澄まされた技も、人間の限界を超えた氷上のスピードには誤差が許されない・・・・・・それを突き抜けてきた選手の感想・・・・・・・心打たれて聞いています。

私は藤色の衣装を着た浅田選手が好きです。彼女は美人の上に手足もスラリとしていて本当に映えると思います。まあ、顔の好みは人それぞれなので何とも言えませんが、私にはとても上品に見えます。それに対して結構はっきりとした性格のようなのは、コメントからも伺えます・・・・・・負けず嫌いのようでもあるし・・・・・・・浅田選手が競技生活を『もうこれまで』と思うなら、私達の窺い知ることの出来ない考えがあるはずで、それならばこれからは彼女の人生の充実を大事にしてもらいたいと思います。

 

それでは今日も:

        私たちは横田めぐみさん達を取り戻さなければならない!!!

 


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春の味

2014-03-27 09:48:43 | 季節・週末散歩

春の味という我が家の定番は、芹に始まってわけぎ、蕗・・・・・・と清冽な緑の香りですが、もう一つ忘れられない緑があります。それは春の海の幸・ワカメにあおさ、そして干した青海苔・・・・・・・

というわけで、青海苔を楽しんでいます。青海苔はなんといっても『母の味』に加えなければならないもので、母との思い出が鮮烈によみがえります。青のりの季節になると、母は青海苔を火であぶって半紙を広げ揉んで粉にしました。それをご飯にかけてお醤油をたらりたらりと垂らして食べさせてくれたものです。記憶というものは『よみがえり』らしくて、いっときその時に戻ることができます。青海苔ご飯を手にして、母との語らいをするというわけです。

母の青海苔ご飯の味は、青海苔だけのシンプルなひたすら青海苔の味・・・・・・それが1杯目で2杯目は私の新しい工夫(?)・白ゴマをすって混ぜた大人しい青海苔ご飯・・・・・・・。胡麻というものは本当によく言ったもので、青海苔の味を『ごまかし』てしまいます。なんとなく物足りない・・・・・・やはり青海苔の春の味は、青海苔だけがいいような気がしています。母の味に軍配を上げざるをえません。

 

それでは今日も:

        私たちは横田めぐみさん達を取り戻さなければならない!!!


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新年度教室のお知らせ

2014-03-19 14:35:30 | 教室情報

前回2月の教室での受講される皆様のご希望を入れて、松見先生が以下のようなプログラムを作ってくださいました。

 

5月31日・・・糠床づくり、甘酒、ベジ時雨肉の玄米おむすび、お味噌汁、糠漬け
6月28日・・・福神漬,玄米ベジミートタコライスもしくはキーマカレー、スープ


     9月27日・・・金山寺味噌、玄米ごはん、ベジ唐揚げの野菜あんかけ、スープ
     10月25日・・手打ちうどん、板麩の玄米肉まき風おむすび、お漬物
     11月29日・・白菜漬け、キムチ漬け、玄米プルコギ丼、豆腐のマンドゥスープ


          2月28日・・・味噌づくり、車麩の信太煮のせ玄米ごはん、ポトフ風ベジおでん

 

瓜や茄子、きゅうりなど季節の野菜の出方や材料の入手事情により変更があるかもしれませんが、楽しみにして頂けるプログラムだと思います。時間はいつもどおり、13:00~16:00、参加費は各回3000円、お申し込みは自然食品・和みさんへお願いします。ヒレフリ山教室もこれまでと同じように、1年分を5月申し込みで受講料は全額前納(6000円)です。

 

それでは今日も:

        私たちは横田めぐみさん達を取り戻さなければならない!!!

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今に分かる???!!!

2014-03-14 14:15:50 | Weblog

 

ちょっと気になるCMを見つけました。

 

先輩が言います。『分からないことがあったら、なんでも聞いてね!』

新入社員は聞きます。『人は何で生きるのでしょうか』    

先輩・・・・・・・・・・・??????????

 

といった内容ですが、ここまではとっても面白いと思いました。CMに登場する人物の演技も面白い・・・・・・新入社員に親和感もある。だけどそれから、若い好もしい女優さんが出てきて、

今に分かるよって言うんです。ものすごく違和感を覚えました。

 

本当に『今に分かる』でしょうか???ある意味彼は私たちすべての若き日です。その疑問を抱えて私はあちこちをうろつきまわり、歴史にさまよい日本語にさまよい・・・・・・精神遍歴をして今日があると感じています。なかなかわかりませんでした。65歳になった今ある結論に達してそのうちまた記事にしたいと思っていますが、それはそんなに簡単ではありません。

多分『今に考えなくなる』のではないでしょうか。そんなことを考えていては毎日をやってはいけない・・・・・・・そうですよね、みんな毎日忙しい・・・・・・それなのにこんなに安易な答え(?)をCMで流すなんて・・・・・・『今に考えなくなるよ!』って言っているのと同じではないでしょうか。ちょっと考えてしまいました。そして両親や家族のおかげで私は追求する自由を与えられたのだと感謝しています。

 

 

それでは今日も:

      私たちは横田めぐみさん達を取り戻さなければならない!!!


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菜の花の季節

2014-03-10 13:58:50 | 季節・週末散歩

菜の花の美味しい季節になりました。近頃ではいろいろな味わいの菜の花が手に入るようになりました。私の苦手は、ちょっとからし菜風の辛味のある菜の花・・・・・・菜の花は優しい苦味だけのものが好きです。

東京から中部地方に移ってまもなく2年が過ぎようとしています。東京吉祥寺にいた頃はおいしい野菜を手に入れるにさほど困りませんでしたが、ここは九州平戸と同じくなかなか難しい・・・・・・デパートにはそれなりにありますが、その都度出かけるのも大変・・・・・それで平戸にいた頃頼んでいた『ポラン広場の宅配』を思い出して、再度注文する事にしました。『ビオ・マルシェの宅配』と名前は変わっていましたが、同じ組織のようです。

先週届いた便のお知らせに、『白菜は薹が立って今季はおしまい・・・・・・・』、白菜が届かなかったのも残念でしたが、それよりその白菜の薹が伸びてくるのに、白菜の『菜の花』が食べられないことが残念でたまりません。白菜の菜の花は、特にやわらかい・・・・・・というか『スイート』というべきか・・・・・・弟の畑から採れた白菜の菜の花を美味しそうに食べた母の顔と声が思い出されます。優しい弟は母のために、最初の菜の花を摘んで、脇から伸びる菜の花も摘んでと、菜の花を長いこと収穫したものです。

もちろん私もおこぼれにあずかりました。あの白い菜の花・・・・・・・・母の思い出とともに決して忘れません。この幸せを持っておられる方は、どうぞお試しください!!!私も平戸に帰ったらまた弟に頼んでみたいと思います。或いはいつも無農薬野菜を分けてくださるさんに頼んで薹立ちで抜いてしまう白菜を根っこからもらってまた植えようかと・・・・・・・・・それくらい優しい愛おしい味です。

私の春の味・・・・・セリと菜の花とわけぎ・・・・・わかめ・・・・・・そうそう先日平戸に帰った折には早くも『つわ』を食べました。そしてこちらに戻って『蕗』を食べました。どちらも油げか厚揚げかを添えて煮物にしました。フキの鮮烈な緑の香りに心が躍りました。今日はちらっと雪が降りましたが、東風のようでした。春を迎えているのだと思います。

 

それでは今日も:

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邪馬台国論争

2014-03-04 15:59:58 | 日本語・古事記・歴史・日本人

我が国日本の正史には出てこないが、それでもあったとされ日本人を惹きつけずには置かない『邪馬台国』に関する積年の論争・・・・・・九州説と畿内説・・・・・・ここに欠落している問題が見えてきました。

 

随想古事記で自説をご紹介しましたとおり、我が日本列島は1万年以上も前からカタカムナのワタツ人の住む世界でした。そこに同族(蛇)の大陸に住み着いて鳥族となった殷人が落ちてきます。つまりそれが天孫降臨であって、山幸彦の伝説の通り竜宮の王女・豊玉姫と結婚されワタツ人の王である竜宮の王から統治権と言語を引き継がれたことも書き述べました。この落人鳥族のことを大陸の勝者が卑下して猪族と呼び邪馬族と呼んだことも川崎真治先生の説として発表済です。(随想古事記・海幸山幸

殷の滅亡が紀元前1300年頃と推定されていますが、由緒正しい(?)殷の落人が半島を経由して我らが『うから』ワタツ人の国にたどり着いたのは、多分紀元前1000年前後・今から約3000年くらい前のことかと思います。この山幸彦の国が、何を隠そう、大和の国つまるところの『邪馬台国』なのだというのが私の説なのです。そうしてみると、邪馬台国がどこにあったかという問題は自ずと明らかになってくると思います。

殷の落人は初めから我が国を目指してきたのではないと思います。天照大神の御神勅のように『我が皇孫の王たるべき国なり』という状況ではなかった(これについては、随想古事記の中で自説を展開しました)と思います。殷の国境から少しずつ離れて朝鮮半島を領有する時代があったかもしれないし、また周が追われ秦が追われてさらに追われたのかもしれません。そして東海の国の元同族ワタツ人に受け入れられたのだと思います。そこは確かに九州だったと思います。その後は神武東征の物語があるように畿内を中心に据えられました。そしてそこは『登美』の長髄彦がいる国『トミ・・・・・つまり鳥見(同じ殷人の国)』でした。神武東征の前から邪馬族がいたことになります。

 

邪馬台国はあちこち分族がいて、古墳時代が終わって現在でいう大和朝廷が始まる頃(魏志倭人伝・宋書に登場する頃)には、九州から畿内まで邪馬台国だったのではないかと思います。そして大和朝廷を建てた大和王統はワタツ王から王権を移譲された山幸彦王族だったのだと思います。それで・つまり、今日の問題の結論を言うと・・・・・・我が国の邪馬台国論争には、

             時空が抜け落ちている!!!!!

 

これでは如何に発掘して遺跡を発見しても混迷が増すばかりではないかと思います。我が日本はかなり広大に長期間、ワタツ人と邪馬人との大和の国だったのですから。川崎先生がおっしゃるとおり、それを卑称して大陸の史書で邪馬台国と記述したのだと思います。(追記:そしてついでに繰り返しますが、それがジャパンの語源でもあり、巡り巡って聖徳太子が『日本』という字を採用される根拠でもあるのだと思います。また台湾と高砂族、インドネシアのジャワもつながっていると思います。)

 

それでは今日も:

        私たちは横田めぐみさん達を取り戻さなければならない!!!

 

 


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