inspiration-macrobiotique・随想古事記

マクロビオティックインスピレーション・随想古事記・日本語と歴史・バベルの塔・日々雑感

忘年野外パーティー

2008-12-28 13:45:12 | 出版記事
26日金曜日、夜7時から夫の親しいお仲間たち20名余と同伴の夫人、計25名ばかりで冬の星の瞬く我が家の庭でパーティーを開きました.そもそもの発端は、ふぐの災難(?)、牡蠣の災難(?)が社会をにぎわすたびに、それぞれの被害者を友に持つお仲間達がせめてもの人助けに使ってやろうというへそ曲がり者の(?)パーティーです.それで最近は『ノロパーティー』と、ノロウィルス騒ぎ以来の名称です.

牡蠣を10キロ購入し、お酒は持ち寄り、それ以外は季節柄到来するマクロビアンとしては困ってしまうタラバガニやズワイガ二、ジンギスカン用の北海道からのお肉やいただきものの牛肉・・・・・我が家の冷凍庫の大整理!!メンバーご自慢の自家生産の椎茸、直系60センチもある大ボールいっぱいのお野菜、これまた患者さんから頂いた白米をこの時とばかりに炊いておむすびを100個作りました.まいたけの炊き込みご飯のおむすびもあります.父のご自慢の酢みかん・金柑子(きんこうじ)ももいで来ました.従業員からの大根もおろし大根になりました.

暖房はドラム缶改造の暖炉です.メンバーのお一人が山の倒木を切って軽トラック一杯の薪を作ってきてくれました.燃やし係はすぐに現れます.火遊びは楽しいのです.主人の祖父もそうでしたが、ボケてしまった人によくあるかたずけて燃やしてしまう癖は人間のやや本能的な癖なのではと思います.威勢良く火花を散らして薪が燃えます.暗闇に本当にきれいです.暖炉を取り囲んで雑談に花が咲きます.熱い番茶は好評です.見上げれば星がきれいです.

これまたドラム缶を判割りにしたバーベキュー用のコンロに網と鉄板をかけ、俄かコックさんたちが立ち働いて女どもは幸せです.何にもしなくていいのです!!!奈良か平安の昔かえでを炊いてお酒を温めるというのがありましたが、薪の匂いが立ちこめる中でお燗も炭火の上、焼酎のお湯割りに金柑子とそれぞれが勝手に楽しんでいます.牡蠣焼き名人も登場して焼け具合を確かめる音が響きます.二次会が終わったのは夜も更けて23時を過ぎていました.

ドラム缶が真っ赤になるほど高温になった火の中に紙皿もコップも竹箸もみんな燃やしてしまってごみは何にも残りませんでした.つわものどもが夢の後は灰だけの、雨が降らない限り雪でも楽しいという冬の野外パーティーでした.
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シマの家出

2008-12-15 09:46:48 | Weblog
実は私の末息子シマネコが先週の火曜日から家出をしていました.息子ながらはるかに母である私の年を追い越していましたが、それでも元気そうだったし、あんまりおりこうそうでもなかったシマのこと、猫の伝統(?)に則って隠れて死ぬとも思えない・・・・・・猫のことながら心乱されてしまいました.土曜日の教室でのお話も何だかとりとめもない運びでしたよね.どうぞお許しください.ところが、ところが昨夜主人を迎えに佐世保まで行って帰り着いた暗闇の中から『ニャー~~』と聞きなれた声がするではありませんか!!!半ば諦めかけていたところに何事もなかった様子でシマは戻って来ました.でもただそれだけでも心明るくなるものですね.嬉しかったです.

シマは我が家に来た猫の中で一番長寿です.多分それは去勢されたからだと思います.シマの先代キジや先々代クマは、広いテリトリーを主張する雄々しいオス猫達でした.そのキジは大怪我で死にましたし、クマは国道を横切って車にはねられて死にました.それで舅が手術をするべきだと主張し、「おまえの猫は俺の猫」とばかりに手術道具を持って夫が診療でいない間に私を助手にして執刀しました.反対はしたのですが、「よか猫になるけん」と相手にされませんでした.

無事に手術は終わりましたが、舅の最後の言葉が気になりました.「麻酔がききすぎたかもしれん・・・・・」.「何ですと!それでは夫が帰宅する前に覚醒しない???死ぬかもしれない???」.舅は戦中派の現実主義、死に対してかなりのドライ派です.「死んだら死んだで仕方なか!」、そう言われても私としては親子喧嘩は避けたいし、シマには生きていて欲しい・・・・・.如何にしてシマを助けるか、母猫になって舐める代わりに全身を撫でさすってやりました.それでもシマは夫の帰宅時間になっても覚醒しません.仕方がない!眠っているシマを箱ベッドに入れ部屋の隅のほうに置きました.

食事が済んだ頃、シマがやっと目を覚ましました.半覚醒のシマは本能に従って立ち上がろうとするのですが、体はまだ対応できません.うろうろよたよた動き回ります.夫がおかしいと思わないはずはなく、私は白状せざるを得ません.それを聞いた夫は即座に宣戦布告!!!それでも私はシマの面倒を見やすくなりました.足を硬い床で傷めないよう、目を照明でこわさないよう、夫の命令で外の芝生にシマを下ろし夫婦で見守りました.すっかり覚醒するまでに12時間くらいかかりました.

でもまあシマは“よか猫”になりました.いつまでも童顔でオス猫特有の頬袋がついたような横広がりの顔にはなりませんでしたし、目はつぶらで混血らしくブルーです.我が家の敷地くらいのテリトリーを夫の援助で守っています.夫は何しろシマの助っ人で、玄関にも居間の引出しの上にも石が置いてあります.シマの喧嘩相手に投げつけなくてはなりません.まあ猫は敏捷ですから当たった試しは無いのですが、それでも侵入者を追い出すのには役に立ちます.

こうやって暮らしてきたシマが急に予兆も無く姿を消してしまったのです.修行に行くという人もいます.人間にはやはり死の確認が必要だなあとしみじみ感じさせられました.そして諦めるのを一日延ばしにしてましたが、子供達にも教えようかなあと考えるようになったころ戻って来てくれました.一緒に探してくれた人たちから何処に旅行に行ってたのかと尋ねられています.多分そんなに長くはもう一緒に暮らせないでしょうが、それでももうしばらくはシマの親猫でいられると喜んでいます.まあ予行演習をして覚悟をしなさいと言っているのかもしれません.
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イチョウの大木

2008-12-12 11:17:17 | 平戸
わが町平戸市田平町の国道沿いに八幡様があります.子供の頃にはこの八幡様のお祭りともなると、白い御神馬を含めた行列がありました.私の祖父もフロックコートに山高帽で馬にまたがり行列に加わったものです.でも段々農耕の機械化が進み馬がいなくなって途絶えてしまいました.最後のほうは良い馬がいなくて行列も大変になったらしく、祖父の落馬を案じるつぶやきを思い出します.

八幡様はやはり勇ましいお祭りが似合いますよね.国道で境内を分断された八幡様ですが、国道下には土俵があって今でも奉納相撲の大会は続いています.そして八幡様といえばいちょうの木!!我らが八幡様にも国道を挟んで上下にそれぞれ鳥居がありいちょうの木がそびえて鎌倉幕府の実朝公に思いを馳せるというわけです.いま黄色に染まった葉が散り敷いてそれはきれいです.国道を通るたびに冬を迎える季節を感じます.

境内を横切るしかなかったのかもしれませんが、人間というものは自分の都合で勝手なことをしますよね.こうしたお宮がわが町にはもう一つあります.八幡様の北西方向にある熊野神宮です.こちらの一の鳥居は海中に立っていました.それからお社までに鳥居が二つありました.それが埋め立てられるやら住宅が押し入るやらで、昔の姿はもうありません.雑然として境内などはもう感じられなくなりました.不敬な人間どもの仕業に呆れておられるかもしれません.

平戸も松浦水軍の地、熊野神社があり勇壮な八幡様がありで、みな平戸瀬戸に大鳥居を向けていましたが、人心の移りは抗い様もない事実で昔の人の思いに心を寄せる人も少ないのでしょうね.でもイチョウの大木は昔も今も同じように見つめています.鶴岡八幡宮の大銀杏も同じなんだろうなと思うこの頃です.まもなく年の瀬、イチョウの木もすっかり葉を落として厳しく雄々しい姿を見せてくれるだろうと思います.

イチョウの木でもう一つの思い出は、佐世保に住んでいた頃見た『しろひげ太郎』と呼ばれる楠蚕です.借家の庭にあったイチョウの大木に住んで(?)いました.蛹の季節になって移動するあの素晴らしい虫の姿は今でも目に焼きついています.毛虫はあんまり近寄りたくありませんが、この楠蚕と田んぼのあぜ道でよく会った可愛らしいマルチーズのような小さい名も知らぬ毛虫を見るのは好きです.

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする