inspiration-macrobiotique・随想古事記

マクロビオティックインスピレーション・随想古事記・日本語と歴史・バベルの塔・日々雑感

人間と世間

2006-10-29 12:59:48 | 出版記事
人間という言葉は人生の時間をさしているのですね.その人が生きている間のその人の存在の事をいうのですね.最近現代的に言われている「人は人と人との間にある」という意味ではなくて、その人の存在の時間空間を言っていたんだと気がつきました.同じ漢字を当てていますが、アイダは「かん」、マは「けん」、長さの単位も「けん」でした.誰が人間という言葉を作ったんでしょうか?察するにこれは日本人の造語です.音読みをしているけれど、これは日本古来の「マ」の伝統を哲学した人の最高傑作、或いは真実を知った表明の造語だと思います.(でなければ、間という漢字はそういう意味なのでしょうか?)

人間という言葉に対峙しているものがこれまた日本独特(?)の「世間」です.自分の家から外にいる人間の集まり、というより自分や家族の人間も含まれているのが「世間」です.日本人は哲学的ではないと言われていますが、これは大地に足をつけた哲学の証拠ではないでしょうか.日本人は何よりも絵空事をさけたのだと思います.「人間」という言葉を作った人は、なるほど全てを知ったのに違いありません.これほど素晴らしい言葉を使って、「人間とは何ぞや」などと自問しているのが、なんともおかしくなりました.

人間は世間と交じらわねば、空しい存在です.人間は世間の一部なのですから.楽しみも世間と一緒、幸せも世間と一緒です.それで人々はついつい集まりや団体を作ったのでしょう.世間と心を同じくして居たかったのですね.世間様を気にしてきた日本人は、自然な人間の姿だったんだと思います.会社人間がいじらしくなりました.現代日本の男達、私と同年代の男達は、会社に一生を捧げて生きてきました.これって自然ではないのでしょうか.もう一度人間と世間とを見直して本来の社会を取り戻すのに、マクロビオティックがおおきな力になるはずです.一人の人間が変われば、世間は変わるはずです.一人一人がマクロビオティックを知ることが出来たら・・・・・・
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台風被害の恩恵

2006-10-22 08:11:29 | Weblog
先人達のおっしゃる通り、この世に悪いことはありませんでした.皆様にご心配をいただいた台風被害の修繕工事が昨日終わり、これから書棚や箪笥から出した荷物の片づけです.家を建てて20年も経てば、随分といろんなものを溜め込んでいます.整理のチャンスとなりました.家の中だって、体と同じこと、溜め込んでいい事はありませんよね.家内中のマクロビオティックです.

ところでこの台風騒ぎで実感したのですが、私共の寝室はなんとなく北に頭を向けにくく、東を枕にして寝ていました.修繕のために子供部屋に寝室を移すことになり2週間ばかりになります.子供部屋は自然に北枕、「嬉しいな!」程度の感じで移ったのですが、2~3日してその違いを歴然と実感することになりました.朝起きた時いつも感じる、ちょうど向かい風の中を歩いたような感覚が全く無いことに気がつきました.というより今までの感覚が、ちょうど向かい風の中を歩いたようだったと気がついたのです.

夫も何かしら感じらしく、修繕がなった寝室の配置変えに賛成しています.磁力線に直角に抵抗して寝ると疲れます.どんなにしてもとれなかった肩凝りの一因だったらしく、朝すっきりした気分で目が覚めます.ありがたい台風騒ぎでした.

余談ですが、11月、12月の久司先生の講演会の前座を夫が勤めさせていただくことになりました.夫は仕事柄身体的に自由の無い囚人のような(?)暮らし振りをずっと続けて来ましたが、こういう講演の機会をいただいて少し自由を味あわせていただけそうです.ご都合がおつきになる方は、よろしくお願いします.私は出雲の講演会に行きます.出雲のお友達から声を掛けて頂いたのです.スサノオノミコトの、「やくもたつ いずもやえがき つまごみに・・・・」のその須賀の地に一度行ってみたい.不昧公や八雲の松江も一度行ってみたい.出雲にお出かけの方には、お会いできるかもしれませんね.
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今年もまた

2006-10-16 10:21:57 | Weblog
庭の大きな金木犀が咲きました.先週から香りが風に乗って漂い始めましたが、北側があまり思わしくなかったので今年はお休みかと、少し残念に思っていました.まだ薄黄色の固さを思わせる花の色ですが、直径7~8メートルの傘形の木全体に咲いています.庭の前面は木犀が主役です.毎年咲く花が咲くというのは嬉しいものです.金木犀や桜の花は過ぎた一年の巡りを実感させてくれます.日本の四季は花の巡りや葉の色の変化に驚かされて実感されるものですから、それが日本人の美への感性を培ったのだと思います.

日本人の感覚の世界は四季の巡りに調和してこその美しさです.自分もその中にとっぷりと溶け込まなくてはなりません.生活も仕事も、それでなくては、「オカシ」とも「ユカシ」とも「ウルワシ」とも感じないのです.それで清少納言の枕草子もあんな書き出しで始まり、それを「なるほど」と思う私達現代人がいます.これは素晴らしいことだと思います.あの時代の人々と同じ感覚を持って暮らしているのですから.日本は自然にマクロビオティックになってしまう国であったと思います.

現代文明は四季の巡りを感じさせない環境を作ってしまいました.ですけれども、もっと四季の巡りを意識して街作り、生活作り、子供に対する人作りをしていけば、日本人は本来の美的感覚を表に出して、日本人らしい暮らしが出来ると思います.日本人の特徴は美意識だと思います.善悪の判断基準も自分の思う美しさだと思います.四季の巡りに啓発された宇宙の真理ともいうべき美しさを、私達日本人は生活規範にしてきました.周囲を見回して美しいなあと思う空間を取り戻して、子供達に美しさとその移ろいを実感させながら成長させたいものだと思います.
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水上勉の筑波根物語

2006-10-07 09:22:52 | Weblog
一昨日の新聞の広告欄に目が止まりました.「筑波根物語」.それは水上勉が未刊のままに残した小説で、やはり横瀬夜雨の生涯を追ったものでした.読みたいと思います.
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酔芙蓉

2006-10-05 13:31:13 | Weblog
酔芙蓉が咲き始めました.庭の普通のピンクの芙蓉はもうとうの昔に咲いて、この色変化をする酔芙蓉はなぜか花芽さえ見せていなかったのが、とうとう咲いてくれました.この名の由来は、朝は白く咲いているのに夕方にもなるとお酒によったかのようにピンクに染まるからとのことです.

芙蓉のあでやかさはご存知のとおりで、午前中の楚々とした風情は若き日の楊貴妃、午後からは国をも傾けた楊貴妃という感じです.昨日の花が濃いピンクに萎んでいるのも白い花の間に合ってきれいです.牡丹の花より、木の花である分清々しさがありますが、優劣つけがたいあでやかさだと思います.個人的好みでいえば、芙蓉の花が私は好きです.
今月の教室に参加される方は、ご覧になれると思います.

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食器の季節

2006-10-03 10:02:20 | 季節・週末散歩

暖かみのある食器を選ぶことが多くなってきました.これから冬に向かって土物の登場が増えます.お粥をよそう塗りのお椀も更に厚みの増したぽってりとしたお椀になります.夏には呉須のさっぱりとした磁器のお茶碗を多く選んでいました.お粥用の塗りのお椀もやや薄手のもの.涼しさを選んでいた自分の気分が、季節のめぐりと共に暖かさを選ぶように変わっていくんですねえ.確かに人間も地球の一部で太陽を回っているなと、実感してしまいます.

マクロビオティックのいいところは、究極的に食べ物が少なくなっていくと共に、使用する食器類も少なくなっていきますから、食器を選ぶ楽しさが大きくなっていきます.食器の放つ雰囲気もお料理の2分の1位になります.昔から私の選ぶ焼き物は、磁気は呉須、土ものは唐津風と大体決まっていましたから、我が家の食生活を彩る食器は、それに塗り物を加えた三本立て、娘達に言わせると「好み鮮明、おかあちゃまの食器棚って直ぐ分かる」という具合です.

冬は土物と塗り物、夏は磁器と塗り物、春と秋は土と磁器の割合、お椀の触感が移行する時期と、これまた季節の巡りを毎年繰り返しては秋が来たなあと自分の感覚の変化を確かめます.私は漆器が大好きです.漆器は高い買い物です.でもお粥用に一度お試しください.先ず手が熱くならない.お粥が最後まで冷めずに美味しい.持った感じが優しい.それに堅牢です.修繕がききます.それに決心の末に買ったものはいとおしい.そのような食器でその時の思い出も一緒に食べるんです.ちょうど日本の歌詠みの伝統が、一語一語に昔その語を使って詠んだ人の思いまで含んでいるのと同じです.

今年は実家の柿が一つもなっていません.父の甘い思い出の味がありません.でも木犀は香りを風に含ませています.木々は冬支度をはじめました.私達も自分の日常の選択を実感しながら、季節の巡りを楽しみたいと思います.

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