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マクロビオティックインスピレーション・随想古事記・日本語と歴史・バベルの塔・日々雑感

るに点々と平戸人から:d→r→n

2014-11-27 13:55:46 | 日本語・古事記・歴史・日本人

3年以上も前の下書記事を見つけました。それで考えましたが、一応先日の『東海林さん』とも関わりがあるので、改めて公開することにしました。ちょっと中途半端なのですが、今更完成させようとしてもインスピレーションがありませんので、そのままにします。

 

言語に関する考察・雑(2011-08-25)


6年余も前の記事『るに点々と平戸人』と、川崎先生の説とがここにきてつながっていることを発見しました。そればかりでなく、言語に興味を感じるきっかけとなった七夕という美しい言葉、これは母方の伯父から七夕の笹の頂上に付ける吹き流しには『豊宮日七夕織姫大明神』と書くのだと教えられたことが私の『言語と歴史』というテーマの始まりなのですが、その言葉とも大きな関連を発見しました。

一つ目は『るに点々』。これは川崎先生によると、d→r→n(あるいは、d←r←n)転化といって、世界中の言語を見渡すと、一般的に見られる発音上の民族と癖というか訛りというか、特性らしいのです。何度も記事の題材にした韓国の時代劇『チュモン』でも、私達が漢の四郡で習った『楽浪郡』を『ナンナン郡』といっているのを聞きました。その特性上に平戸の『だ行』があり、幼い長女が図らずも言った『ルに点々はドゥ』という発想があると思います。また英語の『チャールズ』はフランス語の『シャルル』であり、ドイツ語の『カール』です。こうした変化が骨格上の条件による口や耳の構造の違いなのか、気候条件に依る変化なのか、地域的好みに因るのか・・・・・様々な要因によって私達は国語というものを作ってきたと思います。そしてそれが天から降ってきたように局地的に国語として発生したものではなく、私達人類の祖先たちが一つ一つ音に意味を定義していった(?)延長上にあるということを確信しています。

私達は少なくとも音という言葉を持ってアフリカから出発したと思います。最初はエジプトからメソポタミアに出て行ったのでしょう。それが十万年前でした。そして人口が増えてくると様々な要因により、以前に『民族の形成』で展開したとおり世界各地に進出しました。私達の極東地域に人類が到達したのが三万年前だろうといわれています。そして一万五千年位前の氷河期にベーリング海峡を越えたそのモンゴロイドが南アフリカの南端マゼラン海峡に到達したのが一万年前といわれています。私達のアジアではこの最初のモンゴロイド達が等しく持っていた基礎的言語を各地でそれぞれの言葉に発展させたはずです。同じことが世界各地で起こったでしょう。それはコミュニケーションの必要のあるところどこでも同じだったと思います。

その間も最も人口が増加し続けた地方が当時の文化の中心であるメソポタミアで、必要なコミュニケーションの規模が時間的にも空間的にも広がったのだろうと思います。それでここに最初に文字が発明されることになりました。(と言われています。それではカタカムナは?・・・・となりますが、この問題はしばらく棚上げにしておきたいと思います。)これが大体紀元前五千年頃と推測されています。発見されている最初の楔形文字は紀元前三千五百年くらいの文字だと言われています。人類の有史時代の始まりです。この間(つまり最初の出アフリカから文字の出現までの間)人類は何度もメソポタミアを後にしたはずです。そして先に行った人々と混じり合って歴史を作ってきたはずです。それはメソポタミア内部でも同じことだと思います。世界中に最初の牛、蛇、鳥(豬)、犬、馬の諸部族が散らばったのと同じく、牛族の本拠地メソポタミアにももともとそこで発生した蛇族と犬族がおり、蛇族と犬族の出戻りがおり、遠くで部族を確立した鳥族と馬族が戻って来て・・・・・と様々な部族が存在したのだと思います。

先日来のスランプの原因もここにあったと感じています。川崎先生の展開しておられる民族の歴史も文字の発見以後のことなので、単純な民族構成であったわけがありませんし、また先生ご自身の説も発展していったのだと思います。そして遺物による考古学も文字による考古学も推測の域を超えられない事があるのだと思います。たとえ『牛』であるべきものがなぜ『犬』なのだと言ったとしても、『犬』を『牛』だと言うわけにはいきません。私達はあくまで現実を受け入れるしかないのですから。ただそこには『牛』が『犬』になるわけはあったはずです。あるいは『牛』と『犬』の理解が間違っているのかもしれません。それで私は混乱してしまったのですが、私はその答えを『混在』という事態に見つけました。この世の物には『純粋』は真実でなく、『不純』こそが真実でした。私達も父母から分けられた半分ずつという『不純』の人生を生きているのですから。


ところでアジアでは紀元前千五百年ごろの殷の時代この五族がすでに揃っていたと言うより、犬牛馬族の急襲にさらされていたらしいのです。これが『五色人の謎』シリーズの『Ⅰ・Ⅱ・補』三回にわたるお話でした。その時私達の日本ではどうなっていたかと言うと、少なくとも殷の時代までは、つまり縄文晩期ころまでは様々な地域性を持った蛇族と鳥族のバリエーションだっただろうと思われます。牛族がいたとしても少数派だっただろうと思います。そこに犬族・牛族・馬族がやってくるのです。七夕祭りの織姫様は天帝のお姫様です。その織姫様に捧げられた七夕飾りの一番上に付ける吹き流しの『豊宮日七夕織姫大明神』、これが織姫様の素性を示していたのだとは!!!!!織姫様は鳥族のお姫様でした。それではくちょう座が天の河の渡し役になっているのです。

       かささぎの渡せる橋におく霜の白きを見れば夜ぞ更けにける



私達の白鳥座はかささぎです。『織姫彦星』『織女牽牛』『たなばたつめとうしかい』、このお話は一体どこに生まれたものなのでしょうか。河東に住む織姫、河西の彦星・・・・・・西から牛の群れを引き連れた『彦』がやってきたのだと思います。



コメント (2)
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東海林さん2

2014-11-21 16:51:15 | 日本語・古事記・歴史・日本人

東海林さん1を発表して一週間、どんな仮説を組み立てられたでしょうか。本当はそれを伺いたくてたまりません!!!コメント欄にでも発表していただけたら、どんなに嬉しいでしょうか!!!

東海林(ショウジ)さんといわれる方々は、少なくとも王仁博士の漢字渡来以前から日本に住んでおられた家族です。そして家族名氏族名が漢字になるにつれて、まあ多少音の変化はあっているかとも思いますが、『ショウジ』という音に対して漢字を採用することにしました。そこには音と意味と好みとが反映していると思います。

 

まず音。『ショ』に対して東、『ウ』に対して海、『ジ』に対して林を採用しました。現代の私達には音に対してかなり厳格な区別がありますが、類推するに昔の人にとって、『ショ』も『チョ』も大して違いはなく、それはどちらかというと癖の問題・・・・・つまり訛りの問題だったんです。

現代でもわが国では名前に限らず長母音が多く、韓国では圧倒的に『・・ン』が多いように聞こえます・・・・・・つまり『チャン』さん、『チョン』さん、『ヤン』さん・・・・・という具合です。これは民族的訛りというものだと思います。

それからもう一つ川崎(真治)先生から教えていただいたことになるんですが、それぞれの音行(か行、さ行・・・・)中の変化というか、交換というか、かなり自由なんです。つまり『カ』は『キ』になり、『ク』、『ケ』、『コ』に適当にその民族的好み(?)で変わってしまうということなんです。つまりのつまり、『カン』は『キン』・・・・・『コン』に適当に変わるということなんです。また『サ』行と『タ』行は交換可能な関係で、世界の各言語間で変換され多様性を生み出しています。

そういうわけで、『ショ』は『チョ』になると同時に、『ソ』にも『ト』にも・・・・・ひいては『サ』にも『タ』にもなる(以前『柘植さん』に関する記事を書きました。)・・・・・だけど『サ』は『マ』行にはなりませんし『カ』行にもなりません。各行間には交換できる、言わば、姻戚関係というものがあるんです。(『カ』行は『ハ』行になり、『ラ』行は『ダ』行になる・・・・・・これについては随分以前に『るに点々は?』という内容の記事を書いたことがあります。)

 

『ショウジ』さんは、それで『東』の字を選びました。ここにはたくさんの理由が重なっています。『五色人の謎』でご紹介したので説明は省略しますが、『東』は『トン』であり『チョ』であり、そして『ヒガシ』であり『ヤマト』です。何よりも、『ショ』という音に関連する漢字の中から鳥族・邪馬族・殷人の末裔の意味を持つ漢字を選んだんです。自分の氏素性を明確に表明したんだと思います。

次に『海』。これを『カイ』と読んで採用しているんだったら、『東海林』さんは王仁博士以後の人だと思います。ですが、『ショウジ』さんは『ウミ』を採用しました。そしてこれも何度もご紹介していることですが、『ウミ』は鳥族が渡来する前2万年以上も日本に住んでいた『ワタツ』人の言葉です。『ワタツ』人は蛇族で鳥族とは根っこが同じ氏族で、鳥族渡来以来仲良く融合してきた民族です。『ヤマト』が『大和』になる起源でもあるんです。そしてワタツ人の言語(カタカムナ)では『ウミ』は『ウ』でもあり『ミ』でもあり、意味上密接に重複してかかわっています。『ショウジ』さんには、『ワタツ』人との長い歴史を共有し同じ言語感覚があったんだと思います。

最後に『林』はかなり以前の記事で『るに点々』をご紹介した通り『リ →ディ →ジ』、日本人にはあまり『~ン』はなじみません。それで『リン →ジン』から『ン』を省略しました。元は『~ン』を日常的に使った民族も居たかもしれません。ですが『大和』民族が醸成される過程で混血になった日本語の音も整理されていったんだと思います。

 

こういうわけで『ショウジ』さんは『東海林』さんになりました。こうした自説の展開は、もちろん、川崎先生の説に触れたからですが、この中部地方の地名に対する漢字採用の柔軟性に触れたことも大きな要因です。ここの人達は本当に自由に漢字を使用しています。私は感動すると同時に、古代社会の息吹に触れた思いがしたものです。ちなみに『ナゴヤ』はどんな字であれ、ワタツ人の集落です。『ハカタ』も博多であれ伯方であれ、同じくワタツ人の集落で、『ハ』行と『ナ』行は交換可能です。

ついでながら先日の記事『ラグビー』のニュージーランドチームの恒例行事『ハカ』も、同じく蛇族の印だと思います。民族の移動での海洋ルートをたどった人々の伝統で、ワタツ人と同じルーツだと思っています。これもまた、私のテーマである『バベルの塔』事件にかかわる言語学的痕跡かと思います。

 

 

 


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自然薯

2014-11-19 10:22:05 | 季節・週末散歩

近くのスーパーで、佐賀県産の自然薯というのが、小さなパックに12~3センチ3本入りで売ってました。長崎県の山で掘る自然薯とは違ってすんなりまっすぐな形をしていましたが、佐賀の土はもしかすると柔らかいのかも・・・・・・と思いながら買ってきました。

試しに一番太いもの(といっても直径が3センチあるかないかなのですが)を原則(?)通りすりおろしてみました。水気が少なくもそもそした感じで、なるほどすぐに茶色になってしまいました。当然ですよね。お味は?・・・・・といえば、まあまあ・・・・・・ですが、つるつる~とはいきませんでした。

それならば・・・・・・と今朝お汁にしてみました。くずれないように厚めの輪切りにして、わかめと青ネギでお味噌汁にしました。口に含んでみると・・・・・・・お!お!お!お!お!、なんと『むかご』の味でした。まあ当たり前かもしれないのですが。これまで自然薯は『とろろ』にするか、『塩焼き』にするか・・・・・・そう言えば、塩焼きの時も『むかご』の味がしましたっけ・・・・・・

ちょっと新鮮な季節の味を感じましたので、ご報告まで。


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ラグビー

2014-11-14 10:22:18 | Weblog

夫はスポーツ番組の中でラグビーが一番楽しいらしい・・・・・確かに相撲ももう一つだし・・・・・というわけで、私もラグビーをテレビで見ることになる・・・・・それで私もそれなりに、「何であの人はあっち向けて突進するんだろう??」とか、「あ~、あんなに踏みつけられて(?)!!」とか、「うまくいった!!」とか、適当に楽しんで(?)います。

 

が、しかし・・・・・どうしてもわからないことがあります。それはニュージーランドの選手達の儀式『ハカ』とかいうものに対する相手選手団の態度です。黙ってジイッと見つめている??・・・・・それも整列して・・・・・まあ、これはいいでしょう。だけどそれだけ???自分たちはやらないの?????どうして???!!!

あれはどう見ても、自分たちを鼓舞し敵を威嚇している・・・・・だったら、それを跳ね返すのが、戦士魂というものでは?????足で地面を踏み鳴らすのが出来ないのだったら、せめて雄叫びでもあげたらどうですか!!!!!どうしてもわかりません。

 

ニュージーランドーイングランド戦では観戦者が音を立てて邪魔をしていましたが、それがいいのかどうかは別にしても、何となくわかるような気がしました。イングランド人としてはいたたまれなかったのかと思います。私だって日本チームが黙って立っているのを見て、太鼓を打ち鳴らしたい気分でしたから。


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東海林さん1

2014-11-13 11:30:30 | 日本語・古事記・歴史・日本人

『東海林』さんがなぜ『ショウジ』さんなのか、ご存知ですか???どなたか有望な説をおもちですか???

私の母方の祖母は、東海林太郎の歌を聴いて言いました。『何でショウジもんな、トウカイリンたな!!!』・・・・・これはとてもまともな説だと思います。だけど東海林という名字を冠する人々は他にもたくさん居て、みんな『ショウジ』さん!!!だとしたら『東海林』を『ショウジ』と呼ぶ理由があるはずです。

ここには以前ご紹介した『柘植さん』や『六平さん』と同類の理由があると私は思っています。そして特に、日本語の中に漢字が混じっていく時代と人々を映していると思います。ちょっともったいぶって、今日はその前章です。私たちの大切な日本語について、どうぞお考えになってください。


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父の背負子

2014-11-06 11:02:08 | 父の背負子3(雑記)

亡き父の誕生日(11月3日)と命日(5月8日)に『父の背負子』のご紹介と宣伝をすることに決めていたのに、遅れてしまって今日6日に記事を書いています。この年2回の行事(?)は私にとって、とても大切なことだと感じています。

以下がこれまでご紹介してきた私の『父の背負子(随想古事記)』です。

 

父の背負子・随想古事記

        父の願い   2010-04-30
        私の邪馬台国   2012‐10‐04
        随想古事記・はじめに   2012‐10‐05
        随想古事記Ⅰ・あめつちの・・・・・   2012‐10‐09
        随想古事記Ⅰ・イザナギとイザナミ   2012‐10‐12
        随想古事記Ⅰ・アマテラスとスサノオ   2012‐10‐15
        随想古事記Ⅰ・海幸と山幸   2012‐10‐23

        随想古事記Ⅱ・関連記事便覧   2012-10‐17
        随想古事記Ⅱ・神話と言語   2012‐10‐17
        随想古事記Ⅱ・天津神と国津神   2012‐10‐24
        随想古事記Ⅱ・アジアの神話と歴史   2012‐10‐31

        随想古事記Ⅲ・大和の心1  2012‐10‐26
        随想古事記Ⅲ・大和の心2   2012‐10‐27
        随想古事記Ⅲ・大和の心3   2012‐10‐29
        随想古事記Ⅲ・大和の心4   2012‐11‐02
        随想古事記Ⅲ・大和の心5   2012‐11‐03

        随想古事記Ⅳ・おそれながら・・私の仮説   2012‐11‐04
        随想古事記・おわりに   2012‐11‐06

        随想古事記前章・民族の形成   2011-04-11

        随想古事記前章・五色人の謎Ⅰ  2011-04-13

        随想古事記前章・五色人の謎Ⅱ  2011-04-14

        随想古事記前章・五色人の謎補(私の五色人説)    2011-04-21

          アインシュタイン博士の言葉    2012-08-17

        私の『中朝事実』    2013-11-03

 

 

まあ、これは全くの個人的希望と捨て去られて仕方のないことなのですが、私としては誰か若者の背中に『父の背負子』を押し付けたい!!!!!『父祖の背負子』でもいいんです!!!!!これからの世界を生きて行く若者に、『日本とは何か』を考える日本人になってほしいと思います。(考える態度として必要なこと・・・・・・おせっかいながら付け加えると、それは満腹をさけること。満腹を常態化すると、怠惰になり鈍感になります。そうすると、連綿と受け継がれているはずのものも、切れ切れになってしまうんです。結びつきを知らせる”ひらめき”も通り過ぎてしまいます。)

それぞれの背負子をどうぞ背負ってください。そして、背筋の通った『感想』をご自分の意見として背負子にお積みください。若者の新しい発展を心から願ってやみません。

 

コメント (4)
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