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マクロビオティックインスピレーション・随想古事記・日本語と歴史・バベルの塔・日々雑感

五色人の神々・八百万の・・・・・

2015-01-30 11:48:33 | 日本語・古事記・歴史・日本人

以前『アインシュタイン博士の言葉』という記事を書きました。そして博士がなぜ『日本という尊い国・・・・・』とおっしゃったかについて書きました。別に私達という日本人が取り立てて『尊い』わけではありません。日本人の祖先が部族を超えそれぞれの信仰を超えることが出来たという事実が尊いのです。私達の祖先が、理念に過ぎない『大和(だいわ)』民族という新しい『大和民族(やまとみんぞく)』を現実社会に作り上げたことが尊いのだと確信しています。

世界の現状・・・・・イスラム国・・・・・ここのところの情勢を見るにつけ、種々雑多の錬金が完成して『大和』を作り上げることがどんなに難しいか、私達の先祖が理想完遂にどんなに努力し犠牲を払ったか・・・・・・そしてどれだけその恩恵に現代を生きる私達日本人が浴していることか・・・・・ありがたく、アインシュタイン博士が仰った『尊さ』が身に沁みます。そして結局のところ、世界がこの問題を克服するには、私達が慣れ親しんだ

          八百万(やおよろず)の神々

がキーワードだと確信しています。やや原始的な宗教観????、シャーマニズム????、色々と解説されている私達日本人の『神道』ですが、そうではなかったのだと思います。これこそが部族を超越するための、脳のステップアップ・大和の覚醒だったのだと思います。そしてまたこれこそが、私達日本人が世界に示すべき『灯り』なのではないかと思います。

           

コメント (2)
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うぐいす餅

2015-01-28 10:54:13 | 季節・週末散歩

先週末の土曜日、高校の同年会[子丑会]に参加して、久しぶりに懐かしい楽しい時間を過ごしました。同級生のお店を貸し切りにしてもらって、12時半から夕方5時過ぎまで・・・・・。

そのお店は東池袋にあって、『地下宮殿(トルコの遺跡からの命名とか)』というフレンチのお店です。今年は私達のために、カラオケとスクリーンまで作ってありました。女性向けだそうです。パスタも評判が良いとか、どうぞお試しにお出かけください・・・・・と、これは同級生のコマーシャルでした・・・・・。

 

その日は久しぶりに吉祥寺で娘と一泊しました。そして季節がらの『うぐいす餅』を買いました。吉祥寺通りにある『俵屋』さんという和菓子やさんのうぐいす餅は、中の餡もうぐいす豆(?えんどう豆?)なんです!!!それで他所で食べるうぐいす餅とはちょっと違う雰囲気で、初春の気分を満喫できます。このお店は安政年間の創業とかで、ここの内も外もうぐいす色のお菓子が食べたかったのです。三年前に吉祥寺を離れたあと季節が巡る度に恋しく(?)思い出していましたが、これも叶って嬉しい上京になりました。

 

 


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牛族 柿本・・・???

2015-01-22 15:56:46 | 日本語・古事記・歴史・日本人

今日のタイトルは、アクセス解析にある『検索キーワード』の昨日の第一番からです。ものすごくうれしくなりました。まあ柿本は、姓から言えば、牛族ではなく犬族で・・・・・私の実家・深江は、これも姓から言えば、牛族です・・・・・そういうわけで現代の私達は混血ですね!!!これが大和民族だと思います。

 

牛族・・・・・『随想古事記』のなかでちょっとご紹介しましたが、私が子供のころから持ち続けた疑問があります。それは、

     なぜゼウスは牡牛になって地上に現れるのか?

というギリシャ神話に関する疑問でした。どうして荒れ狂う『コッテ牛』なの???不思議で不思議でなりませんでした。そしてこの疑問はいつしか、

     なぜスサノオノミコトは牛頭(ゴズ)天王なのか?

というもう一つの疑問に重なりました。

 

この二つの疑問に見事答えてくださったのが、何度かご紹介した川崎真治先生です。『五色人』の謎を解くきっかけになりました。そして日本全国に広がるお正月の『なまはげ』様の鬼(これに関しても以前記事にしました)にも、二つのタイプ・角を持つものと持たないものが・・・・・その地に住んだ人々の部族がしのばれます。

 

タイトル『牛族 柿本』のような検索キーワードで私のブログを見てくださる方は、多分同好の方に違いない・・・・・それで本当にうれしかったんです。ありがとうございます、これからもよろしくお願いします。

 


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一月は駅伝

2015-01-19 16:16:55 | Weblog

例年通り私のお正月は駅伝で始まり、三が日はもちろん、昨日の日曜日も先週の日曜日も駅伝三昧・・・・昨日の都道府県対抗男子駅伝ではなんと長崎県は最初から希望と夢と・・・・・という展開になり、久しぶりに郷土の血をたぎらせました!!!!!

そしてアンカーはあのユニークな走法の出岐選手・・・・・数年前の箱根駅伝を思い出しました。カメラの映像が遠すぎて姿ははっきりとわからなくても、あの走法で『来た、来た、来た!!!』と見つけて大興奮、楽しく観戦しました。

 

ところで、駅伝がオリンピックの種目になればいいなあ~~~と思います。これを言いたいがために今日は記事を書きました。

 

 


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マンダラ・マンダラゲ・命の仕組み

2015-01-10 12:30:54 | 父の背負子2(最終章・これを知るために)

曼荼羅・まんだら・マンダラ・・・・・・昨年一度記事にしましたが、またそのマンダラです。『マンダラ』とはこの世に現れてくる働きと現れてきたものを示す日本語です。『曼荼羅』がたとえ外国語起源の音を漢字に移し替えられた言葉にしても・・・・・です。日本語の起源であるカタカムナを再び現代に呼び戻された楢崎先生・宇野先生がお示しになったように、カタカムナ人の言葉は、一つのものの名前を表す音によって、それがどうやって現れてきたのか、どういうものか、ということがわかるようになっています。その音を日本語として私たちは使っているので、日本人はみんな『マ』『ン』『ダ』『ラ』と聞くと、意味は分からないにしても、何かぼんやりと『マンダラ』というものを理解できるような気がするようになっています。

今回の『マンダラ』ですが、これは仏教用語で日本で発生した言葉ではありません。が、何度も言うように、日本語で良く分かる・・・・・そしてそれに派生しそれが引きずり、あるいはそこにまとわり漂っているものもわかってくる・・・・・それがカタカムナ人の作った日本語の音の奥にある、日蓮上人ではありませんが、『妙法』とでもいうべき性質です。カタカムナの説明をする能力が無いので(これは、夫々各人が一念発起して、あるいは必要に迫られて、必然的・偶然的に、知る努力をする以外にありません。)、日本語の音の意味として『マンダラ』の意味を簡略に言うと、

    この世に在るものは、その前段階の在るもの(まだこの世には無いけれど、それになるようにまでなっているもの)に対して、そのものの持つ本質的力が働いて(その力は常に働いているので)現れたもの。 あるいは現れること。    

といったような意味になります。こういった言葉での説明はなかなか難しいので、その境地を体得するしかないことになりがちです。それで昔から修験道にも仏教にも修行が、難行・苦行、あるいはお遍路、野良仕事の中でふと体得する自然派修行・・・・・・いろいろ行われてきました。ですがカタカムナ人は、音を聞いたら分かるように、言葉を作ったんです。説明しなくてもわかるように・・・・・それが日本語のもととなり、日本人は何となくそうやって分かり合って暮らしてきました。そこに落とし穴もありました。いつも注意を喚起する人、諭し示す人が引き継がれること・・・・・それが途絶えると、初めのうちはまあ何とかなっていても、段々立ち行かなくなる・・・・・。それで、天武天皇もお嘆きになりました。「もはや、(カタカムナ人以来の?)言葉を理解できなくなってきた・・・・・!!!!!」無理もありません。時代は一万年も移って『バベルの塔』事件を経験して民族相争い、極東のわが日本は『大和』の理想を掲げて五族融和の錬金国家になっていたのですから。

 

前置きが長くなってしまいましたが、音としての『マンダラ』で知り得ることは、

     『マンダラ』はあなた自身であり、私であり、この世に生きとし生けるものであり、この世に在るすべてのもの、です。生物無生物、この世に在るものすべてのこの世に在る時間、すなわち『イノチ』の仕組みです。

古今東西人類の発生時から現代に至るまで、人類の最大関心事は『命』です。考える能力を獲得して以来それについて考えなかった人類はいません。身の回りに起こる親しい人の『死』、段々温かみを失っていく人の亡骸を目の前にして、命の来し方行き方を思わない人はいません。命を長らえること・・・・・これが果てしない人類の夢になりました。ついこの前の『小保方さん事件』もそうした人類の最先端の夢(私は賛成できませんが)の周囲に起きた事件です。『希望』によってゆがめられた観念ではなく、明晰で冷徹な事実認識として、命はどうやって生まれるのか、命はどうやって続くのか、あるいはどうやって絶えるのか、そして死んだらどこに行くのか、(命がもともと何なのか、)にもはっきりと答えが欲しい!!!!!

『マンダラ』はズバリその答えであり、『マンダラゲ』はそうやって現れた命が次に現れたもので次々に変化していく様です。『ケ』とはそういった意味です。とどまることはありません。命は続いているもののように見えますが、次々に現れてくるもの(マンダラするもの)だからです。『マンダラ』は『マンダラゲ』になり、またそれにマンダラして『次のマンダラゲ』になる。ずっとそれの繰り返し・・・・・次のマンダラを受け取れなくなるまで。

この次の『マンダラ』を受け取る能力がその人の健康度(生命力)です。この能力は様々な条件によって変化します。それが『曼荼羅図』になりました。中心の大日如来が最初の『マンダラ』です。あるいはそれ以前の大本です。それが『環境』や『食』や『思い』などの条件によって次の『マンダラ』の受け取り方が異なって、普賢菩薩や観音菩薩などのそれぞれの『曼荼羅華』を作っていくのが『曼荼羅図』として示されています。とりあえずの問題はどうしてその『健康度』を持つか、ということです。その健康度を持っていれば、あらゆる変化や条件に応じた次の『曼荼羅華』を作ることが出来るのです。そうして自分の人生という『曼荼羅図』を展開して行けます。つまり『命』を継いでゆけるのです。

その方法は、簡単です。そして最も難しい!!!!!『イノチ』の音を体全体に反響させる・・・・・というか、意識するというか、増幅させるというか、それだけでいいんです。この世はDNAとRNAのようにコピーすることによって成り立っているんです。だから発音(発声)することによって同じ心(命の発生)の波動がコピーされることになっているんです。命の元と向き合って、オウムのようにオウム返しするんです。それこそかしこみかしこみ、ありがたみありがたみ、その元から『マンダラ』され続けてきた『イ』『ノ』『チ』という音を体中で発声するんです。そうすることが受け取ることになります。だけど私の言っていること、わかりませんよね・・・・・、現代では送信者と受信者が同じ振動の性質を持っていないんです。だから段々説明がややこしくなる!!!!!これが私達の現代の『バベルの塔』、どうしたらいいんですか?????・・・・・そしてこれが、『ひれふり山教室』が始まった理由であり、私を含めた教室の面々が直面している問題です。

 

暗中模索というか試行錯誤しながらですが、この『命』の仕組みを取り入れて、マクロビオティックを広めることが出来ればいいなと思います。一般的に言われている『食』のみをマクロビオティックの方法論にしては、この人生は融通の利かないものになります。多くの人に受け入れられないものになる・・・・・かもしれない。マクロビオティックでいう邪食をしていても、長寿の夢を果たす人もいる・・・・・悟るためにお精進を食べていても、生臭坊主もいるし、悟りに辿り着かない修行者もいる・・・・・それどころか、破戒的生活をしていても悟るものもいる・・・・・・以前記事にしたルイジ・コルナオ翁は一日一食の少量のワインと卵で100歳余まで生きました・・・・・。乱暴に言えば、本当はどうでもいいんです。

もちろん『食』は大事です。『食』はその人の質を決める・・・・・というより、質を決めるための前提条件です。小学校の実験を思い出してください。青いインクの水にさした花は青く染まり、赤いインクの水にさした花は赤くなりました。その後の条件によっては青を緑に変えることは可能です・・・・・でも赤を緑にするのは至難の業ですし多分不可能でしょう。これが『食』という身体の物質的条件の世界です。そして『食』の中で最も強力な条件は、『量』だと思います。どんなに悪食でも、量さえ少なければ、毒を食べない限り、ひどいことにはならずに死ぬまで生きます。ということは、もしかすると赤に近づくことが出来るのかもしれません。『貪り食わない・分かち合う』という思いと、『他を自の必要に変える』という生物の食の掟で、『光』の世界の赤を緑にすることが出来る波動的条件になるからです。『食』は『食』だけにとどまらず、条件は互いに重複し関わりあっています。そうした『食』と『思い・意識』と、『環境条件』、つまりどこにどんなふうに生まれたか、どこで誰と何と出会ったか、いま何をしているか、どういう風に思っているか、どういう事態になっているかなどというものによって、私達は次のマンダラを生み出し、それにまた係っていくという自分の曼荼羅図を紡いでいるわけです。

 

また人間の課題として掲げられているのが、次の問題だろうと思います。

誰しもが間もなく死ぬであろう時を目前にする。その時『どうありたいか』、あるいは『どう思うか』。自分は人生の意味が分かったか。自分の人生はいったい何だったのか。あるいはもっともっと前に、毎日どう生きるか、どう思うか。いつでも死を迎えられるか。

長生きすることばかりが昨今の社会の希望ですが、それだと人生の最後は敗北ということになります。死を見つめないと老いを忌避し臨終に狼狽することになります。それだけは避けたいものだと思います。私のこうした意見もそれぞれの『マンダラゲ』の条件に加えて下さるというのが、教室に来てくださったり記事を読んでくださったり、ともかくも袖振り合いお会いしたという意味だと思います。今年もよろしくお願いいたします。


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平成27年、明けましておめでとうございます。

2015-01-03 07:47:04 | 父の背負子2(最終章・これを知るために)

新年おめでとうございます。今年がどんな年になるか・・・・・私は新しいブログ・カテゴリーの『最終章・これを知るために』を充実させようと思います。昨年は私にとって思いもよらぬ経験をすることになりました。それでうかうかしてはおれぬとの思いに至りました。この経験を絡めながら、記事を書こうと思っております。

 

自分の『年』・・・・・生まれてこの方何度地球の公転に立ち会ったか(?)ということですが、それだけの時間を生きたという目安ですよね。まあこれは、太陽と地球の質量と距離は、人間の歴史の長さくらいでは目盛が変わることはないでしょうから、『その人はいくつ』といって何の問題もないだろうと思います。ですが、こと『時間』となるとそう簡単にはいきません。以前もちょっと問題にしたように記憶していますが、『時間』って何だと思っていらっしゃいますか。

『時間』・・・・・『時間』・・・・・『時間』・・・・・。『時間』は年でも日でも、1時間という時の時間でも分でも秒でもありません。それは時間を外から目盛りした単位であって、『時間』そのものではありません。

結論を言うと、それは『生きている間(マ)』のことです。同じような日本語に『人間』や『世間』があります。有名な織田信長のエピソード、ご存じだと思いますが、信長が好んだ幸若舞の『敦盛』、気分が乗れば舞い唄ったといわれています。

       人間五十年、下天のうちをくらぶれば・・・・・・

この『人間』は『人として生きている間』のことです。『世間』は『この世(私説:お天道様がある世)が生きている間』です。人間は人としての時間、世間は道理が通っている時間の世、そして『時間』という言葉は、『トキの間』で『生きている』、あるいは『生かされている』仕組みを表した言葉です。

つまり『時間』というものは、生きているものの生きている間だけに関わっている『命』そのものであり、その『命』が発現する仕組みを表す言葉が『トキ』です。これは私達日本人の言葉を作り出したカタカムナ人の洞察ですが、私達現代人はこの1万年も前の先祖の洞察に脱帽する以外ありません。私たちは『時間』の本質を知りません。ですがその本質を表す日本語を日々使っています。そして何とはなしにその恩恵を受けています。なぜならカタカムナ人の作った日本語は、その本質と仕組みと現れ方を全部含めた脳波動を起こすからです。『言霊』といわれてきた所以もここにあります。

そしてとどのつまり、『トキ』によって発現する『命』も、おしなべて寿命があるわけではなく、『トキ』する条件が整っている間生かされるというわけです。友人である自然食品和み堀江社長の会社名は『トキ』というのですが、『トキ』する条件を整えるための商品を提供したいのだと解釈しています。余談ながら、今年も自然食品和みさんをよろしくお願いします。

 

今年はこうした私の体験的解釈を発表していきたいと思っています。一番初めに書きましたように昨年後半様々な経験をしました。そのことも間もなく整理して公表したいと思いますが、その体験によって後押しされています。多少焦りもあるのかと・・・・・?????も、思います。付き合ってくださる方が多いといいなあと希望しています。

 

 

早く記事を書いていたのですが、昨年末久司先生がお亡くなりになりました。それで余計にお年賀が『命』と『時間』というものについてになってしまいました。『年が明ける』ということがどんなことなのか、先生のお心がどんなものなのか、考えているうちに公開が遅くなってしまいました。今年もよろしくお願いいたします。

 

 

 

 


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