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宇宙の相似とマクロビオティック

2005-11-05 12:00:59 | マクロビオティック
人体は小宇宙だ!などとよく言われます。ですがそんな事はよく考えてみると当たり前で、宇宙と相似でない組織はないといえます。細胞の一つから宇宙までみな同じ力によって存在しています。地球上の生命の仕組みが似ていて当然なのです。雲の形が地形に似ていても当然なのです。蟻の社会と人間社会が同じ原理で動かされていて当然なのです。人間の作る組織が人体と似通った構造をしていて当たり前なのです。

私達は同じ宇宙の陰陽の力によって動いている自然の一部なのです。私達は宇宙に支配されています。いやだといってもその場その場の力に合った生き方以外に生きられません。ですから人間の形のままでは地球外では生きられません。私達は地球の形の一部です。それで地球上のものを食べたり食べられたりして変化しつづけています。人間が食べられるか?とお思いですか?人間は屍になったら微生物に食べられます。今は火葬ですが、イザナミノミコトが黄泉の国の神々と就いておられた供宴を思い出してください。或いは生きたまま一部をウイルスの培養基にすることもあるのです(!?)。

自然の一部の人間が作る組織もまた同じことです。国家組織も人体と同じです。頭があって胴体があって手足がある。そして名前があります。頭は行政府、胴体は産業社会、手足は移動組織であり辺鄙な地方組織です。名前は国名です。国民は細胞の一つ一つ。血球などのように動き回るものもいれば、骨組織のように動かないものもいる。顔はさしずめ象徴であられる天皇陛下です。こういう風に自然な形態の組織であったために日本の国柄は連綿と続いてきました。日本人がこんな自然な国を作ったことを私はとてもありがたく思います。国の運営はさながら人体のように頭も手足も動いていなければならないのだろうと思います。

私もまだまだわからないことだらけですが、マクロビオティックは宇宙の統一原理である陰陽の変化を勉強します。食べるという行為もその一部です。健康になるというのはその余慶です。平和も幸福もその余慶です。しかしその余慶のためには一人一人の実践の積み重ねしかありません。自分の為が他人の為の世界がマクロビオティックでは開けます。助け合って皆でマクロビオティックを学びましょう。教え合いましょう。久司先生が言われるように私達はみな兄弟姉妹なのです。同じ宇宙の小さな片割れです。

明日から私は孫の守と娘のお産介抱です。多分ブログの記事を書く余裕もないかと思います。お休みが長くても心配なさらないで下さい。私は幸せなババをやっていますから。また淋しくなったら書きましょう。
コメント (3)
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ほうずき提灯、その2

2005-11-02 09:28:52 | Weblog
昨日ご紹介したほうずき提灯です。いかがでしょうか?自然の美しさに思わず見とれてしまいますよね。あまりにもったいないので写真もご紹介することにしました。
一体誰の提灯でしょうか?迷子の鳩さんにコケコッコのおばさんが貸してくれたのもこんな提灯だったのでしょうか?

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ほおずき提灯

2005-11-01 10:55:24 | 出版記事
お盆にお供えする赤いほうずきが庭に残っていました。今袋の葉脈(?)だけがきれいに残って白い網目になって中の赤い実が見えるようになりました。これこそ本当に提灯だなあと感心して、美しい自然の芸術に感動してしまいます。

ところで美しいとはどういうことなんでしょうか。このほうずきだって白い網目の提灯になる途中は皮の部分が腐って少しずつ溶けたり落ちたりしていたのです。多分人目も引かずに自然の流れに従っていたのです。それも本当は美しい過程に違いないのですが、私達はそれをみても美しいとは恐らく感じません。芸術家はそこに美を見つけ出すのかもしれませんね。かげろう日記には“うつろいたる菊”にさして和歌を贈ったという記事がありますが、美しさは自分と照らし合わせて発見できるものかもしれません。

だとしたらどういうものを美しく感じるかということは、そのまま人柄を表わすわけですね。日本人は陶磁器の世界でも、ヨーロッパや中国大陸の美しさとはまた違ったものを発見しました。非対称や自然の力のかかり方による窯変など景色と呼んで愛でて来ました。動きを感じ取ったのです。命を感じたのです。イブキドノ神のかかわりを感じ取りその道を全ての物事に見つけ出しました。私達はその道筋と感応した時、美しいと思うのではないでしょうか。

日本人はその途中の過程である“うつろい”とか“さびすさび”とかいうものにも美しさを見ることが出来るようになっています。これを発見(?)したのは、足利義政だということになっていますが、多くの人々が感応したという事はそういう感覚がみんなの心の中に言葉を持たぬまま熟成されていたということでしょう。日本人は動きの中に自然の本質を見つけ出していたのだと思います。

マクロビオティックでも、桜沢先生が自然の本質を端的に表わした易の理論を解釈して無双原理という道しるべを残してくださっていますが、自然は動きの中にあることを学びます。陰陽はその左右もない宇宙の羅針盤です。陰陽は私達の美しさに対する感応の世界をもっともっと広げてくれます。なぜかといえば私達自身の自然の移ろいを知ることが出来るからです。自分自身が自然であるかどうか、これは自然と感応し合う程度の問題であり、それは自分の内側が自然であるかどうか、つまり自然を如何に取り入れた体であるかどうかにかかっているからです。自然そのままの心になれば、美しさの対象は宇宙の大きさに広がります。楽しみですねえ。

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