inspiration-macrobiotique・随想古事記

マクロビオティックインスピレーション・随想古事記・日本語と歴史・バベルの塔・日々雑感

日本の昔話2・一寸法師

2021-05-31 01:34:08 | 日本語・古事記・歴史・日本人

指に足りない一寸法師 小さな体に大きな望み お椀の舟に箸の櫂 京へはるばる上りゆく    京の五条の大臣殿へ 抱えられたる一寸法師 法師法師とお気に入り 姫のお供で清水へ    さても帰りの清水坂で 鬼が一匹現れ出でて 食って掛かればその口へ 法師たちまち躍り込む    針の太刀をば逆手にもって チクリチクリと腹中つけば 鬼は法師を吐き出して 一生懸命逃げてゆく    鬼の忘れた打ち出の小づち 打てば不思議や一寸法師 一打ちごとに背が伸びて 今じゃ立派な大男

 

多分私達世代の子供時代はみな、絵本も見ましたし童謡も聞いたと思います。この物語はちょっと変わっていて、子供心にちょっとした違和感を覚えたものです。どうしてかというと、一寸法師は老夫婦の間に生まれるのです。そして、生まれたときには親指にも満たない大きさだったのだとか。それでも夫婦は天からの授かりものだと、大事に育てます。ちっとも大きくならなかったけれど、働き者で孝行息子で、老夫婦をよく手伝いました。15歳になったある日、一寸法師は老夫婦に京の都へ上りたいと打ち明けます。老夫婦は心配しましたが夢を叶えてやることにしました。針の刀に麦わら(?だったか稲だったか)の鞘の拵えで若武者の出で立ちです。お椀の船に乗りお箸の櫂で船を操って、都に上って行きました。多分鴨川の上流域でのお話だったのだろうと思います。

一寸法師が五条大橋に着いて賑やかさに吃驚していると、そこに身分の高そうな大臣が現れて声はすれども小さ過ぎて姿が見えない一寸法師を見つけます。かわいい姫様のお相手になるだろうと、召し抱えられることになりました。それからは姫様の学問のお相手や手習いの墨を擦ったり・・・・・賢い一寸法師は「法師、法師」といつもお相手に呼ばれてお気に入りになりました。ある日お姫様は清水寺へお参りされ、一寸法師はお供をします。無事お参りを済まされ清水坂にさしかかると、そこに恐ろしい鬼が現れ襲い掛かってきました。一寸法師は針の刀を抜きはらって鬼に立ち向かいますが、摘まみ上げられて飲み込まれてしまいました。それでも怯まずお腹の中をあちこち突き刺しますと、あまりの痛さに鬼は法師を吐き出して一目散に逃げてしまいました。

一寸法師の働きでお姫様は無事でした。皆が大喜びをしているときに、お姫様は鬼が落としていった打ち出の小槌を見つけました。願いが叶うという打ち出の小槌・・・・・お姫様は法師が「大きくなれ、大きくなれ」と小槌を振ります。すると不思議なことに一寸法師の背が伸びて、立派な若武者になりました。そしてお姫様の婿になりました。

 

この後、多分老いた両親を迎えて、幸せに暮らしたのだろうと思います。だけどこの童話が何を言いたいのか・・・・・勇気をもって正しく暮らそう、ということかもしれませんが、あまりにも一寸法師という設定が自分と違っているので、本当におとぎ話でした。この小人伝説については、私達が知っているのは、大国主の二人の息子・少彦名(スクナヒコナ)とタケミナカタのうちの少彦名です。子供のころはこの神様が恵比寿様と思っていました。『チョンととんがっているのが、エビっちゃま!』というのが幼い私の言いようだったらしく、その頃はどこの家にもあった大国恵比寿の額が思い出されます。謎の神様で、国譲りのところにだけ出てこられます。馴染み深い笑顔ですが、エビスが『胡』や『戎』、『蛭子』や『夷』などとあてられて、歴史や全国の地名に残っていることを考えると、もっと研究すべき神様だと思います。

 

おとぎ話の決まりは、『おじいさんとおばあさん』・・・・・これがやや具体化して『おじいさんは山へ柴刈りに、おばあさんは川へ洗濯に。』これが定番です。その代表が『桃太郎』で悪者退治のお話。『金太郎』は『気は優しくて力持ち』の日本男児の理想ですが、実在のモデルがあります。『大江山の鬼退治』・・・・・坂田金時といって、渡辺綱(平戸松浦の祖)なのかその家来なのか、武勇に優れた侍です・・・・・どうやら『鬼』は大酒呑みの山賊の類で、周辺の人々を苦しめている輩ども(酒呑童子とその家来)のようです。花咲か爺さんも舌切り雀も、みんな『おじいさんとおばあさん』・・・・・『優しいおじいさんと意地悪おばあさん』『優しいおじいさんと欲張りおばあさん』・・・・・『優しい老夫婦と意地悪老夫婦』。『優しい弟と欲張りの兄』・・・・・どれも子供たちに『優しく良い心』を教えているのだと思います。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

初夏の味

2021-05-29 10:59:20 | 鍋物語・楽老膳

今年は初夏だというのに、梅雨だとか・・・・・・心が晴れませんが、初夏の味を見つけました。『オクラ』。冴え冴えとした緑が、ひと時心の憂さを吹き飛ばしてくれます。

 

  

                     

以前にもお話したように思いますが、オクラの種のぎちぎち感だけは・・・・・と、産毛のはえた生で食べられるようなオクラ以外は、縦割りにして種を取り除き、それから塩ゆでにして刻んで、削り節をかけ、お醤油で味をつけ・・・・・納豆のオクラ版です。初夏から夏の間の味です。緑が映えるように、白い洋食器を使ってみました。視覚で受け取る情報の『ヨロコビ』が、世界に蔓延するウィルス騒動の憂さ晴らしになりますように!!!!!   


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本の昔話1:因幡の白兎

2021-05-15 19:44:01 | 日本語・古事記・歴史・日本人

私たちの年代の頭の中に当然のように住んでいると言ってよい、海幸山幸、大国主命(おおくにぬしのみこと)、かぐや姫・・・・・こういう物語の記憶を若者は持っていないらしいと思う事態にたびたび遭遇します。『えっ?知らないの?・・・・・!』と思うことが多いのです。桃から生まれた桃太郎に瓜から生まれた瓜子姫、一寸法師に金太郎・・・・・こういう物語は、幼児教育の一環であったに違いありません。それが途切れてしまって、現在の混乱があるのではないかと思うようになりました。先日の父の命日・恒例の随想古事記のご紹介の日、いつもちょっとした記事を書いているのですが、今回胸がつかえて何も書けませんでした。世情を思いかわいい孫たちの将来を思うと、辛かったのです。そうした気持ちでいたところ、昔話を伝える義務があると思うとの友人の決心を聞きました。それで、私もこうした記事を時々書こうと思います。私たちは努力しなければならないのではないかと思います。

 

今日は因幡の白兎という大国主命(オオクニヌシノミコト)のお話を記事に残したいと思います。

大きな袋を肩にかけ だいこく様が来かかると そこに因幡の白兎 皮をむかれて赤裸  だいこく様の言う通り きれいな水で身を洗い 蒲の穂綿にくるまれば 体は元の白兎  だいこく様は誰だろう 大国主(おおくにぬし)の尊(みこと)とて 国を治めて世の人を 助けなされし神様よ

私達はこういう童謡を母から教えられて育ちました。だから誰でも話の大筋は知っており、我が国の古代に登場される神々に親しみを持っておりました。今になって考えるとそれが国を思い同胞を思う愛国心の土台になったのではないかと思います。愛国心というのは私たちの幸せな日々の暮らしを守ってくれる郷土というものに対する心です。家や家族と同じものです。それを失わせるものが敗戦後の教育だったのだと思います。それで、少し自分の考えを加味して、改めて昔語りを取り上げてみたいと思います。今回は『因幡の白兎』。

 

オオクニヌシノミコトは大きな袋を担いでおられます。何を担いでおられるのでしょう・・・・・それは八人の兄君たちの旅のお荷物です。どういう旅に出かけられたのかというと、ヤガミ姫というお姫様への求婚の旅に出かけられたのです。兄君たちはオオクニヌシを馬鹿にしておられたので、荷物持ちにして連れていかれたのです。オオクニヌシは重い荷物を持っておられたので、遅れて一人歩いておられました。そんな途中での出来事でしたが、当然兄君たちも白兎を見つけられました。兄君たちは哀れなウサギの姿を見て意地悪をされます。海で潮浴みをして風に吹かれなさいとおっしゃったのです。ウサギは言われた通りに・・・・・結果はお分かりですよね。潮がしみてひりひり、風で乾燥してひりひりピリピリ。あまりの痛さに泣いておりました。そこへオオクニヌシがやって来られたのです。オオクニヌシはそもそもどうして皮をむかれたのかもお聞きになりました。ウサギは海を渡るためにワニをだましたのです。それを渡っている最中に手柄話のようにしゃべってしまい、ワニの怒りに触れました。そして皮をはがれてしまったのです。まあウサギは大物ではなかったのでしょう。殺されることは免れました。オオクニヌシはワニをだました行為をお諭しになり、川に行って真水で身を洗ってそれからガマの穂を集めて包ってじっと休んでいれば元通りになるだろうと優しく教えて下さいました。こういう情け深いオオクニヌシの物語です。上記(うえつぶみ)と呼ばれる古書がありますが、それは大体オオクニヌシの故事で、医療や薬草についての記事で埋められています。オオクニヌシは今でも医療の神様です。

私たちはオオクニヌシと聞くと、こういう優しい神様をおもいうかべるようにインプットされて暮らしてきた国民です。自分のお手本にしてきました。そういう物語を記憶からなくすということは、本当に不幸せだと思います。我が子に、我が孫に聞かせてあげてください。その後オオクニヌシがどうなったのかというと、ヤガミ姫への兄君の求婚はことごとく拒否されて、オオクニヌシと結婚すると言われてしまいました。怒った兄君たちは策略を巡らせてオオクニヌシを二度殺害します。しかし母君の嘆願により神々の力で二度生き返ります。そして兄君の手の届かないところへ行かれますが、それがどこかと言うと、スサノオノミコトのところだとなっています。オオクニヌシはスサノオの第五世だったか七世だったかと思いますが、なんとスサノオノミコトのところでジャックと豆の木のような物語を展開して、スサノオの愛娘スセリビメと結婚して、出雲の王となられました。このお話は随想古事記にも記事にしています。

 

因幡の白兎が象徴するもの、ワニが象徴するもの・・・・・これについても考え深いものがあります。白兎は島で暮らしていました。海の向こうに見える陸に行ってみたいと思ったのです。それで一計を案じて、ワニの仲間がどれくらい多いか数えてやろうと言ったのです。ワニは言われる通り対岸までぎっしり並んで橋を作りました。そしてあと一歩か二歩というところで、得意満面のウサギは我慢ができず自分の本心をばらしてしまいました。私の分類ではウサギは多分牛族、スサノオやオオクニヌシの同族です・・・・・白兎はかわいい子牛だったのか牝牛だったのかもしれません。ワニは日本古来の一族、私がワタツ族と呼んでいる蛇族です。牛族は大陸から渡ってきた一族なのでしょう。日本の昔話には、こうした民族の歴史が顔を出している興味深いお話が、たくさんあると思います。日本の歴史は、多くの部族がヤマト民族に収束していった、世界に稀な私が主張する『錬金』国家の歴史です。昔話はそれを維持するための心の絆を作り出しているのではないかと思います。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

令和3年5月8日

2021-05-08 00:14:58 | 父の背負子3(雑記)

私の恒例行事の日が巡ってきました。父がまいた種を今度は私が若者にまきたいと思って始めました。昨年から歴史の変動をつくづく感じています。明日を担う若者と父祖をつなぐことが今の私の務めであり願いだと強く思っています。

 

以下が毎回ご紹介している私の随想古事記です。読んで頂けたら、嬉しく思います。

 

 父の背負子(随想古事記)

        父の願い   2010-04-30        

        私の邪馬台国   2012‐10‐04       

        随想古事記・はじめに   2012‐10‐05        

        随想古事記Ⅰ・あめつちの・・・・・   2012‐10‐09        

        随想古事記Ⅰ・イザナギとイザナミ   2012‐10‐12      

        随想古事記Ⅰ・アマテラスとスサノオ   2012‐10‐15       

        随想古事記Ⅰ・海幸と山幸   2012‐10‐23

 

        随想古事記Ⅱ・関連記事便覧   2012-10‐17        

        随想古事記Ⅱ・神話と言語   2012‐10‐17        

        随想古事記Ⅱ・天津神と国津神   2012‐10‐24        

        随想古事記Ⅱ・アジアの神話と歴史   2012‐10‐31

 

        随想古事記Ⅲ・大和の心1  2012‐10‐26        

        随想古事記Ⅲ・大和の心2   2012‐10‐27        

        随想古事記Ⅲ・大和の心3   2012‐10‐29        

        随想古事記Ⅲ・大和の心4   2012‐11‐02       

        随想古事記Ⅲ・大和の心5   2012‐11‐03

 

        随想古事記Ⅳ・おそれながら・・私の仮説   2012‐11‐04

       

        随想古事記・おわりに   2012‐11‐06

        随想古事記前章・民族の形成   2011-04-11

        随想古事記前章・五色人の謎Ⅰ  2011-04-13

        随想古事記前章・五色人の謎Ⅱ  2011-04-14

        随想古事記前章・五色人の謎補(私の五色人説)    2011-04-21

          アインシュタイン博士の言葉    2012-08-17

        私の『中朝事実』    2013-11-03

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする