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マクロビオティックインスピレーション・随想古事記・日本語と歴史・バベルの塔・日々雑感

追記『シシ』

2013-01-25 15:07:01 | 日本語・古事記・歴史・日本人
前回『獅子』についての記事を書いて思い出したのが、映画『もののけ姫』!!私は子供のお相伴で見ましたが、見終わって大人に対する映画であることも感じました。皆様はご覧になりましたか。

あの映画の中で強烈な印象を受けたのは『でいだらぼっち』です。何とあれは『しし神』の夜の姿で、どういう訳でそういう設定になっているのか私にはわからずじまいでしたが、夜の森をさまよい歩く・・・・・・私どもの年代の人間には聞き覚えのある『でいだらぼっち』もイメージをしたことがない・・・・・・ことを教えられました。

     そしてさらにその昼の顔は何と『大角ジカ』!!!!

大角(おおつの)ジカがシシ神様で夜は『長~い』首を持ったデイダラボッチになって彷徨う、サンを拾った白い狼は犬神、たたり神のオッコトヌシ(乙事主)の豬・・・・・主人公アシタカの乗るヤックルは馬ならぬカモシカのような・・・・・何となく五色人を連想してしまいます。宮崎監督はすべてをご存じだったのでしょうか・・・・・・




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     私達は横田めぐみさん達を取り戻さなければならない!!!


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書き残しておくべき父の言葉

2013-01-19 18:30:42 | 父の懐
それは南京事件(?)について、です。この事件については以前は自民党議員の失言(?)としてのみマスコミの攻撃に遭っていましたが、去年の河村名古屋市長、そして昨日の鳩山前総理大臣・・・・・そして日本人全てがこの事件を想念の世界に埋没させつつある状況を心配せずにはおれません。今までとりあげませんでしたが、戦争でなく戦闘という生々しい事態を現実に知っている人間としての父の言葉を残しておこうと思います。

父が私に言い遺したこと、それは第1に中国大陸の戦争における戦闘の末期の実態、第2に松井磐根大将の実像、第3に南京事件の問題化の時期、第4に数の問題の4点です。第1の問題に関しては『便衣兵』について中国大陸での実態と国際法に関して、第2には松井大将が如何に中国古典を愛した立派な人であったかと南京入城に当っていかなる厳しい軍律を課したかということについて、第3にはこの事件が問題として取り上げられたのが両国間の政治的外交問題として終戦以後であったこと、当時のヨーロッパジャーナリストによっても取り上げられたことがなく、それどころか日本軍の模範的振る舞いが称賛されたこと。この3点については調査されればわかることなので、今回は列記するだけにします。

ここで父の言葉として取り上げたいのは第4の数の問題です。父はこう言いました。『500人の兵隊で5000人の捕虜、もしくは敵害者を拘束するのは難しい・・・・』今朝のテレビ番組でドイツの大サッカー場が紹介されていましたが、6万人の観客収容力があるそうです。満員の状況のフィルムが流されましたが、その大人数たるや、父の言葉をしみじみと実感します。東京マラソンの参加人数をご存知ですよね。3万8000人だそうです。あの人数をどうやってコントロールできるでしょうか。父はまたこうも言いました。『500人で5000人を連行するのは怖いんだ・・・・・』

父が可能性として認めた最大数が500人(当時父が把握していた日本兵の数員だったのだろうと思います)で5000人の拘束でした。でもそれはとても難しい・・・・と言いました。そんな切羽詰まった状態で相手だって黙ってやられているはずがない・・・・と。もともと便衣兵が混じっているからこそ、そんな不幸な状況になり得るのだと・・・・・それが日本兵にとってどんなに恐ろしいことだったか・・・・・戦時下では様々な突発事件が起こり得ると思います。でも戦闘の実体験のないものが頭で考えることの危険性を、私達はよくよく念頭に置いて物事を判断すべきです。こういった類の事件があったかもしれません。でもそれがいつからか南京大虐殺になり、いつからか30000人になり、60000人になりました。広島や長崎に投下された原爆の犠牲者数、東京大空襲の犠牲者数を考えてみてください。この実態は正確に調査されるべきだと思います。それを願ってこの記事を書いています。

私達の父祖と中国国共軍と中国大陸に住んでいた人々は実際の戦闘のただ中にあったのです。戦闘員ひとりひとりにはゲームでもなく、それが善悪で判断できることがらでもないのです。判断できたとして一体それが何になるでしょうか。このことを一番実感した青年の一人が、カンボジアで国連平和活動に従事していた中井厚仁青年だろうと思います。彼は手記に残していました。『危険があろうと、それを分かっていようと、決められた仕事をやる』といった趣旨の文章を思い出します。人間とはそんなものです。与えられた場所で生きる以外にありません。そして私達は歴史の不幸に直面した父祖を敬愛の心を持って思い出すべきです。そこで死ななければならなかった人々を敬愛の心を持って思い出すべきです。実際に戦闘をしていた人々が、如何に怖れの心を持っていたか、知るべきです。そしてそれが少なくとも私たち家族のためであったことを知るべきです。そしてその人達がこういったのです。『靖国で会おう』と。言葉を発して誓った約束はもう取り消すことはできません。取り消す手立てがありません。

在京中や上京した時父はいつも靖国神社に詣でて戦友や父祖に参拝し、平戸に戻ってからは思いを馳せ遙拝していました。そんな父の心の中を懐かしくしのびます。私達は愛情を持って父祖の苦難をお慰めすべきです。




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国語・訓読み

2013-01-17 10:12:02 | 日本語・古事記・歴史・日本人
訓読みの謎が解けつつあります。この数年『もつれた糸が解けていく年』を過ごしていますが、お正月の風物獅子舞をテレビで見て思い出し浮かび上がってきた言葉の音

           ・ ・ ・ ・ ・  『シ シ』  ・ ・ ・ ・ ・

記憶に残るこの音との最初の出会いは小学校時代の社会科『鹿ヶ谷』事件・・・・・『シシガヤツ』と仮名がふってありました。(今の子供達の教科書では『シカガタニ』と呼び変えてあるらしいのですが???・・・・)そして俊寛僧都や百合若大臣の本を読みました。でもその時感じた疑問『シシ?・・・・・なぜ???』をずっと引きずって50年余り、『五色人』の謎が解けるまで、心の底でくすぶり続けました。

現代では『シシ』と言えば『獅子』で、『シシ』なる音をもつ日本語に残っている代表は、この記事を書くきっかけにもなった『獅子舞』ですよね・・・・・でも獅子舞の頭にも一つだけ不思議なことがあります。それは『歯』です。あの歯は、草食動物の歯ですよね。少なくともライオンの歯ではありません。伝説上の動物とされる唐獅子の歯は、ああいうふうに想像されたのか???・・・・とあきらめるしかない不思議が積もっていきます。神社を守る狛犬は、犬というけど唐獅子なのか???・・・・とこれもあきらめるしかありません。そんなもやもやの中で川崎先生の説にふれ『獅子』なるものが最大の動物を意味するのだと知りました。これだけですべてが氷解しました!!!!!

以前の記事『五色人の謎』でご紹介したシンボル(トーテム)名で呼ばれる古代の人々・馬族、牛族、犬族、蛇族、鳥族・・・・・・たてがみを持つ馬とライオン。角を持つ牛と鹿。牙を持つ犬と狼。長さを持つ蛇と龍。羽を持つ鳥と鳳凰。これが各部族における『通常』『最大(シシ)』の関係です。そして日本語の音『シシ』は『示しの中の示し』という意味です。

現生人類は最初、牛と蛇に分かれました。現代で言うコーカソイドとモンゴロイドだろうと思います。そして牛が牛・犬・馬に、蛇が蛇・鳥に、それぞれ分派して『五色人』を形成しました。その人種差は今から1万年くらい前にはもう世界で定着していました。そして犬・馬軍団が世界の王朝を圧倒的軍事力によって開いたのだとされています。勿論各王朝に混血度の差はありますし、土地柄というか気候柄というか、そういった気風の差による違いもあります。ですが西暦紀元前後にはヨーロッパの端から龍と鳳凰を王者の印としたアジアの端まで殆ど犬・馬王朝だと言って間違いないと思います。(蛇の王朝の残りが太平洋のただ中のハワイ王朝だったかもしれません。)それで現実的に『シシ』と言えば『獅子・ライオン』になったのだと思います。

そしてもう一つ『イノシシ』・・・・・これはこの関係そのままの呼び名です。『井(ゐ)』のシシ、つまり鳥族の卑称『井(ゐ)、つまり豚』の最大のやつ、という意味です。となればマノシシ・ウノシシ・伊(イ)ノシシ・ナノシシ・・・・・という言い方も昔はあって、それぞれが獅子・鹿・狼・蛇・・・・・だったのかもしれません。だから『シシガヤツ』という地名が生まれた・・・・・

という訳で私の頭の中の『シシガヤツ』事件は解決したのですが、子供達の教科書にもどうぞ『シシガヤツ』が復帰しますように!!!!そして平成の大合併でも地名の変更が各地で行われましたが、私達の歴史を紐解く地名をどうぞ痕跡として残して欲しい!!!!これが切なる願いです。




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世情雑感・食・・・

2013-01-10 09:36:53 | マクロビオティック
今年になって急にスポーツ選手の『食』に関するコメントを多く聞くようになりました。まあ全体に『科学的』栄養学なのですが、従来言われてきた感じよりかなり『マクロビオティック』的になっているように思います。100%と言っていいように感じるのは『和食』に対する評価の見直しです。昨夜もNHKの『クローズアップ現代』で取り上げられていましたが、半世紀にわたって支持されてきたタンパク質信仰とも言えるような『偏見』に対する見直しを耳にしました。

私が中学生のころの家庭科では、タンパク質は一日30g以上摂取しても排泄される、と習いましたが、昨日は余分は脂肪として貯留されると言っていました。そして糖質の不足が持続力を弱めてしまうので、頂点に立つスポーツ選手はお米のご飯を必ず食べるようにしているのだとか・・・・・何となく隔世の感があります。あんなにご飯が排斥されていたのに・・・・・そういったニュースには決して『マクロビオティック』という単語は出てきませんが、そのニュースを発表している側は『マクロビオティック』というものを意識していると思います。

スポーツ選手は口をそろえて『食事の管理』と言っています。そしてそれが体力ばかりでなく、集中力などのメンタル力にも影響を及ぼすと言っています。彼のイチロー選手は『カレーしか食べない』ように報じられていますが、本当のところは分かりません。普通だったらかなり危険ですが、運動量・食材・調理法・分量に厳しいチェックが入っているのだろうと思います。中年になって青年の頃の体型とは違っていますが、それでも絞られた神経の張った体つきです。どのように経緯するのか、興味を持っています。多くのスポーツ選手は常人とは違った運動量でエネルギーを発散しています。すぐに発散されるエネルギー量の問題ではほとんど問題になりません。問題は貯留するものです。アクや残滓や排泄できなかったもの・・・・脂肪や脂肪に結合して貯留されているものです。老年になって出てきます。

その典型とも言えるケースが長嶋選手ではないかと思います。夫が大好きです。それで私も大好きになりました。小学2、3年生くらい(多分)の頃弟から『長嶋って知ってる?センカヤママットって知ってる?』って聞かれたことがあります。両方とも知らない私は『知らない』で済みましたが、父は大笑いしました。『センカヤママット』が『戦艦ヤマト』だと判明したからです。(結婚するまでスポーツにほとんど興味を持たなかった私ですが、今では夫のゴルフ評論家(?)です。)幼い少年の胸に戦艦大和と並ぶ長嶋選手でした。その長嶋選手は大病を体験し、太陽のような青年壮年時代とは全く別の老年時代を生きておられます。『長嶋茂雄』という他人の知らない困難を克服して過ごしてきた長嶋選手は別のお手本になって頑張っておられますが、お幸せを祈らずにはおれません。

老年の幸せ・・・・・これが人生のご褒美なのではないでしょうか。これは自分の感情ですから、他人から見える幸不幸とは関係ありませんが、そこには二つの要素があると思います。一つは、来し方に対する肯定と満足。自分がやってきたこと・信じてきたこと・そして食べてきたことに対する肯定。もう一つはその結果起こってくる寂寥感に否定が無いこと。寂寥感を超えられなくとも穏やかであるうちはまだ良い・・・・・寂しさに襲われて老年を楽しく過ごすことが出来ないのでは幸せとは言えません。その肯定と満足の基礎が心身の健康ではないかと思います。そしてその健康は肯定と満足の対象である自分の人生の有り様によって作られるのだと思います。

老年の寂寥感。これは肉親を看取る時も強く思いました。いかにして寂しさを和らげてやれるか・・・・・これは本当に難しい問題です。たとえ看取る側がどんなに真剣であっても、寂寥感に襲われている本人ではないからです。ある意味これは生きるか死ぬかの苦難の中にいる人より恵まれている人の方が陥りやすい・・・・・『ナイチンゲール』というお話をご存知ですか。『ボヘミアの天使』ではない小鳥の『ナイチンゲール』です。これは中国のお話です。多分唐の皇帝のお話だった???と思います。


何の不自由もなく家来にかしずかれた皇帝は毎日憂鬱でさびしくてたまらず、その訳も分からず病気になってしまいました。そんな皇帝の窓辺にある日『ナイチンゲール』がやって来て歌を歌いました。すると皇帝は嬉しくなって気分が良くなりました。次の日も次の日も『ナイチンゲール』はやって来て歌を歌いました。皇帝は『ナイチンゲール』を心待ちにするようになり、病気もぐんぐんとよくなりました。すっかり元気になった皇帝は『ナイチンゲール』という心の友を得て『寂しい病』から解放されたのです。そうして過ごす皇帝に、おべっかを使う誰かが『ぜんまい仕掛けのナイチンゲール』を献上しました。

その『ぜんまい仕掛け』は待つこともなく好きな時に何度でも素晴らしい声で歌います。皇帝はすっかり夢中になりました。そして窓辺の友を忘れてしまったのです。するとある日大事件が起こります。その『ぜんまい仕掛け』は歌の途中で、ガチャ!っと大きな音をたてました。それからうんともすんとも言わなくなりました。皇帝は大急ぎで修理を命じましたが、その『ぜんまい仕掛けのナイチンゲール』は壊れてしまって、もう歌うことが出来ません。そして皇帝は自分が友を忘れたことを思い出し後悔するのです。反省の日々を過ごす皇帝の窓にある日昔の友が帰ってきました。皇帝は心から友に詫び友情を取り戻しました。


これは小学3、4年の頃両親が子供達のために取ってくれた講談社の『少年少女世界文学全集』に載っていたお話です。子供心に貴賎貧富の区別なくとりつかれる『さびしい』という感情に興味をひかれて良く覚えています。寂しさは『限界』に対して抱く人間の感情だと思います。そしてそれを通り過ぎることが、ある意味で、人生の目標でもあると思います。詫び寂びはそれを超越した境涯ともいわれますが、そこから『ぜんまい仕掛け』という思い込みをどれくらい排除できるかどうかが、その人生の成績表なのかと思います。そしてまたその力量は他人の寂しさをどれだけ和らげることが出来るかという『ナイチンゲール』度にかかっていると思います。『ボヘミアの天使』ナイチンゲールとつながると感心しています。看護の心は寂しさを癒そうとする心だろうと思います。




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平戸恋しや

2013-01-05 11:57:06 | 平戸
昨日夫は宿直勤務、私はひとりで『女正月』を楽しみ(?)ました。我が家の煮雑煮には白いお餅を使いますが、茶雑煮には玄米のお餅が美味しく感じます。それで玄米小餅を焼いて雑煮椀に入れ、鰹節をこんもり載せてお醤油を回しかけ、そこにたぎるように熱いお茶(湯)をかけます。これは平戸伝統の『茶雑煮』というもので、簡単美味、子供時代からよく食べました。祖母が小刀で鰹節を削ってくれたのを思い出します。その鰹節は最後ルビーかガーネットのように赤く透き通ってきれいだったのを思い出します。それをもってひとしきり眺めていると、いつも我が家の猫『若』が突進して来て、硬いので長い時間をかけしゃぶりながら食べていました。ついでにこの猫の名前は初代若乃花の『若』です。そんな昔の話です。

この茶雑煮は、私にとって平戸恋しやのシンボル、『へぎ餅』でもよくやりました。火鉢でこんがり焼いて同じように鰹節とお醤油にお茶をかけて食べる、言わばお八つのような楽しみです。

へぎ餅恋しや、恋しや・・・・・平戸にはジャガタラ文という悲しい江戸時代の遺文があります。平戸は松浦党の気風の城下町、海外飛躍というか、南蛮交易というか、ともかく国際都市でした。それでいつも珍しいのではと思うのですが、城下町の中心街は商人街で成り立っています。平戸の人はそこを『町』と呼びます。武士階級は主に『村』と言われた外殻地帯に住んでいました。それで裕福な商人達はかなり今風で、国際結婚もありました。そういう状況下、江戸幕府の鎖国令が下されます。

島原の乱鎮圧に成功した幕府は島原藩を親藩にしたうえ、南蛮貿易を幕府直轄にして辺鄙の地長崎を開発して天領とし貿易基地の出島を作りました。平戸の交易権は奪われてしまいました。そしてキリシタン追放令によって、平戸のかわいそうな娘達を含めてキリスト教の影のある者がジャガタラ(今のインドネシア)に追放されました。血肉を分けた子供達と無理やり引き離された母親もいたのです。そして遠い異国の地から送られてきた故郷の家族を恋うる手紙が、『ジャガタラ文』です。

     ひらどこいしや こいしや かりそめにたちいでて 
     またかへらぬふるさととおもへば・・・・・・・・


そして涙ながらに恋しい『うば様』にジャガタラのお茶を少し送ると結んであります。どんな暮らしをしたのでしょうか。当時の平戸人のことですから、ジャガタラに何がしかの基地を作ったと思います。それで便りを送ったりお土産を言伝たりしたのだと思いますが、決して帰国することはなく異郷で人生を終えました。そんな人達も平戸の食べ物が恋しかっただろうと思います。『へぎ餅』があったかどうかは分かりません。でも故郷と直結する食べ物は、きっと涙の味だったと思います。

『へぎ餅』はおかきの一種なのですが、特徴はすりガラスの透明度くらいに向こうが透けることです。1ミリあるかないかに削ぎ切ります。それで何が大変かというと、第一に切ること、第二に干すことです。のし餅を切りますが、硬くなり過ぎない頃、つまり28日にお餅をついて1日半くらいの硬くも柔らかくもない頃、大根で包丁の切れ味を復活させながら切ります。これが大変!!何しろ切る枚数が多いのです。そして枚数が多いということは干すために並べるのが大変ということになります。もろ蓋に重ならないように並べて、座敷の縁側にぐるりと並べました。

実家を引き継いだ弟は修理営繕に追われているようですが、家じゅうをぐるりと取り巻いた縁側がありました。その縁側一杯にへぎ餅を並べました。現代住宅では無理ですね。平戸の味茶雑煮は今でもどこにいても簡単に楽しめますが、『へぎ餅』はむずかしい・・・・・恋しい味です。もし平戸にへぎ餅があったら、きっと注文すると思います。平戸に帰ったらまた作りたいと思います。




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平成25年

2013-01-04 09:42:08 | Weblog
明けましておめでとうございます。

新しい年を迎えて皆様にはいかがお過ごしでいらっしゃいますか。夫婦二人になったお正月の祝い膳は年ごとにささやかな自分達の好みに合わせたものに変貌(?)しています。今年は一宮に移ってややさびしいお正月だったのですが、身軽な次女夫婦が来てくれてお陰で楽しく過ごしました。

でもでも・・・・・何と言ってもお正月の楽しみは『駅伝』!!!・・・・・という訳で、社会人のニューイヤー駅伝と大学生の箱根駅伝を満喫しました。社会人の駅伝メンバーには日本の期待をかけて、学生さん達には親の愛情入り混ぜて応援しています。学生さん達を勝手にみんなを我が子のようにかわいく思ってしまいます。

ところで、『めでたいめでたいお正月』ですが、めでたい訳を忘れて起こる浮かれ心を戒めて(?)『冥土の旅の一里塚』とか、『めでたさも中くらい・・・・』とか、昔から冷静な言葉も残っています。その中でも最もシニカルなのは、何と言っても一休禅師ですよね。

一休禅師がある日托鉢をしながら歩いていると、裕福な商人から挨拶を受けお正月の掛け軸にするための書を依頼されました。一休禅師は快く引き受けて商人宅で早速書いてやりました。

          『親死ぬ子死ぬ孫死ぬ』

これをもらった商人はこんな縁起の悪い・・・・と苦情を言いました。すると禅師は『子死ぬ親死ぬ孫死ぬ』・・・・そんな!とますます不満を言われて『孫死ぬ子死ぬ親死ぬ』・・・・・・とんでもない!!!最初のが良いと、商人はやっと順繰りの幸せを知ったとか・・・・・これも講談全集に載っていたお話です。

そんなこんなあれこれ考えさせられるお正月ですが、昨年暮れに買った本に『医療は老衰に関わってはいけない』と書いてありました。私達は『老衰の理想』を追わなければならない社会を迎えたと思います。今年の目標テーマに『スガヤカな老衰』という言葉を作りました。今年は老衰、或いは老境といったともすれば消極的なものについて、スガヤカな老人になるためには若いうちから考えるべきテーマとして追いたいと思います。




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