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マクロビオティックインスピレーション・随想古事記・日本語と歴史・バベルの塔・日々雑感

本のご紹介「台湾を・・・・」

2020-04-29 10:20:37 | Weblog

本を二冊ご紹介したいと思います。まずは、最近私が聴講生になった藤井厳喜先生の本。

  私には台湾についてずっともやもやがあります。それは私が小学生だった頃・・・・・その当時はまだ戦後間もなくていろいろな巡回映画やらお話やら、挙句の果てには、見世物のような怪力ショーまで小学校でありました。そんな中で、そのお話には感動して胸を熱くしたのですが、それがいったいどういう状況下で起こったのか、その後どうなったのか、それは歴史上どこにあるのか・・・・・いまだにわからないからです。

 

それは、多分福岡県豊前市の八屋小学校での思い出です。全校児童が講堂でお話を聞きました。その講師がどういう人だったのか、どうして台湾のお話をしたのか・・・・・・全く分かりません。だけど私にとって60年以上忘れられないお話になりました。

台湾には色々な部族の伝統が残っていて、(私は日本が台湾を清から割譲された後の話だと思うのですが)その統治に日本人がどのように苦労したか、そういうお話でした。その行政官は村民から慕われて成功していたのですが、ある時村人が相談にやって来ました。村人が言うには、『先祖代々受け継いできた祭礼が間近になった。自分たちは首狩り族で、生贄の首を祭壇にお供えしなくてはならない。何十年かに1回のお祭りで、今度だけ許してくれ・・・・・』というものでした。その行政官は、心を尽くして説得を試みたのですが、どうしてもうまくいきませんでした。

最後にその行政官は今度だけ、これから自分の言うことを聞くならと、許可を与えました。『今度の月夜の晩、衣をかぶって横笛を吹いている男がいるから、その男の首を取ってよい。が絶対にその被り物を取らずに首を取るように。』と約束させました。(子供心に私は、弁慶と遭遇した牛若丸のような衣装を想像したことを覚えていますが、それは時代錯誤の子供の間違いだったと思います。)そして、村人たちは本当だろうかと思いながら待ち構えていると、確かに男が現れて村人たちは飛びかかりました。その男が逃げずにじっと見たので、村人たちはちょっとひるんだそうです。それでも儀式を挙げなければならない村人たちは、その男の首を取りました。そしてその首をあらためて、村人たちは泣きました。それからどうなったのか、覚えていません。私も胸がいっぱいになって、泣いていたからです。

その行政官は、『ゴホウ(まさか?)』という名前だったという記憶なのですが、これも定かではありません。このお話の実際は何だったのか・・・・・知りたいと思います。それに我が平戸は『国姓爺合戦』で有名になった鄭成功ゆかりの地です。清に追われた明の王女(栴檀王女)を助けて鄭子龍・鄭成功親子が台湾に立てこもるお話です。鄭成功は平戸で生まれました。今でも鄭成功の記念碑があります。台湾と平戸とは繋がりがあり、『国姓爺せんべい』というワッフルのような格子模様の焼き跡がついたおせんべいが好きでした。このお話の真実を知りたいとずっと思っています。

 

本のご紹介から離れてしまいましたが、私達日本人にとって台湾という琉球列島の行きつく先の国が日本にとってどういう位置にあるのか、明治の先人たちがその重大な意味を理解していかなる苦労をして台湾統治に乗り出したのか、その台湾の人たちは如何にその時代の良いところを守り続けているか・・・・・台湾には20世紀に台湾人の『万葉集』が生まれたくらいです。その統治がどんなものだったかは推して知るべきだろうと思います。田中首相が唐突に台湾と断交して中華人民共和国と国交樹立した日を覚えています。あれはいったい何だったのか・・・・・その行きついたところが今回の『武漢発コロナウィルス騒動』だったのかと思わずにはおられません。台湾は見事に今回の騒動を処理しています。日本人にはもう一度台湾を考えてみる必要があると思います。国民は何故台湾と断交したのかを実感していません。それを埋めるために格好のテキストだと思います。

 

もう一つは娘から新刊が送られてきました。親として少し大人びた(?)娘を発見しました。

娘なので、多少のひいきをお許しいただいて、読んでいただければと思います。それにこれからはマクロビオティックも日頃の必要性を増すと思います。

 


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春な忘れそ・・・・・

2020-04-26 18:04:30 | 季節・週末散歩

ほとんど外出をしなかったために、桜の花を見損ないました。久しぶりに買い物に出かけて見つけたものは、八重桜の重たそうな終わりの姿と、初々しい緑。世界はすっかり初夏でした。 裏の木蓮の冴え冴えとした緑と、柿の葉の緑・・・・・。春を忘れてました。

                    

燃えるような赤いみどりの楓

     目が覚めるようです。

もう一つの赤いみどり・・・・・小鳥の足のようなドウダンツツジの若い枝

愛らしいシランの花。

自然はめぐっています。おすそ分けします。

 

 


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心の底から悲しいこと

2020-04-24 09:40:45 | Weblog

今回の武漢発コロナウィルス騒動の中、心の底から悲しいと思うことがあります。今回私達が初めて直面する事態で、かけがえのない家族が万が一発病して亡くなったとしても、亡骸に取りすがることが出来ない、泣くこともお別れを告げることも出来ない・・・・・通常私達は亡骸を見て自分の悲しみを認識し、悲しみながら諦めていく・・・・・このプロセスが絶対に必要だと思います。大体すでに瀕死状態になっていても、なかなか大事な人の死というものを認めたくないものです。死なれてみて、初めて愕然とするものです。多分多くの皆様も同じだと思うのですが、私も弟の死や両親の死をそうやって乗り越えてきました。

 

これはいったいどういう事態なのか、戦死の通知を受け取った家族の悲しみと同じかすかな希望を引きずって嘘のような諦めのつかない悲しみを引きずるのだろうかと思います。この胸を締め付けられる辛さは、どんなに想像してもわかるものではないと思います。伯母は満州から子供を連れて引き上げ、シベリアに抑留された伯父を思い続けました。伯父の死は40年以上わかりませんでした。

また子供の頃聞いた母の話が蘇ります・・・・・東条夫人とそのご家族は、戦犯の家族という理由で降りかかる言われない誹謗中傷をじっと耐えられた・・・・・昨日までお隣さんだった同胞がそんなことをどうしてしたのだろう・・・・・と子供心に思いました。今感染者や医療従事者の家族がそういう言われない事態に陥っているんですよね。私達日本人もそんなにつまらない民族だったのだろうかと、日本のアイデンティティを取り戻そうと考えている私としては、悲しみでいっぱいです。

 

 


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免疫力を上げるって??

2020-04-11 11:56:15 | その時々・武漢ウィルス騒動・・・2020

とうとう身近に感染が迫ってきました。これまで長崎県は壱岐に一人、それからもう一人・・・・・と言っているうちに、とうとうお隣の松浦市まで迫り、我が平戸にも見つかったとか?????・・・・・被害者が加害者になってしまうという意味で自粛するしかありませんね。どちらもお気の毒としか言いようがありません。

出来ることは、免疫力を上げる?????・・・・・って、具体的にどうするのか・・・・・実際に体の中で何が行われているか、それを実感することはできませんが、その結果、元気でいるかどうかが分かれてきます。そして実際に何が出来るかということは、限られています。私達は結局のところ『衣食住』に関与する以外に方法はありません。『衣』は体に触れるもの、『食』は体に取り入れるもの、『住』は『衣』と『食』の気体環境(つまり、『氣』と『心』。)『衣』では、何を選択するか・・・・・一個一個の細胞になったつもりで、気持ちの良いものを、あるいは気持ちをよくするものを、取り入れることが出来ます。伝統的に人間の知恵で選んできたもの・・・・・これが一番安全です。『毒を避ける』・・・・・これこそ、生命が命を懸けて磨いてきた力だと思います。『食』も同じですが、本来生物の唯一の仕事だったものです。人間以外の動物はこれだけに生涯を費やしていると言っても過言ではありません。人間だけはずいぶんと他人任せにしてしまいました。

『食』でもっと具体的に言えば、血液の質と流れを考えること以外に自分でできることはありません。血液が細胞を作り、維持し、古いものを捨てる・・・・・という役目を担っています。記事でご紹介した通り、私の髄膜腫も見事に消してくれました。その血液の補給を円滑にする・・・・・これが血流ですが、まあ良い血液が良い血流を作るので、結局は同じです。どうすればよいかといえば、太古の昔から生命を作ってきた『天然自然』を利用する以外ありません。それが伝統食というもので、私は日常食の基礎をなるだけ自然状態の食材と水と調味料を選んでいます。調味料は伝統的製法のもの、それと補助的食品・・・・・梅干し、など。梅干しは良い塩と紫蘇のみを使った伝統的製法のもの。

 

今回良い梅干しを見直していただこうと思ってこの記事を書いています。毎日取り入れることで、必ず免疫力の向上に寄与すると思います。それから、梅干を加工した『梅醤番茶』・・・・・これは忙しい近代人にもぴったりです。好みの濃さに溶いて飲むだけですから。私は、いつもご紹介している和みさんの『イキな梅醤番茶』を愛用しています。和みさんの商品名の『イキな』という意味は、『生命力を生む』という意味なんです。

子供の頃読んだ童話集にこんなお話がありました。昔子供が欲しかったお妃さまが、リンゴが食べたくなって、召使にリンゴを食べたいと仰いました。自分も子供が欲しいと思っていた召使は美味しそうなリンゴを選んでお妃さまに差し上げました。お台所に戻った召使は、お妃さまに差し上げたリンゴの皮を食べました。するとお妃さまは玉のような王子様をお産みになりました。一方召使も元気そうな男の子を産みました。生まれた王子様と男の子はたいそう仲が良くて、家来になった男の子は王子様の危難をいつも助けました。こういう筋書きの他愛もないお話ですが、結構示唆に富んでいます。要するに『皮』というものは身を守るためのものですから、強い力を持っているものなんです。『皮』には防御の力が宿っています。自然界でもポリフェノールを持っているのは皮なんですね。『生命』そのものは中身が持っているかもしれませんが、生命を守って維持するものは『皮』なんです。皮を持たない生命は存在しないし、生命のない皮は存在能力が無いということです。梅干しは、まさに身を守るためにしわくちゃになった、完全防御食品だと言えると思います。今回いみじくも私達は国境封鎖の意義を実感しました。国境は『皮』だったんですね。

 

 

それから『住』・・・・・これは住宅の問題としてではなく、『氣』と『心』として今回取り上げようと思います。自分の『氣』と『心』が支配する空間を自分の『体』(『家』)と呼びます。私の解釈では、この『氣』と『心』は同じ『生命力』を別の側面からとらえた言葉です。『氣』は生命力の運動で、『心』は生命力の自己認識です。『氣』が滞ると病気になると言われています。その『氣』を動かすために古来より様々な修行が行われてきました。だけどもっと簡単なことだったのです。『心』の作用で『氣』を動かすことが出来ます。『心』とは自己認識だと言いました。『認識』を変えることで『氣』を動かすことが出来ます。『心』とは自分の全細胞の認識の集合体なんです。ですがその『認識』にもいろいろあって、ぼや~~~っと思っているのもあれば、はっきり思っているものもあります。そのはっきり思っているものの中で、『何が違うのか』と思っているものが自分の基準と照らし合わせている『考え』であって、その『考え』認識を自分の基準に合わせて作り直すと、病気から抜け出すきっかけになります。

毎朝鏡に向かってにっこりと笑い、『おはよう』と挨拶をして下さい。天岩戸屋の前の神々の笑いを取り戻すべきです。それから、足りない位で良しとすること。被害者になってしまったもの加害者となってしまったもの互いを思いやり、みんなで笑いさざめいて、今回の困難を乗り越えたいと思います。

 

追記(4/16):一物全体を私達に改めて提案して下さった桜沢先生のマクロビオティック・・・・・皮ごとの調理法は私達の日常食の見直しとして真剣に取り入れるべきものだと思います。それから、皮ごと食べることのできる自然農法の見直し・・・・・私達の生活ああまりにも人工まみれ、食材も本来の力を失いつつあります。最低でも農業の自然な状態を消費者も協力して支持しなければ、こんな非常事態の体力がものをいうときに、皮ごと食べられる食材を得ることは難しいと思います。それから最も強力な『皮ごと食品』である玄米・・・・・美味しくないと不評の玄米を美味しくたやすく取り入れる方法が一つだけあります。それは、おじや。簡単だし、一週間に1回でも2回でも、家族そろって一つの火でご飯もおかずも食べられる鍋料理・・・・・『おじやや雑炊』を囲むというのも良い健康法だと思います。それに玄米は白米と違って、ふやけて食べられなくなりません。第一、腸がきれいになるという健康の基本が達成されます。

 

都会は自然食品が手に入りやすい環境ですが、全国的にはなかなか難しいかもしれません。全国的には、ポラン広場という宅配部門をもった自然食品屋さんがあります。地元に無い場合にはお薦めします。愛知県一宮市に居たときは、旬薬膳というスーパーがありました。そういうお店があちこちに出来ると良いですね。いつもご紹介している平戸の自然食品和みでも、調味料や乾物類などを発送してもらえます。


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カオスの中では、自分で考えよう!!!

2020-04-07 10:02:31 | その時々・武漢ウィルス騒動・・・2020

今回の武漢発コロナウィルス騒動は、カオスの中にあります。その中で右往左往すると余計カオスが増幅されて何が何か分からなくなり、買い占めに走ったり、ノイローゼ気味になったり・・・・・今一番つらい人は、従業員を抱えている人だと思います。私も経営をした経験がありますから、少しはわかるつもりです。

世界中が八方塞がりになっています。その理由は、今回のウィルスの正体がまだ示されていないからです。これについては、多分世界中の研究者が頑張っていると思います。私達に示されているのは、最低どういう予防手段をとればよいのか、という目安だけです。出来ることは、その予防手段を講じた上で、自分なりの解答を模索することです。そのうえで、覚悟をすえることです。私達は人間からは守られて暮らすことを保証する国を持ちましたが、本当は地球上の生物と全く同じ条件で暮らしていることをあらためて感じます。その条件とは、自分の選択一つで生きているということです。

 

こっちの道を行けば毒蛇が、もう一つの道を行けばライオンが待っている。どっちの道を行くか、という子供時代の頓智問答をご存知ですか。それと似たようなものが人生の選択であって、今回のウィルス騒動でも、自分が行った行動一つ一つに『したか、しなかったか』という選択がかかっており、どちらかの上にまた今日の選択を重ねて、ずっと片方の道を取り続けていくのが人生というものです。毎日自分で考え続けなくてはなりません。政府は私たち一人一人の『考え』に対応できるものではないことを自覚すべきだと思います。

 

昨日の私の問題は、『ウィルス検査』に関するものでした。ウィルスの検査を増やせと言われてみたり、検査の精度は40%くらい?????と言われてみたり・・・・・・確かに検査してあげればいいではないかと思いますが、政府の考えは、発症した段階では守らねばならないが、その前に大多数の人を守る態勢を早く確立したい、というものだと思います。だけど私達には専門家の常識が説明されていないので、不安が増すということになります。だったら、その不安を自分で考えて解決する努力をしたほうが良いと思います。

なぜ政府や専門家が誰もかれもの検査はしないほうが良いと言うのか・・・・・『精度』とは何なのか・・・・・私の解答はこうなりました。調べているうちに『条件付確率』というものが『精度』というものらしく(間違っているかもしれませんが)、無条件の人々の中での陽性判定の精度(本当に陽性である確率)が40%なら10人に4人ぐらいの確率ということらしいのです。だったら、確かに、症状が出た人(感染していると思われる人)とその関係者を調べたほうが精度が上がりその人々を隔離したほうが効率が良いと思います。納得できれば、自分のカオスを収めていくことが出来ると思います。一つ一つ自分の不安に自分で回答していく以外に、自分のカオスを収める方法はないと思います。前回の記事は、ウィルスの正体は何か、という不安に対する私の答えです。


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2020コロナウィルス騒動の謎

2020-04-04 00:17:38 | その時々・武漢ウィルス騒動・・・2020

今年の始め武漢発のコロナウィルス騒動がニュースとなった時、インフルエンザとどう違うのか・・・・・死亡数は圧倒的にインフルエンザより少ないのに、どうして問題なのか・・・・・などと実感がまだわかなかった時、水色の防護服を着た武漢のお医者さんが半狂乱で叫んでいるニュース画面を見ました。取り押さえられてどこかに連れていかれたようでしたが、あのお医者さんが亡くなった眼科医と言われている方でしょうか。あの異様さが、『何か変だ!』という違和感というか、疑問というか、謎が心を離れませんでした。それでも、これはまだ中華人民共和国内の問題だったような気がします。

しかしあの豪華客船が汚染されて横浜港に入港してから、身近な国内問題になってしまいました。それからの国内の対応も、違和感を禁じ得ないものでした。あんなに厳重にしなければならないほど、おどろおどろしいものなのか・・・・・『何か、おかしい・・・・・』『え?・・・・・山中先生も番組を作られるほど?????』それからは、国内で感染者数がチラホラから段々になり、今ではどんどんになって・・・・・そのうち、都市封鎖だとか、医療崩壊だとか・・・・・イタリアでは死者が10000人?????・・・・・『どうして?????』・・・・・何か人種によって、あるいは人によって感染しやすい鍵があるのか?????・・・・・『何かおかしい』あの異様さが頭を離れなくなりました。

『何かおかしい』知らないことを埋めるために考えているうちに、前回の記事の藤井厳喜先生の『ワールド・フォーカースト』の中の2月の記事の中に、このコロナウィルス関連の記事を見つけました。それは林建良と言われる台湾のお医者様との対談でしたが、これで私は自分の疑問の穴を埋め自分の結論を導き出すことが出来ました。私は医学者でも医師でもないので証拠を出すことも論文を書くことも出来ませんが、志村けんさんが思いもかけないほど急激に亡くなったことに対しても納得がいく気がします。

 

私の恐ろしい結論は、『インフルエンザのような感染方法を持ったエイズウィルス』だというものです。ディープコンタクト・・・・・と言っている不可解な言葉の謎も解けました。ハグをしないから・・・・・?????マスクがそれなりに効く・・・・・?????ウィルスなのに?????・・・・・そうなんですね、粘膜が問題なんですね。間接的感染をするようになったんですね。眼鏡もかけたほうが良さそうです。悪魔のウィルスで、人類の滅亡につながるかもしれません。もしもそうなのなら、私達は死ぬにせよ生きるにせよ、真実を知るべきではないでしょうか。

 

それからもう一つ、民族的体質というものが関わっているような気がします。日本は何故か少ない・・・・・と言われていますよね。マクロビオティックの徒としては、肉食(四つ足動物食)の多少が関わっているような気がします。ご存知かもしれませんが、日本では大和朝廷により、確か奈良時代だったかと思いますが詔(みことのり)で、肉食が禁止され江戸時代が終わるまで大半の日本人は牛肉も豚肉も食べませんでした。もちろん羊もウサギも・・・・・(四足は全部)。ホツマツタエでは肉食は『ハタレ』として出てきます。それに下肥(しもごえ)を使えなくなるので、農業との循環が出来ないのです。これは日本特有の歴史であって、最近はずいぶん変わっていますが、伝統的体質としてまだ残っているのではないかと思います。先祖に感謝して、免疫力を高める意外になさそうです。

 


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