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日本の昔話4・竹取物語

2021-10-05 01:24:48 | 日本語・古事記・歴史・日本人

一寸法師や桃太郎のようなかぐや姫の歌は聞いたことがありませんが、これもよく知られたお話で『物語の始まり』だとも言われています。お爺さんとお婆さんがいて子供を授かるというパターンですが、山へ柴刈りに川へ洗濯にというのではなくて、竹取を生業にしている老夫婦という設定です。ある日お爺さんは竹を取りに山に入ると、根本の光った竹を見つけます。訝しく思いながら竹を切ってみると、そこには可愛い女の赤ん坊が産着にくるまれて入っていました。老夫婦は大喜びに喜んで育てることにしました。不思議なことにそれから毎日お爺さんは小判が入っている光った竹を見つけました。老夫婦は豊かになって、その女の子はすくすくと育って、数年ですっかり成長して、周囲を明るく照らすほど輝くばかりに美しく『かぐや姫』と評判になりました。やがてはそのうわさが都まで届き、貴族の若者たちがやってくるようになりました。とうとう五人の貴公子から求婚されることになりました。

かぐや姫は五人の貴公子に無理難題を出します。この世にありえないものを持ってくることが出来たらその求婚を受けましょう・・・・・五人の貴公子、石作皇子(いしづくりのみこ)・庫持皇子(くらもちのみこ)・阿部御主人(あべのみうし)・大伴御行(おおとものみゆき)・石上麻呂(いそのかみのまろ)にそれぞれ『仏の石の鉢(ほとけのみいしのはち)』・『蓬莱の珠の枝(ほうらいのたまのえだ)』・『火ネズミの皮衣(ひねずみのかわごろも)』・『龍の首の珠(竜の首の珠)』・『燕の子安貝(つばめのこやすがい)』・・・・・誰も見たこともない何処にあるかもわからない宝物です。最初は『いざ!』と思った貴公子たちも、思案投げ首それぞれの取り巻きに囲まれて偽物作りに励んだり、偽物をつかまされたり、死ぬ目にあってあきらめたり、死んでしまったり・・・・・それぞれモデルがいるとされるこの五人の求婚はあえなく失敗してしまいます。

そうこうしているうちに、かぐや姫が物思いにふけってため息をつくようになりました。お爺さんとお婆さんは心配でたまりませんが、かぐや姫は何でもないと言うばかり・・・・・とうとう、かぐや姫は自分の身の上を打ち明けました。自分は月の国の住人で、次の十五夜に迎えが着て帰らなければならないが、お別れがつらい・・・・・そう言ってさめざめと泣きました。お爺さんとお婆さんはびっくりして、時の帝にお願いをして守っていただくことにしました。皇居の衛士達が幾重にも取り囲んでかぐや姫を守ります。そうしていると、月が大きくせまって昼間のように明るくなり、衛士達は弓矢をつがえようとしても力がなくなって皆崩れてしまいました。やがて月からの迎えの牛車がお供を引き連れて下りてきます。誰も動くことも口を利くこともできません。かぐや姫は自分の着ていた衣を自分だと思って健やかに暮らしてくださいと、お爺さんお婆さんに暇乞いをして天人の衣に着替え(その途端地上での暮らしを忘れて)牛車に乗り月の国に戻っていきました。

 

これは世界的に見てかなり変わっていると言うべきか進んでいるというべきか・・・・・このお話は実在のモデルと言われる人から見て、聖武天皇の御代くらいのお話なんです。その時代に地球以外の天体と行き来があったかどうかは別としても、日本人の頭の中にはそういう考えをする能力があったことになります。8世紀ですよ!!!!!すごいと思いませんか。このお話は子供心にも非常に不可思議なお話でした。何となく納得のいかない『もやもや』を残していきました。これと似たようなお話があります。『天の羽衣の物語』・・・・・これは、浜辺で遊んでいる天女たちを若い漁師が見つけました。松の枝には空中を飛ぶ『羽衣』がかけてあります。漁師はその羽衣を一本隠しました。さて天女たちが帰っていきますが、一人帰ることが出来ません。若い漁師はその美しい天女と結婚して、かわいい子供もできました。ある日天女の膝枕で寝た若い漁師はすっかり気を許して、羽衣の在処を話してしまいます。懇願する漁師とかわいい子供を残して、天女は帰っていきます。どうしても住む世界が違うのだと・・・・・つまり天女もかぐや姫と同じで、地上には住めないらしいのです。じゃあどうして下りてくるのでしょう。かぐや姫は罰として降ろされたらしく、天女たちは遊びに来たのらしい・・・・・不明です。

まあそこは追求することが出来ないので私独自の余談になるのですが、これは『ツクヨミノミコト』と関係しているのではと思います。伊弉諾尊の左目から生まれたアマテラスと右目から生まれたツクヨミ、鼻から生まれたスサノオよりよほど近いと考えられるのに、古事記はほとんどツクヨミの消息を教えてはくれません。ツクヨミとは誰の事なのでしょう。

 

私の結論は、『天帝』です。織姫様の父君。王権を伏羲に譲られたアジア最初の王朝の帝王で、世界最初の王朝。その建国までの経緯は不明です。ですが、約3万年まで遡ると言われています。伏羲は『蛇身人首』・・・・・つまり母が蛇族の天帝族だと言っています。アジアの正統な王朝の血統です。これを川崎真治先生は風姓『鳥族』と言っておられて、シンボルは鳳凰です。蛇族のシンボルは龍、それで天朝では父系の鳥族の王に蛇族の王后が大体の決まりになっていたのではないかと思います。随想古事記の記事に書いたように、鳥族は蛇族から分かれて内陸に建国したと言われています。カテゴリー『父の背負子・随想古事記』の記事を読んでいただけたらと思います。

『かぐや姫』の筋立ては、天帝の娘が織姫様と同じように、牛飼いに恋をして帝の逆鱗に触れ、地上に追われた・・・・・。『天の羽衣』は地上の記憶を消してしまう衣。だから『天翔ける』という言葉が、『死』を意味しているのではないかと思います。それはさておいて、ツクヨミが天帝なら、アマテラスは誰なのか。アマテラスはツクヨミの娘で、織姫様。では牛飼いは誰かというと、牛頭天王のスサノオ。このお三方がアジアの歴史の中核で、時を変え所を変え、名を変え立場を変えて繰り返し現れてこられるのです。大陸でも清王朝まで鳳凰と龍、朝鮮半島でも李氏朝鮮まで鳳凰と龍。そしてわが日本でも鳳凰と龍が王権を表しています。ただし清王朝も李氏朝鮮も鳥族ではありません。彼らは『犬族』オオカミを王権の象徴とするべき部族です。ただアジアの王朝の権威を受け継いで正統性を維持しているのだと思います。というわけで、我らが日本だけが世界で天帝王朝を維持しています。

ツクヨミは月がシンボル、天帝王朝は大陸で殷が滅亡して以来東西に散って東は我が日本に、西はチュルク系・・・・突厥、トルコ、トルクメニスタン・・・・・西に散った国々は今も国旗に月を持っています。チュルクはツキで、ターク・タルク・トルクもツキ・・・・・竹もツキ、柘植もツキ、日下はクサカ・サカ(チャカ・ツカ・タカ)もツキ・・・・・ツクヨミこそが鳥族の王・アジアの天帝です。伊弉諾尊が最後に産まれた三貴子、日本の歴史は三貴子のうちのアマテラスとスサノオのお話でなっていますが、私が抱いた様々な矛盾を解き明かしていくとこういう結論に到達せざるを得ないのではないかと思っています。随想古事記ではツクヨミについての疑問はそのまま残しています。我が日本はこの鳥族ともっと早く日本にたどり着いていた蛇族のワタツ人(これが縄文人だと思います・・・・・縄文は縄目ではなく蛇を形どっていて、大蛇である龍と雷がシンボル)が作り上げた風神と雷神の国です。その大和王朝を今も生きている世界唯一の国です。

 

ヤマタノオロチは土着の蛇族の偉大なる王のお話ですし、その名残が九頭竜の謂れとなり戸隠に祀られることになりました。安珍清姫は蛇になり、『鶴の恩返し』は鳥族の女が機織りをするというお話です。日本の昔話には歴史の記憶が働いているというわけです。お月見の好きな日本人、昔話をしみじみと感じてみるのも自分のアイデンティティをたどる良い手がかりだと思います。


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うからどち・ウカラドチ

2021-07-16 08:59:07 | 日本語・古事記・歴史・日本人

『うからどち』・・・・・父の歌によく登場するこの言葉を初めて聞かされた時、何かわからないけれど『懐かしさ』と『親しみ』を感じました。『どち』とは幼馴染というか、同志というべきか・・・・・その頃のイメージの連想は、『我は海の子・・・・・』という唱歌です。

  我は海の子白波の 騒ぐ磯辺の松原に 煙たなびく苫屋(とまや)こそ 我が懐かしき住処(すみか)なれ

  生まれて潮に湯浴みして 波を子守の歌と聞き 千里よせくる海の気を 吸いて童となりにけり

  高く鼻つく磯の香に ・・・・・・・

夏になると口ずさんでしまうこの歌は、小学校で習う香り高い国語の歌です。波の音を国語の調べにうつして海辺で育った懐かしい歌・・・・・これが私の心の底の『うからどち』、幼馴染と家族と温かいご飯・・・・・

 

日本人としてのアイデンティティである『五色人』が苦労して作り上げた『錬金国家・大和の国』(カテゴリー随想古事記のテーマです)までたどり着いた今わかることは、これは『海幸山幸』の『海幸彦』の歌です。その名残が今も残っていて、『うからどち』・・・・・日本語には『やから』もあれば、『たから』もあります。『やから』はあんまり良くないイメージを持っています。山賊です。なんと日本の正統性を身に負った『山幸彦』です。『たから』は『おほみたから』・・・・・日本の歴史で『百姓(おほみたから)』、お百姓・・・・・『みんな』のことになりました。(7/28追記:もう一つ忘れてはならない言葉がありました。それは『はらから』・・・・・仲間です。)

『我は海の子』はこの『うからどち』の歌です。日本列島の先住民族『うから』、少なくとも『やから』よりも先住した民族、これが自説の『ワタツ人』との関係がどうなのか追及していくつもりです。バベルの塔までは無理です(この記事を読んでくださっている何方かに託したいと思います)が、『ワタツ人』までは今生で解決したいと願っています。そして世界に冠たる錬金国家日本は、山幸彦と『うからどち』の王女豊玉姫との結婚によって成立したとして言い過ぎではありません。織姫様と彦星・アマテラスとスサノオ・豊玉姫と山幸彦・・・・・これらは共通の民族的記憶です。そして豊玉姫の国家こそが豊の国、邪馬台国の原点であり、今も地名に残る豊前豊後・・・・・豊の国です。そこに宇佐八幡があり、日本の正統性を朝廷がお尋ねになる理由があります。そして忘れてならないのが、山幸彦が竜宮王から統治権の象徴である治水権とともに譲られた『言霊』、つまり日本語・・・・・私たち日本人の原点もここにあります。

 

 

『我は海の子』で始まるもう一つの美しい歌、『琵琶湖周航歌』。ちょっとインテリめいた、私には大津の信楽の宮を連想させる歌

        我は海の子 さすらいの 旅にしあれば しみじみと 

            のぼる狭霧や さざなみの 志賀の都よ いざさらば・・・・・・・

みんな好きだと思います。だけど、海は海でも『淡海の海(あはみのみ)』ですね。健康的なおおらかさにおいては、小学校の『我は海の子』が圧倒的に勝っています。私達の根っこの歌だと思います。我が平戸の『平門(へいもん)男児』の歌では・・・・・?????歌い続けたい『うからどち』の歌です。『我は海の子』は私達『うからどち』のうたです。

 

追記(7/16):昨日記事を書いていたのですが、何となく中途半端になってしまっていましたので、本日修正して投稿日時も変更しました。こういう心の底にある歌をもう一度呼び戻してみたいと思います。


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日本の昔話3・浦島太郎

2021-06-27 11:45:39 | 日本語・古事記・歴史・日本人

昔々浦島は 助けた亀に連れられて 竜宮城へ来て見れば 絵にも描けない美しさ   乙姫様のごちそうに 鯛や平目の舞い踊り ただ珍しく面白く 月日の経つのも夢のうち   遊びに飽きて気が付いて お暇乞いもそこそこに 帰る途中の楽しみは 土産にもらった玉手箱   帰ってみればこは如何に 元居た家も村もなく 道に行き合う人々は 顔も知らない人ばかり   心細さに蓋取れば 開けて悔しき玉手箱 中からぱっと白煙 たちまち太郎はお爺さん

 

小学校の学芸会で、弟は主役の浦島太郎を演じました。玉手箱のふたを開けて、お爺さんになるところ・・・・・よく覚えています。その他のあの頃の演目といえば、『舌切り雀』や『安寿と厨子王』・・・・・夫は『アリババと40人の盗賊』のアリババ役をしたのだとか。私は演劇はさっぱりで参加するだけの組、ほとんどセリフも動作もない『木』の役とか動物の役。まっすぐ顔を上げているだけでも苦痛でした。だけど他所の組や違う学年の劇は楽しく見ました。町には水飴売りの紙芝居もあったし・・・・・というわけで、全国の子供たちは、絵本を読まなくても、みんな知っているお話だったと思います。

そんな中でも浦島太郎は特別です。竜宮城へ行ったのですから。竜宮城へ行ったことのある日本人は、この浦島太郎と私のブログの中のカテゴリー『父の背負子・随想古事記』で取り上げた山幸彦だけです。山幸彦はナギサタケウガヤフキアワセズノミコトのお父様であり、我らが皇統の始まりニニギノミコトの第三皇子です。このお話については以前の記事を見ていただきたいと思います。浦島太郎が竜宮城に行くきっかけは、亀を助けたことです。そして太郎の心根の優しさが、竜宮王の招待状を受け取ることになります。そして乙姫様と出会います。乙姫様ですから、多分竜宮王の二女姫です。大歓待を受けて、夢心地。2・3日(だったか、2~3年だったか)過ぎたと思える頃、親思いの太郎はふと年老いた母のことを思い出します。そして暇乞いをして、再び亀に乗って故郷に戻ります。浜辺について帰路に就いたものの、太郎は異変に気付きます。顔なじみが誰もいない・・・・・家のあったところに家もない・・・・・あまりのことに年寄りに尋ねてみれば、大昔に太郎という若者が年老いた母を残していなくなってしまった・・・・・と聞いたことがあるとか・・・・・。自分の持っているものを全部失った太郎は、ただ一つ持っているもの・竜宮城のお土産・決して開けてはならないと言われた『玉手箱』に気が付きます。開けてはならぬと言われても今更どうしよう・・・・・太郎は玉手箱を開けます。出てきたものは、白煙。太郎はたちまち、お爺さん。

この後どうなったのか、このお話が何を言いたいのか・・・・・今でもわかりません。西洋にも開けてはいけない箱を開けたお話がありますよね。『パンドラの箱』・・・・・こちらは、開けて出てしまったものが、この世の禍の数々。ありとあらゆる悪が人間界に飛び出して、最後に小さな光『希望』が箱の底に残っていたというお話。それから人間は希望のみを道連れに頑張ることになりました。でも浦島太郎は煙とともに何もかも失ってしまいました。何なのでしょう。

 

浦島太郎が亀を助けた浜辺はどこかご存じですか。私は母から、それが『ヨサの浜辺』だと習いました。『ヨサの浜辺』ってどこでしょう。私は子供心に若狭湾のどこか・・・・・という風に長いこと思っていた記憶があります。でもそれは、瀬戸内海の明石の近くだと言われているらしい・・・・・確かに住吉の翁もその辺に住んでいただろうし、竜宮城があってもいいかな・・・・・住吉の翁が竜宮王かもしれないんです。高砂でも、「いざ住之江につきにけり・・・・・」ですから、結婚の神様なんです。山幸彦も豊玉姫と結婚したし、太郎も乙姫様と結婚したのかもしれません。『ホツマツタヱ』では、若姫の回歌の恋文をもらったアチヒコが相談したのも住吉の翁だし・・・・・もう一つ気になる連想は、柿本人麻呂の『よさみの郎女』。よさみの郎女は猿沢の池に身を投げたのですよね。ともかく『ヨサ』という地名は何かあると思わざるを得ません。何かヒントがあったら、教えてください。

 

 

日本の長寿の印である『鶴と亀』・・・・・オオヤマツミの長女でありコノハナノサクヤヒメの姉君であるイワナガヒメ・・・・・彼女は陸に住んでいた竜宮族のお姫様。上陸組です。乙姫様は、海に住んでいた竜宮王のお姫様。ここから私の主張である『蛇族』と『鳥族』につながります。『亀』は蛇の仲間です。『鳥』は陸に住んだ『蛇族』の印です。空を飛ぶ竜です。地上にいるのは『大蛇』、海中にいるのは『亀』や『ワニ』です。こうした東アジアで国を作ったのが天帝一族・・・・・天帝の印が竜と鳳凰であるのは、その名残です。そしてそれが今も生きているわが日本は、易姓革命を是としなかった世界唯一の国家です。このアイデンティティを記事にしたのが、ブログ・父の背負子随想古事記というカテゴリーに発表したものです。読んでいただいて、一人一人の日本人としてのアイデンティティを確認してください。私達は天帝国家に生きています。


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日本の昔話2・一寸法師

2021-05-31 01:34:08 | 日本語・古事記・歴史・日本人

指に足りない一寸法師 小さな体に大きな望み お椀の舟に箸の櫂 京へはるばる上りゆく    京の五条の大臣殿へ 抱えられたる一寸法師 法師法師とお気に入り 姫のお供で清水へ    さても帰りの清水坂で 鬼が一匹現れ出でて 食って掛かればその口へ 法師たちまち躍り込む    針の太刀をば逆手にもって チクリチクリと腹中つけば 鬼は法師を吐き出して 一生懸命逃げてゆく    鬼の忘れた打ち出の小づち 打てば不思議や一寸法師 一打ちごとに背が伸びて 今じゃ立派な大男

 

多分私達世代の子供時代はみな、絵本も見ましたし童謡も聞いたと思います。この物語はちょっと変わっていて、子供心にちょっとした違和感を覚えたものです。どうしてかというと、一寸法師は老夫婦の間に生まれるのです。そして、生まれたときには親指にも満たない大きさだったのだとか。それでも夫婦は天からの授かりものだと、大事に育てます。ちっとも大きくならなかったけれど、働き者で孝行息子で、老夫婦をよく手伝いました。15歳になったある日、一寸法師は老夫婦に京の都へ上りたいと打ち明けます。老夫婦は心配しましたが夢を叶えてやることにしました。針の刀に麦わら(?だったか稲だったか)の鞘の拵えで若武者の出で立ちです。お椀の船に乗りお箸の櫂で船を操って、都に上って行きました。多分鴨川の上流域でのお話だったのだろうと思います。

一寸法師が五条大橋に着いて賑やかさに吃驚していると、そこに身分の高そうな大臣が現れて声はすれども小さ過ぎて姿が見えない一寸法師を見つけます。かわいい姫様のお相手になるだろうと、召し抱えられることになりました。それからは姫様の学問のお相手や手習いの墨を擦ったり・・・・・賢い一寸法師は「法師、法師」といつもお相手に呼ばれてお気に入りになりました。ある日お姫様は清水寺へお参りされ、一寸法師はお供をします。無事お参りを済まされ清水坂にさしかかると、そこに恐ろしい鬼が現れ襲い掛かってきました。一寸法師は針の刀を抜きはらって鬼に立ち向かいますが、摘まみ上げられて飲み込まれてしまいました。それでも怯まずお腹の中をあちこち突き刺しますと、あまりの痛さに鬼は法師を吐き出して一目散に逃げてしまいました。

一寸法師の働きでお姫様は無事でした。皆が大喜びをしているときに、お姫様は鬼が落としていった打ち出の小槌を見つけました。願いが叶うという打ち出の小槌・・・・・お姫様は法師が「大きくなれ、大きくなれ」と小槌を振ります。すると不思議なことに一寸法師の背が伸びて、立派な若武者になりました。そしてお姫様の婿になりました。

 

この後、多分老いた両親を迎えて、幸せに暮らしたのだろうと思います。だけどこの童話が何を言いたいのか・・・・・勇気をもって正しく暮らそう、ということかもしれませんが、あまりにも一寸法師という設定が自分と違っているので、本当におとぎ話でした。この小人伝説については、私達が知っているのは、大国主の二人の息子・少彦名(スクナヒコナ)とタケミナカタのうちの少彦名です。子供のころはこの神様が恵比寿様と思っていました。『チョンととんがっているのが、エビっちゃま!』というのが幼い私の言いようだったらしく、その頃はどこの家にもあった大国恵比寿の額が思い出されます。謎の神様で、国譲りのところにだけ出てこられます。馴染み深い笑顔ですが、エビスが『胡』や『戎』、『蛭子』や『夷』などとあてられて、歴史や全国の地名に残っていることを考えると、もっと研究すべき神様だと思います。

 

おとぎ話の決まりは、『おじいさんとおばあさん』・・・・・これがやや具体化して『おじいさんは山へ柴刈りに、おばあさんは川へ洗濯に。』これが定番です。その代表が『桃太郎』で悪者退治のお話。『金太郎』は『気は優しくて力持ち』の日本男児の理想ですが、実在のモデルがあります。『大江山の鬼退治』・・・・・坂田金時といって、渡辺綱(平戸松浦の祖)なのかその家来なのか、武勇に優れた侍です・・・・・どうやら『鬼』は大酒呑みの山賊の類で、周辺の人々を苦しめている輩ども(酒呑童子とその家来)のようです。花咲か爺さんも舌切り雀も、みんな『おじいさんとおばあさん』・・・・・『優しいおじいさんと意地悪おばあさん』『優しいおじいさんと欲張りおばあさん』・・・・・『優しい老夫婦と意地悪老夫婦』。『優しい弟と欲張りの兄』・・・・・どれも子供たちに『優しく良い心』を教えているのだと思います。


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日本の昔話1:因幡の白兎

2021-05-15 19:44:01 | 日本語・古事記・歴史・日本人

私たちの年代の頭の中に当然のように住んでいると言ってよい、海幸山幸、大国主命(おおくにぬしのみこと)、かぐや姫・・・・・こういう物語の記憶を若者は持っていないらしいと思う事態にたびたび遭遇します。『えっ?知らないの?・・・・・!』と思うことが多いのです。桃から生まれた桃太郎に瓜から生まれた瓜子姫、一寸法師に金太郎・・・・・こういう物語は、幼児教育の一環であったに違いありません。それが途切れてしまって、現在の混乱があるのではないかと思うようになりました。先日の父の命日・恒例の随想古事記のご紹介の日、いつもちょっとした記事を書いているのですが、今回胸がつかえて何も書けませんでした。世情を思いかわいい孫たちの将来を思うと、辛かったのです。そうした気持ちでいたところ、昔話を伝える義務があると思うとの友人の決心を聞きました。それで、私もこうした記事を時々書こうと思います。私たちは努力しなければならないのではないかと思います。

 

今日は因幡の白兎という大国主命(オオクニヌシノミコト)のお話を記事に残したいと思います。

大きな袋を肩にかけ だいこく様が来かかると そこに因幡の白兎 皮をむかれて赤裸  だいこく様の言う通り きれいな水で身を洗い 蒲の穂綿にくるまれば 体は元の白兎  だいこく様は誰だろう 大国主(おおくにぬし)の尊(みこと)とて 国を治めて世の人を 助けなされし神様よ

私達はこういう童謡を母から教えられて育ちました。だから誰でも話の大筋は知っており、我が国の古代に登場される神々に親しみを持っておりました。今になって考えるとそれが国を思い同胞を思う愛国心の土台になったのではないかと思います。愛国心というのは私たちの幸せな日々の暮らしを守ってくれる郷土というものに対する心です。家や家族と同じものです。それを失わせるものが敗戦後の教育だったのだと思います。それで、少し自分の考えを加味して、改めて昔語りを取り上げてみたいと思います。今回は『因幡の白兎』。

 

オオクニヌシノミコトは大きな袋を担いでおられます。何を担いでおられるのでしょう・・・・・それは八人の兄君たちの旅のお荷物です。どういう旅に出かけられたのかというと、ヤガミ姫というお姫様への求婚の旅に出かけられたのです。兄君たちはオオクニヌシを馬鹿にしておられたので、荷物持ちにして連れていかれたのです。オオクニヌシは重い荷物を持っておられたので、遅れて一人歩いておられました。そんな途中での出来事でしたが、当然兄君たちも白兎を見つけられました。兄君たちは哀れなウサギの姿を見て意地悪をされます。海で潮浴みをして風に吹かれなさいとおっしゃったのです。ウサギは言われた通りに・・・・・結果はお分かりですよね。潮がしみてひりひり、風で乾燥してひりひりピリピリ。あまりの痛さに泣いておりました。そこへオオクニヌシがやって来られたのです。オオクニヌシはそもそもどうして皮をむかれたのかもお聞きになりました。ウサギは海を渡るためにワニをだましたのです。それを渡っている最中に手柄話のようにしゃべってしまい、ワニの怒りに触れました。そして皮をはがれてしまったのです。まあウサギは大物ではなかったのでしょう。殺されることは免れました。オオクニヌシはワニをだました行為をお諭しになり、川に行って真水で身を洗ってそれからガマの穂を集めて包ってじっと休んでいれば元通りになるだろうと優しく教えて下さいました。こういう情け深いオオクニヌシの物語です。上記(うえつぶみ)と呼ばれる古書がありますが、それは大体オオクニヌシの故事で、医療や薬草についての記事で埋められています。オオクニヌシは今でも医療の神様です。

私たちはオオクニヌシと聞くと、こういう優しい神様をおもいうかべるようにインプットされて暮らしてきた国民です。自分のお手本にしてきました。そういう物語を記憶からなくすということは、本当に不幸せだと思います。我が子に、我が孫に聞かせてあげてください。その後オオクニヌシがどうなったのかというと、ヤガミ姫への兄君の求婚はことごとく拒否されて、オオクニヌシと結婚すると言われてしまいました。怒った兄君たちは策略を巡らせてオオクニヌシを二度殺害します。しかし母君の嘆願により神々の力で二度生き返ります。そして兄君の手の届かないところへ行かれますが、それがどこかと言うと、スサノオノミコトのところだとなっています。オオクニヌシはスサノオの第五世だったか七世だったかと思いますが、なんとスサノオノミコトのところでジャックと豆の木のような物語を展開して、スサノオの愛娘スセリビメと結婚して、出雲の王となられました。このお話は随想古事記にも記事にしています。

 

因幡の白兎が象徴するもの、ワニが象徴するもの・・・・・これについても考え深いものがあります。白兎は島で暮らしていました。海の向こうに見える陸に行ってみたいと思ったのです。それで一計を案じて、ワニの仲間がどれくらい多いか数えてやろうと言ったのです。ワニは言われる通り対岸までぎっしり並んで橋を作りました。そしてあと一歩か二歩というところで、得意満面のウサギは我慢ができず自分の本心をばらしてしまいました。私の分類ではウサギは多分牛族、スサノオやオオクニヌシの同族です・・・・・白兎はかわいい子牛だったのか牝牛だったのかもしれません。ワニは日本古来の一族、私がワタツ族と呼んでいる蛇族です。牛族は大陸から渡ってきた一族なのでしょう。日本の昔話には、こうした民族の歴史が顔を出している興味深いお話が、たくさんあると思います。日本の歴史は、多くの部族がヤマト民族に収束していった、世界に稀な私が主張する『錬金』国家の歴史です。昔話はそれを維持するための心の絆を作り出しているのではないかと思います。


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とよみやひたなばたおりひめだいみょうじん

2021-01-24 14:22:34 | 日本語・古事記・歴史・日本人

アイデンティティ探訪の一里塚・・・・・とよみやひたなばたおりひめだいみょうじん・豊宮日七夕織姫大明神・・・・・これは母方の伯父が七夕の吹き流しに書くのだと教えてくれたものです(以前記事にしたことがあります。織姫様関連の記事だったかと思います。)今日の記念に、たったこれだけですが、このカテゴリー第1号の記事にします。

 

馬渕先生が「それぞれが国家に対する奉仕を考えよ」とおっしゃいました。それで、新しいブログカテゴリーを作りました。『日本語の起源』という名称にしました。『随想古事記』以前の歴史に対する私説です。生涯の命題『バベルの塔』に一歩近づけるのではと思っています。

 

 

追記(06.03.24): カテゴリーを再編しました。それで第1号が中間の記事になってしまいました。そのまま残します。


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織姫様の記憶・オリジナルとアイデンティティ

2020-09-11 23:10:13 | 日本語・古事記・歴史・日本人

今年の夏は、七夕祭りも何もかも、コロナ騒動と大雨に流されてしまった夏でした。織姫様ともお会いできませんでした・・・・・ね?????・・・・・このブログで時に触れては織姫様の記事を書いていますが、織姫様の物語はあまりにも有名ですよね。このお話の始まりはどこにあるのでしょうか。織姫様は天帝のお姫様です。天帝とはアジアの最初の王朝の帝王です。年頃の織姫様はある日牛飼いの彦星と出会われて恋に落ちます。しかし父である天帝は彦星との恋をお許しになりません。彦星は天帝の婿候補として認められなかったというわけです。天帝は織姫と彦星を天の川で隔てておしまいになります。それでも、多分仕方なく、年に一度七夕の夜遭うことをお許しになりました。それで天の川にカササギが橋を架け、別れの朝には涙が雨となる・・・・・それが七夕雨と言い伝えられてきました。

随想古事記の中でも触れましたが、中国四千年の第一皇は風姓・太昊伏羲(たいこうふっき、または ふくぎ)氏、第二皇は姜(きょう)姓・炎帝神農氏、第三皇は姫(き)姓・黄帝公孫氏、第一帝は風姓・少昊(しょうこう)金天氏、第二帝は風姓・顓頊(せんぎょく)高陽氏、第三帝は風姓・帝嚳(こく)高辛氏、第四帝は伊祁(いき)姓・帝堯陶唐氏、第五帝は姚(よう)姓帝舜有虞氏です。この後夏・殷・周・秦・漢と歴史上の王朝が続いていきます。ちなみに伏羲は蛇身人首、神農は人身牛首とも伝えられています。これはどういうことかと言いますと、身は母に譲り受けられるものですから、その母の出自が蛇族で、首、つまり系譜はこの王朝の創始者・人(鳥)族であるということです。神農は母が鳥、父方が牛で牛族だと言っていますから別の系統です。

この天帝王朝が世界最古の王朝で、風姓鳥族・・・・・歴史言語学の川崎真治先生はもう一つのアジア族である蛇族と通婚関係にあったと言われています。中国大陸の歴史で第一皇とされている蛇身人首の風姓伏羲、通常女媧伏羲(じょかふっぎ)とペア(?)で呼ばれることが多いと思われますが、最後(多分何代か複数いた?)の伏羲は織姫様の父帝で正統王朝の最後というべきでしょうか。それで第二皇は姜姓炎帝神農氏・・・・・織姫様と牛族の彦星との間に生まれた炎帝神農氏は人身牛首・・・・・母が人(鳥)族で、系統は牛族。王朝は乗っ取られました。ここから中国の易姓革命は始まったと思われます。それでは正統王朝はどこに行ったのか・・・・・ひっそりと永らえて歴史を刻み、五帝の第一帝、第二帝、第三帝は風姓鳥族で中興王朝となり、第四帝、第五帝で易姓王朝となり、夏が第五帝舜を祖とする牛族王朝、殷がまた天帝鳥族王朝の復古、その後が再び周による易姓で、それ以後鳥族は中原の王朝から消えました。しかし天帝によって易姓を認められることが、王朝の正統性の証となりました。それでどの王朝も天帝を祀って祭事を行うことが帝王の務めとなりました。

 

殷の後裔はどこに行ったのか?????・・・・・多分その分布が、織姫様の伝説とのかかわりだと思います。織姫様の記憶を持っている国・・・・・これは、殷の後裔か、落ちていく通り道だと思います。多分東西南北に散ったと思いますが、織姫様の機織りは蛇族を含む鳥族に起源があると思うからです。日本の鶴の恩返しもその記憶による物語だと思われます。そのうちの殷の公子萁子(きし)の系統が朝鮮半島を経て日本列島へ天降ったのが天孫降臨だというのが私の説です。この鳥族王朝のメンバーが天津神一族、当時の日本列島にいた蛇族系統のワタツ人(私の命名による竜宮一族)が国津神一族・・・・・日本列島に正統の天帝王朝が復元したと思っています。これも既に何度か記事にしたことですが、アマテラスも天の機屋を経営され、オシホミミの妃もタクハタチチヒメという機織りの名を持っておられる・・・・・天女も羽衣を持っており、スサノオの娘のスセリビメも松浦佐用姫も領巾(ヒレ)をふる・・・・・アイデンティティは記憶だと思われませんか。先祖の事績を語り継ぐことが、そこに生まれた者の務めだと思います。

 





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高句麗の謎

2019-09-19 12:07:30 | 日本語・古事記・歴史・日本人

また『チュモン』を見ています。夫がテレビ番組で見つけたのです。最初ほど面白くはないのですが、それでも面白い!!!エキストラの人選にはいつもながら呆れてしまいますが、幸い私は黒沢監督ではない!!!・・・・・。世界の黒沢だったら、激怒するだろう(悶死するかもしれません)・・・・というのが夫婦の会話です。

 

随想古事記のカテゴリーの記事でも書いたように記憶していますが、まずこの韓国映画『朱蒙』で歴史上一応はっきりしているのは、当然『チュモン』、クムワ、ユファ、ヘブル、ヘモス、ソソノ、ソンヤン、オイ・マリ・ヒョッポの三人組、テソ・・・・・後は、扶余の官職名、漢の官職名・・・・・周囲の国名・・・・・(あ、ユリとイエソヤも)何しろあまりたくさん、と言うより殆どはわかりません。ですから、よく脚本を作ったと言えばその通りですが、嘘ばかりと言えば嘘ばかり、うまくつなぎ合わせたというわけです。面白く、またまた色々考えさせられています。ですが、ソソノがケルのヨンタバルの娘というのは明らかな間違いで、ソソノは沸流(ピリュ)のソンヤンの娘のはずです。

そうでなければ、ソソノの息子が沸流(ピリュ)と温祚(オンジョ)のはずがありません。大切な長子に敵対している部族名をつけるでしょうか。百済の始祖となった第二子温祚(オンジョ)・・・・・百済の姓は『扶余』です。扶余という国名と同じです。扶余王はヘブルやヘモスの『へ』、漢字にすると『解』。『ヘモス』は天帝の子とされています。で、『ヘモス』と『ヘブル』と『クムワ』と『チュモン』の人格は、重なったり離れたり・・・・・クムワもチュモンも姓は『へ(解)』・・・・・高句麗王の姓は『コ(高)』とされていますが、王朝の系図を見るとチュモンもユリもムヒュルもその子も『へ(解)』、第5代王から『コ(高)』となっています。

 

古代朝鮮(と言っても、大陸北部の夷狄の地とされたようなところですが)の最初は萁氏朝鮮・・・・・殷の公子萁子を祖に持つとされる王国です。殷は風姓・鳥族です。天帝族です。ヘモスは天帝の子という説もあり、クムワもチュモンも卵生神話を持っています。鳥の卵なんです。それが何で『へ(解)』というのかと考えてしまうのですが、『解』という字は大きな『角』を持っていて『刀』を頭上に振りかざしている『牛』ですよね。扶余は牛族だと思います。オオツノジカなのですが、トナカイかヘラジカかもしれません。だけど、王の正統性を示すために天帝の子じゃなければならなかったのでしょう。沸流(ピリュ)だって、『フツル』『フル』・・・・・つまり牛族なんです。桂婁(ケル)はヨン(淵)氏(日本では『イリ(泉)』と認識されています)・・・・・犬族。高句麗の句は、狗(犬、狼)・・・・・

 

つまり高氏のクリ(ケル)・・・・・高句麗という国名はケルが乗っ取ってからの国名ではないか?????これが、私が抱いた『高句麗の謎』で、『これからのテーマ』の宣言です。

          『高句麗』『コウクリ』・・・・・『コグリョ』・・・・・つまり『コ・ケル』・・・・・・

チュモンの建てた国は『卒本』のままだったか、あるいは別の名だったのか・・・・・ではないかと思います。朝鮮半島の朝鮮族の始祖は萁氏(キシ)朝鮮ではなく、周の召公の流れを汲む牛族の衛満を始祖とする衛氏朝鮮だろうかと思います。そうすると伝説の古代朝鮮の檀君王倹も、牛族の国扶余が起こるのもわかるような気がしますし、『卒本』も『沸流(ピリュ)』も納得がいくような気がします。そして高麗王氏も牛族・・・・・しかしながら李氏朝鮮は犬族・・・・・ケルで、ヨーロッパ世界の巨大な牛ゼウスの下でも犬族の王が近代世界を支配したのと同じ構図になりました。

 

余談ですが、中原から追われた殷の子孫萁氏朝鮮はどうなったかというと、大陸北部にも永遠の地はなく朝鮮半島を南下して高千穂に天降ることになります。誇り高い鳥族のアジア最初の王朝天帝の子孫は邪馬台国・ヤマトを作り、その理想を『大和』にしたのだと思います。そこではワタツ族の言霊(今でいう日本語・竜宮王から山幸彦へ)を受け取り、宥和して(五族溶けあうという錬金に成功して)大和の国・日本を作って2000年余・・・・・今の私達が生きているというのが私見です。どう思われますか?

 


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お歌会始

2019-01-16 14:46:37 | 日本語・古事記・歴史・日本人

我が国独特の新年の行事・お歌会始をテレビで拝聴しました。最後に御製を聴かせていただきましたが、平成の御代の国民の心を一つに温かくまとめられたお歌になったと思います。被災地に咲いたひまわり・・・・・全国のヒマワリに思いをはせることが出来ました。天皇陛下のお心がいつも全国津々浦々にあったことを有難く思いました。

 

このお歌会始・・・・・これも我が国が殷の後裔であることの証ではないかと・・・・・・私自身は自信たっぷりです。これまでずっと主張してきたとおり、殷は鳥(鳥が猪となり邪馬となりました)族の世界最古の王朝です。そこが高天原であり、世界最古の王朝の主が天帝・・・・・織姫様の父君です。織姫様の夫君は『彦星』・・・・・彦星は牛飼いですから牛族の長・・・・・織姫様はアマテラスで、彦星は牛頭天王のスサノオ・・・・・ここのところの紆余曲折・異譚・俗説は脇に置いておくことにしまして、鳥だけが歌うんです。人類最古の分類・五色人・・・・・そのシンボルは牛・犬・馬・蛇・・・・・そして鳥です。人類の中で『歌』が朝廷の大事な行事になったのは鳥族の王朝だけだと思います。天岩戸屋の前でも神々が舞い踊り笑いさざめき、そして長鳴き鳥が啼きました。その長鳴き鳥のように口誦する歌い方・・・・・これも、私の確信の根拠です。

 

私の父は退官してから詠進歌を提出するのを仕事(?)にしました。一度も選出されたことはありませんが、選ばれなくても天皇陛下は見てくださる・・・・・と、それを励みにしていたようです。まあ、父の歌は時勢に合いませんから、仕方もありません。平戸からは井上孚麿(たかまろ)様(と父はお呼びしていました)のお歌が選ばれ、『雲のはたてに』という歌集がありました。あの歌集はどうなったのだろう・・・・・と消えてしまった実家を思うたびに思います。今年から私も父の仕事を倣う努力をしようかと・・・・・新年の決意をしました。気長に頑張ります。


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意味とは何か?

2018-05-01 01:11:08 | 日本語・古事記・歴史・日本人

前記事『道とは何か?』を書こうとしているところに、西部さんの訃報を知りました。今から考えるとそれ以来思考停止状態で過ごしていましたが、それも何とかしなければと夫が買ってきた西部さんの最後の著述『保守の真髄・まことの保守思想を語り尽くす』を繰り返し読みました。やっと自分の気持ちに区切りをつけなければ・・・・・と思って、最終章の予定記事『道とは何か?』を書きました。そしてふと、出雲の友人に久しぶりに連絡を入れてみようか、と思いついてまた、友人の訃報を知る羽目になりました。これがまた思いのほかショックで、西部さんのショックと重なってしまい、最終章を埋める気分になれないまま、どうでもよい(?)ような記事を書いては二か月近くも打ち過ごしてしまったというわけです。また父の命日が近づいてきたので気を取り直し、自分の仕事と思い決めたこのカテゴリーを埋めるべく取り掛かることにしました。今回の『意味とは何か?』という記事は、西部さんの言葉をたどっているうちに、ずっと胸に突き刺さっている若いお母さんが吐き捨てた『日本、死ね!』という言葉に片をつけねば・・・・・ということを思い出したからです。あの発言が国会で取り上げられたときからずっと傷ついたまま(?????)・・・・・で日を過ごして来ましたから、これに片をつけねばなりません。

 

西部さんご自身で『(西部さんの本は)難しいと言われる』とおっしゃっていますが、一つにはカタカナ表記の外来語が多いからかもしれません。先の都知事選挙では小池さんのカタカナ語に辟易しましたが、聞くのではなく文字をたどるうえでの西部さんのカタカナ語は読み間違えなければそうでもない・・・・・『読み間違えなければ』というのは、『カタカナが並んでいる順番通りに正確に読むという難しさ(?)に惑わされなければ』という意味です。この難しさはロシアの小説を読むのと似ています。大体みんなが難しいというのは、登場人物の名前のせいなのです。ロシア人の名前の構成に『父称』というのがあって、ある姓を名乗る家族の誰それの息子(あるいは娘)の誰それ・・・・・たとえば、『ロマノフ家のミハイールの息子のアレクセイ』という登場人物がいます。その人は『アレクセイ・ミハイーロヴィッチ・ロマノフ』という名前(娘の場合は、例えば、アレクサンドラ・ミハイーロヴナ・ロマノヴァ)なのですが、その時々で『アレクセイ』と呼ばれたり、『ミハイーロヴィッチ』と呼ばれたりします。さらには愛称で呼ばれたりするんです。そういう事情に慣れていない私達は困惑し、誰が誰だか分からなくなって難しいと感じてしまう・・・・・そういうのと似ていると思います。また西部さんはカタカナ(原語の音のまま)にしなければならないのには『翻訳語が正確でない(正確な認識に至らない)という重大な理由がある』とおっしゃっています。つまり私達は外来語の翻訳語で正確な意味を理解していない!!!!!もっとも簡単な例は『経済』ということば・・・・・『経済』という言葉の持っている意味と『エコノミックス』という言葉の意味は違っているから、正確な認識を得ることはできないとおっしゃっているのです。これは相当深刻な事態で、誤解では済まない問題です。私はかなり言葉に関しては厳密です。周囲からうるさがられます。それに西部さんの本の各所に出てくる言葉に関する連想も似ている・・・・・それで、『意味とは何か』という題名の記事を書くことにしました。私の結論を最初に言いますと、

           意味は認識である!!!!!     ということになります。

 

私にとって図らずも、西部さんとカタカムナがつながってきました。これは夫が買ってきた『生と死』という西部さんの本の中に書かれていますが、西部さんは奥様の臨終に際して耳元に『ア・リ・ガ・ト・ウ』と言葉ではなく一つ一つの音をささやかれたとおっしゃっています。これは奥様の脳がもう言葉の認識をする段階ではなく、この地球上に人間の識別する音としての『刺激』というか『波動』というか『力』というか・・・・・人間存在の作用という影響力をただ受け取っている・・・・・と夫である西部さんは直観されたのだというようなことを述べておられます。このくだりを読んで『西部さんは言葉による認識の追求者だったんだ』と深い感銘を受けました。そして私にもあった同じような体験を思い出しました。父の臨終の際男達は潔く諦めて社会的な動物らしく葬儀の準備に取り掛かりました。残った私は父の耳元で『イ・ハ・ト・ハ・ニ・カ・ミ・ナ・リ・テ・カ・タ・カ・ム・ナ・ヨ・ソ・ヤ・コ・ト・ホ・グ・シ・ウ・タ』と、繰り返し繰り返しこの根源的な音をささやきました。生死についてその時の私が知りえたすべてのことだったからです。西部さんは学生運動家として『左翼』を突き抜け思索を極め行くところまで行ったら『伝統』に行き着いたとおっしゃっています。その『伝統』というものが日本という国に生きた過去少なくとも2000年の人々の良識に支えられたものであって、それを守るのが『保守』というものだとおっしゃっています。そしてこれは私の解釈なのですが、人生というものがわずか100年に満たないものであれば、『保守』以外に何をするのか、いったい何を『保守』するのか、ということを『発言』し続けてこられたと思います。でもどうやらご自身がおっしゃっておられるように、なかなか理解されないらしい・・・・・要するに『意味』が通じなくなっている・・・・・共鳴・共感という認識に至らない・・・・・日本人の認識回路が変化している?????これは日本語の危機・日本の危機であり、日本が滅びてしまうかもしれない・・・・・と思って(別に悲観されたわけではなく、ご自分の人生の成果としては残念に思われるとともにやむなしと諦められ、後世に託すことにして)、人生を閉じられたと思います。私たち後世にはたくさんの著作を残してくださいました。この『言葉』についての思索が、通常を突き抜けて日本語の根源『カタカムナ』に近づかれたのだと思い至りました。

 

 

本題に戻りますが、『言葉』は『意味』そのものです。『意味』を『認識』するように構造されたものです。その音を聞いて(刺激を受け取って)音のコピーを作ります。コピーすること(このコピーについては、以前より言葉についての記事でご紹介しています)が、個々の神経細胞での『判別』であり『認識』なのです。コピーを作らないということは認識できなかったということです。『意味』とは目の前にあるもの(イ)をそのようにあらしめているもの(ミ)だという力を表す音の組み合わせで、その力を受け取ってコピーを作ることが意味の認識であり、その表明伝達が言葉です。言葉とは『イ』を表わし『ミ』を表すものです。『意味』と『認識』と『言葉』は表裏一体のものです。そもそも私たち自身がコピーと言っても過言ではないと思います。私たちは前世代(親)の生命のコピー(種)です。そうやって何百万年と繰り返し私達の宇宙は展開し続け存在するものは生き続けてきました。私達に何か特別の期待するような感情的な使命とか価値とかいうようなものはないといってよいと思います。私達宇宙の存在にとって『意味』のあることは『コピー』以外にありません。ここから『人間らしく』ということを考え始めないと、狂信的な妄想である特別な『意味』とか特別な『価値』とか言ったものに惑わされるようになると思います。狂信に惑わされない『意味』を考えて生きること・・・・・これが人間の『価値』だと言ってよいと思います。

ここからが人間社会において最も大事なことだと思うのですが、国語教育というものは、コピーを作ることゆえの問題点『意味の精度』を代々何世代にもわたって正しく受け継ぐためのものです。全般的にも教育ということはそういうことを言うのだと思います。『学ぶ』ことは『真似ぶ』こと・・・・・、つまり『コピーする』ことなのですから。またこれと全く同じやり方で、生命活動が行われていると言っても過言ではないと思います。DNAのコピーが生命活動の始まりなのです。このコピー方式が生命方式であり認識方式であり、それが国語の音の組み合わせの波動として次世代に引き継がれてきたものです。ですから、日本語という国語を失うことは、日本人という生命のアイデンティティを失うことです。『日本が滅びる・・・・・』という危機に至ることです。それで西部さんは言葉による認識について警鐘を鳴らしてこられました。言葉による認識こそが社会を支え、国家を支え、自分を支えているのに、それが壊れかけている・・・・・言葉と自分に乖離がある・・・・・自分が言っていること行っていることの意味が分からなくなっている・・・・・西部さんは社会思想家ですから、現代日本人と国家のかかわりにずっと発言をしてこられました。『発言者』『表現者』という刊行誌の名称はそういう西部さんの姿勢を表したものだと思います。言葉を介して引き起こされる共鳴というか共振というか、つまり聞く側によるコピーが作られることに期待をしてこられたと思います。『大方無駄であった』というような感想を述べておられますが、言葉にして残されたということが時代を超えていつかどこかの若者のコピー(自発的励起)に寄与することを信じたいと思います。

 

 

現代社会においてよく見聞きする『国を訴える』・『国に賠償要求をする』・・・・・その方のお気の毒な状況についてを別において、私にとってひどく違和感を覚える言葉ですが、深く考えずにきました。これについて西部さんは、「『国』と言っているものに2種類ある。」と書いておられます。それでやっと私は『国』とその時の『行政府』というのを『国』という言葉に混同して、『国を訴える』というのは時の行政府を訴えているらしいことがはっきりしました・・・・・だけどこれにはひどく矛盾があって自分が選んだものに対して訴訟をしている・・・・・時の政府を選んだのはほかならぬ自分を含めた国民ですから。要するに国民というのはいつも国民総体のことであって、個別的な一人一人の国民構成員ではない!!!!!私たちは法律用語としての国民を誤解しているのではないかと思います。よ~くよ~く考えてみればわかるのですが、国民という具体的な存在はいません。国民の一人(構成員)はいますけれど、要するに『国民=国』といったようなものだと思います。ということは国民構成員の一人が残りの国民を訴えている・・・・・つまり仲間から私たちが訴えられているといった感じだと思います。福祉というのは、国民全体が相互にかけ合う『思いやり』 なんです。だから、国を訴えるというような性質のものではなくて、権利などというようなものでもない。これは私たちが選んだ行政府が私たちの総意として私たちのお金を出して、なんとか立ち行くように支え合うものです。それが行政府の役割であり、全員の幸せというものなんです・・・・・ということを肝に銘じて私たちは自分の人生を生きなければなりません。そのことを認識したうえで、民主主義という現代の参政システムの幸せを受け取らねばならないと思います。すなわち、私たちは十分に税金を納めるということでシステム運営(行政)に参加し、いつの日か自分の不幸せに巡り合ったときには、自分の属するシステムの恩恵(行政)を受ける・・・・・そういう社会を運営するという覚悟なしに民主主義は維持できないものです。

それで問題の『日本、死ね!』にやっとたどり着きますが、この言葉を聞いた時、「この言葉を発した若いお母さんは、自分と『日本』という言葉に深い関係、切っても切れない血肉を分けた関係を感じてはいない・・・・・のだろうか?」と思いました。 私はこの言葉を聞いた時、胸を刺されたような、曰く言い難い傷を受けました。それをずっと引きずっています。『死ね』という言葉が子供たちのいじめ問題に登場した時も、他人(自分とは別の個体という意味で)の苦痛に全く思いやることのない言葉を吐き捨てるようになったのかと国語教育の重大さを感じました。その延長上にあることは間違いありませんが、それよりももっと酷い生命としてはあり得ない自分を傷つける自滅への段階に進んだように思えてなりません。国語として全世代から受け継いできた日本語の音波の作用という『コピー』をしなくなったということのような気がします。『コピーを作らない』ということは、『次が無い』ということです。『自分を疎外する』ということです。どうしてこんなことになったのか・・・・・、このことを思うとき、もう一つの大きな私達の日本の姿と同じパターンを想起せずにはいられません。それは何か・・・・・それは日本の戦後の思想風潮です。

私達の父祖は戦争の時代を生きました。どんな時代を生きるかということに、私たちは選択の余地がありません。その証拠に今も中近東では戦禍の中にかわいい子供たちが生きており、隣国北朝鮮では独裁国家の下で自由を制限されて生きている(そんな中に私達の同胞が拉致されて30年以上も経っている)・・・・・。世界情勢のそんな時代に生きた父祖を悪人呼ばわりし罪人扱いにしたまま、戦後を生きている自分たちは善人だと思い込んでいる・・・・・それが今の私達です。私たちは父祖のコピーなんです、だから悪人であり罪人のはずです。それを切り捨てないと、善人にはなれない・・・・・?????そんな心理状態で生きている以上、コピーはできません。だったら、もうコピーはできない・・・・・コピーができない以上、『死ぬ』しかありません。そう、私達には『アイデンティティー』がないんです。それで、私は『父の背負子(随想古事記)』というカテゴリーを作って、なんとかアイデンティティー回復の記事を書くことにしました。『コピー』とは『アイデンティティーのコピー』なんです。DNAのコピーそのものなんです。この『日本、死ね!』のショックは、まざまざと私の『意味』を私に再確認させるために私の胸を抉り、西部先生の死というショックをもってもう少し頑張ろうと考えさせたのだと思うことにして『意味とは何か』という記事を書きました。たとえ西部先生がおっしゃるように、『大方無駄であった』ことになろうとも、私が生きている限りはこのブログの記事もあることで以って瞑すべしにしようと思います。

 

最後に余談ですが、西部先生の死について自殺幇助の疑いで取り調べがあっている・・・・・とかの新聞記事を読みました。若しもそれが事実であっても、どうかその方々が酷いことにならないようにと祈っています。仮定の話ですが、もし私が万が一西部先生の依頼を受けたとしたら私も同じだったのではないかと思いますから。

 


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日本語のアクセント

2017-08-19 21:18:58 | 日本語・古事記・歴史・日本人

先日来夫と『昭和の歌何とやら?????』というテレビ番組を見ています。今週は藤山一郎と東海林太郎の番組でした。先週のこの番組ではなんと、アイ・ジョージが出てきました。本当に久しぶりにその独特の面影を見ました。そしてこれまた何と軍歌も放送されました。私は父と歌った歌などで嬉しかったんですけれど、時代も変わってきたんだなあとしみじみ思います。感情的に拒否するのではなく、父祖の歩んだ時代を見つめなおす時期を迎えつつあるんだと感慨深いものがあります。

その同じ番組であんまり好きではなかった藤山一郎が、歌謡曲の日本語への違和感を表明していたことを知りました。それであの発声についてはまだ好きではありませんが、親しみを感じています。近ごろの訳の分からないどこにでもアクセントをつける歌い方が嫌いです。というより、日本語の危機を感じます。学校の音楽の時間に習った『シンコペーション』、その時は新鮮に感じたものですが、それが音符の世界ではなく日本語の言葉の上に起こると、意味が通じにくくなる・・・・・私達日本人は日本語で自分の肉体の波動も精神の波道も作ってきました。その伝統が失われると、日本人ではなくなると思います。

 

それからもう一つ、言葉の選び方の問題を感じています。昨年からわが国の根本にかかわる天皇陛下のご譲位問題が取りざたされるようになりました。このことに関しても一般的には『退位』という言葉が使われています。だけどそう聞かされると、ギクッとせずにはいられません。『退位』という言葉には辛さが付随しています。それを日本人は平気で自分たちの国に使っている・・・・・自分たちの国の継続に関して、そんなに無神経でいられるのか?????不思議でなりません。

人間が作った国という組織・・・・・何にその永続性の鍵があると思われますか。組織という単語は有機体という言葉と同じです。つまり機能をもって組織を維持している・・・・・という意味です。ですから手短に言えば、人体と同じようなものです。頭もあれば足もある・・・・・胴体もあれば手もある、消化器もあれば循環器もある・・・・・親指もあれば小指もある、大脳もあれば小脳もある・・・・・どれかだけが大切というわけではなく、どれもなくては困るものです。だけど人間は頭を上に飾って(?)、足をぬかるみで汚す・・・・・皮膚を磨きはするが、内臓のことは忘れている・・・・・そんなものです。だけど、大事でないかと言えば、そんなことはありません。爪の先が痛むと、私達はその痛みに全神経を向けるのですから。だけど、です。頭をなくしたら、私は私ではなくなります。永続性の鍵は『頭が変わらない』ということにあるのだと思います。

 

 

だから、私はいつ死んでもいいように、此処に私の主張を残したいと思います。『退位』という言葉には『させられる心』が潜んでいます。そんな言葉を私達は私達の顔である天皇陛下の地位について使ってはなりません。あくまで『ご譲位』である必要があります。途切れてはならないのです。それからもう一つ、私達の頭、つまり天皇の地位につかれる方は、『天之忍穂耳(アメノオシホミミ)』の血統であることを日本人が納得できる方です。それが『男系』の意味であって、そうやって日本人は歴史をつないできました。何代か遡って傍系の男系を探したことを古事記でも伝えています。女帝であってもかまいませんが、その場合は必ず『天之忍穂耳(アメノオシホミミ)』の男系と結婚していただく必要があります。人間として天皇陛下は日本人の中で一番不自由な方なのです。

 

これは余談ですが、組織の頭というものは大小を問わずそういうものです。家庭もそうですし、個人でもそうです。私達は頭を挿げ替えることは出来ませんし、頭に自由はありません。手足は動くので自由といえば自由ですが、手や足以外にはなれません。自由とはそんなものだと、分かって生きていくのが人の道だと思います。


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言挙げ(ことあげ)せぬ国

2017-01-25 21:18:28 | 日本語・古事記・歴史・日本人

日本人の横綱が今日久しぶりに誕生しました。土俵上の風貌は何となく北の湖を思わせる稀勢の里・・・・・ですが、土俵を降りると何とも可愛らしい(失礼しました)無口な好青年のようです。マスコミの関心は稀勢の里の口上にあるようでしたが、これについては以前より苦々しい・・・・・というか、違和感を覚えていました。好きだった貴乃花の口上に、ひどく嫌な感じを覚えたものです。それ以来誰も彼もが気負ったわざとらしい(?)口上・・・・・に聞こえて、何となく嫌な感じを抱いていました。それでマスコミの取り上げ方も忌まわしく・・・・・

 

でも稀勢の里の今日の口上は、清々しくいかにも力士らしい・・・・・日本人の美徳とされてきた『言挙げせぬ』伝統を思い出させてくれました。力士はこれがよいと思います。如何にも丸い土俵という極限の世界で、それも回し一つの素裸で一瞬にかける力士らしいではありませんか。土俵上の相撲の中に日々の精進の成果を見てください・・・・・これが力士の心意気というものでは・・・・・と思うのは私だけではないと思います。

 

稀勢の里関、期待しています!!!!!


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天照大神は織姫様!!!???

2016-07-02 10:10:46 | 日本語・古事記・歴史・日本人

もうすぐ七夕まつり・・・・・私が日本の古代に入り込む直接のきっかけが母方の伯父から教わった七夕飾りの吹き流しに書く言葉・・・・・(何度か書きましたが、)・・・・・七夕紙を切って人形や天の川、輪つなぎや一番上につける吹き流しを長く貼り付けて・・・・・そこに伯父が来て言いました。

          豊 宮 日 七 夕 織 姫 大 明 神

         (とよみやひたなばたおりひめだいみょうじん

 

それを聞いたときは、??????・・・・・・??????、というのが正直なところで『え!!!』って思ったばかりで、何に疑問を感じたのかも明確でなく、ただ古事記に関する疑問の始まりで『もやもや』世界に本格的に足を踏み入れたというのが正直なところです。これは40年以上も後になって川崎真治先生のご本によって』なる文字の意味を知るまで解決しませんでした。

 

 

 

高天原の機屋(はたや)・・・・・これは天照大神(アマテラスオオミカミ)が主宰なさる作業場です。天照大神は機織りを仕事になさっておられる・・・・・このことをよくよく考えてみると、七夕の織姫様ということになります。そして七夕の織姫様こそが東洋に君臨する天帝の娘で、後に侵入してくる各民族の統治の正統性の象徴です。(これについては、ブログ内の≪随想古事記≫を読んでいただけると嬉しく思います。)

天帝一族・・・・・つまり、人類発祥のアフリカを出て海沿いにインドを経てインドシナをめぐり北上、大体三万年前ごろ極東地域へ辿り着き最初に内陸に植民した現生人類一族です。この海沿いの一族はずっと蛇をトーテムとしていましたが、内陸に入って鳥をトーテムとする一族に、いわば、分家しました。そしてこの鳥族に初めて王権(統治力)が誕生したのです。海はあまりにも流動性が高く応用力がありすぎたので、蛇族には国家の誕生が遅れたのではないかと思います。鳥族の王権の象徴は『鳳凰』で、本家蛇族の王者『竜』を併用したのも、蛇を天空に飛ばしたのでは?????と思います。

この子孫国家が殷だと川崎先生はおっしゃっていますが、そのずっと前にアフリカを出たときに分かれた牛族が内陸伝いに中国大陸へとたどり着きました。その名残が女媧伏羲(じょかふっぎ)です。女媧が天帝の娘で織姫様、伏羲が牛族の王で牛飼い・・・・・恒例の融和政策・結婚によって乗っ取りが行われます。つまりこのとき『男系』による世代交代が取り決められるのだと思います。名前は織姫様の国ですが、王権は彦星が持っている・・・・・『殷』の前は『夏』だといわれています。どういう風な形で存在したのか、交代したのか、はっきりとはわかりません。その前に三皇五帝・・・・・三皇が天帝を引き継ぐ女媧・伏羲と神農、三皇を引き継ぐ五代の帝王に黄帝(こうてい)・顓頊(せんぎょく)・嚳(こく)・尭(ぎょう)・舜(しゅん)がおり(これについては各論あり)、その次の禹が夏の始祖です。次に夏を討って湯が殷を建てます。

 

こういう伝説は作り話だとされてきましたが、近年になってあったかもしれないと言われるようになっています。≪随想古事記≫では川崎先生の説に従って三皇五帝のご紹介をしましたが、中国大陸では天帝を引き継ぐ女媧までは鳥族王権(2万年くらい続いたはずです)、伏羲とその子神農から夏までは鳥族王権の仮面(鳳凰と竜)を被った牛族王権、殷が取り戻して鳥族王権になった・・・・・?????(のではと、最近思っています。)でもまた牛族の周に討たれて・・・・・以後中国大陸は牛族・犬族・馬族の王権が交替することになります。周王朝が中国大陸の憧れとなり、周礼が規範となり、孔子様も周の王道政治を説かれ・・・・・身近くわが母校猶興館もその校是に『文王(周の王様です)無しといえども猶興る』・・・・・それでも王権のシンボル鳳凰と竜は引き継がれました。

では殷はどうなったのか・・・・・落人となって・・・・・大陸ではチュルク系になり、朝鮮半島に至らんとする地方で後に扶余・高句麗となった古代朝鮮と、朝鮮半島を経て極東の果て高千穂に天下りした後に言う邪馬台国・・・・・・になったと思います。その証拠は『女神』です。西王母と天帝の娘と天照大神・・・・・・王は牛だったり犬だったりしても鳥族の王の母が最高位にいて鳥族の王統・由緒正しい天帝の王統であることの証だと思います。

 

織姫様の天照大神と牛族の彦星スサノオとの誓約(うけい)で生まれたご長男オシホミミノミコト、そのお后様のお名前はタクハタチチヒメといいます。思いがけず一宮にいるとき親しくお目にかかりました・・・・・と言いたいところですが、本当のところは織物の町一宮のいたるところで織物の神様としてお祭りしてありました。尾張一宮の真清田神社にもご祭神ホアカリノミコトの母君として境内にある服部(はとり・はっとり・・・・・はたおり)神社にお祭りしてあります。ここにも織姫様がいました。タクハタチチヒメの別名はヨロズハタトヨアキツヒメ・・・・・『タク』はこうぞのことですが、『トヨ』との関連を思いながら、織姫様にふさわしいお名前の『歴史は繰り返す物語』をかみしめています。その王子(つまり天照大神の孫)ニニギノミコトの王統が今日の日本に続いています。私達のアイデンティティは少なくとも世界最古の一つです。天を仰いで織姫様をしのびながら、七夕の夜をお過ごしください。今日はこれまで・・・・・いつか続きを書きたいと思います。興味がおありの方はご意見をください。


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昨夜のテレビ番組から

2016-04-08 15:36:54 | 日本語・古事記・歴史・日本人

昨夜のテレビに、前東京都知事の石原さんと小説家の堺屋さん、それに上智大学の渡部先生が揃って出られる番組がありました。私にとって弟橘姫に心を熱くされる永遠の青年(?)のイメージだった渡部先生は、本当に久しぶりにお姿を拝見して、ご高齢になられたなあと思いました。

番組を大変興味深く見ましたが、一番共感したのは『日本、死ね』という例の言葉使いについてのお話しでした。たとえその方の状況がどのようなものだったにせよ、『日本、死ね』などという自己否定につながるような言葉を口に出せるということに強い違和感を持っていた私は、お三方が受けられたその言葉に対する衝撃に強く共感しました。

 

『言葉とは何か』という記事の続きをいくつか書こうとして題名だけのままにしていましたが、この恐らくは若いお母さんの『日本、死ね』に驚いて近々纏めようとしていました。今回少なくとも、多くの方々がこの言葉に違和感を持たれたのだと、心強く思いました。『言葉』とは、日本人が無意識に埋もれさせて引き継いできた『言霊」に通じ、遡っては『カタカムナ』に行き着く問題ですので簡単ではありませんが、何とか記事に残したいと思っています。

コメント (2)
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異説・東海林さん2

2016-03-22 13:12:48 | 日本語・古事記・歴史・日本人

先々週すぐ下の弟夫婦と千葉県松戸に住む伯母を訪ねました。松戸駅で同学年の従兄夫妻の出迎えを受けて、伯母の自宅へ・・・・・伯母は今年93歳ですが、現在も一人暮らしで炊事も掃除も、本人の言によれば、自由にやっているそうです。子供の頃から憧れの気丈な伯母ですが、伯父が亡くなってからは悲しくて毎日泣いていたそうです。このままではいけないと一念発起、編み物を始めてコートなどの大作も編んだとか・・・・・見せてもらいました。スーパーウーマンです。

その伯母の長男、つまり私の従兄の奥様の旧姓が『東海林さん』だと弟から聞きました。それも『とうかいりん』とお読みするんだそうです・・・・・・それで再会を楽しみにしていました。戸籍調べと笑いながら話のタネにしていろいろと伺いました。

従兄を含めたご本人のご意見によると・・・・・『ショウジ』へとの読み替えが起こったのではなく、荘園の役人を荘司と呼びその役職名が『東海林』のフリガナになったのではなかろうかという説もある・・・・・ということでした。山形県には『とうかいりん』さんがおられるそうです。

 

 

そうかもしれません。だとすれば、荘園発生後のことでしょうし、荘園を『ショウエン』と普通に呼び荘(園の)司を『ショウジ』と呼ぶようになってからのことでしょう。それがいつのことか?????・・・・これはもう少し考えなければならないと思います。『東海林』さんはそれ以前におられたことになります。或いは『ショウジ』に前回記事にしたように、『東海林』を当てたのかもしれません。そしてその後『とうかいりん』さんに戻したのか・・・・・ただ『東』はまぎれもなく誇り高き『邪馬』を意味しており、『トウ』という音をそのまま選んだ家門だとだけは断言してよいと思います。そのほかにも色々な参考意見をおもちの方は、どうか教えてくださいませんか。お願いします。

 


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