inspiration-macrobiotique・随想古事記

マクロビオティックインスピレーション・随想古事記・日本語と歴史・バベルの塔・日々雑感

グルタミン酸の過剰???

2015-06-19 10:12:12 | Weblog

先日(日曜日)難病ALSの原因がグルタミン酸の過剰が原因かもしれない・・・・・との新聞記事を見つけました。以前ホーキング博士のお気の毒をテレビで目の当たりにしたときには、何とも言いようのないショックを感じました。

近くのスーパーで舞踏病だと思われる方を見ました。大学生だった頃ご近所にも舞踏病の方がおられて、素知らぬ顔で表情を変えない以外に他に何ができたでしょう・・・・・本当にお気の毒でした。最近難病といわれるものが身近に起こるようになりました。パーキンソン病に膠原病などなど・・・・・私達の友人たちの間にも起こるようになりました。

 

こんな現状の中で、『グルタミン酸』???!!!???!!!・・・・・って、旨味成分だと言って追求してきたものではないのですか???????外部から取り入れるものと体内で生成されるものには違いがあるとは思いますが、光学異性体の問題もあるし人工的な成分にはもう少し気をつけた方がよいとの警鐘でしょう。人工調味料(?)、人工甘味料、人工保存料、そして様々な人工的に合成された栄養素が溢れているご時世、早く解明してほしいと思います。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

富山に行きました。

2015-06-18 14:47:39 | 季節・週末散歩

先週の土曜日、富山市に行きました。生まれて初めて日本海側の地を踏みました。それというのも夫の学会が富山であり、不慣れも何も行ったことがない!!!という地だったので、用心(誰の???)半分興味半分でついて行くことにしたんです。

 

富山湾でとれるお魚類はどんなものだろう?????砺波平野ってどんな感じ?????って感覚だったのですが、そのまえに日本アルプスの行けども行けども山また山に圧倒されました。長野まで名古屋から特急で行き、長野から北陸新幹線で富山まで。直接富山ではなく新潟県の糸魚川に抜けるんです。そして最後にまたトンネル(いくつくぐったんだか・・・・・)をくぐって広い砺波平野に抜けました。

富山駅は新幹線が出来て新しくなっていましたが、ローカルの感じ漂う平べったい建物でした。駅の観光案内でパンフレットをもらってまずは歩いてホテルへ・・・・・町には路面電車が走っていました。一落ち着きして、夕食と買物へ・・・・・当てもなく見つけることも難しそうだったので、再び駅前へ・・・・・デパートのようなテナントビルのレストラン街へ行き和食のお店を選びました。富山湾は『白エビ』だというので、メニューの中から『から揚げ』を試してみました。味があるような無いような・・・・・『揚げ物の味』・・・・・という感じでした。本当は富山の伝統的な和食を食べたかったのですが、見つけることが出来ませんでした。

 

翌日夫は学会へ、私は路面電車で越中富山に来たのだから・・・・・と、観光案内にあった『広貫堂資料館』へ。こじんまりとした資料館でしたが、子供の頃見覚えのある置き薬の薬箱を見つけました。『越中富山の反魂丹』の説明を見学者のためにしていました。日本の民間薬の資料を興味深く見学しました。

それからどこへ行こうかと思いましたが、案内地図にお寺のマークが集まっているところがあったのでそこを抜けてみようと足を向けました。そこへ行ってびっくり!!!!!・・・・・なんと普通の民家のような建物のお寺ばかり・・・・・後で聞いたところによると火災があってお寺が集められたのだそうで・・・・・それにしても境内もなく、当然塀もない・・・・・庫裏も本堂ももしかするとない?????・・・・・ようになったのだそうです。びっくりして歩いていると、一つだけ大きなお寺がありました。だけど、富山市内のお寺には緑がない!!!!!

何となく不安な気持ちになりながら、歩いていると『日枝神社』の緑が見えてきました。それで改築中のお社にお参りして、案内パンフレットをもらって富山の火災のことを聞きました。お寺に比較して緑のある境内でしたが、余所者には珍しいコンクリートの勝った風景でした。富山の人達は立山や穂高の山々が遠くにあるので、あまり緑に郷愁がないのか・・・・・とも思いました。お宮を過ぎて自衛隊吹奏楽の大音響が聞こえてきました。何でも京都舞鶴の吹奏楽部隊だそうです。

 

これまで辿ってきたところには適当な飲食店も喫茶店もなく、相当暑い中を歩いてかなりくたびれてしまいました。ちょっと危険(?)を感じて、廣貫堂でもらった梅の味がするドリンク剤に生まれて初めて口をつけました。もう見学はやめて夫のお昼の休憩に間に合うように会場にまっすぐ行こうと、例の路面電車に乗ろうとしましたが、この路面電車は一方通行だったんです。会場と反対の方向だったので、仕方なく地図を片手にまた歩いて・・・・・ホテルの椅子に落ち着いて会場から出てくる夫を待ちました。

合流してそこでランチでもと思ったのですが、何しろ学会の人混み・・・・・30分待ちだとか・・・・・あきらめて夫は講義会場へ、私は目の前にある富山城址で見学を・・・・・お堀に囲まれた石垣、松の木には若いまつぼっくりがたくさんついていました。石垣はとても個性的でした。素晴らしいデザインですよね!!!!つくづく日本人の意識の根幹は美意識だと思います。

公園には天守閣を模した郷土資料館と茶道具の佐藤記念美術館がありました。富山と富山城の歴史を見学しながら天守閣に登り富山市を見渡しました。昨年の手術で足が弱ってまだ十分でないのか(?)、コンクリートの階段がこたえました。そして太陽が照って乾燥した感じの公園を横切って美術館へ・・・・・志野や黄瀬戸のお茶碗もありました。そして梅を模した冷たい和菓子とたっぷりのお薄をいただいて、やっと生き返りました。

 

再び長野経由で帰途につきましたが、思いのほかの遠さ・・・・・片道4時間も電車に乗って二人ともかなり疲れました。新幹線が通じて富山はこれから観光都市としての整備が始まるのでしょうか。建築中の『ガラス美術館』というのに、ちょっと未練が残りました。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

体験談というもの

2015-06-12 11:16:22 | Weblog

戦後70年を生きている私達の周りには『風化させてはいけない』という言葉があふれている。災害や事件があるたびにマスコミも街の声も、異様に一様に、『いつまでも忘れないように・・・・・』と繰り返す・・・・・・・・だけど、

               私はそのことに疑問を感じています。

『こんなことがあったということを忘れてはいけない』・・・・・そうだろうか?????・・・・・私達は横田めぐみさんの身の上に起こったことを『忘れていない』だろうか?????・・・・・世の中の『忘れない』という言葉の意味は、『時々思い出すことが出来る』ということに過ぎないのではないだろうか。そうでないなら、私達も横田さんご夫妻のように、懊悩と模索の中に暮らしているはずです。『同情』という言葉は、脳の波動という観点からは、『同じ心(或いは、同じ心を起こしていること)』を意味すると思いますが、波動には濃度差というか個人的差があるので、結果的に嬉しい同情もあれば有難くない同情もある・・・・・・要するに個人差があって、良くも悪くも影響が出るんです。そして横田めぐみさんたちの問題を解決できないのは、『同じ心』の問題でも『忘れない』という記憶の問題でもなく、私達日本人の困難解決という『政治力』、あるいは『国力』、あるいはまた『国民力』という別の問題なんです。

 

もともと『体験』というものは個人のものだと思います。『忘れない』というけれど、私達は忘れないと生きていけないものなんです。それで忘れるようにできている・・・・・学習は出来るけれど、忘れないことは出来ない。そしてその学習さえ厳密に言えば個人的なものです。確かに人間の脳は、記録や偉人伝を読んで自分の体験でないことも想像することは出来るようになりました。ですが、同じものではないし記憶でもありません。ですから、体験談を聞いてもそれは想像なんです。それを私達の社会は『記憶を風化させない』ためにと言って、『体験談』というものが特別に扱われてきました。

 

そこに『偽善と欺瞞』を感じないわけにはいきません。個人的なものである体験を普遍化すると・・・・・・それがたとえ善意で行われていたとしても、結果として『自分は知っている』という勘違いを引き起こすことになる・・・・・・そして体験談にかたられていない数万倍もある出来事を無視することになる・・・・・誰かの体験談はその人個人のもので、その事態全体ではないんです。その人の真実を語ってはいるが、みんなの真実かどうかはわかりません。悲しい事態、嬉しい事態は共有できたとしても、そのことで同じく悲しい事態が引き起こされるか嬉しい事態が引き起こされるかはわかりません。基本的に普遍化も一般化も出来ないものなんです

たとえ辛くても、たとえ人道的でないと言われても、この事実を心の底から納得したうえで、体験談というものは扱われるべきであり聞くべきものなんです。若い人たちが『戦争の悲惨さを語り継ぐ・・・・・・』『災害の悲惨さを語り継ぐ・・・・・』『私達は忘れてはならない・・・・・』と言っているのを聞くたびに、心の底から身震いを感じてしまいます。彼らは何も知らないのでは?????克服すべきセンチメンタリズムに陥っているのでは?????戦争の悲惨さを語っても戦争を回避できない世界の諸事情を見つめてください。方法論がなければ虚しいだけです。久司先生は『食による平和活動』を桜沢先生から受け継がれましたが、見果てぬ夢と仰って生涯を閉じられました。

世界中で平和に対する方法論を提示できたのはマクロビオティックだけです。久司先生は3000年かかるだろうと言われました。だったら3000年間私達マクロビオティックの弟子たちは『忘れない』実験をする以外にないようです。そして思ってしまいます。食によって平和を達成できるとマクロビオティックは言っているのに、平和が好きな日本人が大して真剣に取り組もうとはしない・・・・・これはいったいどういうことなんですか?????

 

そもそも『知る』ということがどういうことなのか、これこそが教育の突き詰めるべき課題です。これなくして教育をしていると、どんどん薄っぺらなものになる・・・・・・思い違いの上に人も国も生きることになる・・・・・・。私達一般大衆の個々人は体験談のセンチメンタリズムでも構いませんが、全体としてはセンチメンタリズムを超えなければ将来が危うい!!!!!志ある若い皆さん、目を見開いて自分のうちを見つめ、『知る』ということを探求してください!!!!!


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

虎ノ門ヒルズ

2015-06-01 13:42:02 | Weblog

一昨日の土曜日(30日)甥の結婚式があり、本当に久しぶりに虎ノ門に出かけました。これまでほとんど縁のないところで、まあ通過するだけ・・・・・・そう言えば学生時代虎ノ門にあった講堂で学生大会(?)があり・・・・・機動隊も入って軽い流血騒動になりましたっけ。

 

甥の結婚式ということで夫婦そろって出席しました。披露宴も無事和やかに楽しく終盤に差し掛かったころ、ふらっと揺れました。初め眩暈でもしたのか・・・・・と思いきや揺れ始めて、かなり長いこと続きました。その時私達は虎ノ門ヒルズの51階にいたんです。さすが最新の建築!!!!!東京タワーの展望台を並んで眺められる高さにいるのに、この程度の揺れ!!!!!耐震強度も強いのだろう・・・・・・と感心しました。ところがところが・・・・・エレベーターが2時間以上動かなかったんです。壊れたんではなくて、強い揺れを感知すると止まってしまって、確認が終わるまで動かないんだそうです。

甥も花嫁さんも疲れただろうと思います。だけど、人生のスタートに揺れて地盤は固められただろうと・・・・・お疲れのお客様には申し訳ありませんでしたが、プレゼントの一つにしていただく以外にありません。忘れられない思い出になりました。

 

今回の地震は日本全国揺れたのだとか・・・・・驚いてしまいます。何があるかわかりません。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする