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韓国の時代劇

2010-05-16 19:01:46 | 日本語・古事記・歴史・日本人
以前ちょっと触れたこともある『チャングムの誓い』という韓国のドラマは、この年になって今さらながら『勉強とはこうしてやるものだ』と教えられた気がしました。厳格な叔父もこの番組が好きと録画して何度も見たそうです。

このドラマの中で韓国の人々の誇りとして語られていた《世宗大王の御代》という言葉にひかれて、世宗大王というドラマを見ました。なるほどこういう偉大な王様がおられたのかと知りました。そしてそれよりもなお、韓国の時代劇というものにひかれたのは、歴史に生きた人々の厳しさを映していたからです。朝鮮半島という地理的条件が生み出す厳しさは、特殊ともいえる私達の日本のありがたさと好対照です。現実の国際社会もその厳しさの直中にあるのに、私達日本人の国際感覚を思わずにはおれませんでした。

世宗のドラマの中に印象的な場面が二つありました。一つは外敵の侵入にそなえて国境線をひくべき正統性のために高句麗の広開土王とも言われている好太王の碑を探索するというくだり。領土と国境というものの意味を深く厳しく描いていました。その興味の糸を手繰って《チュモン》という高句麗建国のドラマを見ました。二つ目は世宗の李氏朝鮮の転覆をはかる高麗の残党の首領がつぶやく『麗しい国高麗も麗しかったわけではない。自分たちの栄華と権力にしがみついていただけだ・・・・・』といったような悔悟に満ちた言葉。それで高麗の太祖王建と光宗のドラマを見ました。

《チュモン》からは非常に興味深い事実を改めて考えさせられました。これは西暦紀元頃のお話ですが、ヤタガラスというか、三足烏というか、私達日本人の記憶にもある鳥がチュモンの鳥であり高句麗のシンボルなのです。このシンボルは1000年後の高麗に引き継がれます。さらに弓と鎧と鏡という『三種の神器』と鉄器の研究。それから王と女王の並立。我等が神話にも夫婦二神が何代も登場されます。高句麗についてはもう一度勉強しなおすつもりです。

高麗の王建と光宗のドラマでは中央集権国家というもの、それから新時代に取り残される豪族たちの正義観を厳しく描き出していました。多くの愛国の士の努力の上にやっとの思いで成し遂げた《民の暮らしやすい国家建設》という国家の偉業ですが、それがまた権力の偏りを生み出していく人間社会の因果・・・・・麗しい国という民族国家の誇り『高句麗』と『高麗』・・・・・それがまた麗しくない現実を生み出していく。高麗は紀元10世紀ごろのお話ですが、8世紀の我等が中大兄皇子を思いました。大豪族の荘園制度から脱却して中央集権というやっとの思いで作り上げた国家形態が、現代の私達の日本では弊害の塊のように言われて、また地方分権だとか・・・・・

現代社会を見て思いますけれど、制度が役に立たなくなるのは運用する人間の問題なのですね。ざる法が悪いように感じますが、そうではなくて人間が悪くなって合わなくなっているだけだと思います。私達は理想に燃える心を持ち続けることができなくて、欲と得にしがみついているのだと思います。韓国の時代劇は色々と考えさせてくれました。それとわからない韓国の言葉ですが、こんなにも見ていると何となく見当がつくようになってきます。『ナラ』が国家で、『ヴァダ』が海・・・・・ナラねえ、奈良、平城・・・・・。ヴァダか、発音が似ているロシヤ語ではヴァダーは水だな・・・・・ウォーターだなあ。ワタツミだなあ・・・・・って色々と興味深いことを考えました。日本語と日本の古代史につながっていきます。



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