inspiration-macrobiotique・随想古事記

マクロビオティックインスピレーション・随想古事記・日本語と歴史・バベルの塔・日々雑感

都民ファーストとアメリカファースト

2017-05-31 10:40:13 | Weblog

言葉だけは似ているけれど、小池都知事の都民ファーストとトランプアメリカ大統領のアメリカファーストの『ファースト』は全く違ったものだということに、今更気付いて、やっと納得(?)が行きました。

小池都知事の都民ファーストは、都民の利益が都民の代表である都議会や都民のために働く都職員によって損なわれないようにする(現在は損なわれている)と言っており、トランプアメリカ大統領のアメリカファーストは、アメリカ国民の利益を他国や全世界の利益より優先する(現在はアメリカが自腹を切って世界の安全のために貢献しているのに報われない)と言っているのですよね。都民ファーストは内部問題で敵は内部(都民の一部)にあり、アメリカファーストは対外的な問題(敵は外国)なんですね。

 

小池さんの笑顔に騙されて(?)おざなりにしていましたが、二つのファーストが全く別の構造を持っていて、必然的に問題の種類も解決方法も全く違っていることをやっと認識に上げることが出来ました。キャッチフレーズには騙されないようにしないといけませんね。まあともかくも、内部の問題である方が簡単ではあるけれども、矛盾も近くにある・・・・・対外的な問題は、回りまわって自分に降りかかるかもしれないけれど、意識的には簡単である・・・・・どうなるんでしょうね。


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平戸だより・田舎暮らしの実際

2017-05-28 15:06:14 | 平戸

平戸に戻って半年が過ぎました。初夏の平戸は豆の季節・・・・・スナップエンドウに始まって、さやえんどうにそら豆。田舎暮らしの醍醐味(?)は生産者ご本人からのおすそ分け!!!!!だから量もたっぷり!!!!!・・・・・お豆は嫌いではありませんが、そんなにたくさん食べられるものではありません。でも主食にするぐらいの量をいただいてしまって・・・・・それでも粗末には出来ませんよね。

 

それで美味しく主食(?)にたっぷり食べることが出来るように考えました。それは、イカとの炒め合わせ(これは私好みということにしてお好きなようにアレンジしてください。)、それも春から初夏の平戸のヤリイカは絶妙の相性です。それでも生のまま炒め合わせても、イカは水っぽい、お豆は硬い・・・・・それで、下拵えに二方法あります。①さやえん豆やスナップエンドウは下茹でします。イカの下ごしらえは、ワタを抜き目と口を取り輪切りにして乾煎りし水気を飛ばします。それから茹でたお豆を油でいためるのですが、ごま油は中華風になってしまうので、白ゴマ油かオリーブオイルかにします。少し焦げ目がつくくらいしっかり炒めます。そこにイカを加えて軽く炒め合わせて、イキな塩で味を調えて出来上がり!!!!!

②イカも豆も下茹でします。イカはワタを抜いて目と口を取るまでは同じですが切らずに先に茹でます。そのゆで汁で豆を茹でます。豆はしっかりと茹でます。それから茹でたイカを輪切りにし、さやえんどうなど大きすぎるものは適当に切ります。それを同じように炒め合わせて出来上がり!!!!!

 

私は②が好きです。コツはイカに火を通し過ぎないこと・・・・・硬くなりますから。豆をよく炒めること。炒め油の量を少なめにすること。それに、光食品のウースターソースをかけて食べる・・・・・というのが、夫のいないお昼の簡単メニューに加わりました。お蔭でいただいたたくさんのさやえんどうをたっぷりと今日もいただきました。これは本当においしいと思います。

 

 

同じようにどっさりいただくのが春の筍・・・・・来る日も来る日も筍が手を変え品を変えで、美味しい好物ではあってもそうそう食べ続けると変調をきたします。孟宗が終わったら今度は淡竹・・・・・柴漬けにしたりしますが、これは薄切りにしてワカメとお味噌汁にします・・・・・。おすそ分け出来る人がありがたいのですが、多くの場合みんなもらっていることが多い・・・・・というのが嬉しい悲鳴の現状です。


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種実・タネとミ(サネ)

2017-05-24 11:24:19 | 自然食品和みさん

『サネ』という日本語を聞いたことがおありですか?私は結婚して初めて聞きました。姑の口からその言葉が漏れた時心底びっくりしました。以前どこかの記事に書いた記憶がありますが、古代の言葉が生きている!!!!!・・・・・あの時の驚きは忘れることが出来ません。姑から聞いたそうした単語はいくつかありますが、今回和みの堀江さんの悩みを引きずってもやもや考えているうちにこの記事を書く段になりました。

そもそも『種』というのは生命の歴史の中で私達が獲得(?)した『永遠に生きる方法』です。これなくして今日の私達はありません。『種』は自分の命の次世代であり、タイムカプセルです。それを日本人(日本語を作って使ってきた人々)は『タネ』と呼び、今日もそのまま使われています。それを姑が育った地域の人々は、もう一つの日本語『サネ』と呼びならわして今もそう呼んでいる・・・・・し、全く知らなかった嫁の私に多少の違和感があったとしても、意味が通じている!!!!!姑は私に色々な言葉を教えてくれました。その中で古代に通じる言葉の音・・・・・

  1. ウーヅラニクイ・・・・・たいへん憎たらしい(大面憎い)
  2. ウーカ・・・・・・・・・多い
  3. サス・・・・・・・・・・咲く
  4. ・・・・・・・・・
などが代表ですが、その時は『オオヒルメノムチ』と『ウヒルキ』という天照大神の呼称をめぐって『オ』と『ウ』の音の関連が今も生きていることに感動しました。今回は『サネ』・・・・・これは大した言葉です!!!!!そしてこれこそが、私の友人でもある和みの堀江さんの悩み(?)の根元であることに思い至りました。私達がいつも使っている『タネ』・・・・・・私達は当然生きているものとして思っています。例えが悪いかもしれませんが、人間の体に生体と死体とがあるように、種にも生きている種と死んでいる種とがあります。そして『サネ』とは種の中身の機能を指す言葉なんです。種を生かす機能・・・・・命を付与する機能を指しているんです。そして選んだ漢字も『実』・・・・・実体を表し日本語の音で『ミ』と当てました。『サネ』『ミ』の構造というか、発生の仕組みを表しているんです。この『実』・・・・・私達は『サネ』と呼ぶことに慣れ親しんできました。『熊谷次郎直実』・・・・・『ナオザネ』。私達は何の躊躇もなくそう読みます。
 
 
 
これが堀江さんの悩みとどうつながるのか・・・・・そこが問題なのですが、実は堀江さんたちがやっていることは、その『サネ』の領域なんです。『ミ』というのは命の力の単位なので、その『ミ』が滞りなくいきわたるように食品の『サネ』の構造力を復活させることを大事にしているんです。もともと『イノチ』という日本語もその『ミ』が連続している様子を表しています。それでこれはマクロビオティックとか、菜食主義とか、全体食とか、健康主義とか、そういった類のレベルではなくて、乱暴に言えばそんなことはどうでもよくて、『生きる」ということと『暮らす』ということの接点の問題です。堀江さんはこれを一事が万事お客さんに説明したいのですが、通じさせることが難しい・・・・・それで友人として稚拙ながら今回『サネ』を思い出して例にとりお手伝いしてみました。

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平戸便り・川内のマダコ

2017-05-12 19:53:50 | 平戸

従弟からタコをもらいました。平戸川内(かわち)のマダコです。これが美味しいんです。東京や多治見やあちこちで店頭に並ぶタコを見てきましたが・・・・・比べられないんです。足を切り分けて冷凍にしました。そして早速、これも最近知った黄色の柚子ごしょうで食べました。本当に、美味しい!!!!!

          お・・・い・・・し・・・い・・・・・・

 

平戸を離れて、忘れていた味を取り戻しました。この味をどう説明したらよいのか・・・・・・無理やり言えば、『甘くない甘さ』といったような味です。


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父の命日

2017-05-06 22:01:17 | 父の背負子3(雑記)

父の命日・・・・・あんなに大事にしてきた記念日であり祈念日でもある父の命日をすっかり忘れていて、2日前の今日になって突然思い出しました。20年前の5月8日に父は私の目の前から消えて、私の背中に回りました。それでこの父から受け継いだ一連の記事を『父の背負子・随想古事記』として毎年生前の誕生日と命日にご紹介をすることに決めていたのに・・・・・間に合って嬉しく思っています。

 

 

以下がこれまでご紹介してきた『父の背負子(随想古事記)』の記事内容です。いろんな方と意見の交換が出来たらいいなと思います。

 

父の背負子(随想古事記)

        父の願い   2010-04-30
        私の邪馬台国   2012‐10‐04
        随想古事記・はじめに   2012‐10‐05
        随想古事記Ⅰ・あめつちの・・・・・   2012‐10‐09
        随想古事記Ⅰ・イザナギとイザナミ   2012‐10‐12
        随想古事記Ⅰ・アマテラスとスサノオ   2012‐10‐15
        随想古事記Ⅰ・海幸と山幸   2012‐10‐23

        随想古事記Ⅱ・関連記事便覧   2012-10‐17
        随想古事記Ⅱ・神話と言語   2012‐10‐17
        随想古事記Ⅱ・天津神と国津神   2012‐10‐24
        随想古事記Ⅱ・アジアの神話と歴史   2012‐10‐31

        随想古事記Ⅲ・大和の心1  2012‐10‐26
        随想古事記Ⅲ・大和の心2   2012‐10‐27
        随想古事記Ⅲ・大和の心3   2012‐10‐29
        随想古事記Ⅲ・大和の心4   2012‐11‐02
        随想古事記Ⅲ・大和の心5   2012‐11‐03

        随想古事記Ⅳ・おそれながら・・私の仮説   2012‐11‐04
        随想古事記・おわりに   2012‐11‐06

        随想古事記前章・民族の形成   2011-04-11

        随想古事記前章・五色人の謎Ⅰ  2011-04-13

        随想古事記前章・五色人の謎Ⅱ  2011-04-14

        随想古事記前章・五色人の謎補(私の五色人説)    2011-04-21

          アインシュタイン博士の言葉    2012-08-17

        私の『中朝事実』    2013-11-03

 

 

追記:実は私の生家がいよいよ取り壊されます。引き継いでいた弟夫婦はもう立ち退いていて誰もいなかったのですが、先月の最後の日決心をして見に行きました。祖父母が槇林というか岡というべきか・・・・・その地を開き槇を製材し総槇の家を建てました。釘一本使ってないという大工さん自慢の家でした。その家で祖父母は庭を作り・・・・・敗戦後は父も農業をしました。母が嫁入りをし、私と弟二人が生まれました。二番目の弟はその家で死にました。父が自衛官になってからはその家を離れて暮らしましたが、折々の家の都合で小学生の時も中学生の時も飛び飛びに帰郷して暮らし、高校三年間は祖父母のもとでその家で暮らしました。その家の書棚で、講談全集を見つけ・・・・・修養全集を見つけ・・・・・白隠だとか浅見絅斎(?名前の文字が間違っているかもしれません)などという和綴じの本を見つけたり・・・・・私の心の中に大きな家だったと思います。そして退官後この家にもどっていた両親が余生を過ごしました。その家が間もなく消えてしまい、無残にも道を作るために6メートルも掘り下げるのだとか・・・・・父を送って丸20年、21回忌を迎えました。来年は母の13回忌です。そして、その父の年まで私も残すところ5年余り・・・・・

私は背中に負っている父(父の背負子)の奥に今を生きている命の声があると思っています。すべての命が過去の命を負って生きていると思っています。ですからみなアイデンティティを知りたくなりルーツを探るのだと思います。そんな中で私を通して残っている命の声を、『父の背負子・随想古事記』というカテゴリーにして記事を書いたつもりです。そしてそれが、これからに引き渡していきたい命の声だと思っています。現代社会は家系が薄くなった社会、それなら多くの若者に引き継いでもらいたい・・・・・と、ひそかな望みを持っています。そして私のオリジナルと言ったら変なのですが、私がオリジナルに得たこの世の解釈を『最終章・これを知るために』というカテゴリーにしました。これが残りの人生の課題だと思っています。


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