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いちじくのかぐのこのみ???

2015-07-29 16:52:49 | 日本語・古事記・歴史・日本人

子供の頃からいちじくが好きでした・・・・・というより、母が好んだので子供達も食べた、というのが真実かもしれません。そのいちじくを店頭で見かける季節になりました。それでいつもながらの『ふと思いついたこと』というべきか、いつもいちじくを見るたびに『ふと思いつくこと』を今日は記事にします。

 

『いちじく』・・・・・・面白い名前ですよね。『無花果』と書くと如何にも分かったような名前ですが、それを『いちじく』と読ませる理由は、それが漢字以前に『いちじく』だったから・・・・・・。それはそれとして、私はいつも『ときじくのかぐの木の実』を思い出してしまいます。『ときじく』・・・・・って、何でしょうね。垂仁天皇が多遅摩毛理(たぢまのもり)を差し向けて求められた『ときじくのかぐのこのみ』・・・・・・橘の実と言われているからには、今で言う『みかん』でしょうか。どんな『みかん』だろうといつも思います。

 

『ときじく』って、『非時』って書くんです。今で言えば『時無し大根』の『時無し』・・・・・つまり『いつでも』という意味らしいのです。でも早春賦の『時にあらず~と、声もた~てず~う』の『時に非ず』のほうにしっくりしています。で・・・・・『時でもない時に、いつも』ということですね。それが『ときじく』という意味だと思います。いつも香り高い橘の実・・・・・みかんは高級品だったんですね。『わらしべ長者』にも出てきますよね。それで・・・・・『いちじく』は、『いちであって』ということになります。『いちし・く』というのは『いたく』、つまり『非常に』という意味なんです。非常にどうだったんでしょう?????

『・・・じく』という言葉、他にも『いみじく』とか、濁らなければ『・・しく』『まさしく』『悲しく』・・・・・。多分『い』段で終わる音につくと『じ』と濁るのではと思います。そんなふうな、本当は言いたい意味を強くする形容詞を名前にしたなんて・・・・・『いちじくおいしい』とかなんとか言いたかったんですよね!!!!!想像して食べるのも、楽しいものです。初めて『いちじく』を食べた人の顔が思い浮かぶようです。『いちじく』はえもいえぬ味、あるいは、想像を超える味だったので『いちじく』と呼ばれているのだろうと思います。

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美味しいシャーベット!!!

2015-07-26 15:31:13 | 季節・週末散歩

暑中お見舞い申し上げます。暑い日が続いて冷たいものが欲しくなって・・・・・忘れていたものを思い出しました。それは去年の秋、記事にもした通り、膵炎騒動を起こして癌の疑い・・・・・手術となりました。そしてそれはちょうど私の大好きな『とんご柿』の季節・・・・・弟が送ってくれた大事な『とんご柿』を見ながら、我慢してスライスしたりすり下ろしたりして冷凍することにしたんでした。

それを思い出して、見事な美味しいシャーベットを見つけ出しました!!!!!柿は干し柿にするばかりではなく、冷凍してもいいんですね!!!!!

 


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山背大兄王と和・・・平和???

2015-07-19 10:25:31 | その時々2

ここのところ以前にもまして疑問ばかり・・・・・・1.国境は永遠に変えてはいけないのか? 2.それなら、昔あって今はない国をどうするのか? 3.これから将来生まれる国は無いのか? 4.戦争以外に国がおこる可能性があるのか? 5.どうして憲法があれば戦争は起こらないといえるのか? 6.それよりも、無防備であれば平和なのか? 7.防衛とはなにか? それからもっと大変?なこと8.国民の意思って何なのですか?

 

ウクライナ問題、中華人民共和国の海洋侵略の問題、そして私達日本人にとって最も大切な問題の一つ、返還されない根室湾の入り口をふさぐ北方領土の問題・・・・・・先ごろスコットランドが選挙で独立する!!!!!って聞いて、興奮しました。そんなこと、出来るんですか!?!?!??結局独立しないことになり、人類初の快挙には至らず、独立することになった後の事態と推移を観察することが出来なかった!!!!!!!!!!!!!残念です。イングランドが戦争を仕掛けてまた併合するのでは・・・・・とちょっと不安を感じました。

ではどうやって新しい国はおこるのですか?????内部崩壊・・・・・?????新しいところではソ連崩壊・・・・・それでロシアもウクライナも新しい国になりました。崩壊の兆しは、日本の身近にある北朝鮮と中華人民共和国・・・・・独裁者と独裁党の国・・・・・考えてみれば古代のエジプトだって中国大陸だって内部崩壊に違いない・・・・・そこに新勢力が台頭するか、侵入するか・・・・・それでも選挙なんてありえない、戦争必至でした。

北朝鮮につけ入って侵入する可能性があるのは、中華人民共和国とロシヤ・・・・・まあ私が考えられるのはこれくらいですが・・・・・。傍から見ていて韓国に統一されるのが朝鮮半島の人々の一番の幸せだろうとは思います。中華人民共和国も内部崩壊したら、歴史が示すような大国(元や清など)が侵入することは考えられないので、それぞれの民族の蜂起で小さな国がたくさんできるかもしれません。まあ植民地アフリカの悲劇ではない民族割拠の悲劇になるかもしれません。

だけどだけど、今回ウクライナと東シナ海や南シナ海での出来事は、『既成事実化したら、それが現状になる』ということではありませんか?いいんですか?これは戦争の最大原因である領土問題なんです。それでウクライナは戦闘を開始して問題化しました。既成事実化させたくなかったからです。北方領土の困難さを思い出せばわかります。取り返せないでいるばかりか、目と鼻の先に国境があるんですよ!!!!!それが既成事実化しようとしています。

            日本は、私たちはどうするんですか?????

戦争をしているのに戦闘を開始しなければ徐々に侵略されるんです。外交戦でもいい、武力戦でもいい、何でもいいから戦争だと認識しなければいけないんです。私達は平和を守るために戦争をするのです。そして明確に戦争をしているのだと認識すべきです。そういう意味で日本は戦争状態なのだと思います。

戦争をしないことが平和ではないのだと思います。戦争と平和の認識を間違うことが一番危険で、今も私達は中華人民共和国の侵略にさらされています。だから平和憲法は一番危険なんです。憲法があれば平和が守られると信じる日本がある間、中華人民共和国は既成事実を拡大するでしょう。こんなに簡単で安全な侵略はありません。今に東シナ海での漁業から撤退することになるかもしれません。拉致被害者を黙って見過ごしてきたように、新たに東シナ海の漁民の失業を見過ごすのですか。

戦争を避けたいのなら、強力に武装して、相手にためらいを感じさせる・・・・・これは国の安全を守る政府が考えることの出来る最も現実的な道です。今安倍首相の支持率低下などといっていますが、とんでもないことです。学者もマスコミも理想論を述べ、もちろんそうなればいいと誰しも思っています。だけどこれは保険のきかない問題です。私達は学者とマスコミに、『では、どうすればよいのか』と聞くべきです。国論を100%統一することもできないし、ましてや世界の様々な国の利害を100%満足がいくように調整することは出来ません。その証拠にあなたの周りに100件の問題で100件とも同じ意見の人がいますか?????猫の額ほどの地勢調査の杭打ちの問題で傷害事件だって起こるのです。安倍首相は正しいと思います。もちろん私は独立した国防を望んでいます。

 

今日の題名『山背大兄王』と何の関係があるのか・・・・・というのも、平和主義には日本人の性分と言うべき問題が潜んでいるような気がするからです。そしてそれは現代日本ではかなり軽薄なもの、つまり命をかけないでよいものになっていると思うからです。

山背大兄王(やましろのおおえのおう)』は皆様ご存知の通り、聖徳太子のご長男で帝位につかれるべきお方でした。聖徳太子が若くしてお隠れになったので、帝位をめぐる混乱が起こったと考えられます。推古天皇・舒明天皇のあと皇后の皇極天皇と内親王の孝徳天皇それから皇極天皇が重祚して斉明天皇と、天智天皇(父舒明天皇と母斉明天皇)になるまで女帝が続きます。『山背大兄王』はご自分の中に持つ強大な勢力の蘇我氏の横暴を嫌われたとか、国家の平穏を祈られたとか、いろいろありますが、ともかくご自分の一族の根絶を決心されました。たくさんのお妃様方お子様方みな引き連れて自決され騒乱の根となる災いを絶たれました。聖徳太子のお血筋は絶えたのです。そして中大兄皇子は蘇我氏を排して天智天皇となられます。

考えてみれば日本人は聖徳太子を敬愛して生きてきたように思います。この聖徳太子は『山背大兄王』事件までを含めた聖徳太子ご一族に対する敬愛と追慕の念です。騒乱に巻き込まれる多くの人々への思いやりと自己犠牲(自分を殺して日本を守る)、そのあまりの大きな悲しみに日本人は鎮魂の思いをささげてきました。そして先の戦争では多くの若者が『山背大兄王』となり、自分の命を犠牲にしました。

 

現代の私達、平和を叫ぶ私達は、世界平和のために日本の命を捨てる覚悟ですか?あまりにも雑多な訳の分からぬ世界の情勢に、あるいは中華人民共和国の貪欲な膨張主義に、そんな聖徳太子の『日本』を犠牲にするのですか?世界の現状では、防衛(つまり戦争となっても立ち向かえる準備をすること)だけが平和を守る手段のように思えます。以前にも書きましたが、世界平和の実現手段を見つけたものは居ないのです。厳密に言えば、マクロビオティックの桜沢先生がその手段を初めて提唱されました。『世界恒久平和論』という冊子も出版しておられます。久司先生もその志を継がれました。だけど、平和をこれほど希求する日本人のうちどれだけが、まじめに世界平和のたった一つの方法論を実行しているでしょうか。今のところマクロビオティックしかないのに、好みや希望や安楽を主張するのですか。現代日本人の心の軽薄さが浮かんでくるばかりです。口先ばかりの平和論、恥ずかしいばかりです。

 

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言葉というもの1

2015-07-17 15:08:13 | 父の背負子2(最終章・これを知るために)

私達は日常何も思わずに言葉を使って暮らしていますが、そもそも『言葉』って何だとお思いですか。どうして相手の言った言葉を、そういう意味として私が受け取っているのか・・・・・・不思議に思われたことはありませんか。そして言葉というものがそのまま意味だということに、感動されたことはありませんか。

 

言葉』って何なのでしょう。『意味』とは何なのでしょう。私達にとってあまりにも日常的なものになってしまっているので、『言葉』というものについても『意味』ということについてもあまり考えたことがありません。でもいみじくも言ってしまったように、言葉は『もの』であり、意味は『こと』です。或いはまた、言葉は『力』(を音に移して組み合わせたもの)であり、意味はそれによって引き起こされた『結果』というか、これまで何度も記事にした『マンダラ』というか・・・・・・。が条件によって様々な結果として現れることは、私達もよく知っていますよね。例えば言葉は音の組み合わせとして発せられていますが、発声の条件(口の形など)を変えると様々な音(意味)として聞こえてくるし、同じ音でも、例えば救急車とすれ違うと、急に間延びした音になったりする・・・・・

だから言葉というものは、自分が感覚しているを音に移して外部に発し、その音の影響を受け取った人が同じ力の感覚として受け取っているもの、ということになります。そしてその意味とは、その言葉で受けた影響、つまり結果ということになります。

 そして思い起こされるのが、わが日本の『言霊』思想と西洋の思想の根底にある『初めに言葉ありき(In principio erat Verbum.)』・・・・・・この二つはどちらも能動的なものです。があって結果をもたらすものです。(Verbは英語の動詞をあらわす単語になっていますし、言葉を表す単語の接頭部分でもあります。)つまりはどちらも『力』の一つの形だと言っているのです。初めに言葉ありき(In principio erat Verbum.)・・・・・これは神という原存在があって、宇宙となり、その宇宙に 神の言葉として存在が現れた・・・・・というわけですよね。発現させる力と発現したものという意味を持っているわけです。

そしてとどのつまり、『力』とは何か、という最終命題に突き当たるのです。この『力』によって私達は生かされ、いやそれよりもなお以前に、その『力』によってこの世が発現したもの・・・・・『なぜ私がここにいるのか』『私は誰なのか』といった疑問・・・・・もろもろの心理学的哲学的命題・・・・・それに応えているものは、地球上を探しても『カタカムナ』以外にありません。世界中の宗教を研究してください。最終的には『信じるか否か』といったあやふやな形の回答以外ありません。それでは信じたいという希望以外に何の解決策も見い出せないのです。科学も現状分析は精密にしてくれます。力の様々なバージョンも定義してくれます。だけど音声がなぜ電気信号に変わるのかという疑問に答えてはくれません。電気信号がなぜ色彩に変わるのかということもわかりません。『力』の様態についてはこたえられても、『力』そのものが何かということについては分かりません。電気だっていったい何なのかわからないのです。科学は神様が何なのか語ってはくれません。本当は神様を明らかにするべきものなのです。

 

『カタカムナ』を現代に取り戻してくださった楢崎先生も宇野先生も亡くなられました。だけど、『カタカムナ』を知らなくても、この『言葉』と『意味』の機序について考え進めば自ずとわかってきます。それに私達にはお二人の先生が遺された出版物があります。そして何よりありがたいことに、『カタカムナ』は日本語なのです。『カタカムナ』が日本語となり今も生きています。私達日本人は、何とありがたいことに、『カタカムナ』の音の中に生きています。

一つ一つの音を注意深く正しく頭(あたま)の中に渦巻かせなければいけません。頭とは脳の容器であり、脳とは渦巻(波動・力)の受信機発信機なのですから。そうすれば自ずと私達の頭は『力』の発露として私達の頭(カシラ)となるはずです。この修行に終わりはありませんし、これこそが人生なのだろうと思います。そしてこの修行は楽しく喜びにあふれています。こんな記事を書いているのも、今は誰もどうでもよいことなのかもしれません。ですがいつか必ず『カタカムナ』が必要とされる時代が来る・・・・・その時誰かの記憶の隅に『カタカムナ』があれば、それから楢崎先生と宇野先生の心血をよみがえらせることが出来ると思うからです。憐れにも私には『カタカムナ』を語る能力がありません。だけど『カタカムナ』があるということを伝えたいと思います。


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我は海の子

2015-07-15 22:46:29 | 平戸

平戸に帰省しました。主人は約一年ぶり・・・・・私は4か月ぶり?????夏の平戸に帰って、夏草むんむん・・・・・そして懐かしい海の香りを嗅ぎました。今は埋め立てられて昔はもっと身近に迫っていた海が遠くなった・・・・・ような気もしますが、平戸の海はやはりそこにある!!!!!

 

そしてふと口から出てくるのは小学校で習った夏の歌。

      我は海の子 白波の騒ぐ磯部の松原に 煙たなびく苫屋こそ 我が懐かしき住処なれ

 

今の平戸とは相当違っている・・・・・というより、私達が子供だった頃とも相当違ってはいるけれど、何だか懐かしい原郷のような雰囲気を醸し出す歌です。そしてたったこれだけの言葉数で、無限に近い膨大な思いをぶっつけてきます。現代の歌がひどく散文的でつまらない感じがするのは私だけでしょうか。

 

そして同じ『我は海の子』でも違った雰囲気を漂わせているのが、

      我は海の子 さすらいの 旅にしあれば ほのぼのと・・・・・・

しみじみと?????『ささなみの志賀の都』なるものにあこがれを抱かせた歌・・・・・はるかなる歴史に心よさしめた歌・・・・・これは私にとって子供から大人への『我は海の子』です。

 

夫が今の仕事を最後にして平戸に帰ろうと言っていますので、今回の平戸でひとしお『我は海の子』を思い出しました。そして夏は時期ではないと言われているのですが、それでもオゴゼのお刺身とお汁を美味しくいただきました。どうやら平戸人の本性は『海幸彦』のようです?????

 

 

 

 


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雲丹の瓶

2015-07-05 10:32:05 | Weblog

雲丹の季節になりました。平戸の雲丹は美味しんです。単純な塩雲丹で、練り雲丹でも酒練りでもありません。段々とれなくなっているのが心配です・・・・・が。(ついでですが、平戸の自然食品和みさんでは、イキな塩を使った雲丹を扱っています。下拵えも和みさんのお塩です。)

 

今日は雲丹そのもののお話しではなく、雲丹専用のガラス瓶・・・・・独特の容量を少なくした瓶です。そしてどっしりしたガラス瓶・・・・・以前は捨てるに困りながら捨てていましたが、最近は良い使い道を見出して楽しんでいます。

 

        

 

何となくスペインのソーダガラスを思わせる風情ではありませんか。光の屈折が美しく、楽しくなります。空き瓶もいくつか置いて、使いかけのお菜箸立てに重宝しています。そのほかにも歯ブラシ立て・・・・・何しろどっしりしていますから何にでも使えるし、細身ですっきりしているから並べると結構デザイン性もある・・・・・?????のではないかと、楽しんでいます。

                                   

                                                                    


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