inspiration-macrobiotique・随想古事記

マクロビオティックインスピレーション・随想古事記・日本語と歴史・バベルの塔・日々雑感

平戸の鯛茶漬け

2010-11-26 09:51:47 | 平戸
平戸に帰省するといつも主人や息子のために平戸の海の幸を調達するのが決まり(?)です。今回は教室前に一日余裕がありましたので昨日お魚を探しに出かけました。このところ数ヶ月水イカも無ければ思わしい鯛も無いという状況でした。それで今回は何とかお天気もいいし・・・・・、と思って覗いてみると、ありました!ありました。ちょうど良いくらいの大きな天然の鯛!!それにお刺身用の水イカに、姿のまま煮つけるのにちょうど良い大きさのやりイカ!!

イカは冷凍するのが簡単です。足を抜いて腸を取り、やりイカの身はそのまま冷凍盆に並べます。足は目と口を取ってこれも同じく並べます。水イカは足を抜いて身を開き皮をむき、広げて冷凍します。大きなエンペラと目と口を取った足も冷凍しておきます。水イカのエンペラと足は焼きそばやちゃんぽん用です。まもなく開かれる例の忘年野外パーティー用にするつもりです。
立派な鯛はいつもお茶漬け用に作ります。鱗を落とし三枚におろして皮をはぎ薄作りにしてお醤油につけます。私はいつも丸島の濃口醤油だけで漬けます。お砂糖やお酒を入れる人もいますが、私は断然お醤油だけで食べる時に白ゴマを炒って荒くすりつぶしたものを入れます。ご飯は5分搗き!(この時は白米でも三分搗きでもいいでしょう。)お茶漬け用の大きな蓋付きのお茶碗に炊き立てのご飯をよそい、中央をくぼませます。そこに醤油付けの鯛を乗せ熱湯(茶)を回しかけます。周りのご飯を被せ蓋をして1分・・・・・焼き海苔とわさびで食べます。

醤油漬けの鯛を小袋に分けて冷凍します。30分位のちょっと漬け程度で冷凍します。そうすると解凍した時食べごろになります。これで全部の冷凍が出来ました。鯛茶付け!美味しいですよ・・・・・・・!私ですらたまに食べます。息子などは3杯も食べます。亡くなった主人の父は鉄火丼ならぬ鯛丼が好きでした。お茶漬けにしないで漬け込んだ鯛のお刺身をご飯に乗せて食べました。何しろ昨日の鯛は飛び切りでした。久しぶりに刺身を引いている時もその身の美しさに感嘆しながら、主人や息子の食べた時の顔が目に浮かぶほどでした。そしてあらの始末をしながら考えました。「こんなに立派な鯛のあらを煮付けて食べることにしよう!!」全部では多すぎるので、潮汁用に鰭の部分を三つに切り、中落ちと皮を適当に切って“イキな塩”をふり水気を拭いてこれは冷凍にしました。残った頭を割ってそれぞれ三つに切り中骨を適当に切ってこれをあらだきにしました。飛び切りの昼ご飯でした。


これからがちょっとマクロビオティック(?)です。お昼ご飯にあらだきを食べましたので、夕ご飯は玄米を炊いて簡単に白菜と大根の蒸し煮(昆布と椎茸)にしました。そして今朝方までに見た夢は????赤いセーターかティーシャツのような上衣を着た背の高い若者5、6人に、私と娘と夫が追われていました。私達3人の関係は時々親子であったり、従弟であったり、色々になりましたが、娘を負ぶったり手を引いたりして遠くの野山を逃げまわり、どういうわけだかその挙句バス停らしきところに来て群集に紛れ込みました。最終的に見つかりそうになってチリジリバラバラとなり・・・・・きっと見つかって捕まったんでしょう。それで終りです。その赤い若者が鯛であり、私も鯛だったんだと思います。そしてその鯛は私の意識となり消えていきました。

ここで思い出すのがイエス様の言葉です。『人に食われる獅子は幸いである。人に食われて人になる・・・・・・・・・』意識を消化できるのが人間であり、それが人間の仕事なのだと思います。そして目覚めて念頭に浮かんだものは、ホツマツタエに残されている『清菜(すずな)を三日食めよ』との戒めです。そういう訳で今朝のご飯は玄米の大根粥でした。しばらく清菜のお精進をいたしましょう。

それでは今日も希望を込めて:
  
     私達は横田めぐみさん達を取り返せるだろうか!!!
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平戸ぶんたん

2010-11-25 17:57:35 | 季節・週末散歩

平戸での教室のため帰省しています。山茶花がきれいに咲いていますが、八幡様のいちょうはまだきれいな黄色に色付いてはいません。今年は去年に比べてかなり暖かいような気がします。ところでこの花は何の花だかお分かりですか。

ザボンの花です。可愛らしい清楚な花です。今頃咲くのではありません。5月に咲きます。今頃はその花が実になる季節です。こんなに可愛らしいお花から大きな実がなります。『ざぼん』です。子供の頃の思い出の味・ぼんたん飴!、ぼんたんは文旦の通称(訛り)です。そのざぼん園が我等が平戸にあります。まもなく穫り入れです。

このざぼん園はNPO法人が運営していて、ざぼんの木のオーナー制度を取り入れ、毎年オーナーを募集しています。私達もオーナーになっていますので、まもなく香り高いざぼんが届けられることになっています。穫り入れの時もですが、花の香りがあたり一面漂う時期にも、ざぼん園見学ツアーが開かれています。穫り入れを控えた今でも、まだオーナーのいないざぼんの木が8本ばかりあるそうです。どなたかいかがですか?一年オーナーで、2万円です。もちろん来年も募集されます。一度ホームページをご覧下さい。http://www.hirado-yugaku.net/

この法人は平戸島周遊船も運営しています(平戸クルージング)。素晴らしい景観を満喫できますよ!歴史の香りもします。これは私の個人的見解ですが、イザナギ・イザナミ両尊の国生みで、姫島(アメノヒトツネ)といわれているのは平戸島だと思っています。研究中ですが、これはブログのタイトルのとおり、いまのところマクロビオティック・インスピレーションです!春のお花とその香りの時期は平戸が最も素晴らしい季節です。


そして:

    私達は今日もまだ横田めぐみさん達を取り返せなかった!


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年賀状の準備

2010-11-22 14:28:14 | Weblog
今年もまた年賀状の準備をする季節になりました。先日から名簿の整理をしておりましたが、今年は嬉しいことにどこからも喪中のお知らせをいただいていません。今年ももう残すところ一月余りです。

最近では喪中の年賀欠礼のお知らせを年賀状に先行して出し、受け取った方は年賀状を差し上げないのが一般的になってきました。非常に違和感を感じるものの、開業していたもので柿本の両親の時にはそれに習いました。でも何だかおかしなことではないでしょうか????

そもそもどういうわけでお年賀を欠礼しなければならないのかというと、忌中の不浄を他所様に持ち込まないためだったはずです。それで服喪期間は外出も控え、他所のお宅を訪問することもありませんでした。そしてお年賀状をいただいた時も、松の内を過ぎてからお年賀状をいただいたお礼とこちらから差し上げなかった失礼のお詫び状を出したものです。そういう配慮はすべて先様のための心遣いでした。

それがどうでしょう。近頃では自分の方から喪中を宣言し、先様にお年賀状に対する配慮を強要しているような気がしてなりません。そして昔は家単位に行われていた喪中の結界も親族縁者に広がってしまって、弟の嫁の姉だの兄だのまで喪中と言ってお知らせをいただいたりします。こうなると時々喪中の家が多いのではないかと思ってしまうこともあります。確かにこれでは不浄などと言ってはおられないし年賀欠礼も軽くなってしまうのではないでしょうか。

実家の両親は二人とも5月になくなりましたが、柿本家としては翌年のお正月を喪中にはせずに当然新しい年神様に来ていただきました。皆様はどうお考えですか?なんだか年賀欠礼が上っ面を滑って横行しているような気がします。


それでは今日もあせりと希望とともに;

     私達は今日もまだ横田めぐみさん達を取り返していない!
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今月27日の調理実習メニュー

2010-11-17 14:04:40 | 教室情報
先日お知らせしていた27日の松見先生の調理実習は、


     炊き込み玄米ごはん
     小豆かぼちゃ
     ひじき蓮根のバリエーション(ソース、和え物、蒸しまんじゅう)   
     きのこの味噌汁(米味噌)


です。今日はずいぶん寒くなってきました。気をつけてお出かけください。また新しいことを教えていただけます。お会いできることを楽しみにしています。


それでは希望と焦りを込めて、

   まだ私達は横田めぐみさん達を取り返していない!

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私達に出来ること

2010-11-12 08:57:32 | その時々2

私の母には二人の兄がいました。つまり私の伯父になるのですが、上の伯父はシベリヤ抑留中になくなりました。もう一人の伯父が、私の母の里の主でした。その伯父はあの有名なビルマ戦の部隊の生き残りでマラリヤに悩まされ、戦後の貧困を農地解放で残された田畑を守って細々と暮らしました。過酷な戦争時の慰みはタバコだったらしく、『これだけはやめられない』と、キセルに煙草をつめて火鉢の炭で火をつけ嬉しそうに煙をくゆらせ、吸い終わると火鉢だったか五徳だったかにキセルを打ちつけて煙草をしまっていた姿を思い出します。伯父は大層端正な人でしたが、長年の農作業で苦労し日に焼けしわが刻みこまれた顔は一種独特の雰囲気を持っていました。妹の子である私たち姉弟にはとても優しい伯父でした。戦後の食糧難の時代、母が里帰りをした時などは、卵を取るために買っている鶏を犠牲にしてくれたことをよく覚えています。

今の子供達にこんな風景は残酷かもしれませんが、伯父は伯母と相談をして数羽いた鶏のうちどれをつぶすか決めました。その鳥を捕まえてきて脚を縛り首を落として逆吊りにして血を抜きました。毛をむしって火であぶりました。残った毛や毛根を取れやすくするためだと聞かされました。それから解体です。「これがモモだよ、これがムネ、これが砂肝、これが卵・・・・・」鶏が体内に抱えている卵は殻が無く赤い黄色の真丸い玉でした。そして「これがササミ、刺身で食べられるよ」。伯父の教育は続きます。そして伯父のごちそうは鶏の煮つけでした。鶏一羽全部をお醤油味で煮つけたものです。とても美味しかったことを覚えています。それが母の里の味でした。

伯母は母と同い年でしたが、大変な苦労をしたと思います。まず両親に仕え、シベリヤに抑留された兄の家族の世話をし、里帰りをしてくる姉や妹(母)の子供たちの口の世話・・・・・ただでさえ大変な時代なのですから。でもその伯母は料理が好きでした。多分工夫によって困難を乗り切ったのだと思います。私が結婚してからも色々と届けてくれました。お得意の押し寿司、物相で抜いた型寿司、筍の塩漬け、淡竹の柴漬、しその穂のみそ漬け、ごぼうのみそ漬け、カジメのみそ漬け・・・・・・。そんな伯母が晩年に考案したのが、カボチャの白和えです。昨日作って伯母をしのんで食べました。カボチャを蒸した後完全に潰して和えれば黄色い炒り卵のようになります。コロコロと大きいまま和えれば、彩りもきれいです。昨日はゴマをたっぷり強めに炒ってすりつぶし、好みの味噌で味をつけ、木綿豆腐を蒸して和えごろもを作りました。カボチャは半潰しにしました。青々とした刻みネギを飾りました。

私達は遠くに離れている懐かしい人々や恩を受けた人々に何が出来るでしょうか。つまりは思い続けることや思い出すことしか出来ません。懐かしい両親のこと、祖父母のこと、家族の事・・・・・祖先のこと、同胞のこと・・・・・。先日の拉致被害者の記事を書いて以後考えてやっと思いついたことがあります。それはこうしてブログという便利な公開状をもっている私には、記事を書くたびに思い出している心、忘れない心を表明できるということです。それは、

朝記事を書いた時は:   今日私達は横田めぐみさん達を取り返せるだろうか!
昼記事を書いた時は:   まだ私達は横田めぐみさん達を取り返していない!
夜記事を書いた時は:   今日も私達は横田めぐみさん達を取り返せなかった! と、

私達が横田めぐみさん達を取り返すその日まで記事の最後に一行入れることにします。賛同して下さる方々が同じようにしてくださったら、私達は何かしらめぐみさん達のご家族の思いを支えられるのではないかと思います。

このことを思いついた時、私の心の中に湧きあがってくる言葉がありました。それは『ワタツミ』という言葉です。以前体のワタツミのことを記事にしたことがあります。これは国の規模でも同じです。一つ一つの細胞と一人一人の国民、切っても切れない海の水の部分部分、ワタとは全体であり、ワタツミとは一つ一つだったのです。そしてその一つ一つは全体とつながっているのです。ワタツミなくしてワタはありません。そういうわけで今日は希望を込めてこの一行を最後にします。


 今日私達は横田めぐみさん達を取り返せるだろうか!

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偽善と欺瞞

2010-11-09 15:59:23 | その時々2

チリの落盤事故が連日放送されていました。長期化するとみられていた救出も予想より迅速にはかどって誰もがホッとしました。だけれどなんとなく心が落ち着きませんでした。それでやっと今日になって記事にしています。

それは私達日本人にも忘れてならない救出すべき同胞があるからです。不当にも北朝鮮によって拉致された人たちのことです。落盤事故で垂直に家族と隔離されてしまった人たちと何一つ違わないどころか、もっと悲惨です。主権侵害という落盤事故によって水平に家族と隔離されてしまい、いまだに安否すら分からないのです。目に触れにくいという理由で私達は日常を何にも思わずに過ごしているのです。無視しているのです。チリの家族たちは事故現場に詰めたし、報道陣は大挙して押しかけました。テレビでは長時間関連番組が流されました。こんなことってあるのでしょうか。

現在世界第一の覇権国家アメリカは捕虜救出に総力を挙げます。先日もアメリカのジャーナリストの救出のニュースを見ました。一人のアメリカ兵を救うために一部隊のアメリカ兵を危険にさらして任務遂行を図るでしょう。でもそれは無言の約束なのです。『きっと助けに来てくれる!』という信頼が国家への忠誠心と固く結びついているのです。助けに行く方もそのために自分が危険な目に遭うことを当然と考えています。それがないと軍隊は結束できないはずです。

ひるがえって戦争を憎み平和を愛する日本人はこんなにも人情無しです。私達の平和はこんなに偽善と欺瞞にあふれています。最近では領土が侵されています。領土は国民の生活の場です。領土が侵され国民が奪われているのに、命あってのものだねと自分が侵されるまで逃げていると、何時か自分の(あるいは家族の)番が回ってくるでしょう。新たに領土拡大のために戦争をする無法国家は現れにくいかもしれません(日本の周囲には南北にそれぞれ現れていますが・・・・・。)でも国際社会は『徳』を規範にはしていないらしい・・・・・。引けば引くほど同胞も返してはくれないし、領土も侵犯されてしまいます。

横田めぐみさんの消息が少なくとも明らかになるまでは、テレビは毎日「今日も横田めぐみさん達がいない」と繰り返し放送すべきです。私達は同胞を取り返すために自分たちの犠牲を我慢すべきです。たとえそのために何か不都合が起こっても、国民は全員それを甘受しないといけません。簡単には戦争はしないけれど、最後には戦争をも辞さないと表明することが必要だと思います。国家の在り方を決める、最終的には戦争をするかしないかを決める権利が主権だと思います。自分が、我が子が、家族がこんな不幸に遭ったとしたら、一体誰が助けてくれるのでしょうか?一体どんな希望を持てるのでしょうか?

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11月教室

2010-11-09 08:35:20 | Weblog
今月の教室は27日(土)、13:00から。陰陽講座と調理実習です。調理のメインテーマについては、間もなく松見先生よりご連絡をいただけると思います。

炊き込み玄米ごはん、小豆かぼちゃ、ひじき蓮根のバリエーション(ソース、和え物、蒸しまんじゅう)
きのこの味噌汁(米味噌)、あるいは、
 

雑穀和風ハンバーグ、しぐれ味噌、切り干し大根の焚いたんバリエーション(パスタ、スープ、パンケーキ)
里芋の味噌スープ(豆味噌)、のバリエーションスタイルだと思います。
      

陰陽講座は、具体的実際的テーマを『内と外』ということにしています。平戸の和みさんでお申し込みをお願いします。0950-23-2566

ヒレフリ山教室はいつもの通りです。具体的な日常生活にある事態を通して考えたいと思います。

12月、1月はお休みです。2月の最終土曜日が今年度の終了講座です。予定がおありでしょうから早めにお知らせします。

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父のはなむけ

2010-11-04 08:58:17 | 父の懐
昨日は国民の祝日・文化の日、実の父の誕生日でした。終日折にふれ亡くなった父を思いました。祖父は明治天皇様がお生まれになった日に父が生まれたことを喜び、父に『圭三』と名をつけたと聞かされました。『圭三』を分解すると『十一十一三』となります。その意味するところは『大正11年11月3日』です。

今回平戸に帰宅した間、ちょっとしたシロアリ騒動で応接間が使えず、座敷を利用しました。どなたの目に触れるのも、大きな扁額『積善の家に余慶あり』です。金色の紙に墨々とした雄渾な行書体の、それこそ余慶あふれる額です。37年余り前東京で結婚式を挙げて平戸に帰ってきた夜、見上げて涙あふれた額です。

結婚式の前夜父はささやかなお別れの家族会を開きました。その時嫁ぐ娘への父のはなむけが『積善の家に余慶あり』でした。奇妙にも耳に残っている言葉は『娘を柿本家にやってしまうわけではない。』、それから『家庭とは与えられるものではない、築いていくものなんだ。』、そして『今あるところが極楽浄土なんだよ。』と言って『極楽浄土』と認めた色紙を手渡しました。その小さな極楽浄土の色紙はそれからの私の人生を何時も見つめていたと思います。そして平戸に到着した私達に柿本の両親が寝室にあててくれた座敷にその扁額『積善の家に余慶あり』はかかっていたのです。緊張していた私はふと実の父に出会ったような不意を突かれて涙がこみ上げてきました。『ここに嫁に来たんだ』と思ったものです。

柿本の父から額を譲り受ける約束をした時はとても嬉しかったことを覚えています。私達の家は昭和63年に新築(?)しましたが、最近の家は欄間が低くてかけられるかどうか心配しました。でもミサワホームが善処してくださって鉄で素晴らしい長押用の受けを作っていただくことが出来たのです。その黒鉄がまた金色で縁が黒い額にぴったり!だったんです。それで時を経て金色の色相に深みを増したこの額を見上げるたびに実の父を思い、柿本の父を思い、色々な方々のご親切を思うというこの頃です。


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幼子の愛らしさ

2010-11-03 10:22:21 | Weblog
家族で参加して下さる「f」さん、にぎやかに無事帰宅されたでしょうね。ご主人様はお寂しかったことでしょう。

私の平戸の教室にもうかれこれ丸5年も、それも福岡から通って来てくださるご家族があります。今年のヒレフリ山教室にはお泊まりがけのご参加です。そうやって通って来てくださる間に大きいお兄ちゃんは5年生になり、小さいお兄ちゃんは1年生、そして三番目のあーちゃんはもうすぐ3歳!教室の歴史みたいな三兄弟妹です。

いつの間にかお兄ちゃん達は少年になり、大きいお兄ちゃんは慎み深くものを言い、小さいお兄ちゃんははにかみながらものを言う年頃になりました。そして小さい闊達なあーちゃんは、真剣さを後光のように体から発しながら、まっすぐに私のところにやってきます。『チェンチェイイ!』

真剣な顔を見ていると、その小さな口からどんな質問が飛び出すのか、命の妙に畏敬の念を持たずにはおられません。小さかった我が子との毎日が、突然ありありと浮かびあがってきたりします。そしてつい願ってしまうのです。「もう一度『チェンチェイ』と呼ばれたい!」
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平戸またまた近況

2010-11-01 18:09:48 | 平戸
10月のお料理教室のデザート・ハリネズミはさつま芋のハリネズミで、針はアーモンドのスライスでした。まつぼっくりハリネズミで、そのかわいらしさにびっくりでした!


お料理教室とヒレフリ山教室に合わせて毎月月末に平戸に帰郷しています。今日の午後吉祥寺の自宅に落ち着きましたが、JRの吉祥寺駅に降りてあまりの人の多さにちょっとうろたえました。平戸は本当に静かだなあと思います。人にぶつかることはまずありませんから、人が多すぎてまっすぐに歩けないなんて想像を絶することです。

そんな我が故郷ですがちょっとした問題が起こっていました。平戸大橋につながるバイパス道路を作ろうというのです。もちろんれっきとした国道204号線が平戸大橋につながっています。どこにバイパスを作るのかといえば、準高速道路のような西九州自動車道(?)につなげて、平戸到達時間を10分ばかり縮めようというわけです。誰のためにかというと観光平戸のためというわけです。それに30億円の予算をつぎ込むというのです。

ですがそれには立地上のもの凄い悪条件がありました。平戸大橋の九州側の出口から直線距離にして100メータ以内に鉄道(旧松浦線)が走っているのです。道路を高架にするにも距離が足らず、あろうことかなんと6メータ以上掘り下げて線路の下をくぐるというのです。その掘り下げる小さな山は、以前無礼な人間共が国道を通すために境内を二分してしまった八幡様の裏山!!そして反対側の裏山裾にあるのが私の実家なのです!!八幡様の裏山は反対側にある住宅地の風除けも果たしています。家を失う人より丸裸にされて崖の上に残される人々の方がもっと深刻かもしれません。台風の風を避けようがなくなります。

東京に来てみて身にしみて感じたことは、平戸は遠すぎるということです。スピード時代の観光は平戸には向いていません。平戸の観光政策はもっと違った発想が必要です。1週間から10日単位の観光旅行、あるいは体験観光を考えた方がうんと現実的だし魅力的です。長崎市にお株を取られたようなオランダ観光路線ではなくて、もっと歴史的な独自のものがあるはずです。栄西禅師が種を植えられた日本初の茶畑もあるし、志々伎山の修験道場もある!豊かな海の幸もある!静かで広い土地もある!とってつけたような日帰りの観光ではなくて、60歳を過ぎた年代向けの悠々とした観光プログラムを作ってもいいのではないかと思いますが・・・・・・

『国破れて山河あり』ではありませんが、『人絶して道路あり』なんてならないでしょうねえ?私にとって大切な祖父母の建てた総槇造りの実家です。住民の犠牲を殆ど無駄に浪費するとしか思えないようなことが行政の事業なんでしょうか?それより国道の整備をして通りやすいようにしてください。10分の短縮がそれほど大切だとは思えません。費用に見合うほど平戸に来る人は増えません!!

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