inspiration-macrobiotique・随想古事記

マクロビオティックインスピレーション・随想古事記・日本語と歴史・バベルの塔・日々雑感

浦村牡蠣

2016-02-28 20:52:59 | 季節・週末散歩

今日は夫が例の『ちゃんこ鍋』を食べたいというので真アジを探しに、可児市にある湯の華市場まで出かけました。残念ながら真アジは無かったのですが、鳥羽の浦村牡蠣(・・・・・以前テレビの番組で紹介されたのを見たことがあります。)を見つけて買ってきました。湯の華市場は内陸部(?)にありながら、ちょっと種類は違うのですが、平戸人の目にも応えてくれる魚介類が並べてあります。それで夫の時間がある時たまに買い出しに出かけます。木曽のヒノキを使ったお菜箸などもあって重宝しています。

殻付きの浦村牡蠣をフライパンに並べて蒸しました。、本当は白ワインで蒸したかったのですが、生憎ありませんでしたので、お屠蘇の残りの日本酒をお水で薄めて蒸しました。日本酒だけだと磯臭さが強くなるので、3倍以上に薄めました。それにレモンをたっぷりとかけて、生牡蠣を楽しむようにしていただきました。大変おいしい評判通りの牡蠣でした。


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膵炎術後・・・・・手術の傷

2016-02-20 11:54:42 | manndarage2(膵炎体験記)

昨日半年ぶりの定期検査に行ってきました。検血とエコー検査だけでたいしたことはないのですが、一週間後無罪放免となるよう願っています。『傷痕を目立たなくする!』という目標は残念ながら、達成にはまだほど遠い!!!!!・・・・・幾分赤い畝が少なくなった・・・・・というくらいです。仕方がありません。現実は現実です。期間を延ばしたいと思います。検査技師さんに、『傷も大きいですね・・・・・膵臓の場合は難しいことが多いから・・・・・』と言われて、初めて比較的大きな傷なのだと認識しなおしました。

時代劇で『顔に刀傷のある男』とか・・・・・人相書き(?)が出てきますよね。あれだ!!!傷というものは残るものだ・・・・・と改めて思いました。だけどそこに私の挑戦もある・・・・・なんだか楽しくなってきました。

一番下の妹(13歳違い)が生まれた時、母の産後の手伝いに父が雇ったおばあさん(?)がいました。その人はアメリカ帰りで、何かにつけ「キッチン、キッチン・・・・・ブーツをはいて・・・・」とか、英語交じりの話しぶりで、子供の私達は『アメリカおばちゃん』と呼んでいました。そのおばちゃんとお風呂に入ったとき、お腹に横長い大きな傷があって『お産の時の傷だ』と言っていたのを思い出します。白っぽい薄茶色のような瘢痕で、多分20年以上経った傷だったのではないか・・・・・と思います。子ども心に『ああ、そうなのか・・・・・』くらいの感覚でした。

早くアメリカおばちゃんの傷くらいの、あまり違和感のない傷痕にする・・・・・これが目標です。この傷も私の『マンダラゲ』・・・・・この傷を含めて、色々と変化したことがあります。もう回復してしまったものでは、息を吸い込む時に二段式になったこと。横隔膜の左右の統率がうまくいかなかったのではと想像しました。赤ちゃんがよくしゃっくりするのと似ているのでは・・・・・?????と感じています。これは卒業しました。それから、猫舌ではないのですが、喉の入り口が熱に弱くなって熱いお汁などを飲み込むのがうまくいきません。これはまだ引きずっています。そして何がどうかかわっているのか、人体というものに今更驚いています。


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梅の花が咲いていました。

2016-02-17 15:23:30 | 季節・週末散歩

久しぶりに夫と隣町(?)まで行きました。沿線の木々は新緑が噴き出す前の赤味を帯びてきました。ところどころに紅白の梅の花が春の到来を感じさせています。春の気配は気分を明るくさせますね。ちょっと嬉しくなりました。

これからもくれん科の花も咲きますね。そしてなんといっても春の花は黄色いレンギョウ・・・・・桜はもちろんですが・・・・・私の中では『黄色』が心惹かれる春の色です。


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東北・津軽・・・・・ツカル・東

2016-02-11 23:09:05 | 日本語・古事記・歴史・日本人

以前『東歌』とは『ツカル歌』だという記事を書きました。少なくとも万葉集が出来た頃の東とは現在で言う京都より東のことで、東京などは東の果ても果てだったのではと思います。東に良い国があるとの九州日向におられた神武天皇の東遷で考えてみれば、記紀時代の大和である近畿地方が東だったんだろうと思います。そしてそこは、ツカルの支配地域だったんです。

ツカルとは、簡単に言えば、『邪馬』です。詳しくは当ブログ内の『五色人の謎』などを読んでいただきたいのですが、中国大陸北部で古代国家殷を作った部族『鳥族』のなれの果て(?)・・・・・後代『猪』・『豚』と蔑まれてついには『邪馬』と当て字されるようになりました。私達が習う『邪馬台国』も中原の国家からは自分たち(?)が滅亡させたその『邪馬』ゆかりの国だったので、『邪馬台国』と史書に記録されました。

 

『殷』という古代国家についても殆どわかっていないことだらけらしいので、色々と考える余地があると思います。現在『殷』と呼ばれている国号ですが、『商』ともいわれているらしいのです。どうして鳥族が『殷』なのだろうと思っていましたが、『ショウ』が『チョウ』・・・・・『鳥』だったのかもしれません。そして『イン』が支配権を取ったのかも・・・・・しれません。これと同じことが紀元前後の『高句麗』にも起こったのかもしれないと思います・・・・・それで『高句麗』という犬族を思わせる名前で残ったのかもしれません?????・・・・・

またまた思い出すのは、天帝の娘織姫が結婚するのは『牛飼い・彦星』でした。女媧伏羲(ジョカフッキ・・・・・カの字はうまく反映されていないかもしれません)がこれではと思います。そして生まれる(?)のが神農・・・・・天とその娘女媧(ジョカ)が鳥で、彦星の伏羲が牛、神農が焼き畑で火を操り鋤鍬の農具から武器を作り出した犬ではないかと思うようになりました。殷という古代国家の存続期間も五千年(?)・・・・・何があってもおかしくありません。

 

漢字は殷時代の甲骨文字とは違いますが、甲骨文字なくして漢字もなかっただろうと思います。そしてそれよりもなお、世界中のどの部族もみんな『バベルの塔』事件を通り抜けたと思います。そして思うのは、すべての文字は人間の原初語としての音声を写すものだったはずです。各地に運ばれ散らばりましたが、人間の音としての共通の基盤を持っていると思います。だからワタツ人と私が呼んでいる最初の日本語を整理した人々(蛇族)の中に邪馬人(鳥族)も鳥と混血した牛族も犬族も(後に天孫降臨として脚色され)混入し、最後に馬族がそろって邪馬台国ならぬ大和国が出来上がったと思います。

ただ幸いなことにわが国では先住民族が絶対多数を誇ったのか長年の歴史風土を完成していたのか、許容範囲の広い日本語とともに勢力を温存し続けたのだと思います。もちろん辺境に追われたかもしれません。まつろわぬ邪馬人の地が『ツカル』・『東』になりました。それ以前に『邪馬』族に追われた蛇族・ワタツ人も、まつろわぬ牛族も犬族もいました。時代を経てツカルとなった小部族たちはさらに東へ東へと追われ・・・・・・ヤマトタケルノミコトに平定された東路、坂上田村麻呂の西暦700年代には現在の東北地方まで追われていたのでしょうし、12世紀の源義家は武蔵野の国の鎮守・調布の大國魂神社に先勝祈願をして東北に向かったと言われています。

『五畿七道』ってご存知ですか。奈良時代以後の律令制で定められた日本の地方行政区ですよね。その中で『東』という字がついているのは『東海道』と『東山道』・・・・・『東海道』は現在とほぼ同じですが、『東山道』はなんと現在の滋賀県から岐阜県を通って長野県・群馬県・栃木県・福島県・宮城県・岩手県・青森県・秋田県・山形県を覆う広大な地域です。これはツカル地方の海側と山側だったのが、東北地方まで伸びたのを東山道に加えたためだろうと思います。そしてこの広げられた地域である東山道の奥が『道の奥・みちのく・陸奥・むつ』になったのでしょうね。この漢字の使い方には、かなり慣れてきたように感じます。音符としての漢字と意味を持つ漢字の入り交じりを感じます。

チョウがチョになり、チョがトンになり・・・・・わが国ではトウになり東になりました。そして長い間わが国でも、もともとの鳥族・ツカルを意味していたのだと思います。


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平・ひら・たいら・・・・・たびら・田平

2016-02-06 15:22:18 | 日本語・古事記・歴史・日本人

金毘羅様の『毘羅』・・・・・『ひら』『ヒラ』『いら』『比良』『平』『平良』『たいら』『・・・・・・』・・・・・・・これらの文字というべきか、音というべきか、ともかくも言葉の意味するものをお考えになったことはありますか。私は疑問に思うことはあっても、突き詰めることはなく・・・・・というより日本国中にあふれている『ひら』を見て、途方に暮れて長年暮らしました。そして川崎真治先生の御本に触れることにより、『五色人』の謎を解き、苗字と地名の謎を開き、日本人の真実に辿り着き、自分のアイデンティティを確立することが出来ました。僭越かもしれませんが、それを広く我が同胞・日本人と分かち合いたいと思い、このブログカテゴリー『随想古事記』『日本語・古事記』でご紹介することにして、エッセイのような記事を書くことにしたのです。こうした問題はそれぞれが深く得心すること無しには何の意味もありません。私の記事は単なる導火線のようなものですが、皆様の心の中にくすぶっている『もやもや』に火をつけたいと思っています。これは今日本人が置かれている混迷の平和、あるいは平和による混迷から抜け出すための役に立つと思うからです。そしてそれがいつか地球の恒久平和に役に立つと信じるからです。

 

私の故郷『平戸』もその中の町名『田平』も『平』です。平戸の男子は『平門男児(へいもんだんじ)』と自負してきました。だけど本当の意味は知らなかったのでは・・・・・?????と思います。一般的に『平』という字を見て思いだすもの・・・・・平家・平清盛・重盛・敦盛・知盛・・・・・平家の武将ばかりですね。これほど有名で耳慣れ目慣れした『平家』ですが、その出自に関してはあまり明確ではありません。俗に桓武平氏清和源氏・・・・・と言われてきましたが、平家没落後臣籍に降下した皇族で平氏を名乗った方を知りません。多分ですが、みな源氏を名乗られたのではと思います。みちのくの しのぶもじずり  たれゆえに・・・・・で有名な河原左大臣こと源融(みなもとのとおる)・・・・・百人一首でおなじみですよね。平戸の藩主松浦(まつら)家の先祖も源(みなもと)姓です。『平』はいったいどこへ行ったのでしょう?????あるのは全国の落人伝説ばかり・・・・・です。

余談ですが、松浦家が出てきたので、一言添えておきたいと思います。『松浦(まつら)』の『ら』と『平』の『ら』・・・・・そして『奈良』の『ら』・・・・・・そして朝鮮半島の『新羅』や『百済』の『ら』、『高句麗』の『り(rai)』・・・・・こうしたものはみな同じもので同じ意味なんです。古代史を探り始めて間もないころ、多分十代の終わりごろだったと思いますが、興味深い単語に出会いました・・・・・それは、『たけひらどり』・・・・・かなり荒唐無稽のシチュエーションでの出会いだったように記憶しています。要するにその単語は古代史の要所に絡んでいる言葉で、果ては有名な鳥の絵・ナスカの地上絵も『たけひらどり』だ・・・・・というようなものだったと思います(今となってはその中に潜む真実もわかるようになりました)。『たけひらどり』・・・・・これも『たけ・ひら・どり』で『武比良鳥』と示されていました。

 

結論を言います。それはみな『イル』『イリク』・・・・・天孫降臨のモデル・殷王朝の亡命劇で日本に移住してきた犬族の子孫の符丁なんです。そして後に漢字採用の時代、好き好きに漢字を当てました。同じアイデンティティを大きくとれば、『ヒラ』『イラ』『・ヒラ』『・イラ』、『ヒラ・』『イラ・』でしたが、それが細かく各部族ごとに違う漢字になりました。漢字採用の前後では漢字に対する感覚も違いますので、漢字以前の日本人の漢字による命名法は、それこそ、あきれるほどに多種多様・・・・・漢字に求めるものは意味ではなく、音だったのだと思います。これは中部地方に住んでみて実感したことの一つです。

 源氏も同じく『イル』族です。こちらは『イル』が『イン』『エン』と呼ばれるようになった(或いは本人達がそう訛った)『イル』族です。広くヨーロッパに分布した犬族と同じで、アイヌの呼称の語源だろうと思います。後の元(ゲン・エン)や清(シン・イン)、日本書記での 伊梨柯須彌(伊梨柯須弥、いりかすみ)と呼ばれた高句麗のヨンゲソムン(淵蓋蘇文)・・・・・面白く見た韓国の時代劇『チュモン』のヨンタバル・・・・・、どちらかというと北方系犬族のように感じています。『ひら』系は殷の半島由来、『ゲン・エン』系は沿海州由来では?????と思っています。(それだと、いつか記事にした『六平さん』も納得がいくように思います。)

 

それで清水の次郎長(山本長五郎)は、森の石松を讃岐の金毘羅様に派遣しました。海運の神様の中の金毘羅様・・・・・『金』も『毘羅』も『イン』と『イル』の採用字・・・・・どんな共感を次郎長は持ったのでしょうか。日本人が部族を忘れて『大和族』を錬金醸成した後、各地に残る地域社会の名残・・・・・音を採用したにしても、その漢字の持つ歴史的事実に関して共有するものを組み込んでいったに違いない私達の先祖たち・・・・・・その人々の思い入れのある地名を大事にして、脈々と受け継いできた血液の思い出と錬金の成功という日本の歴史的業績を大事につないで行きたいものだと思います。

コメント (2)
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春のメニュー・ぬた

2016-02-05 15:32:54 | 季節・週末散歩

昨日は立春・・・・・季節のなせる業か、このところ『ぬた』が懐かしく(?)、美味しく楽しんでいます。子供の頃の『ぬた』料理といえば、ワカメと母が得意だった『結びネギ』に『ウド』・・・・・でしたが、それに加えて春菊やセリの胡麻和えを『胡麻ぬた(?)』にしたり、純然たる『ぬた』にしたり・・・・・菜の花を和えたりとそんなこんなしているうちに思いのほかおいしいと思ったのが、エノキの『ぬた』です。エノキとわけぎを茹でてワカメと『ぬた』で和えました。これはとてもおいしくてヒット『ぬた』でした。

お魚のぬた料理にはからしや生姜がつきものですが、春野菜には単純な香辛料無しの『ぬた』が合っていると思います。私のお気に入りは、白味噌とりんご酢だけの『ぬた』です。とても簡単で美味しいと思います。そう言えば、母方の伯母が作ってくれたニラの『ぬた』和えもおいしかったのを思い出しました。


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