inspiration-macrobiotique・随想古事記

マクロビオティックインスピレーション・随想古事記・日本語と歴史・バベルの塔・日々雑感

翻訳ということ・・・・・玄奘三蔵

2018-12-30 20:51:13 | 父の背負子2(最終章・これを知るために)

今月の半ばでしたか、NHKの番組で『玄奘三蔵』の番組を見ました。改めて私達が今も恩恵を受けている三蔵法師の艱難辛苦に思いをはせながら、いろいろと考えさせられました。隋から唐にかけて歴史をまたいで天竺から経典を持ち帰った三蔵法師・・・・・その言語に絶する体験に対しての自分の想像の甘さを思うばかりですが、それよりもなお三蔵法師は経典の翻訳をもって『自分のなすべきことを果たしたのでは』という感慨を持って人生を終えられたのだとか・・・・・現代に生きる私達も恩恵にあずかっているサンスクリット語の経典を翻訳したという偉業に三蔵法師の人生をしのんでいます。

『翻訳』という作業の困難さについては、私もほんの少し実体験を伴った共感をもって三蔵法師を思っています。アメリカを本拠地としてマクロビオティックの普及活動をなさった久司先生の著書を何冊か翻訳させていただいて、久司先生が日本語を英語に翻訳して伝えられたであろうことを、私がまた再び日本語に翻訳する・・・・・単語の移し替えではなくて、翻訳とは『認識』の問題であることを痛感しました。そして『認識』とは『言葉化』であることが段々に分かってきました。『言葉』にすること、オウム返しでなく『翻訳』という言葉化によって、本当に認識することになるということが分かってきました。『翻訳』ということは『言葉』を作ることでもあるんです。そして、『カタカムナ』の楢崎先生のご苦労と業績をしみじみ思います。釈迦の心を『翻訳』した玄奘三蔵に匹敵するばかりか、もしかするとそれ以上・・・・・

 

私達は皆誰もが『翻訳』という作業によって『認識し理解』して(『ウツシマツッテ』)いる・・・・・時々ブログに登場していただいている日蓮上人も白隠禅師も、同じように『翻訳』して私達のためにご自分たちの『認識』を表明して残してくださったのだ!!!!!ということがわかってきました。有難いことだと思います。そして『自分のなすべきこと』を皆それぞれ持って人生を生きているのだと思います。三蔵法師のように『・・・・大方果たしたのでは・・・・・』と、いつの日か心安らかに人生を振り返りたいものだと思います。

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本とは

2018-12-03 13:47:46 | 父の背負子2(最終章・これを知るために)

日本・・・・・現代人の私達は、これを『にほん』と読んで何の違和感もありませんが、聖徳太子が国号を『日本』と定められたころ私達(の先祖)は『やまと』と読んでいました。それ以後、『やまと』とともに『にほん』、『ひのもと』などと呼びならわし、明治になって勇ましく『にっぽん』と言ったりもしています。

なぜ聖徳太子が国号を『日本』とあてられたかについては、『随想古事記・大和の心』(や、日本語・古事記のカテゴリーに入れた記事)で自論を展開していますが、改めてそれにはそれなりの理由があったことを主張したいと思います。もちろんユーラシア大陸の東にあって、太陽が真っ先に上る国であるという美しい意味をかぶせられたことはわかりますが、それよりもなお『やまと』の実態を言い当てる字音だったからです。私達は(忘れていますが、)『邪馬』であり『ヤマ(ト)』だったのです。『ヤマト』に『大和』という字を神武天皇があてられたように、太子は『日本』という字を採用され、のちに『日本』は『ジパング』であり『ヤポン』と元の世界帝国によってヨーロッパにも伝わりました。

 『邪馬台国』・・・・・日本の歴史に『浮島』のように浮かんでいます。私達は自分とのつながりも不明のまま置き去りにしようとしています。かつて邪馬台国論争が巻き上がったこともありました。ですが、自分とのアイデンティティは、あやふや・・・・・・邪馬台国人が自分と一体どういう関係にあるのか、確信はありません。こんなことでいいのでしょうか。経典のように大事にしている『魏志倭人伝』・・・・・その内容は3世紀のものですが、それはそれでよしとして、その中に女王卑弥呼の宗女について『壱臺』・・・・・これを『いよ』と読むか『いと』と読むかで二論に分かれていますが、それなら『邪馬台(臺)国』だって『やまたいこく』ではなく『やまよ国』か『やまと国』の読み方もあって当然なのではありませんか?????要するに、

               『邪馬台国』は『ヤマト国』なんですよ!!!!!イザナギノミコト・イザナミノミコトの『ザ』だって『邪』なんですよ!!!!!

『ザ』も『ジャ』も『ヤ』も同じなんです。これを考えるたびに柿本人麻呂の歌と言われるものを思い出します。『ささのはは みやまもさやに さやげども われはいもおもう わかれきぬれば』・・・・・それはこうだったという意見もあるんです。『ちゃちゃのはは みやまもちゃじゃに ちゃじゃげども われはいもおもう わかれきぬんれば』・・・・・

 

そして、日本人の歴史で最も大事なこと・・・・・『邪馬』は『山』であり、そして、『殷』の後裔である・・・・・ということなんです。その『邪馬』が『大八洲』の国まで落ちてこられて、先住の大山祇の娘コノハナノサクヤヒメをめとり、山幸彦が竜宮のトヨタマヒメをめとり、鼻からいた(イザナギの鼻から生まれた)スサノオノミコトと宥和して『大和』の国を作り上げたのが、我らが『ヤマトの国』なんです。中国4千年の歴史は、山鹿素行ではありませんが、『なあ~んだ、我が中つ国にあったではないか・・・・・!』これが、我が国の真実なんです。だから、日本人はどこの国の人に対しても、基本的にやさしいんです。やさしい・・・・・というのは、どういうことかというと、自分の正義『大和』を自分に照らし合わせるんです。相手が正しいかどうかではなく、自分が正しいかどうか・・・・・、これが『ヤマト』の国で、先住の人々と秩序を作り上げるための『道理』だったんです。自分の精神の美しさを求めたんです。これは人類の最終的な目標ですが、この伝統は皇室の儀礼に残されていて、それを象徴するものが『鏡』です。そしてこれは日本人の住む津々浦々の氏神様に残されていて、そのご神体は『鏡』です。一神教のどこまでも相手を責める『理非の神・復讐の神』ではなく、自分をただす『カガミ』です。ですから神道は、神からいただく『法』や『教え』ではなく踏み行うべき『道』になったんです。

 

この日本の国柄・・・・・これは、人類の最終的な『世界遺産』なんです。そして、世界最古の奇跡なんですよ!!!!!私達『大和』の後裔は、何が何でもこの国柄を変えることなく残していくこと・・・・・これ以外に日本人の生き甲斐はありません。近頃出来たものは、何でも変えて構いません。法律でも何でも変えてください。大和の国も埋め立てて形を変えても構いません。そんなものはどうでもよいのです。だけどこの国柄だけは変えてはいけません。この国柄を変えるということは、日本ではなくなるということです。『大和』の理想も捨ててしまうということなんです。

どうして日本が存続してきたか・・・・・それはその国柄が『宇宙の法則・摂理』にかなっていたからなんです。それは一言で言うと、『中心と外側がある』というこの世の存在の法則です。存在するということは、求心力が遠心力に勝っている、ということです。それでないと崩壊してただの砂粒(砂粒にも求心力があるとすれば、粉)になってしまいます。私達の国は、『さざれ石が、岩となるまで』の求心力を持てた、ということなんです。その求心力がアマテラスオオミカミの『我スメミマのキミたるべき国なり』、つまり、『アメノオシホミミの血統が大王である国』で、それ以外の者が一歩下がる分別を持ち続けたことにあるんです。中国大陸は易姓革命を是としました。だから、歴史はチョギレチョギレ・・・・・上層に暮らす貴族階級は仕方がないにしても、下層で国を支える庶民や危険と直面している国境の民はいつも訳の分からぬ事態に降ってわいたような半死半生の憂き目・・・・・その度に現代人の想像もつかないほどの酷い目に遭ってきました。私達の先祖は『それを替えてはいけない!』と決めたんです。それも、2千年の前に!!!!!。ですから、まあ戦乱もありましたけれど、収まればすぐに収まる・・・・・・蘇我と物部の争いもありました。源平の争乱もありました。長曾我部の残党や尼子の残党も騒がせました。室町幕府も滅びたけれど、江戸幕府に落ち着きました。だけど『日本人である』というアイデンティティは失われませんでした。それほど、中心が確立しているということは安全なんです。個人でも同じことです。頑丈な骨を持つことは健康を意味して幸せな人生を約束するんです。その『カタチ』を維持する力が生命力となって血を作り体内の秩序を作ったんです。『アメノオシホミミ』の皇統は、私達日本人の骨組みなんです。私達日本人の皇室は世界中の人々の羨望の的なんですよ!!!!!誰もが、大和朝廷の歴史を、羨ましく思っているんです。私達日本人は、そうですね、現代に残っている伊勢の氏子の誇りをもう一度はっきりと認識しなければなりません。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする