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マクロビオティックインスピレーション・随想古事記・日本語と歴史・バベルの塔・日々雑感

椎の実

2019-11-19 14:09:58 | Weblog

今年は椎の実の豊作です。自宅横の坂道に、それはもうたくさん落ちています。こんなに落ちているのを見たのは初めてのような・・・・・・・子供の頃お墓の林に椎の実が落ちていて、拾って食べたものです。椎の実は、生でも食べられる・・・・・炒ったり茹でたりした方が美味しいのは美味しいのでしょうが、子供の頃はまだ食糧不足の時代で茅の穂やギシギシ・・・・・なんでもかじったものです。椎の実はとても美味しかった記憶があります。

マテの実は渋かったし・・・・・椎の実を見つけると嬉しかったのを覚えています。そうそう、槇の実もとても甘くておいしかった・・・・・桑の実も・・・・・野葡萄も・・・・・庭になるサクランボや枇杷や柿はご馳走でした。裏山の野イチゴや栗・・・・・イチジク・・・・・野生の梨・・・・・夏みかん。

 

今年は柿も豊作のようで、平戸福岡の道すがら、採る人がいないのか、鈴なりの木をよく見かけます。柿泥棒さんはいないのでしょうね。

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令和元年11月3日

2019-11-02 23:06:11 | 父の背負子(随想古事記)

私の恒例行事の日である亡き父の誕生日11月3日・・・・・明日は令和の御代を迎えて初めての11月3日です。生前父は『自分の誕生日は祝日だから、みんなから祝ってもらっているようだ』と嬉しそうな顔をして言っていました。そんな父の誕生日を記念日にして祈り続けることが出来る娘は幸せだと感じています。父祖代々の私達の誇りを自分の言葉に翻訳して、古事記に対する随想をブログの記事にし、それを『父の背負子』というカテゴリーにまとめることが出来ました。それを多くの皆様のお目に触れるよう、父の命日の5月8日と誕生日の11月3日に毎年ご紹介するのを恒例にしています。これは私と父、そのまた父祖へとつながるアイデンティティの問題だと確信していますから。

 

私達は『邪馬台国』探求が好きです。『邪馬台国』はどこにあったのか、いつの世も論争が絶えません。それは何故なのか・・・・・私達の遠い記憶にどこかつながっているのに、何処とも知れないからです。つまりは自分たちのルーツの探求と同じだからだと思います。そしてなぜルーツを探求せずにはおれないのか・・・・・それは私達が父祖のコピーとして今の命を生きているからです。これは自覚しているかいないかを問わず、本能的な願いだから絶えることはありません。それを解明しない限り、安心できないのです。私はそれを自分の範囲で確立して非常に安心の境地に立っています。それを『はらから』の皆様と分かち合いたいと、まあ、押しつけがましく発表しているというわけです。どうぞ読んでいただけたら・・・・・と願っています。

 父の背負子(随想古事記)

        父の願い   2010-04-30        

        私の邪馬台国   2012‐10‐04       

        随想古事記・はじめに   2012‐10‐05        

        随想古事記Ⅰ・あめつちの・・・・・   2012‐10‐09        

        随想古事記Ⅰ・イザナギとイザナミ   2012‐10‐12      

        随想古事記Ⅰ・アマテラスとスサノオ   2012‐10‐15       

        随想古事記Ⅰ・海幸と山幸   2012‐10‐23

 

        随想古事記Ⅱ・関連記事便覧   2012-10‐17        

        随想古事記Ⅱ・神話と言語   2012‐10‐17        

        随想古事記Ⅱ・天津神と国津神   2012‐10‐24        

        随想古事記Ⅱ・アジアの神話と歴史   2012‐10‐31

 

        随想古事記Ⅲ・大和の心1  2012‐10‐26        

        随想古事記Ⅲ・大和の心2   2012‐10‐27        

        随想古事記Ⅲ・大和の心3   2012‐10‐29        

        随想古事記Ⅲ・大和の心4   2012‐11‐02       

        随想古事記Ⅲ・大和の心5   2012‐11‐03

 

        随想古事記Ⅳ・おそれながら・・私の仮説   2012‐11‐04

       

        随想古事記・おわりに   2012‐11‐06

        随想古事記前章・民族の形成   2011-04-11

        随想古事記前章・五色人の謎Ⅰ  2011-04-13

        随想古事記前章・五色人の謎Ⅱ  2011-04-14

        随想古事記前章・五色人の謎補(私の五色人説)    2011-04-21

          アインシュタイン博士の言葉    2012-08-17

        私の『中朝事実』    2013-11-03

 

以下の青字は前回5月8日の記事の最後の締めくくりに書いた質問です。 

以前、『なぜギリシャ神話のゼウスは牡牛になって地上に現れるのか?』という、私の歴史探求が始まった疑問の一つをご紹介したと思います。今回は日本人の皆様の心のうちに向かって疑問を投げさせてていただきたいと思います。

        『なぜ西表が『いりおもて』で、国東が『くにさき』なのですか?』

このシリーズに発表した回答に賛否両論をお待ちしています。

 

私が行きついた答えは以下の通りです。それは『イリ』が犬族を表し、『サキ』が鳥族を表しているからです。アジアでは犬族が西から(最後に)来た民族で、鳥族は最初にアジア大陸に住み着いた天帝民族(私達が民話として持っている織姫と彦星の物語などに細切れに持っている天帝のお話はここに行きつきます。)で、犬族牛族にどんどん東に追われました。そういった部族名が地名として、私達子孫に残されています。今年になって夫の仕事の都合で平戸福岡間を往復することになって気が付いたことがあります。昔の筑肥線(鉄道)に近いルートなのですが、鹿家(しかか)トンネルと大入(おおいり)トンネルというトンネルがあって、奇妙な名前だなあと思っていました。鹿家・・・・・牛族と、大入・・・・・犬族の集落名だったんだなあと感慨深く思っています。それぞれの地名にそれぞれの誇り高い思いが込められているのだと思います。

 

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ご即位の儀式

2019-10-22 13:07:08 | Weblog

朝からテレビでご即位の式典を見ました。天皇陛下が天照大神、皇祖の神々、そして国民それぞれの祖先の神々に、即位の儀式に臨まれることをご報告になり、私たち日本人の大切な儀式が厳かに執り行われました。

天皇陛下のお言葉には、『国民に寄り添って』という上皇陛下が具体的お姿として発明なさったと言ってもよい、代々受け継がれた祈りを表すお言葉が入っていました。私たちは素晴らしい国柄と歴史を持って、本当に幸せだと思います。歴史をつなぐことが今を生きる日本人の一番大切な仕事だろうと思います。その中に私たちの暮らしがあるのだと思います。

 

高御座の鳳凰の飾り、冠の纓・・・・・恐れながら申し上げますが、まさしく鳥族天帝の子孫である大和王朝の印を見せていただきました。

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高句麗の謎

2019-09-19 12:07:30 | 日本語・古事記

また『チュモン』を見ています。夫がテレビ番組で見つけたのです。最初ほど面白くはないのですが、それでも面白い!!!エキストラの人選にはいつもながら呆れてしまいますが、幸い私は黒沢監督ではない!!!・・・・・。世界の黒沢だったら、激怒するだろう(悶死するかもしれません)・・・・というのが夫婦の会話です。

 

随想古事記のカテゴリーの記事でも書いたように記憶していますが、まずこの韓国映画『朱蒙』で歴史上一応はっきりしているのは、当然『チュモン』、クムワ、ユファ、ヘブル、ヘモス、ソソノ、ソンヤン、オイ・マリ・ヒョッポの三人組、テソ・・・・・後は、扶余の官職名、漢の官職名・・・・・周囲の国名・・・・・(あ、ユリとイエソヤも)何しろあまりたくさん、と言うより殆どはわかりません。ですから、よく脚本を作ったと言えばその通りですが、嘘ばかりと言えば嘘ばかり、うまくつなぎ合わせたというわけです。面白く、またまた色々考えさせられています。ですが、ソソノがケルのヨンタバルの娘というのは明らかな間違いで、ソソノは沸流(ピリュ)のソンヤンの娘のはずです。

そうでなければ、ソソノの息子が沸流(ピリュ)と温祚(オンジョ)のはずがありません。大切な長子に敵対している部族名をつけるでしょうか。百済の始祖となった第二子温祚(オンジョ)・・・・・百済の姓は『扶余』です。扶余という国名と同じです。扶余王はヘブルやヘモスの『へ』、漢字にすると『解』。『ヘモス』は天帝の子とされています。で、『ヘモス』と『ヘブル』と『クムワ』と『チュモン』の人格は、重なったり離れたり・・・・・クムワもチュモンも姓は『へ(解)』・・・・・高句麗王の姓は『コ(高)』とされていますが、王朝の系図を見るとチュモンもユリもムヒュルもその子も『へ(解)』、第5代王から『コ(高)』となっています。

 

古代朝鮮(と言っても、大陸北部の夷狄の地とされたようなところですが)の最初は萁氏朝鮮・・・・・殷の公子萁子を祖に持つとされる王国です。殷は風姓・鳥族です。天帝族です。ヘモスは天帝の子という説もあり、クムワもチュモンも卵生神話を持っています。鳥の卵なんです。それが何で『へ(解)』というのかと考えてしまうのですが、『解』という字は大きな『角』を持っていて『刀』を頭上に振りかざしている『牛』ですよね。扶余は牛族だと思います。オオツノジカなのですが、トナカイかヘラジカかもしれません。だけど、王の正統性を示すために天帝の子じゃなければならなかったのでしょう。沸流(ピリュ)だって、『フツル』『フル』・・・・・つまり牛族なんです。桂婁(ケル)はヨン(淵)氏(日本では『イリ(泉)』と認識されています)・・・・・犬族。高句麗の句は、狗(犬、狼)・・・・・

 

つまり高氏のクリ(ケル)・・・・・高句麗という国名はケルが乗っ取ってからの国名ではないか?????これが、私が抱いた『高句麗の謎』で、『これからのテーマ』の宣言です。

          『高句麗』『コウクリ』・・・・・『コグリョ』・・・・・つまり『コ・ケル』・・・・・・

チュモンの建てた国は『卒本』のままだったか、あるいは別の名だったのか・・・・・ではないかと思います。朝鮮半島の朝鮮族の始祖は萁氏(キシ)朝鮮ではなく、周の召公の流れを汲む牛族の衛満を始祖とする衛氏朝鮮だろうかと思います。そうすると伝説の古代朝鮮の檀君王倹も、牛族の国扶余が起こるのもわかるような気がしますし、『卒本』も『沸流(ピリュ)』も納得がいくような気がします。そして高麗王氏も牛族・・・・・しかしながら李氏朝鮮は犬族・・・・・ケルで、ヨーロッパ世界の巨大な牛ゼウスの下でも犬族の王が近代世界を支配したのと同じ構図になりました。

 

余談ですが、中原から追われた殷の子孫萁氏朝鮮はどうなったかというと、大陸北部にも永遠の地はなく朝鮮半島を南下して高千穂に天降ることになります。誇り高い鳥族のアジア最初の王朝天帝の子孫は邪馬台国・ヤマトを作り、その理想を『大和』にしたのだと思います。そこではワタツ族の言霊(今でいう日本語・竜宮王から山幸彦へ)を受け取り、宥和して(五族溶けあうという錬金に成功して)大和の国・日本を作って2000年余・・・・・今の私達が生きているというのが私見です。どう思われますか?

 

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一宮と多治見の味の思い出

2019-09-04 18:18:18 | Weblog

たまに夫に付き合って、焼き鳥屋さんに行きます。焼鳥屋さんなら、直火焼きですから、わりあい口に馴染みやすい・・・・・というのが、付き合う理由です。ですが、思いのほか九州は好みに合わない・・・・・『え!?!、こんな味???』と、がっかりすることが多い・・・・・

というわけで思い出すのが、愛知県一宮市にある焼鳥屋さん『七福』・・・・・ここはこだわりの焼鳥屋さんで、私も『ネギま』や『ささみ』をいただきました。玉ねぎやシイタケなどのお野菜も美味しかった!!!もう一度行ってみたいとさえ思います。平戸から上京して東京に4年余、愛知県岐阜県に途中下車して4年余、また平戸に帰郷するまでの約10年間に知った、私の中での『天下一品!日本一の焼鳥屋さん』でした。どこよりもおいしかった!!!請け合っても良いと思います。

 

それから私にとって膵炎の手術という一大事件を経験した岐阜県多治見・・・・・ここは全国に知られた陶器の町・志野の町・・・・・そして、ウナギが名物というところでした。高温で仕事をする窯業の職人さんが多いからだとか・・・・・ウナギは絶好のスタミナ補給源だったのだそうです。そういうわけで、私も周囲の人に良いお店と聞いて主人と出かけたものです。多治見は『うな重』ではなくて、『うな丼』・・・・・それも大きい・・・・・多治見の人たちは健啖家が多いらしい・・・・・何度か行ったのは、可児市にある『ウナギの水野』・・・・・ここは、荒川豊三記念館の近くで志野焼探訪(?)の、以前お話しした喫茶店『萬葉』の美味しいコーヒーを楽しむドライブコースの中にありました。多治見の町の中には、天皇皇后両陛下もお立ち寄りになった、という名門のお店もありました。職人気質の実利を取っているお店もありました。

 

というわけで、一宮の思い出の味は『七福』・・・・・焼き鳥屋さん。多治見の思い出の味は『ウナギの水野』・・・・・その名の通り、ウナギ屋さん。懐かしく、出来ることならまた行ってみたいと思います。

 

 

9/5追記:忘れていましたが、忘れてはいけないものがありました。秋の味覚・松茸です!!!!!多治見に行って、これも生涯の思い出の味・国産松茸に出遭いました。これも可児市にあった『湯の花市場』・・・・・そこには松茸山(?)を持っているおじさん達が出品されていて、おじさんの都合でおまけをして下さる!!!!!という幸運に恵まれて、私達は毎年『焼き松茸に土瓶蒸し』というぜいたくをしました。福岡市で見つけた立派な赤松・・・・・それを見て「あそこには松茸があるのでは?」という私に、ふと出会った先輩のご婦人が教えてくださいました。「根元が踏み固められて松茸はもう生えません。」・・・・・そうなんですね、人跡未踏の地のような環境が維持されなければ、松の恵みは頂けないのですね。欲張り人間の害なのかもしれません。子供の頃一度だけ家族で松茸狩りに行きました。それがどこだったか確信はないのですが、下関にいた頃ではなかったかと思います。昭和30年ころまでは、松茸も身近にあったのかもしれません。

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茶筒

2019-08-29 14:06:14 | Weblog

福岡に仮住まいを持ったことは以前お話ししましたが、仮住まいと言っても日常の生活道具は一揃い必要です。それでお台所道具や食器等々・・・・・色々と最小限揃えました。お茶は和みさんから手に入れる『三恵』・・・・・これはものすごく安いのに、本当に美味しいお茶です。お客様にも一番茶であれば、十分です。・・・・・で、お茶を入れる茶筒ですが、なかなか気に入ったものが無くてとりあえず柄行がまあまあな安物で済ませることにしました。ですが、これが保存にあまり適していないのか、夏だからか、特に二、三日留守をすると冷房が切れるせいか、お茶の葉が焼けるんです。茶筒のせいだろうと思いました。

 

                           

これは40年近く愛用している青銅缶です。中蓋のつまみが壊れてしまいましたが、それでも存在感を漂わせて『私のお道具』の一員です。お茶が美味しくなくなるというようなことは一度もありませんでした。ですが、これと同じものを新調する気になれなかったのです。この半分壊れてもなお役目を果たしているこのお茶缶は私の人生そのもののように思えるからです。私と一緒に人生を終える、そんなお道具の一つです。

 

それでお茶焼けには困りながらもうすぐ夏も終わるだろう・・・・・と気温が下がるのを待っていましたが、デパートでぶらぶらする機会がありました。そして、新しく仲間に加わることになったお茶筒と遭遇しました。

                         

久留米の籃胎漆器のお茶筒です。職人さんの実演に遭遇しました。蓋の上部の写真が実物に近い色目です。籃胎漆器は材料が竹ひご(子供の頃はどこの町でも見かけた竹ひご屋さん!10メートルもあろうかという竹ひごが道路に沿ってくねくねとうねりながら職人さんの手で削られている風景は日常そのものでした)です。竹ひごを組み合わせて漆をかけ擦り出して陰影を出します。黒白のタイプを選びました。なんとなく戦国武将の面影を想像させる色合いです。早速仮住まいで使っていますが、中の金属製の缶がずっしりしているせいか、お茶が焼けることはなくなりました。何気ない日常のお道具ですが、見るたび扱うたび心嬉しいのが良いと思います。嬉しい買い物をしました。桜の樺細工のお茶筒はよく見ますが、籃胎漆器のお茶筒もとても良いと思います。

 

 

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思い出話

2019-07-27 19:52:28 | Weblog

7月には舅の命日、8月には姑の命日・・・・・私の祖父や伯母の命日も・・・・・と懐かしい人達をしのんで、夫と話をしていました。その内におかしかった話などを思い出して、二人で『前代未聞』と噴き出してしまいました。面白いので、後々の孫の話のタネになればとさえ思います。夫の許しを得て、ちょっとご披露します。

 

舅は達筆で、あるいは達筆すぎて、宛名はちゃんと合っているのに『宛所に尋ね当たりません』と郵便局から何度も返送されてきました。それに筆まめなので、孫達にも一斉にメールが届くように、郵便が届きました。それで孫達は互いに連絡をして、『何が書いてあった?』と自分の判読部分を補充し合って祖父に返事を書く・・・・・という仕儀になっていたそうです。そんなエピソードの中で一番おかしかったのは、なんと!!!!!

       姑宛てに来た手紙を勝手に読んで、姑が読まないうちに勝手に返事を出した!!!!!

 

姑はぷんぷん怒って、『和子さん、お父さんはね!!・・・・・』と、私のところにやって来ました。そして一部始終を教えてくれました。『あんまりじゃないですか!!!』という私、『せめて私の返事を聞いてから・・・・!!!』という姑の二人をよそ眼に、舅は、どこ吹く風・・・・『お前のために書いてやったとたい・・・・』とゴルフのパットの練習に余念がありませんでした。それから私は姑に夫と喧嘩する方法(?)なるものを教えてもらいました。姑ほどうまく使えないので、まだ使ったことはありません。

 

私は結構舅姑と面白く暮らさせてもらいました。今月と来月は仏壇の前で、舅姑とこういう思い出話をしています。

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夏は来ぬ!

2019-07-06 14:17:47 | 季節

一斉にセミが鳴き始めました。一瞬で夏が来たような感じです。セミは梅雨が明けたと感じるや否や、わあーっと地上に出てきて殻を脱ぎ木に登って、地上での仕事を始めたんですね。『蝉時雨』とはよく言ったものです。本当にすごいですよ。 

私も福岡の住まいと平戸の自宅を往復するようになって、福岡での夏茶碗を新調しました。人間もやはり、季節に合った暮らしの道具がしっくりくる季節感を持っているのだと思います。高価でもないお茶碗ですが、とても気に入ったのでご紹介します。さっぱりとした涼しさを感じるお茶碗です。

              

                       

 

                       

やっと落ち着いてきた平戸福岡往復生活・・・・・・福岡の住まいも慣れてきました。窓から見た福岡の街並みです・・・・・・ちょっとヨーロッパを思わせる風景です(と言って、ヨーロッパに行ったことはないのですが・・・・・写真で見た風景に、ということにしておきましょう。)

 

 

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あ!、うりぼうが・・・・・ぞろぞろと

2019-06-29 13:54:26 | 平戸

今しがた、居間の食卓から庭を眺めていたところ、縞模様のラグビーボールのような生き物が4匹・・・・・寄り固まってぞろぞろ・・・・ウロウロ・・・・・可愛いけれど、いずれ『オッコトヌシ』になるか、その家来になるのか?????イノシシにぶつかられると、車でさえもへこんだり修理を余儀なくさせられます。畑は荒らされますし・・・・でも、子供の動きは本当にかわいいのですね!!!困りものです。

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ほたる

2019-06-02 08:05:02 | 平戸

6月になりました。我が家の玄関先や居間の横裏あたりに、ここ数日蛍がツーと光っては消え・・・・・写真にとれません!!!!!福岡のマンションは暑いけれど、平戸の自宅はまだ肌寒い・・・・それでも暑かった5月の影響で羽化したのでしょうか。

 

我が家は蛍の棲む家(?)です。心のどかになりました。

 

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謎だった現代史

2019-05-25 11:50:46 | Weblog

  

たまたま見つけた本の著者が『元ウクライナ大使』とあったので、買ってしまいました。何が気になったのかというと、もちろん『クリミア問題』です。

長年気になっていた様々な問題がすっきりしました❕❕例えば、なぜ漂流3000年の亡国の民ユダヤ人が、イスラエルを建国したのか、あるいは出来たのか・・・・・考えてもみてください、私がよく記事にしている殷という古代国家がありますが、その殷の末裔が黄河の中流域に、昔そこは自分たちの国だったからと主張するようなものなんですから。

 

私達は昭和の近現代史を子供の頃から習っては来ました。だけど、何かしっくりこないモヤモヤがあって、考える対象とするのを避けてきたように思います。戦後を生きてきた自分の人生と時代に対してもっと理解を深めて、父祖の世代との繋がりを納得して子供にバトンを渡さなければならないと思います。

この本は生きている歴史の現場で、自分を見失わない手助けになると思いました。知ってはいけない・・・・・ではなくて、知らねばならない❕❕・・・・・です。お薦めします❗

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えんどう豆ご飯

2019-05-22 08:36:52 | 母から娘へ

さや入りの実えんどうを見つけたので、さっそく買って帰り豆ごはんを炊きました。初夏の味です。

 

私のやり方は、お米を研いでざるに上げだし昆布を2~3切れ(小さく刻んだ真昆布です。)のせて水を加えます。そうしておいて、えんどう豆を剥きます。剥きたてですから、洗いません。そして、『イキな塩』を加えてかき混ぜて舐めて味を調えます。あとは、炊き込みご飯の炊飯器メニューで炊きます。

 

えんどう豆ご飯を炊くとなると、いつも母が思い出に現れます。「豆は剥きたてでないといけないのよ。空気に触れると皮が硬くなって、美味しくないからね。」・・・・・そして次に出てくるのは、子供たちの運動会や遠足に豆ごはんを炊いている自分・・・・・前日に買っておいた豆を、朝4時ごろ起きて剥きました。『母の言葉』というものは、その味とともに、こうして伝わっていくのかと懐かしくなってしまいます。娘たちも豆ごはんを炊いているのでしょうか・・・・・

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令和元年5月8日

2019-05-05 09:32:02 | 父の背負子(随想古事記)

今日は五月のお節句・こどもの日・・・・・また私の恒例行事の日である父の命日をまもなく迎えますが、今年はまた格別で、令和の御代を迎えて初めての5月8日になります。現在は私達日本人だけが独自の元号を持っているのだとか・・・・・世界はキリスト教徒でなくとも西暦、つまりキリスト紀元で無意識を封じられています。これから抜け出すことは容易なことではないはずです。だけれど我ら日本人は自由に歴史を区切ることが出来る・・・・・そして新しく生きることが出来る・・・・・『御代(みよ)代わり』・・・・・これは、子々孫々代々が、一代の人生の中に天岩戸開きを経験して、新しい時代の平安を祈ることが出来るということです。

今回私達日本人は先帝のお気持ちを汲むことが出来て幸せな気持ちで新しい天皇を日本人統合の顔・象徴として戴くことが出来ました。これは本当に素晴らしいことだと思います。これを実現した私達の行政府も素晴らしいと思います。そういうわけで、新しい5月8日の私の記念日を迎えることになり、繰り返し御代代わりを生きてきた私達日本人のアイデンティティを新たにしたいという決意を、それこそ、新たにして、『父の背負子(随想古事記)』をご紹介したいと思います。記事内容は以下の通りです。最近はどことなく同じような内容の本などが増えた(?)ような気がして、嬉しく思っています。 

 

父の背負子(随想古事記)

        父の願い   2010-04-30        

        私の邪馬台国   2012‐10‐04       

        随想古事記・はじめに   2012‐10‐05        

        随想古事記Ⅰ・あめつちの・・・・・   2012‐10‐09        

        随想古事記Ⅰ・イザナギとイザナミ   2012‐10‐12      

        随想古事記Ⅰ・アマテラスとスサノオ   2012‐10‐15       

        随想古事記Ⅰ・海幸と山幸   2012‐10‐23
        随想古事記Ⅱ・関連記事便覧   2012-10‐17        

        随想古事記Ⅱ・神話と言語   2012‐10‐17        

        随想古事記Ⅱ・天津神と国津神   2012‐10‐24        

        随想古事記Ⅱ・アジアの神話と歴史   2012‐10‐31
        随想古事記Ⅲ・大和の心1  2012‐10‐26        

        随想古事記Ⅲ・大和の心2   2012‐10‐27        

        随想古事記Ⅲ・大和の心3   2012‐10‐29        

        随想古事記Ⅲ・大和の心4   2012‐11‐02       

        随想古事記Ⅲ・大和の心5   2012‐11‐03
        随想古事記Ⅳ・おそれながら・・私の仮説   2012‐11‐04        

        随想古事記・おわりに   2012‐11‐06

        随想古事記前章・民族の形成   2011-04-11

        随想古事記前章・五色人の謎Ⅰ  2011-04-13

        随想古事記前章・五色人の謎Ⅱ  2011-04-14

        随想古事記前章・五色人の謎補(私の五色人説)    2011-04-21

          アインシュタイン博士の言葉    2012-08-17

        私の『中朝事実』    2013-11-03

 

以前、『なぜギリシャ神話のゼウスは牡牛になって地上に現れるのか?』という、私の歴史探求が始まった疑問の一つをご紹介したと思います。今回は日本人の皆様の心のうちに向かって疑問を投げさせてていただきたいと思います。

        『なぜ西表が『いりおもて』で、国東が『くにさき』なのですか?』

このシリーズに発表した回答に賛否両論をお待ちしています。

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礼とは何か

2019-04-26 12:29:47 | 最終章・これを知るために

以前買って読み込めなかった司馬遷の史記・・・・・その時は読みやすいかなと思って買ったのですが、その編集がなんとなく途切れ途切れ・・・・・読みはしたものの、それほどの得るところのなかったものでした。今回福岡でテレビもなくインターネットも通じない環境に身を置く時間をもつことになり、思うところがあって読み返しています。

古代中国の人々の言動を繰り返し読んでいるうちに、『周礼』として現代に伝わっている『礼』について考えさせられました。『礼』の本質というものについて、分かってきて言葉化することが出来たと思います。『礼』とは・・・・・・それは、『他』と対峙した時に『自』の立場の明らかにすること・・・・・・『天帝』に対する『天子』の『礼』、『天子』に対する『諸侯』の『礼』、『諸侯』に対する『家臣』の『礼』、『父』に対する『子』の『礼』・・・・・これが、いつの間にか『礼儀』という取り決めとなって固定化し形骸化することが多くなったのだと思いました。しかしながら、だとすれば『礼』というものの重要性はますます際立ってきます。『礼』なくして『己』は無いということになるからです。

現代に生きる私達も『他人』に対する『自分』の『礼』・・・・・自分の立場を考えるとき、『礼』の表明形である『儀』ばかりを気にするのではなく、『礼』の本質を自分に問いながら生きていきたいものだと思いました。そうすれば、究極的に『自分』に対する『礼』というもの、自分の本質に近づくことが出来るような気がします。自分の本質・・・・・自分とは何か!!!!!・・・・・以前認識作用から見た『自分』というものについて解答用紙を提出しましたが、それとは別に存在という観点から見た『自分』とは何か?????これについては、改めて記事にしたいと思います。

 

今日はブログを始めてから5001日・・・・・スマホで見ると、そういう表示があります。ちょっとした節目の記念日(?)のような気分です。

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我家の春

2019-04-18 12:40:47 | 季節

このところ平戸福岡往復が続いて、ゆっくりする暇がありませんでした。昨日午後帰宅して見回したところ、なんと我家の庭は花盛り!!!!!モクレンはすっかり花の時期を終えて、優しい黄緑の新緑、柿のつやつやとした黄緑と並んでいます。心洗われる緑です。今朝洗濯物を干していると爽やかな『かいう』の白い花がみずみずしく咲いているではありませんか。お玄関に飾りました。

          

 

嬉しいことに庭中花だらけ・・・・・母が好きだった『蘇芳』の花、真っ白な『オオデマリ』の花、かわいい『どうだんつつじ』、実家から持ってきたヒラドツツジ『深雪?・・・か、みゆき』・・・・・・・・・・

          

               つぼみだった『シラン』は可憐な花をつけ、シャクヤクがつぼみを膨らませています。楽しみです。 

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