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マクロビオティックインスピレーション・随想古事記・日本語と歴史・バベルの塔・日々雑感

平戸だより・2018・9・23

2018-09-23 19:16:39 | 平戸

あごの初物を楽しみました。あごは大きさによってずいぶん味に差がありますが、今年は何ともちょうど良い大きさ・・・・・これからしばらくの間、夫のおかずに事欠くことはありません。あごが大好物だった舅姑は、この季節には電気ロースターを手元において、いつもあごを焼いていました。平戸人にとっては、無くてはならない秋の味です・・・・・平戸は味覚の秋を迎えました。

高校時代は教室の窓から、あご舟が出て漁をしているのを見たものです。通学の船からも、トビウオの滑空を見ました。トンボの羽みたいにきれいだったのを思い出します。昔は保存のためにかちんこちんに干さなければならなかったので、焙ってから包丁の峰などでたたいて骨から身を外し食べました。今では冷蔵も冷凍も出来るとあって、生干しで美味しく食べやすくなりました。あごは、めざしやアジの丸干しと違って、白身魚の丸干しです。上品でとても美味しいと思います。

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ブログのアクセス解析

2018-09-20 10:20:33 | Weblog

ここ数か月私のブログの中で毎日の1位は、『急性膵炎になりました!』でした。そんなに膵炎や膵臓癌の方が多いのだろうか・・・・・?????と多少気になっていましたが、昨日の第1位は『氏姓のこと・加地先生のご指摘』でした。なんだか嬉しくなって、ご報告です。(それからついでですが、次に読んでいただいているのは『日蓮上人の開経偈』です。これはとても嬉しく思っています。)

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氏姓のこと・加地先生のご指摘

2018-09-19 11:49:13 | Weblog

加地先生のご本の中にもう一つ、私にとって大事なご指摘がありました。それは、このところ取り沙汰されている『夫婦別姓』についてです。加地先生は、「現在の日本人の生活に『姓』は無い。」とおっしゃっています。日本では正式な文書の署名欄に『姓』を記入するものはなく、『氏名』としか書かれていない・・・・・と。そうですよね、書式に『姓名』と書かれているものを見たことがありません。そして今でも夫婦は同氏を名乗っているが別姓であると、仰っています。要するにファミリーネームは『氏(うじ)』であって、『姓(かばね)』ではないのですね。私たち現代日本人は、大和朝廷の五族宥和の大和(だいわ)政策以来、特に多分明治維新で四民平等になって、本気で(?)平等化させてきたせいだと思いますが、すっかり『家門』を忘れ去ったようです(と言えないならば、忘れているかに見えます。) 私達は、すっかり『うじ』も『かばね』もうやむやにしてしまいました。

『かばね』・・・・・『姓』『加羽根』は一門の印で鳥の羽飾りで区別した、と川崎真治先生は仰っています。(誇り高いアメリカインディアンの酋長の羽飾りを思い出します。)部族の印や名前が『かばね』で、家門の結束を表しています。『姓』という漢字を充てたということは考えさせられます。『女扁』にはどういう意味があるのでしょうか。この大元がこれまで記事にしてきた人類部族のルーツ・『五色人』であり、それぞれトーテムを持ちトーテム名で区別されてきたことは既にご紹介した通りです(随想古事記前章・五色人の謎)。私達はもう一度自分の氏姓(うじかばね)について再考してみる必要があるように思います。これは人間の作った社会組織のアイデンティティーの問題だからです。氏神様とは何かということも再考する必要があると思います。そして、よく分かった上で、うやむやにするなり・・・・・取るべきは取り、捨てるものは捨てる、という作業をしてみるのが良いと思います。

 

 

以下は私の考えですが、『人間社会』という組織を作ったのは男ではないかと思います。動物も小さな群れ社会を作りますが、サル以外は雌が作るんです。サルはオスが君臨していますが、まあ家族社会に近いもので、家族を単位にした社会組織ではありません。人間の男たちはそれぞれの部族内に男の社会構造を作り、その男たちには(サルや類人猿時代から受け継いだ既成事実として)それぞれ女がいて家族(メスが作った群れ社会、あるいは男をボスとした猿のような社会)があった・・・・・その原始的な家族社会は最初の段階で男の社会組織に『家』『家門』として組み込まれたのだと思います。男だけでは社会は成り立ちませんから。男たちは獲得した地位と権利を保全するために様々な規律を作り、『姓』を男のものにして社会を守り維持してきた・・・・・それが同じ『姓』を持つ『家門』という集団として受け継がれてきたと思います。原始的ルーツが女系家族で、その名残が『姓』という字を当てたことにつながるのではと思います。どうやらイブがアダムの骨から生まれたというのは嘘で、イブはアダムの母だったようです。生物の本体はメスで、機能として分かれたのがオスだと思います。人間の文化も女から生まれて、それを発展させたのは男だということになると思います。

夫婦別姓が女性の権利の復権といって運動する人達もいますが、私はそうは思いません。このところの夫婦別姓は『家』の崩壊・秩序の崩壊を目論んで始まったことであり、結局は女の地位を貶め、女の財産を減らすことになるはずです。『家』というものは女の自由を奪ってもいますが、男の自由も制限しています。この不自由は『家』の女子供(本妻と嫡出子)の権利を守っているのです。重婚を禁じ家を守り嫡出子の権利を守ることは、『愛情』の問題ではなく『所有権』の問題から発展したのだと思います。50年しか生きない人間には『跡継ぎ』が『未来』なのですから。そしてこの『家』の主は原始の昔から『母と子』で『男(オス)と女(メス)』でないこと、それが人間文化のテーマにもっとも文化的ではなく理不尽な『愛』が浮上する理由だと思います。

 

 

余談:昨夜この記事を書いていたら、周囲で何かカサコソと音がします。何だろう?????ムカデの音でもないしネズミ(?)の音でもない・・・・・ゴキブリか!!!!!とじっと様子をうかがっていたら、なんと『カニ』が出てきました。それを追い回して捕まえたら、変なところに入り込むので、足には綿埃を付けて何ともユーモラス・・・・・紙袋に追い込んで外に出しました。ですが、どうして?????カニが家の中に?????珍騒動の種は尽きません。

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新聞の書籍広告

2018-09-13 14:29:37 | Weblog

愉快な新聞広告を見つけまして、夫が取り寄せてくれました。新聞にその題名を見つけた時、愉快ですっかり嬉しくなりました。これから読みます!!!!!

            

 

プルタルコス以来の快挙ですよ!!!!!加地先生!!!!!(題名を見た時の私の喜びの感想)

 

 

追記:(17:00)面白く読ませていただきました。多くの人に読んでもらいたいと思います。それから、なぜ2年と1日経った日に3回忌をするようになったか・・・・・儒教環境にいた人々の『殯(もがり)』の習慣によっていることを初めて知りました。それまでは単純に3回目の命日だと思っていました。私の記事を読んでくださった皆様、どうぞお読みください!!!!!

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言葉というもの2・わたしは何を言っているのか?

2018-09-10 23:08:32 | 最終章・これを知るために

昨年の7月『言葉というもの』という記事を書いた時シリーズ3までの心づもりにしていたらしくタイトルだけの下書きが残っていました。それで、改めて私の永遠のテーマともいうべき『言葉』というものを取り上げようと決めるだけ決めて予定していた約1週間の上京を果たしました。久方に娘と息子家族、それに孫息子と再会をしての帰途、飛行機の中で恒例(?)のウトウト・・・・・思いがけぬヒントに恵まれましたので、こうして記事を書いています。本当は今年になってからあまり記事を書く気にならなかった(それで、どうでもよいような記事ばかり・・・・・)のですが、和みの堀江さんに後押しされて書くことにしました。今回の気分とは少し違うかもしれませんが、タイトルはそのままにします。

 

『言葉』『コトバ』・・・・・なぜ私達日本人は自分たちの言語を『コトバ』という名前にしたのか・・・・・『日本語』というのは現代の便宜的な分類上の名前にすぎませんし、『日本語』という名前に親しんできたわけではありません。私達は『言葉』と思って便宜上日本語と言われるものを使ってきました。『言葉』とは何なのか・・・・・ブログの中でもことあるごとに触れてきたと思いますが、このテーマは人間そのものに関わる重大な問題だからです。人間という人の間(ヒトノマ)を生きている生命の特徴は、言語を基盤とした社会組織を作りその内外に相互関係を作ったことだと思います。そしてそれは人間存在そのものになったと思います。なるほど動物にも群れという社会(この社会組織については、別の記事で感想を書きたいと思います。)を作るものもありますが、その群れと群れとの関係はほぼ食(生存と存続)のための縄張りをめぐる敵対関係以外にありません。だから、交渉というものの余地がありません。交渉は人間の言語活動の最たるものだと思います。人間社会は言語無しにはありえないものです。そして、私達日本人は言語を『言葉』だと認識しています。

『言葉』とは何か・・・・・それが意味するものについてはこれまでにも書いてきましたが、『言葉』という命名については今一つはっきりしていませんでした。『ハ』という日本語の音は、一般的に言って両サイドあることを意味しています。それで、『コトバ』・『コトノハ』というものが、日本語ではそれぞれ正反表裏の意味を持つものに展開してきた、という風に説明もされ理解してきました。だけど何かしらしっくりとこないものが残っていました。『それはそうだけど・・・・・・』という感じでした。それが今回のウトウトの間にすっかり明快になりました・・・・・私達の日本語の音は、もうカタカムナにさかのぼる以外、何の根拠も得られません。そのカタカムナの人々がヨソヤ(四十八)の『コト』を解きほぐして生み出した(音にした)・・・・・と表明しています。(疑問に思うなら、究明してください。私はそれが真実だと確信しています。なぜなら、子供のころから抱き続けた疑問に唯一答えているのが『カタカムナ』だからです。)

『コト』を『音』にした・・・・・というのがどういうことか、かいつまんで言うと、この世の事象(を成り立たせている力としての波動)を人間の発する『音』に分けたということです。勝手に分けたというのではなく、その『音』の持つ力の性質(なりたち)によって分けました。ですからその『音』は構造と作用を持ち、次々に展開していくのです。それで正反表裏の二面性を持つから、『コト・ハ』なのだと思ってきました。それもあります。だけどそれは『コトバ』の単語という構造的な一面であって、『コトバ』はもう一つ大きな作用的一面を持つことに思い当たりました。それは、

       私の胸の内で『コト』した表明が『コトバ』として発せられて、聞いている相手の胸の内で同じく『コト』を起して認識理解に至る・・・・・『コト』が私と相手の両サイド(『ハ』)に起ってる・・・・・

正しく『コミュニケーション』そのものを表しているのが『コトバ』という造語だったんだ!!!!!と思い至った時、胸が熱くなりました。『コトバ』こそが社会を作ったんです。『コトバ』こそが社会の成立存続条件なんです。そうなんです。そして宇宙に充満する力との間に起こる『コトバ』が『インスピレーション』なんです。私はそうやって、いろいろなことを知ることが出来ます。誰だって出来ます。私はそのために記事を書いて、読んでくださる方の胸の内に『コト』を起す努力をしていると思うことが出来るようになりました。

 

実はこのところ、記事を書いて何になるのか・・・・・と思うことがありました。西部先生も『日本は滅びるかもしれない・・・・・』というようなことを仰っていました。私の父も臨終に際して、『日本は一度滅びるかもしれない・・・・・根になるんだ』と言い残しました。それで私は父から背中に背負わされたものを何とか書き残したい・・・・・と、自分たちのアイデンティティーを見失って根無し草にならないように、だれか若者の目に触れてくれと希ってきました。私はブログで向かい合ってくださる方に『コト』をおこすことが出来ているのでしょうか?????

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平戸だより2018・9・4

2018-09-04 21:35:24 | 平戸

数日自宅を留守にしているうちに、アブラゼミもクマゼミも声をひそめて昼間はツクツクボウシが最期とばかりに頑張っています。夜には虫の声が・・・・・コオロギだけだったのが、いろいろな虫の大合唱。平戸はすっかり初秋の風情です。

 

7日追記:平戸はお陰様で地震もなく台風ルートが変わったせいもあってさらに平穏な地になっていますが、対馬海峡から日本海に長い雨雲がかかっているせいか、今日は一日雨模様のようです。昨日雨の合間にスーパーにお買い物に出かけましたが、どういうわけか、スーパーの壁に『ウマオイ』がとまっていました。透明感のある緑の体に小さな頭・・・・・小さな虫も頑張って、気候の変化に耐えているのでしょうか。そうそう、お台所の蟻からも解放されました。やれやれ・・・・・というところです。

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猫あれこれ

2018-08-24 10:42:05 | Weblog

夫が庭で餌付けしている猫の名前は『クロ』になりました。以前子供たちが拾ってきた子猫と同じ白黒のブチですが、初めて我家の猫になったその白黒は鼻にも黒い模様があったので『ハナグロ』になりました。その猫が夫にとっては猫洗礼・・・・・姑が猫嫌いだったので、初めての体験だったようです。それからというもの、猫が嫌いな姑はかわいい孫のために猫を引き受ける羽目に・・・・・父親の許可が下りない2匹目以後の拾ってきた猫は、否応なくおばあちゃんが引き受けることになりました。夫も猫の魅力にだんだんと目覚めたのか、最後のシマネコちゃんは夫が拾ってきました。

『クロ』は段々と慣れてきて、今や家を乗っ取る寸前・・・・・私はどうしようか、思案中です。バッタなども上手に捕まえて食べているようで、そんな『クロ』を見ていて夫が言いました。『もうすぐ、鳥を捕まえるね!』・・・・・それで思い出しました。私の高校時代飼っていた猫は、若乃花全盛時代だったので『ワカ』という名前でしたが、鳥を捕まえる名人(?)でした。居間の前庭には梅の老木があったのですが、その木の横に伸びている幹で待ち構えていて、スズメやメジロ・・・・・なんでも捕まえてきました。いつも蒲鉾と交換していたものです。『ワカ』は雌ねこで、体が小さく、子猫もいつも1匹・・・・・祖母がいつも産み月になると、柳行李に古シーツを敷いてタンス部屋の奥においてやると、そこで子猫を産みました。1週間くらい授乳を頑張ってみるものの、お乳が出ない『ワカ』はいつも子猫をくわえて出てきました。そして祖母の前に子猫をぽいと置いて、育児放棄の毛づくろい・・・・・というわけでもないのですが、ともかく給食係を確保しました。最後の子猫は栄養失調の足も立たない、ジャガイモに割りばしを突き立てたような子猫でした。目がくりくりしていたので、名前は『クリ』。『ワカ』と『クリ』は私の高校時代の同居メンバーです。

猫は芸を覚える気もなく、いつも気まま・・・・・ですが、それでも頭が悪いわけではありません。その気さえあれば、面白い猫ちゃんになります。そもそも私の実家に猫がいたわけは、祖父が猫好きだったから・・・・・私が生まれて遊び相手に・・・・・なると言って、どこからかもらってきたそうです。それから、代々『ミイ』という名前でした。たまに『タマ』というのもいましたが、それは第2番目の名前。祖父のお気に入りの『ミイ』は、跳躍の名人・・・・・普通の家では障子の一番下の枠が猫の通り道ですが、我家の障子は一番上の枠がひらひらと障子紙が揺れる猫の通り道・・・・・ほぼ一間上の通り道をジャンプして通過していました。祖父が子猫の時から、はたきをヒラヒラさせて跳躍の稽古・・・・・体操が好きな祖父の楽しみだったのだろうと思います。何しろ祖父は、安満岳の絶壁(平戸では有名です)で逆立ちをして平戸中を驚かせたこともあるくらいです。『ミイ』が可愛かったに違いありません。

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母の喜び

2018-08-18 10:54:04 | Weblog

子供の成長に勝る喜びはないと思います。立派な大人になったなあ~~~~~と、昨日は母の喜びを味わいました。子供の自慢話って他人にとっては鼻持ちならないものですが・・・・・・お盆に息子家族が遊びに来てくれて、4泊5日嫁と孫と総数7人の賑やかな大家族になりました。突き当ったりすれ違ったり・・・・・色々と見解の相違はありますが、最後まで楽しく過ごしました。息子は私を気遣って、お風呂の掃除をしてくれたり・・・・・帰ってしまって寂しくなった子供部屋をのぞいてみると、整然と片付いてゴミ一つ散らかっていませんでした。母たる私は、胸が熱くなってしまいました。きちんと後を片付けて帰る息子が自慢です。

 

そんな嬉しい気持ちになっていた、昨日花火の田平夏祭りの日・・・・・・我が家には開業当時の広い駐車場があります。以前から花火大会の日には開放していたのですが、停めて行かれる方の心持の安易なこと!!!!!空き缶やゴミを平気で捨てて帰り、挙句の果てには子供のおむつの交換をしてそれも放置して帰る・・・・・・主人はここ数年駐車場を閉鎖しています。昨夜も駐車禁止と表示して入り口に鍵を掛けました。それが見えているのに、鍵の不完全なところを見つけて入り込み、堂々と駐車をして花火大会を楽しまれたらしい・・・・・後で分かったのですが、お子さん連れの若いご夫婦でした。いつもそんな風に安易な生活態度で暮らしてこられたのでしょうね。主人は怒って鍵をかけなおしました。

珍妙なことに不法侵入をした本人が警察に通報をして警察沙汰になりました。謝ってすむような話・・・・・ですが、そうやって世の中を安易にわたってきたのだと思います。鍵がしてあるのに、破って侵入されたのですから。主人はわざわざ『駐車禁止』と書いてある赤いコーンを昨日買ってまで来て、立てていたのですから。玄関先まで謝りに来られました。良さそうな若い女の方でした。ですが、まだ主人は許していません。これはその方の人生観の問題です。母親なのですから、その人生観は責任重大です。

 

 

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平戸から平戸だより

2018-08-11 12:17:28 | 平戸

昨日まで数日間北風が吹いて涼しいしのぎやすい夏日でしたが、今日はまた暑い暑い日に戻っています。セミは朝から、どうしてそんなに声を張り上げて鳴くの?????と言いたくなるほど・・・・・まさに蝉時雨というべきでしょうか。

今年はおかしな台風が続いて日本国中災害の夏になってしまいましたが、平戸は昔から大した天災もなく地震もなく津波もない・・・・・かなり辺鄙ですが、恵まれた場所です。実家が取り壊されて、子供のころから慣れ親しんだ『とんご柿』の老木も切り倒されて無くなってしまいました。まもなく鉄道の下をくぐる道路作りが始まるそうです。生家が無くなるというのは妙なもので、故郷という感情が薄くなってしまった気がします。そういう日々を平戸で過ごしています。

 

昨夜は夫が憐れんで餌付けをしている野良の子猫ともう一匹の野良猫とが庭で勢力争い(?)をしているときに、野生の狸が闖入して来て、時ならぬ野生の観察をしました。そういえば20年以上も前、狸を捕まえて指をかまれて騒動しました。野生の狸を捕まえただけでも珍事件ですが、噛まれたなんて・・・・・めったにないことですよね。そんなことも、ありました・・・・・。

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テレビのコメンテーターを見ていると・・・・・

2018-07-29 23:55:56 | Weblog

テレビのコメンテーターのもっともそうな顔を見ていると・・・・・つくづく日本の平和を思います。そして中原覇権国家の爛熟期における内部抗争を思います。朝廷内部の分裂、民族的分裂、官僚の堕落と権威主義・・・・・それを守っている国というものが破滅するかもしれないという恐れは皆無・・・・・今この状態で自分の利益のために現を抜かす・・・・・、そうやって滅ぼされて王朝が興亡しました。そんな時代とは違う?????そう言い切れるでしょうか?????国が無くて、何の地方自治?????国が無くて、何の人権?????・・・・・国というものは、たくさんの自己犠牲によって、あるいはたくさんのささやかな我慢によって、今まで受け継がれてきたことを思います。

 

今の日本人は、『命』とは何か?、『死』とは何か?、そのことに自分なりの回答を明確にしたほうが良いと思います。それから、ひどい思想団体やどうでもよいような宗教法人などを宗教団体として一般国民以上に国家の保護を与えないようにするべきだと思います。国宝として国民のために後世に伝えるべき寺社以外の宗教法人に対する便宜を大幅に制限する。認められた宗教法人に対しては義務と責任を明確にする。ここらで『お寺』の価値というものをもう一度再考してみるとよいのです。それから、そもそも宗教界が行うべき精神的説法を何一つ行わないから、若者が安易に蟻地獄に引きずり込まれてしまう・・・・・今は日本国民全体に宗教的素地が全くないとは言わないまでも、かなり希薄です。これでは巧妙に仕組まれた罠を抜けることは難しいと思います。信教の自由を認めるということと、宗教的教育をするということは別だと思います。そもそも『僧』というものは修業を修めて人々のために法を説く人のことをいうのだと思います。

 

多くの人が『憲法』を盾にして、日本のためにならないことをやっているように思います。それに刃向えないということは・・・・・世界と『国』というものがわかってないのではと思います。『憲法』は『国』あってのもので、そうでないと言われるのなら、お隣北朝鮮で、あるいは中華人民共和国に行って、『平和憲法』と言ってみるがよいと思います。あまりの歯がゆさに、ちょっと過激な発言をしましたが、本音です。

 

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高坂正尭先生

2018-07-17 21:40:34 | Weblog

テレビをつけたら、京都の祇園祭の番組の放送中でした。暑い最中傘鉾を引き回す社中(?)の人々や沿道で見物をする人々が映し出されたり、モノクロの昔の祭り風景の映像が流れたりしました。そしたらふと、国際政治学の高坂先生のことを思い出しました。先生は京都のお祭りが大好きでいらしたとか・・・・・多分5月の葵祭の15日にお亡くなりになったんですよね。

大好きだった先生のあの独特な語り口で、現在の世界情勢についてのお話を聞きたい!!!!!・・・・・・と、そう思いました。

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私達はこれでいいのだろうか

2018-07-03 11:57:51 | Weblog

現在の覇権国家アメリカの大統領にしてはトランプ大統領は革新的です。『パックス・アメリカーナ』の矜持を捨てて『アメリカ・ファースト』を有言実行している?????ヨーロッパはまだ人間的に苦悩しながら『ヨーロッパ・ファースト』を、というよりアメリカ覇権に隠れて(利用しながら)これまでも上手に実質的ヨーロッパファーストを模索している・・・・・・・・・頭脳的?・伝統的知恵?・ずるがしこい?・・・・・・・・・・トランプ大統領になって、さすがに私達日本人にとっても国際政治というものの実際が見えやすくなってきたと思います。

何しろ日本人は『泥棒に追い銭』という美徳を実行して(?あるいは、許容して)来た国柄・・・・・そういった伝統的な感覚的相性によって国際社会の実情に反した『平和憲法』を守ってきました。だけど、これはアメリカの国策で当時の国際社会(戦勝国)の利益にかなうように作られたものであることを、少なくとも、知るべきだと思います。だから朝鮮戦争勃発時、早くもアメリカは、日本に憲法改正の示唆をしたと聞いています。当時の日本政府はその必要を知りながら、国民生活の回復を第一にして日本人の自立心自尊心の表明を後回しにして、国防費用を節約しました。そして、いつの間にか、私達は「このままでいいじゃないか」という偸安の夢に身を任せて戦後70年を過ごしました。私達は『パックス・アメリカーナ』の責任感によって偶然守られてきたのです。このままでいいのでしょうか??????

 

たとえ私達が良かったとしても、アメリカは今その必要性を疑問視しているのです。少なくとも疑問課題に挙げているのです。アメリカ国会が『日本防衛必要なし』と言えば、私達は丸裸になります。もちろんさすがに、私達は『自警団』は作りました。実際上の問題は待ったなしだからです。ですが、精神的には無防備です。国軍を持つ必要を感じてこなかったのですから。家には鍵をかけずに、アメリカというセキュリティー会社に鍵を預けてきました。他人任せにしたから、あえて言いますけれど、私達は同胞を拉致されて解決できず、アメリカ頼みです。なぜ私達の政府は解決できないのでしょうか?????私にしてみれば、簡単明瞭です。『攻撃は最大の防御なり』という事実を国民が精神的に支持しないからです。泥棒が武器を持っていて、家には武器がないことが知れ渡っているのですから、簡単です。私達は『追い銭』をする以外になく、今のご時世ですから殺されるかもしれません。これが平和ということなのでしょうか。

 

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カマキリの赤ちゃん

2018-07-01 14:52:58 | 季節

生まれて間もない1センチ余りの小さな小さなカマキリの赤ちゃん。黄緑色の小さな姿ですが、一人前を主張しています。ここ数日暴風雨でしたから、どこかでひっそりと孵化した後隠れていて、

 

                         

 

その勇姿を現したのだと思います。けなげで、かわいい・・・・・・と思います。

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青い柿の実

2018-06-24 10:12:00 | 季節

若い青い柿の実の落ちる季節になりました。

 

   我が家の裏庭はやっと桃の実が終わったと思ったら、かわいい青い柿の実と蔕(へた)がぼたぼたと・・・・・拾ってきて写真を撮りました。かわいいですよね。

毎年桃の実には驚かされます。雨除けのアクリル屋根に落ちて、大きいだけあってそれはびっくりするほどの大きな音を立てます。静かな真夜中、それこそ『ドカン』と落ちてきます。慣れないうちは本当に『ドキッ』としたものです。

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げじげじ

2018-06-17 12:26:23 | Weblog

節足動物のなかで、『げじげじ』は、なんと言うべきか、敢えて『美しい』と言いたいと思います。あの脚の長さとバランスの見事さ・・・・・

先日我家の洗面所の壁に大きな『げじげじ』がいました。写真を撮ろうと戻ってきたときには、もういませんでした。主人も一緒に探してくれたのですが、残念なことに数日後死骸を見つけました。この次出てきた時には必ずカメラに納めて、その『美しさ』をお目にかけようと思います。そのうえ『げじげじ』の姿は、なんとなく、ユーモラス。『どうしてそんな恰好をしているのか』と聞きたくなります。自然という意味では『ムカデ』だって美しいのだろうとは思いますが、ムカデに出会った時はぎょっとするばかりです。先刻朝のお台所を片付けていたら、『げじげじの子供』を見つけました。流しのゴミ受けに流れて行ってしまったので、しばらく後片付けを中断しました。自力で出てくるのを持っていると幸い出てきたので、家の外に出しました。脚も含めて全長5センチくらい・・・・・まだ美しいとは言えません。せめて10センチくらいにならないと・・・・・

      早く大きくなって、沢山の脚を殿様バッタのように曲げて、出てきなさい!!!

そのうち大人の『げじげじ』が出てきてその姿をお目にかけられることを期待しています。

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