猫たちの一生をみてみると、彼らの運命が人間ドラマと重なって見えませんか?
「残り物には福がある」編
しょっちゅう、子供を産む母猫がいました。
産むのは床下です。
産まれて暫くしてから、子供たちを引き連れた母猫は家族の前に様子見…といった姿で現われます。
勿論我が家では喚声をあげ、彼らを大歓迎。
「可愛い~」
「見て見て、この子、目が青い。」
みんなが子猫を抱き上げ、大騒ぎする有様を、母猫は遠く離れたところから、満足そうに目を細めて眺めています。
さっそく八百屋に走って行ってみかん箱を貰ってきます。
古タオルを敷き詰め、箱を雨の当たらない縁側に置きます。
すると毎度の事なので、母猫は子供たちをそこへ咥えこみ、そこで乳離れするまでの子育てを始めるのです。
いつもの流れですが…小学生の私は、家の塀に「子猫差し上げます。」と描いたポスターを張り出します。
すると、なんとなく人が訪れ、なんとなく子猫たちは貰われていく…ものでした。
あるとき、1匹だけ子猫が残りました。
知り合いやつてを頼って、貰い手を捜しましたが、このときばかりは誰も見つかりません。
我が家では「捨て猫」という考え方はしなかったものの、二匹飼うのはどうもねぇ~という両親。
「困ったもんだわね」という事で、子猫は家族の冷たい視線を感じつつひっそりと、庭先に暮らしていました。
確かに、ブサイクな猫でした。
父猫は近所の黒猫らしい。
うちの猫は白猫です。
それなのに産まれる子猫たちは金目、銀目、青目という変った目色をしている上、さまざまの大変美しい毛色をして生まれてきました。
それがこのたびは、1匹だけ、赤トラが産まれたのです。
目も平凡なうす茶色。
美男美女の兄弟猫たちの中では、ホント、見栄えが悪い。
だから最後まで残ってしまったんですね。
母猫は家族の猫でしたが、この赤トラ子猫は邪魔もの扱いです。
首輪も付けてもらえません。
もちろん声もかけてもらえません。
こんなふうに家族たちから冷たいあつかいを受けている子猫がかわいそうで、初めて私が積極的にお世話をしだしました。
こっそり刺身や魚の残りをやったり、残り毛糸で首輪をつくってあげたり。
家族が気まぐれに呼んでもこないのに、私が呼ぶととんでくるようになり、それがまた、可愛くもあり…。
私にとっては始めての「私のペット」という存在でした。
ところが、ある日、学校から帰ると、いつもは縁側にとんでくはずの赤トラ子猫の姿がありません。
母に話すと、母はあっけらかんとして、子猫が貰われていったーといいました。ガーン!!
愛するものを突然失った悲しみ…この擬似体験に小学生の私は涙が止まりません。
理屈ではわかっているものの、愛するものを納得しないで失った恨みと悲しみで、その頃の私は少々グレましたヨ。
だいぶ後になってから、母が言ったのですが、あの子猫の貰われていった先というのが隣まちの大豪邸でした。
長い事飼っていた愛犬が亡くなり、がっかりしている妻の為に、急遽、子犬か子猫を探していたというご主人が、
私の張り出していたポスターを見かけたのだそうです。(はがし忘れていた!)
頂くお礼に…とご丁寧にも、砂糖を一袋もってきてくださったそうです。
こんな事は初めてでした。
子猫たちはひきとっていただくだけでありがたいものです。
こちらから引き出物を添えて出すのが筋?
それを向こうから「頂きます」と1歩下がって、(ただの雑種ですぞ~?)貰ってくださったわけです。
あらら…。物静かで品のいいご主人だったとか。
「結局、あの子が一番いい家に貰われていったようね。
人間でも美男美女が必ずしも、一番幸福になるわけではないっていうのと同じなのね。」
母の何気ないお言葉が、印象的でした。
あのブサイクでおどおどしていたやせっぽち子猫は、今や、広いお屋敷の庭を我が物顔に闊歩できるお嬢様猫へと出世したわけです。
童話の「めでたし、めでたし」という最後の言葉を聞くたび、あの子猫を思い出します。
絵は「夜の吐息」 07-07作成
とりあえず、娘のお友達の写真を借りてきておっかなびっくりといった感じでトレースして描きました。
表情はぼかしてこの程度だけ。
あぁ、神様。おいら、人間描くのは苦手だす…。
ちなみに彼女らはベリーダンスのダンサーだそうです。
「残り物には福がある」編
しょっちゅう、子供を産む母猫がいました。
産むのは床下です。
産まれて暫くしてから、子供たちを引き連れた母猫は家族の前に様子見…といった姿で現われます。
勿論我が家では喚声をあげ、彼らを大歓迎。
「可愛い~」
「見て見て、この子、目が青い。」
みんなが子猫を抱き上げ、大騒ぎする有様を、母猫は遠く離れたところから、満足そうに目を細めて眺めています。
さっそく八百屋に走って行ってみかん箱を貰ってきます。
古タオルを敷き詰め、箱を雨の当たらない縁側に置きます。
すると毎度の事なので、母猫は子供たちをそこへ咥えこみ、そこで乳離れするまでの子育てを始めるのです。
いつもの流れですが…小学生の私は、家の塀に「子猫差し上げます。」と描いたポスターを張り出します。
すると、なんとなく人が訪れ、なんとなく子猫たちは貰われていく…ものでした。
あるとき、1匹だけ子猫が残りました。
知り合いやつてを頼って、貰い手を捜しましたが、このときばかりは誰も見つかりません。
我が家では「捨て猫」という考え方はしなかったものの、二匹飼うのはどうもねぇ~という両親。
「困ったもんだわね」という事で、子猫は家族の冷たい視線を感じつつひっそりと、庭先に暮らしていました。
確かに、ブサイクな猫でした。
父猫は近所の黒猫らしい。
うちの猫は白猫です。
それなのに産まれる子猫たちは金目、銀目、青目という変った目色をしている上、さまざまの大変美しい毛色をして生まれてきました。
それがこのたびは、1匹だけ、赤トラが産まれたのです。
目も平凡なうす茶色。
美男美女の兄弟猫たちの中では、ホント、見栄えが悪い。
だから最後まで残ってしまったんですね。
母猫は家族の猫でしたが、この赤トラ子猫は邪魔もの扱いです。
首輪も付けてもらえません。
もちろん声もかけてもらえません。
こんなふうに家族たちから冷たいあつかいを受けている子猫がかわいそうで、初めて私が積極的にお世話をしだしました。
こっそり刺身や魚の残りをやったり、残り毛糸で首輪をつくってあげたり。
家族が気まぐれに呼んでもこないのに、私が呼ぶととんでくるようになり、それがまた、可愛くもあり…。
私にとっては始めての「私のペット」という存在でした。
ところが、ある日、学校から帰ると、いつもは縁側にとんでくはずの赤トラ子猫の姿がありません。
母に話すと、母はあっけらかんとして、子猫が貰われていったーといいました。ガーン!!
愛するものを突然失った悲しみ…この擬似体験に小学生の私は涙が止まりません。
理屈ではわかっているものの、愛するものを納得しないで失った恨みと悲しみで、その頃の私は少々グレましたヨ。
だいぶ後になってから、母が言ったのですが、あの子猫の貰われていった先というのが隣まちの大豪邸でした。
長い事飼っていた愛犬が亡くなり、がっかりしている妻の為に、急遽、子犬か子猫を探していたというご主人が、
私の張り出していたポスターを見かけたのだそうです。(はがし忘れていた!)
頂くお礼に…とご丁寧にも、砂糖を一袋もってきてくださったそうです。
こんな事は初めてでした。
子猫たちはひきとっていただくだけでありがたいものです。
こちらから引き出物を添えて出すのが筋?
それを向こうから「頂きます」と1歩下がって、(ただの雑種ですぞ~?)貰ってくださったわけです。
あらら…。物静かで品のいいご主人だったとか。
「結局、あの子が一番いい家に貰われていったようね。
人間でも美男美女が必ずしも、一番幸福になるわけではないっていうのと同じなのね。」
母の何気ないお言葉が、印象的でした。
あのブサイクでおどおどしていたやせっぽち子猫は、今や、広いお屋敷の庭を我が物顔に闊歩できるお嬢様猫へと出世したわけです。
童話の「めでたし、めでたし」という最後の言葉を聞くたび、あの子猫を思い出します。
絵は「夜の吐息」 07-07作成
とりあえず、娘のお友達の写真を借りてきておっかなびっくりといった感じでトレースして描きました。
表情はぼかしてこの程度だけ。
あぁ、神様。おいら、人間描くのは苦手だす…。
ちなみに彼女らはベリーダンスのダンサーだそうです。