「哀愁のオヤブン」その2
あの時代(昭和30年前後)は、迷子猫や迷子犬を預かるのはそう珍しい事ではありませんでした。
通りに面した電柱に「迷子さん、預かってます。」という張り紙を出しておくと、
大抵、1週間くらいで恐縮した飼い主が引き取りにやってくるーというのがパターンでした。
今のように個人情報云々という、うるさい制約事のない時代だったので、
張り紙にはこちらの住所や電話番号を明記していました。
ところが今回、この白い猫に関しては、1週間過ぎても、何の音沙汰もありません。
仕方ないので、我が家のある私鉄の駅とその前後の3駅にお願いして、構内に張り紙をさせてもらいました。
(駅員も建前など振りかざさず、のんびりしていましたからね)
これなら、飼い主も気がつくであろうと…だが、いくら待っても問い合わせはきませんでした。
「困ったわね。」と母。
我が家にはもうすでに、1匹の捨て猫が拾われていました。
(毎度、おなじみ。三女が拾ってきました)
「もう少し、様子をみてましょう。」という事になったものの、家族は飼い猫が二匹になるのを、なんとなく覚悟しました。
この頃にはすでに、この猫は「オヤブン」と呼ばれていました。
猫はテリトリーに他の猫が入ってくるのを極端に嫌います。
しかしこの白猫は、実にかわっていました。
とにかく、鷹揚で、堂々としていました。
庭に他の猫が入ってきても、目をそらしたり、威嚇声をだしたりしないどころか、穏やかに会釈?
御用聞きや、配達人が庭先にきても、我関せず。縁側で香箱をつくったまま。頭上で品物がやり取りされても知らんぷりで目を閉じています。
玄関先で母がご近所と話をしているときは、まるで家族の一員のようにその場に加わり、静かに話を聞いている様子。
「いやぁ、おとなしい猫ですね~。」
みなさん、一様に、驚かれ
「ほほほ、変わった子でね。」
そう母が答えるのが常となりました。
(この口調。まさしくワタシがカイヌシ…という愛情ある口調。母が猫に関してこんな口調で話すのを聞いたのは初めてでした。
ちょっとびっくりしたのを覚えています。)
藤籠に二匹で丸まって寝るようになっていましたが、オヤブンは巨体なので、お尻と長いしっぽが籠からはみ出してしまいます。
そこへ二匹が無理やり入り込んで寝ているのを見るに見かねた母は、とうとう大きな藤籠を買ってきました。
(これにもびっくり。私たちが対応する前に、さっさと手配するなんて。んまぁぁ~?)
オヤブンは右目は金目。左目が青い目という不思議な目をしていました。
白い短毛の巨体をして、性格はとにかく、大人しいの一語につきます。
赤いちりめんの首輪にも、育ちのよさや飼い主の愛情が感じられていたし、
何と言っても一番の特徴は、母に異様なまでに、なついていたことです。
母が台所にいれば、その足元に控え、洗濯ものを干しに二階へ行けば、自分も、二階へ駆け上がるといったアンバイ。
母がコタツでテレビを見ていれば、その側らに香箱を作って控え、勿論、トイレ中はドアの前に控える。
母がお出かけの時は、自分はお見送り。(他の家族の為にはそんな事はしないのにね)我が家は坂のてっぺんにありましたが母が、門から出ると、その坂のてっぺんに座り、坂を下りた母の姿が駅の方へ曲がって見えなくなるまで見ていました。
母が帰宅すると、門から玄関まで歩いてくる足音でわかるのでしょうか。玄関まですっとんでお出迎えに。
膝の上にのしかかってくる事もしないし、(巨体なので前の飼い主は嫌がったのかな?)
夜は子猫と藤籠で大人しく寝ているし、ご飯の間はテーブルの下で大人しくしていて
「ちょうだい」もいわないし。まぁ、「大人の猫」といった感じでしたね。
やがて、母の姿あるところ、オヤブンは必ず足元にいる…という風景が当たり前になりました。
オヤブンというよりまさしく「コブン」といった感じなのですが…母と「オヤブン」のおかしな凸凹コンビは1年半ほど続きます。
やってきた時も突然でしたが、いなくなるときも突然でした。
今度は「迷子猫を探しています。」と言う張り紙をほうぼうの電柱に貼り付けましたが、音沙汰ナシ。
勝気の母は「いなくなってせいせいした。」と言っていましたが、家族の誰もが、その言葉の裏にある想いを確実に理解していました。
窮鳥懐に入れば猟師もこれを助くーと申します。
猫大嫌いの母ですが、さすがに、あそこまでなつかれれば、きっと…。
我が三姉妹は順番通り、結婚しました。次女が結婚したあと、父が亡くなり
暫くの間は母と三女だけで暮らしていましたがその三女も結婚したので、とうとう、母は一人になりました。
暫くして、私が実家を訪ねてみると…なんとまぁ!アメリカンショートヘアーの子猫がいます。
「どうしたの?ママは猫が嫌いだったんでしょ?」
「犬でもよかったんだけど、散歩が面倒だから。」
答えになっていない母の言葉に思わず、くすっ!
しかし、猫にも個体差があります。
だからペットショップで飼ったこの血統書付きの高額な子猫は、
母の期待するものを全て裏切って、さんざん手を焼かせました。
手を焼かせるから、余計可愛いーと思う母ではなかったので、暫くしてこの子猫は友人に貰われていきました。
母はきっとオヤブンを思い出したのでしょう。
ただ、大人しく、ひたすら寄り添っていた慎ましいオヤブン…。
今、このような場にオヤブンがいてくれたら、どんなにか母の心は慰められたでしょうか。
ペットは癒しになるというけれど、母にとっての癒しになりうるペットは、唯一、「オヤブン」だけのような気がします。。
そして、「オヤブン」は遠い思い出の中にだけ、存在している。
それに改めて気がつかされた母は、その後二度とペットを飼おうとしませんでした。
絵は「これからお出かけ(2)」 07-10作成
連休前の空いた時期を狙ってちょっと長めの旅行へ行ってきました。これはそこで描いた1枚。
主人の部屋の白い壁に飾るアクセントになるように、できるだけシンプルに描きました。
この絵は実は「擬人画」。食事に行こうと主人と歩いていたら、同じようにご夫婦ででかけるご近所さんと一緒になりました。「せっかくなので、ご一緒に…」というわけで4人で寿司屋へくり出しました。その時の風景です。みんな太り気味なので、鵞鳥で表しましたけど。(笑)
このソフトのいい所は、絵を習っていない私でも思いつくまま、イメージに近い絵が書けるという事。ありがたいです。
あの時代(昭和30年前後)は、迷子猫や迷子犬を預かるのはそう珍しい事ではありませんでした。
通りに面した電柱に「迷子さん、預かってます。」という張り紙を出しておくと、
大抵、1週間くらいで恐縮した飼い主が引き取りにやってくるーというのがパターンでした。
今のように個人情報云々という、うるさい制約事のない時代だったので、
張り紙にはこちらの住所や電話番号を明記していました。
ところが今回、この白い猫に関しては、1週間過ぎても、何の音沙汰もありません。
仕方ないので、我が家のある私鉄の駅とその前後の3駅にお願いして、構内に張り紙をさせてもらいました。
(駅員も建前など振りかざさず、のんびりしていましたからね)
これなら、飼い主も気がつくであろうと…だが、いくら待っても問い合わせはきませんでした。
「困ったわね。」と母。
我が家にはもうすでに、1匹の捨て猫が拾われていました。
(毎度、おなじみ。三女が拾ってきました)
「もう少し、様子をみてましょう。」という事になったものの、家族は飼い猫が二匹になるのを、なんとなく覚悟しました。
この頃にはすでに、この猫は「オヤブン」と呼ばれていました。
猫はテリトリーに他の猫が入ってくるのを極端に嫌います。
しかしこの白猫は、実にかわっていました。
とにかく、鷹揚で、堂々としていました。
庭に他の猫が入ってきても、目をそらしたり、威嚇声をだしたりしないどころか、穏やかに会釈?
御用聞きや、配達人が庭先にきても、我関せず。縁側で香箱をつくったまま。頭上で品物がやり取りされても知らんぷりで目を閉じています。
玄関先で母がご近所と話をしているときは、まるで家族の一員のようにその場に加わり、静かに話を聞いている様子。
「いやぁ、おとなしい猫ですね~。」
みなさん、一様に、驚かれ
「ほほほ、変わった子でね。」
そう母が答えるのが常となりました。
(この口調。まさしくワタシがカイヌシ…という愛情ある口調。母が猫に関してこんな口調で話すのを聞いたのは初めてでした。
ちょっとびっくりしたのを覚えています。)
藤籠に二匹で丸まって寝るようになっていましたが、オヤブンは巨体なので、お尻と長いしっぽが籠からはみ出してしまいます。
そこへ二匹が無理やり入り込んで寝ているのを見るに見かねた母は、とうとう大きな藤籠を買ってきました。
(これにもびっくり。私たちが対応する前に、さっさと手配するなんて。んまぁぁ~?)
オヤブンは右目は金目。左目が青い目という不思議な目をしていました。
白い短毛の巨体をして、性格はとにかく、大人しいの一語につきます。
赤いちりめんの首輪にも、育ちのよさや飼い主の愛情が感じられていたし、
何と言っても一番の特徴は、母に異様なまでに、なついていたことです。
母が台所にいれば、その足元に控え、洗濯ものを干しに二階へ行けば、自分も、二階へ駆け上がるといったアンバイ。
母がコタツでテレビを見ていれば、その側らに香箱を作って控え、勿論、トイレ中はドアの前に控える。
母がお出かけの時は、自分はお見送り。(他の家族の為にはそんな事はしないのにね)我が家は坂のてっぺんにありましたが母が、門から出ると、その坂のてっぺんに座り、坂を下りた母の姿が駅の方へ曲がって見えなくなるまで見ていました。
母が帰宅すると、門から玄関まで歩いてくる足音でわかるのでしょうか。玄関まですっとんでお出迎えに。
膝の上にのしかかってくる事もしないし、(巨体なので前の飼い主は嫌がったのかな?)
夜は子猫と藤籠で大人しく寝ているし、ご飯の間はテーブルの下で大人しくしていて
「ちょうだい」もいわないし。まぁ、「大人の猫」といった感じでしたね。
やがて、母の姿あるところ、オヤブンは必ず足元にいる…という風景が当たり前になりました。
オヤブンというよりまさしく「コブン」といった感じなのですが…母と「オヤブン」のおかしな凸凹コンビは1年半ほど続きます。
やってきた時も突然でしたが、いなくなるときも突然でした。
今度は「迷子猫を探しています。」と言う張り紙をほうぼうの電柱に貼り付けましたが、音沙汰ナシ。
勝気の母は「いなくなってせいせいした。」と言っていましたが、家族の誰もが、その言葉の裏にある想いを確実に理解していました。
窮鳥懐に入れば猟師もこれを助くーと申します。
猫大嫌いの母ですが、さすがに、あそこまでなつかれれば、きっと…。
我が三姉妹は順番通り、結婚しました。次女が結婚したあと、父が亡くなり
暫くの間は母と三女だけで暮らしていましたがその三女も結婚したので、とうとう、母は一人になりました。
暫くして、私が実家を訪ねてみると…なんとまぁ!アメリカンショートヘアーの子猫がいます。
「どうしたの?ママは猫が嫌いだったんでしょ?」
「犬でもよかったんだけど、散歩が面倒だから。」
答えになっていない母の言葉に思わず、くすっ!
しかし、猫にも個体差があります。
だからペットショップで飼ったこの血統書付きの高額な子猫は、
母の期待するものを全て裏切って、さんざん手を焼かせました。
手を焼かせるから、余計可愛いーと思う母ではなかったので、暫くしてこの子猫は友人に貰われていきました。
母はきっとオヤブンを思い出したのでしょう。
ただ、大人しく、ひたすら寄り添っていた慎ましいオヤブン…。
今、このような場にオヤブンがいてくれたら、どんなにか母の心は慰められたでしょうか。
ペットは癒しになるというけれど、母にとっての癒しになりうるペットは、唯一、「オヤブン」だけのような気がします。。
そして、「オヤブン」は遠い思い出の中にだけ、存在している。
それに改めて気がつかされた母は、その後二度とペットを飼おうとしませんでした。
絵は「これからお出かけ(2)」 07-10作成
連休前の空いた時期を狙ってちょっと長めの旅行へ行ってきました。これはそこで描いた1枚。
主人の部屋の白い壁に飾るアクセントになるように、できるだけシンプルに描きました。
この絵は実は「擬人画」。食事に行こうと主人と歩いていたら、同じようにご夫婦ででかけるご近所さんと一緒になりました。「せっかくなので、ご一緒に…」というわけで4人で寿司屋へくり出しました。その時の風景です。みんな太り気味なので、鵞鳥で表しましたけど。(笑)
このソフトのいい所は、絵を習っていない私でも思いつくまま、イメージに近い絵が書けるという事。ありがたいです。