ぐーたら猫の「パソコン水彩の館」

これまで描いたのは900点余。我ながらよく続いたなぁ!右下にあるブックマークからHPに入ってご覧さいませ。

猫ネコ大行進!(1)

2007-07-21 23:57:56 | パソコン画
人は大きく2種類に分けられるとか。いわゆる「ネコ派」と「犬派」です。

定年退職したら田舎に行って犬を飼いたいという主人に対して、いや、絶対ネコを飼うのだと主張する私。
現在のところ、犬もネコも飼おうではないかという事になっていますが、犬を飼う条件として、毛の短い和犬である事。
家は小さく庭は広くというのが、私の絶対条件になっております。

鎖で繋がれるという生活は、想像するだけで苦痛です。
だから短い鎖で犬小屋に繋がれる生活なんて、未来の我が家の犬には絶対させたくありません。
犬には塀で囲った庭(例え狭くても)の中で、放し飼いにしてやりたいのです。
これは私のトラウマになっているのです。

子供の頃、犬と言えば雑種を飼うのが当たり前という時代でしたが、
何を考えたのか、母が血統書付きの兄弟犬を買ってきました。
最初の頃は珍しがって、いじくりまわしていたものの、すぐに飽きてしまった我々は、犬の世話は母まかせ。
散歩もさせず、糞の始末もせず、外の犬小屋に入れっぱなし。

学校の行き帰りに犬小屋の前を通ると、犬達は狂気のようにしっぽを振り、
金網にすがりつき、悲しそうにこちらを見つめていました。
「一緒に遊んで」
「なでてちょうだい」
「私を愛して」
そういう無言のメッセージが、大波のように押し寄せてくるのを感じました。

でも自分のやりたい事が他にたくさんあって忙しい。
しかもこの犬達はその頃珍しい長毛種で、お手入れに手がかかる。
うっかり犬にかまったりすると、母から、ブラッシングだの犬小屋の掃除だのと言いつけられ、
挙句、自分の時間がなくなってしまう。
こんな自分勝手な計算で、我々三姉妹は犬達から、遠ざかるようになりました。

自分が犬にひどいしうちをしている、飼い主として責任を果たしていないという意識は確かにあって、
そのうち「犬」自体が、重い存在、苦手な存在になりました。
この2匹が死んだ時、悲しいというより、ほっとしたのは事実です。
不実で無責任な飼い主の自分を認識させられる…という苦痛からやっと開放されたのですから。


その後、実家では二度と犬は飼いませんでした。
その代わり、ネコはいつでも我が家にいました。
なぜか、いつでも三女が捨て猫を拾ってくるのです。
我が家はネコを歓迎しました。

呼んでも来ない。気分じゃないと、抱かれるのをいやがる。
一人の時間を楽しむ。マイペースで行動する。愛情を強要しない、クールなたたずまい。
ネコのそんなところが、我々三姉妹の感性にぴったりだったのでしょうね。

犬は絶対の信頼の目で飼い主を見つめますが、あの信頼がとても重い。
犬たちの裏表のない、愛情の深さが…。とにかく重かった。

だからこそ「犬」がいいという主人。
だからこそ「犬」は苦手という私。
貴女は「犬派」ですか、「猫派」ですか?



絵は「文様ー風車」 07-06作成
これは絵というよりクイズですね。
三枚一組の羽を描き、そのレイヤーを組み合わせて風車を作りました。
但し風車ですから、全ての羽が重なりあっていなければなりません。
こういう絵にする為には、何枚のレイヤーをどういう順番で重ねていけばいいのでしょうか?
ちなみに娘が「風車より四隅にあるボタンの出来がいい」と誉めてくれましたが…??




コメント
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