先日、ある方からとても辛いメールを頂いた。
あまりのお話に絶句し、どうしても自分だけの胸に留めておくことが出来なかった。夫に読んで聞かせたところ、夫は「その子、泣いたんだなぁー・・・」と言ったかと思うと、涙声になって、眼鏡を外し、流れる涙をぬぐっていた。「俺が泣いても仕方ないか・・・」と言いながら。
その方のご了解を得て、下記にそのメールを一部加筆し、転載させて頂く。
(転載開始)※ ※ ※
(前略)今日は私の話を。
姪の子供が17才の若さで先月旅立ちました。
頭が良く、親の期待を一心に集め、志望の高校に夢を膨らませていた夏休みのある日のこと、口内炎が治らないと歯科医院を受診しました。そこで大学病院を紹介され、顎ガンと診断されました。●●県の自宅から築地ガンセンターに入院。抗癌剤に苦しみながら辛い治療を受けましたが、右目を摘出しなければ、両目が失明すると言われました。片目が残るなら、と涙一つこぼさずに摘出し、それから2年半の入退院の生活が続きました。
2年遅れてやっと復学できたことを喜び、将来は公務員に、と夢を語ってくれた子でした。夏休みに入り、(眼球を摘出した)顔の整形手術の相談のために大学病院を受診したところ、そこでくだされた診断は骨髄転移でした。眼球摘出に涙を見せなかった子が、誰はばからず声を出して一時間程号泣したといいます。そのまま入院し、脳にも転移し、天国に旅立ちました。
今日姪から電話がありました。明るくおちゃっぴぃの姪でしたが、立ち直れずに、電話口で涙。救われるのは、あんなに復学を望み3ヶ月間だけでも登校できたこと、そして高一の娘がいること、と言いながらも、体格にも恵まれ180センチの 長身、健康だったのになぜ・・・と。
慰める言葉がなく落ち込み、つい●●(私)さんに話を聞いてもらいたくメールいたしました。(以下略)
(転載終了)※ ※ ※
なんということなのだろう。神様は本当にいらっしゃるのだろうか。あんまりだ、と悔しさが滲む。
17歳、息子と同い年ではないか。思春期真っ盛りで、将来の夢と希望に満ち溢れ、多感だからこそ、精神的にはまだ不安定な難しい年頃だ。努力の末に合格した志望校に通うことも出来ず、入退院を繰り返しながら辛い治療生活を余儀なくされる。さらには片目を失うという、言葉では言い現せないであろう辛い経験をしながらも前向きに将来の夢を語り、再び歩み出そうとしていたお子さん。それなのに、整形手術の相談に行ったはずの病院で地獄に突き落とされるような、転移すなわち不治の告知。その時、一体どれだけの絶望が彼の身を苛んだことだろう。身が千切れそうだ・・・と書きながら、言葉の無力さと空回りを思い、下を向く。
お返事にも、「あまりのことに絶句しました。何も言えずにすみません。神様はあんまりです・・・」としか書けなかった。
翌朝、息子にもこのメールを読んで聞かせた。目を瞑り、黙って聞いていた。
健康に恵まれ、普通に高校生活を送り、受験勉強が出来る生活が決して当たり前のことではなく、どれほど有難いものであるのか、少しでも感じることが出来たのだろうか。
翻って、私で良かった、と再び思う。病気になったのが息子でなく、私で。子どもに自分より先に逝かれることを思えば、と。どんなに代わってやりたいと思っても、代わってやることが出来ないのなら、最初から私で、と。
少なくとも私はこうして半世紀以上、生き長らえてくることが出来た。充実した学校生活を送り、希望通りの就職をし、いろいろな仕事の経験をさせて頂き、縁あって結婚し、遅ればせながら一男に恵まれ、最初で最後の子育てに奮闘しながら、目いっぱい楽しませてもらうことが出来た、病を得るまでの43年間。
そして、病を得てから今日迄の9年近くに渡り、家族や友人、そして沢山の職場の知人たちに囲まれ、支えて頂きながら、治療だけでなく働くこと、好きなことも続けられる至福の毎日を送ることが出来ている。
17歳で旅立たなければならなかった彼。そして、愛息を喪うという、自分の体の一部をもぎ取られるに匹敵する辛い経験をされた姪御さんのことを想えば、なんともったいなくも満ち足りた、幸せな人生を送らせて頂くことが出来ているのだろう。
ふと、私にはまだ高齢の両親がいるのだ、と思う。私が先に逝ったら高齢の両親のダメージは計り知れないだろう。やはり、なんとしても踏ん張って順番を守らなければ、と改めて思う。
姪御さんのご子息のご冥福を心からお祈りしたい。そして姪御さんのぽっかりと大きな穴が空いてしまったであろう心が、ゆっくり、ゆっくりでも穏やかになっていく日を静かに祈りたい。合掌。
あまりのお話に絶句し、どうしても自分だけの胸に留めておくことが出来なかった。夫に読んで聞かせたところ、夫は「その子、泣いたんだなぁー・・・」と言ったかと思うと、涙声になって、眼鏡を外し、流れる涙をぬぐっていた。「俺が泣いても仕方ないか・・・」と言いながら。
その方のご了解を得て、下記にそのメールを一部加筆し、転載させて頂く。
(転載開始)※ ※ ※
(前略)今日は私の話を。
姪の子供が17才の若さで先月旅立ちました。
頭が良く、親の期待を一心に集め、志望の高校に夢を膨らませていた夏休みのある日のこと、口内炎が治らないと歯科医院を受診しました。そこで大学病院を紹介され、顎ガンと診断されました。●●県の自宅から築地ガンセンターに入院。抗癌剤に苦しみながら辛い治療を受けましたが、右目を摘出しなければ、両目が失明すると言われました。片目が残るなら、と涙一つこぼさずに摘出し、それから2年半の入退院の生活が続きました。
2年遅れてやっと復学できたことを喜び、将来は公務員に、と夢を語ってくれた子でした。夏休みに入り、(眼球を摘出した)顔の整形手術の相談のために大学病院を受診したところ、そこでくだされた診断は骨髄転移でした。眼球摘出に涙を見せなかった子が、誰はばからず声を出して一時間程号泣したといいます。そのまま入院し、脳にも転移し、天国に旅立ちました。
今日姪から電話がありました。明るくおちゃっぴぃの姪でしたが、立ち直れずに、電話口で涙。救われるのは、あんなに復学を望み3ヶ月間だけでも登校できたこと、そして高一の娘がいること、と言いながらも、体格にも恵まれ180センチの 長身、健康だったのになぜ・・・と。
慰める言葉がなく落ち込み、つい●●(私)さんに話を聞いてもらいたくメールいたしました。(以下略)
(転載終了)※ ※ ※
なんということなのだろう。神様は本当にいらっしゃるのだろうか。あんまりだ、と悔しさが滲む。
17歳、息子と同い年ではないか。思春期真っ盛りで、将来の夢と希望に満ち溢れ、多感だからこそ、精神的にはまだ不安定な難しい年頃だ。努力の末に合格した志望校に通うことも出来ず、入退院を繰り返しながら辛い治療生活を余儀なくされる。さらには片目を失うという、言葉では言い現せないであろう辛い経験をしながらも前向きに将来の夢を語り、再び歩み出そうとしていたお子さん。それなのに、整形手術の相談に行ったはずの病院で地獄に突き落とされるような、転移すなわち不治の告知。その時、一体どれだけの絶望が彼の身を苛んだことだろう。身が千切れそうだ・・・と書きながら、言葉の無力さと空回りを思い、下を向く。
お返事にも、「あまりのことに絶句しました。何も言えずにすみません。神様はあんまりです・・・」としか書けなかった。
翌朝、息子にもこのメールを読んで聞かせた。目を瞑り、黙って聞いていた。
健康に恵まれ、普通に高校生活を送り、受験勉強が出来る生活が決して当たり前のことではなく、どれほど有難いものであるのか、少しでも感じることが出来たのだろうか。
翻って、私で良かった、と再び思う。病気になったのが息子でなく、私で。子どもに自分より先に逝かれることを思えば、と。どんなに代わってやりたいと思っても、代わってやることが出来ないのなら、最初から私で、と。
少なくとも私はこうして半世紀以上、生き長らえてくることが出来た。充実した学校生活を送り、希望通りの就職をし、いろいろな仕事の経験をさせて頂き、縁あって結婚し、遅ればせながら一男に恵まれ、最初で最後の子育てに奮闘しながら、目いっぱい楽しませてもらうことが出来た、病を得るまでの43年間。
そして、病を得てから今日迄の9年近くに渡り、家族や友人、そして沢山の職場の知人たちに囲まれ、支えて頂きながら、治療だけでなく働くこと、好きなことも続けられる至福の毎日を送ることが出来ている。
17歳で旅立たなければならなかった彼。そして、愛息を喪うという、自分の体の一部をもぎ取られるに匹敵する辛い経験をされた姪御さんのことを想えば、なんともったいなくも満ち足りた、幸せな人生を送らせて頂くことが出来ているのだろう。
ふと、私にはまだ高齢の両親がいるのだ、と思う。私が先に逝ったら高齢の両親のダメージは計り知れないだろう。やはり、なんとしても踏ん張って順番を守らなければ、と改めて思う。
姪御さんのご子息のご冥福を心からお祈りしたい。そして姪御さんのぽっかりと大きな穴が空いてしまったであろう心が、ゆっくり、ゆっくりでも穏やかになっていく日を静かに祈りたい。合掌。