ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2013.11.15 親より先に逝くこと

2013-11-15 21:39:21 | 日記
 先日、ある方からとても辛いメールを頂いた。
 あまりのお話に絶句し、どうしても自分だけの胸に留めておくことが出来なかった。夫に読んで聞かせたところ、夫は「その子、泣いたんだなぁー・・・」と言ったかと思うと、涙声になって、眼鏡を外し、流れる涙をぬぐっていた。「俺が泣いても仕方ないか・・・」と言いながら。
 その方のご了解を得て、下記にそのメールを一部加筆し、転載させて頂く。

(転載開始)※  ※  ※

(前略)今日は私の話を。
 姪の子供が17才の若さで先月旅立ちました。
 頭が良く、親の期待を一心に集め、志望の高校に夢を膨らませていた夏休みのある日のこと、口内炎が治らないと歯科医院を受診しました。そこで大学病院を紹介され、顎ガンと診断されました。●●県の自宅から築地ガンセンターに入院。抗癌剤に苦しみながら辛い治療を受けましたが、右目を摘出しなければ、両目が失明すると言われました。片目が残るなら、と涙一つこぼさずに摘出し、それから2年半の入退院の生活が続きました。
 2年遅れてやっと復学できたことを喜び、将来は公務員に、と夢を語ってくれた子でした。夏休みに入り、(眼球を摘出した)顔の整形手術の相談のために大学病院を受診したところ、そこでくだされた診断は骨髄転移でした。眼球摘出に涙を見せなかった子が、誰はばからず声を出して一時間程号泣したといいます。そのまま入院し、脳にも転移し、天国に旅立ちました。
 今日姪から電話がありました。明るくおちゃっぴぃの姪でしたが、立ち直れずに、電話口で涙。救われるのは、あんなに復学を望み3ヶ月間だけでも登校できたこと、そして高一の娘がいること、と言いながらも、体格にも恵まれ180センチの 長身、健康だったのになぜ・・・と。
 慰める言葉がなく落ち込み、つい●●(私)さんに話を聞いてもらいたくメールいたしました。(以下略)

(転載終了)※  ※  ※

 なんということなのだろう。神様は本当にいらっしゃるのだろうか。あんまりだ、と悔しさが滲む。
 17歳、息子と同い年ではないか。思春期真っ盛りで、将来の夢と希望に満ち溢れ、多感だからこそ、精神的にはまだ不安定な難しい年頃だ。努力の末に合格した志望校に通うことも出来ず、入退院を繰り返しながら辛い治療生活を余儀なくされる。さらには片目を失うという、言葉では言い現せないであろう辛い経験をしながらも前向きに将来の夢を語り、再び歩み出そうとしていたお子さん。それなのに、整形手術の相談に行ったはずの病院で地獄に突き落とされるような、転移すなわち不治の告知。その時、一体どれだけの絶望が彼の身を苛んだことだろう。身が千切れそうだ・・・と書きながら、言葉の無力さと空回りを思い、下を向く。
 お返事にも、「あまりのことに絶句しました。何も言えずにすみません。神様はあんまりです・・・」としか書けなかった。

 翌朝、息子にもこのメールを読んで聞かせた。目を瞑り、黙って聞いていた。
 健康に恵まれ、普通に高校生活を送り、受験勉強が出来る生活が決して当たり前のことではなく、どれほど有難いものであるのか、少しでも感じることが出来たのだろうか。
 
 翻って、私で良かった、と再び思う。病気になったのが息子でなく、私で。子どもに自分より先に逝かれることを思えば、と。どんなに代わってやりたいと思っても、代わってやることが出来ないのなら、最初から私で、と。
 少なくとも私はこうして半世紀以上、生き長らえてくることが出来た。充実した学校生活を送り、希望通りの就職をし、いろいろな仕事の経験をさせて頂き、縁あって結婚し、遅ればせながら一男に恵まれ、最初で最後の子育てに奮闘しながら、目いっぱい楽しませてもらうことが出来た、病を得るまでの43年間。
 そして、病を得てから今日迄の9年近くに渡り、家族や友人、そして沢山の職場の知人たちに囲まれ、支えて頂きながら、治療だけでなく働くこと、好きなことも続けられる至福の毎日を送ることが出来ている。
 17歳で旅立たなければならなかった彼。そして、愛息を喪うという、自分の体の一部をもぎ取られるに匹敵する辛い経験をされた姪御さんのことを想えば、なんともったいなくも満ち足りた、幸せな人生を送らせて頂くことが出来ているのだろう。
 
 ふと、私にはまだ高齢の両親がいるのだ、と思う。私が先に逝ったら高齢の両親のダメージは計り知れないだろう。やはり、なんとしても踏ん張って順番を守らなければ、と改めて思う。
 
 姪御さんのご子息のご冥福を心からお祈りしたい。そして姪御さんのぽっかりと大きな穴が空いてしまったであろう心が、ゆっくり、ゆっくりでも穏やかになっていく日を静かに祈りたい。合掌。
 
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2013.11.14 ハーセプチン170回目(3倍量32回目)

2013-11-14 19:00:17 | 治療日記
 今月初めての通院日。
 夫と息子を送り出していつもの時間に家を出る。今朝もかなり冷えこんでいるのでしっかり着込んで出かける。最寄駅からの私鉄、その後のJRとも電車は順調。途中で席も確保出来たので、読書を始めると、赤ちゃんを抱っこしたお母さんが隣の席に乗り込んできた。可愛くてどうしても気になってしまい、(他人様から見ればお馬鹿な顔をして)終始あやしながら病院最寄駅まで。9か月だとのこと、息子が9か月の頃はあんなだっただろうか、などと母親目線を通り越して、すっかりおばあちゃん目線である。孫がいたら無条件に可愛いのだろうな、と思うとなんとなくにこにこしてしまう。そんなわけで読書は殆ど進まずに最寄駅に到着。冷たい風に肩をすくめながら、けれど気持ちは暖かくなって病院に向かった。

 気のいいおばちゃんから患者の顔に切り替えて病院に入る。自動再来受付機には既に列が出来ていた。IDカードを通し、そのまま腫瘍内科受付へ移動する。月初めなので保険証確認も。自動血圧測定機で計測した結果は106-65、脈は88。「中待合へどうぞ」のランプが点いたのは30分後。さらに中廊下で待つこと小一時間。
 先生が顔を出され、ご挨拶。「さて、3週間経ちましたが・・・」と問われる。3週間の間、ロキソニンを1日1回以上飲んだ日は4日。朝起きるといつものように胸痛があるが、朝のロキソニンで何とか凌げており、体調は良くいろいろ動き回れていること、大分寒くなってきたので、痛みがちょっと心配だが・・・とお話しする。前回お見せできなかった婦人科検診の結果票を出し、インフルエンザの予防注射も無事終了したことを改めてご報告する。先生はカルテに書き込んでくださる。診察室での検温は6度8分。今日は予定通りハーセプチン治療、次週も予定通り採血、レントゲンの後、フェソロデックス注射の予約が入り、診察室を後にする。

 化学療法室へ移動。ご挨拶して部屋に入ると、今日は混んでいる様子で、待合の椅子が一杯で、なかなか声がかからない。15分ほどして、ようやくHさんから点滴椅子に案内される。珍しくナースステーションに一番近い席だ。院内は外の冷気が嘘のように暖かい。読書をしながらなんとなく眠くなってしまう。30分ほど待ってHさんがポート針刺しをしてくださる。今日は殆ど痛まず、ラッキー。「お上手でした!」と言うと嬉しそうにしてくださる。本当に毎回毎回違うのが不思議だ。今日は短い針が切れていて長い針だったというけれど、殆ど違和感もなかった。「もう薬が届いていますのでまもなく始めます。」ということで、10分ほどして予定通りハーセプチンと生理食塩水の2本がスタート。今日の担当はOkさん。1時間半ほどかけて2本が無事終了した。今日持ってきた2冊の文庫も両方とも面白く、読書も進む。抜針は乳腺外来からヘルプに来ておられるというTさん。初めましてのご挨拶をする。若干衝撃はあったが、殆ど痛みがなく、今日は刺針、抜針ともツイていた。終了時の血圧は109-68。

 会計に時間がかかり30分近く待つ。自動支払機に進むと、機械がリニューアルされていた。今までは、領収書が出てくるのみで、カードの利用控えは窓口で支払わない限りもらえなかったのだが、新しい機械からは2枚が出てびっくり。日々進化している。カード明細と突合するときに便利で有難い。今日も4万円弱の支払い。本日の病院滞在時間は4時間強。

 病院を出て、駅ビルで遅めのランチを摂って、切りの良いところまで読書を進めて帰宅した。まだ暗くならないうちに家にたどり着けて嬉しい。
 夕方の時間から、ついつい普段出来ない洗濯やら食事の支度やらを頑張ってしまい、ちょっと疲れて珍しく胃痛が出てしまった。今日は早めに休まないと。
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2013.11.13 自宅 PC、メールのチェック頻度はどのくらい?

2013-11-13 21:35:57 | 日記
 一般的に、自宅パソコンのメールチェックを他人(ひと)様はどのくらいの頻度で行うのだろうか。
 私は、といえば基本的に一日最低2回だ。朝起きて一段落してからと、帰宅後、やはり一段落してから。かなりの早寝だから、前の晩遅くに頂いたメールは大抵翌朝のチェックになる。
 最近は、息子が受験勉強のために使うことが多いので、そこに割って入ってメールチェックをさせてくれ、ともなかなか言い難いものがあり、多分に遠慮がちである。
 そうはいっても、何らかの状況、例えば旅行で1週間不在とか、嬉しくないけれど“悪夢の緊急入院”とか、そうした間にはチェックするのは難しい。夫が家にいさえすれば、たとえ入院中でも、こういうメールが来ているけれど中身を確認しなくていいか、くらい訊いてくれるかもしれないけれど。

 先日、ある集まりのメンバーから、他のメンバーを介してご家族の訃報が届いた。そのメールが転送されたのは訃報から優に半月以上経っていた。当然のことながら、儀式は既に終わってしまっていた。
 お知らせした側としては、出来れば他のメンバーに知らせてほしいと思ってのことだったろうから、集まりの誰からも何のレスポンスもないことにがっかりしていたのではないか。
 連絡事項の文面が長いので、あえて携帯ではなくPCアドレスに宛てたのだろう。そして、友人の一人に連絡して、あとは良きに計らって・・・と彼女に委ねたつもりだったのだろう。
 だが、何とも間が悪いことに、その人がちょうどチェックが出来ない時期にかかっていたようだ。
 葬儀のゴタゴタの中で、自分が送ったメールが相手にちゃんと届いているか、連絡を託した相手が他のメンバーへ連絡をしてくれているか、再度確認なり催促なりするわけにもいかず、そのまま時は流れ・・・だったのではないかと推察する。
 
 さて、再び今日のお題―自宅PCのメールチェックの頻度は一般的にはどのくらいなのだろう。
仕事をしていれば、当然職場のメールチェックは毎朝(毎出勤時)、さらにはメールが来る都度処理をするけれど、こと自宅で毎日PCを開ける必要がなければ、そうそう毎日チェックなどしないものなのだろうか。

 自分が連絡する(してもらう)時には、その辺りも心して準備しておかなければいけないな、と思う。
 今では、携帯よりもスマホ。で、ちょっと長い文章でも相手がスマホであればなんら問題ない。PCよりも携帯している(筈の)スマホの方が、間違いなく連絡はつきやすいだろう。
 そして、第一報を誰に連絡するか、も思案のしどころである。限られた時間の中で、出来るだけ効率的に連絡を回したいわけだから、集合のベン図でいえば、ダブっているキーパーソンがいれば話は早い。

 今ではメーリングリストもあることだし、この集まりにはここ、この集まりにはこの人、という目星をつけてリストを作っておく必要があるかもしれない、と思わされた出来事だった。

 今日も快晴だったが、北風が冷たく、骨身に沁みるほど寒かった。ダウンジャケットにヒートテックインナーにロングブーツと手袋のフル装備。早くもこんなに着込んで1月2月は大丈夫か、とちょっと不安になってしまう。
明日は3週間ぶりの通院日。今週末は土曜日も出勤だから、もうひと踏ん張り、である。

  
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2013.11.12 “抗がん剤で思考停止”はもったいない

2013-11-12 20:47:39 | 日記
 何度もご紹介している朝日新聞のyomiDr.の高野先生のコラム。最新号にまた唸ってしまったので、以下、転載させて頂く。とても長文なのでエッセンスだけご紹介しようかと思ったが、どこも省略出来ず、全文である。

※   ※   ※(転載開始)

がんと向き合う~腫瘍内科医・高野利実の診察室(2013年11月11日)
近藤誠さんの主張を考える

2013年ベストセラーの上位には、こんな本がランクインしています。
「医者に殺されない47の心得」(アスコム)
 著者の近藤誠さんは、放射線治療を専門とする医師で、1996年に、「患者よ、がんと闘うな」(文藝春秋)という本を出して話題を呼んで以来、抗がん剤を否定する主張を展開しています。最近では、「抗がん剤は効かない」(同)や、「がん放置療法のすすめ―患者150人の証言」(文春新書)といった本も出していて、いずれもよく読まれています。
 近藤さんと私は、世代も、がん診療についての考え方も、かけ離れていますが、学生時代にボート部に所属していたこと、放射線科の医局に属して主に乳がん診療に取り組んできたことなどの共通点があり、それなりの親近感を持っていました。
 私が医者となって間もない頃(12年ほど前)には、患者団体の会報やシンポジウムなどで、近藤さんと論争を繰り広げたこともありますが、若造相手でも、きちんと話を聞き、真剣に議論しようという姿勢には好感が持てました。この頃は、「患者さんの幸福を第一に考える」という思いは共通していたように思います。
 ただ、最近の近藤さんの主張は、いきすぎているように感じます。医療界からの反発を浴び続ける中で、原理主義のように、極端な考え方に突き進んでいるようです。批判的な主張に対しては、揚げ足をとるような反論ばかりして、本質的なところは取り合おうとはせず、生産的な議論を避けているように見えます。

ベストセラー本と患者の戸惑い
 近藤さんの主張は次のようなものです。
 •抗がん剤に延命効果はない
 •抗がん剤に延命効果があるというエビデンス(臨床試験の結果)があっても、それは、腫瘍内科医が人為的操作を加 えたものなので、信用してはいけない
 •がんの治療は命を縮める(医者に殺される)だけなので、治療は受けずに放置するのがよい
 これらの主張をそのまま信じてしまう人は、必ずしも多くはないと思いますが、近藤さんの本を読む患者さんは、それなりの戸惑いを感じるはずですし、実際、医療現場では、混乱が生じています。
 「抗がん剤が効かないって本当ですか?」「がん放置療法をやってもらえませんか?」という言葉は、何度も聞きました。
 「家族(友人)から、抗がん剤なんてやってちゃダメだと言われて、困ってるんです」という悩みを聞いたこともありますし、「近藤さんの本を読んで、病院に行かなくなった知人がいます。家族の説得にも耳を貸さないみたいです」なんていう話もありました。
 近藤さんの本がベストセラーになっている背景には、現在のがん医療への不信感があるのも確かで、近藤さんの主張の誤りを指摘するだけでは、患者さんの混乱は解消しないでしょう。
 ここでは、近藤さんの主張の問題点を指摘しつつ、私たちに足りていなかったことも反省し、より生産的に、がん医療との向き合い方を考えたいと思います。

抗がん剤は「絶対ダメ」?
 近藤さんの主張に対しては、次の4つの疑問が浮かびます。
 (1)「抗がん剤は絶対ダメ」というのは思考停止では?
 (2)これって「エビデンスに基づく医療(EBM)」?
 (3)刺激の強い言葉で患者さんの不安を煽っているだけ?
 (4)そもそも、「抗がん剤が効く」ってどういうこと?

 今回は、(1)について考えます。次回以降は、(2)~(4)を取り上げながら、これまでの連載で論じてきたことを振り返り、「(近藤さんの本を読んでも)冷静にがんと向き合うためのコツ」を考えたいと思います。
 抗がん剤について、近藤さんは、「絶対ダメ」と否定します。ここが、近藤さんの出発点であり、基本的原理ですので、その原理に反することは、ことごとく否定します(こういう姿勢を、「原理主義」と言います)。
 抗がん剤の有効性を示すエビデンスがあっても、近藤さんは、エビデンスが間違っていると主張しますので、誰かが、エビデンスに基づいて反論しても、議論がかみ合うことはありません。
 「抗がん剤は絶対ダメ」というのが結論で、それ以上は思考停止してしまっているようです。近藤さんの主張に共感する患者さんは、「抗がん剤についてこれ以上考えなくてよい」という部分に惹かれて、近藤さんと同じように、思考を停止してしまっているのかもしれません。
 近藤さんに言わせると、私のような「腫瘍内科医」は、「抗がん剤ワールドの住人」という悪者です。患者さんがどうなろうと、製薬業界や自分自身の利益のためだけに抗がん剤を使いまくる存在のようです。
 「抗がん剤」と「腫瘍内科医」を悪者とする「善悪二元論」が徹底していますね。
 でも、腫瘍内科医の実像はだいぶ違います。腫瘍内科医は、「抗がん剤」の専門家ですが、「抗がん剤を使いまくる」ことはありません。抗がん剤のいい点も悪い点もよく知っているからこそ、「抗がん剤を使うか使わないかを適切に判断すること」にこだわります。

使うかどうか、適切な判断こそ重要
 私の診察室には、いろんな患者さんが来られます。「とにかく、なんでもいいので、抗がん剤を使ってください」と訴える患者さんもいれば、前回紹介したUさんのように、「何があっても、抗がん剤治療は受けません」と言う患者さんもいます。
 腫瘍内科医は、そんな患者さんの思いに耳を傾けつつ、患者さんにとってマイナスに働く可能性が高ければ、抗がん剤をやめることをお勧めし、プラスに働く可能性が高ければ、抗がん剤治療を受けることをお勧めします。
 プラスやマイナスというのは、言葉で言うのは簡単ですが、実際には、リスクとベネフィットの微妙なバランスから導かれるものであり、「何のために治療をするのか」によって、その方向性は違ったものになりますし、患者さんの価値観によって、プラスやマイナスの受け止め方も様々です。
 とにかく、患者さんやご家族とじっくり話し合い、納得できる方針を決めることが重要です。病状によっては、ギリギリの判断を迫られることもあるわけですが、そんな状況でも、患者さんにとって最善の治療方針を考えるのが、腫瘍内科医の仕事です。
 「抗がん剤は絶対ダメ」とか、「抗がん剤は絶対やらなきゃダメ」と思いこんで、それ以上の思考を停止してしまうのではなく、治療目標をよく考え、リスクとベネフィットのバランスを慎重に考え、抗がん剤を使うかどうかを適切に判断することが重要なのだと思います。
 「抗がん剤をやるかやらないか」という線引きが、重視されすぎているような気もします。抗がん剤にこそ希望があって、抗がん剤をあきらめたら絶望しかない、と思い込んでいる患者さんも多いようです。抗がん剤をやるかやらないかで運命が変わるというイメージです。こういうイメージが蔓延しているからこそ、その線引きにズバッと斬りこんだ近藤さんの本がベストセラーになったのかもしれません。

どう病気と向き合い、どう生きるか
 でも、本当に重要なのは、「抗がん剤をやるかやらないか」ではなく、「どのように病気と向き合い、どのように生きていくか」ということです。そこをきちんと考えて、抗がん剤をやった方がよいと思うならやればいいし、やらない方がよいと思うならやらなければいいわけです。
 私の診察室にやってくる進行がんの患者さんの中には、抗がん剤治療をしていない方もたくさんおられます。近藤さん風に言えば、「がん放置療法」をしているということになるかもしれません。でも、そういう患者さんも、抗がん剤治療を続けている患者さんも、それぞれの人生を歩んでいる点に違いはなく、私の方で、特に区別して接するようなことはありません。抗がん剤を使っていても使っていなくても、みんな、私の大事な患者さんであって、「放置」しているなんて考えたことはありません。
 抗がん剤についてはともかく、「どのように生きていくか」についての思考は停止しないようにしたいものです。

(転載終了)※   ※   ※

 近藤誠先生の本「患者よ、がんと闘うな」は、初発の病気休暇中、がんに関する本を手当たり次第読んだ時に拝読したし、それ以降も先生の著作は何冊も読んでいる。最近では「どうせ死ぬなら『がん』がいい」や「『余命3カ月』のウソ」等も読ませて頂いた。
 初発の術後、ナースステーションで夫とともに当時の主治医であるS先生から病理検査の結果を聞いた時、「ごく早期で(リンパ節転移もないし)低リスクだから術後の抗がん剤は必要ない」と言われ、肩の力が抜け、本当にほっとしたのを今もリアルに覚えている。
 まあ、結果として3年経たずして再発したけれど、冷静に考えてみると、その後数年にわたる抗がん剤治療を行っていなければ、今まで延命は出来なかっただろう、と思う。

 けれど、先日も書いたように、この後、最後の瞬間までずっと抗がん剤に振り回され続けてヨレヨレになって人生を終わりたいとは思っていない。
 抗がん剤が延命してくれる期間と抗がん剤により逆に命を縮めてしまう期間には、必ず分岐点があるように思う(これは朝日新聞の医療サイト・あぴたるに連載中のコラム「町医者だから言いたい」で長尾和宏先生も書いておられる。)のだ。
 だから、出来れば自分の体の声を信じて、いいとこどりを出来るように(限りなく目一杯、治療により延命の恩恵を被るとともに、出来る限り治療による縮命を避けるタイミングを)見極めたい、と思う。

 そう、どのように生きていくか、どう自分らしい人生を送っていくか、は人として生きている限り一生の課題だろう。
 何事にも絶対はない、と先日、同じくyomiDr.連載中の緩和医療医・大津秀一先生のコラムを紹介したときにも書いたけれど、今回もこのことを強く思う。
 人はついつい“絶対”を求めようとしてしまうけれど、そもそも絶対など、ない。“絶対”を求めようとすると、必ずどん詰まる。
 だから、絶対は、ないということ、想定していないことも重々ありうるということを常に頭におきたい。そして、自分にとって出来れば起きてほしくないこと、あってほしくないことが起こった時も、嬉しくないけれどこれまた想定内なのだ、と落ち着いて、その都度その都度、うまく微調整して方向転換をしながら、自分なりに折り合いをつけて、その時その時のベストの選択をしていきたいと思う。
 最悪のことが起こることを念頭に置き、(絶対は無理だけれど)それを回避するために、次なる策を用意しておく、あるいは起きたら微調整してことに当たる。
 考えてみれば、仕事を進めていくうえでもそれと同じことをしているではないか。要はいつもの通りに対処する、ということなのだ。

 そう、私の主治医である腫瘍内科医のA先生も高野先生がおっしゃるとおりの方だ。「抗がん剤」の専門家だけれど、決して「抗がん剤を使いまくる」ようなことはしない。穏やかに、そしてはっきりと「抗がん剤を使う期間は、短ければ短いほどいいのです。」とおっしゃる。
 そして今も私の希望に耳を傾け、出来るだけホルモン治療と分子標的薬の併用期間を粘り、毎月丁寧に経過観察しながら次の抗がん剤へのチェンジを辛抱強く待ってくださっている。
 私がこの病気と少しでも長く共存していく上で、「なんでもいいから抗がん剤を」はあり得ないし、「何があっても抗がん剤は嫌」もあり得ない。
 うまくバランスを取りながら、いいとこどり、すなわちリスクは出来るだけ小さく、ベネフィットは出来るだけ大きく。これが一番ではないだろうか。抗がん剤で思考停止してしまうなんて、あまりにもったいないではないか。
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2013.11.11 冬支度を粛々と

2013-11-11 21:19:16 | 日記
 週末だというのに2日間、ブログの更新ができずじまいだった。
 
 土曜日は息子を送り出した後、腸内デトックスヨガに出かけ、スッキリ。その足で都心ホテルまでプチ虹のサロン・月例会へ向かった。残念ながら朝になってSさんから発熱のため欠席、という連絡があり、今月も前回に引き続き3人での開催となった。いつものように、一体いつ5時間も経ったのやら、と思うほどたっぷりお喋りをした結果、1日出ずっぱり。帰り道、雨に降られて傘を買って帰るというアクシデントはあったけれど。

 昨日はさすがに草臥れて、朝、目が覚めてからもなかなか起きられず。唯一寝坊が出来る日曜日ということもあって、気持ちが弛んでいるせいか、痺れを切らした夫に朝食の支度をさせてしまった。
 遅い朝食を摂っていると、まだ届かないだろうと思っていたフリースの掛けカバーやシーツ等一式が早々と届いた。せっかくだからそれでは・・・ということで全て掛け替えて、これまで使っていたものを大洗濯。あいにくうんとお天気が良く洗濯日和というわけでもなかったけれど、この際ということで、すっかり遅れていた衣替えのための洗濯もエイヤと済ませた。
 何が嬉しいかといえば、この季節はお助けメニューの鍋や煮込み料理が活躍することだ。準備は楽だし、温野菜は沢山とれるし、洗い物も断然楽で一挙両得以上である。

 入浴後は新調した暖かい寝具に囲まれて、あっという間に眠りに落ち、今朝はお布団から出るのが辛かった。そして、また新しい1週間が始まった。
 
 僅か1ヶ月半ほど前、9月のお彼岸頃には「まだ暑い」などと言っていたのが嘘のように、すっかり晩秋の候となった。この辺りでは早くも紅葉の盛りが過ぎているようだ。
 今日の夜は冷えるので冬のコートで、と天気予報でアドバイスがあったので、素直に従ってダウンジャケットとショートブーツをおろしてしまった。
 もちろん、既にヒートテックのタートルネックインナーやタイツにはご登場願っている。勤務先ではどんなに寒くても、相変わらず杓子定規に12月の声を聞かないと暖房が入らないから、どうあろうと自己防衛するしかない。とにかく風邪を引くといきなり体調悪化に結びつくし、熱でも出ようものなら治療に影響が出る。インフルエンザの予防接種は終えたものの、手洗いうがいを励行して風邪を引かない、に限る。

 それにしてもあまりに寒い、と職員が倉庫から電気ストーブと加湿器を出してきてスイッチをつけた途端、ブレーカーが落ちて、無線LANもネットも机上のスタンドも全てダウンしてしまった。最大電気量の設定がまた下がったのかどうか・・・。

 今週は定例の都心会議と通院日、さらには土曜日にイベントがあって出勤するため、6日勤務となる。長い1週間になりそうだ。

 予報通り帰路は寒かった。案の定、木枯らし一号だそうだ。明日もうんと冷え込むという。寒い→痛いにならないように十分暖かくして出かけなくては。  

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