ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2020.7.10 そして4年、父祥月命日に思うこと

2020-07-10 20:26:48 | 日記
 今日は父が亡くなって4回目の祥月命日。休暇を頂き、母と墓参に行くことにした。
 週初めからずっと天気予報を睨んでいたが、最初は曇りと出ていたのに、曇り時々雨、が曇りのち雨、と段々雨の確率が高くなってきた。九州をはじめ、今年もまた非情な豪雨に見舞われた方たちのことを思うと、本当に申し訳ない思いだが、朝、外の雨降りを見てちょっとがっかりする。

 普段通り起きていつも通り夕飯の下ごしらえ。朝ヨガ・瞑想を済ませ、夫を送り出す。今週は、朝食後のロキソニンに加えて、出勤前にコデインを飲まずにはいられないほどの痛みが続いている。昨日まで週4日連続勤務で既に顎が出た感じ。ちょっと愚痴を言うと、夫が「もう無理しないで退職したら?」と言うのでなかなか言い難いのだけれど。あと1年9か月、なんとしても定年まで勤め上げたいと仕事にしがみついてきた。けれど、東京の感染者数の増加を横目に、在宅勤務が一旦終了になっていることを考えながらついつい弱気になる。

 今日は母との待ち合わせまでまだ時間があり、少しゆっくり出来るので、とりあえず朝食後のロキソニンだけで様子を見ようとしたが、痛くてたまらない。ソファと一体化して横になってじっとしていても我慢出来ない。結局、いつもより1時間遅れでコデインを飲んだ。ちょうど母から「今日は待ち合わせの場所を動かないから。」という電話があった頃だ。愛想のない受け答えをする。そして1時間近くしてようやく動けるくらいに痛みが落ち着いてきた。もっと早く飲めば良かったと後悔することしきり。

 お化粧をする元気もイマイチなかったが、この顔色の悪さではちょっと・・・、とのろのろ身支度をして、家を出る。雨は小止みになったかと思うと、また風とともに音を立てて落ちてくる。迷った末、晴雨兼用の小さな傘を止めて、大きな雨傘を携えた。駅前のスーパーで供花を求める。さすがお盆が近いと見えて、普段よりかなり高めの値段である。まあ年に1度の命日だし、と少し張り込んで賑やかに2束にカスミソウ1束足して、2つに分けてボリュームアップすることにした。

 母が乗るバスが到着する時間よりちょっと前に待ち合わせ場所の長椅子に座る。普段は早めに着いたから、とその辺をウロウロしているのですぐに見つからないことが多いのだけれど、今朝はわざわざ電話があったくらいだ。それなのに姿が見えない。10分ほどすると公園墓地のシャトルバスがロータリーに到着する。既に母が乗ったバスが到着する予定時間より10分以上遅れている。携帯に電話をするが、何回鳴らしても全く出ない。

 シャトルバスの前でジリジリしながら待つ。何かあったのではないか、雨で足元が悪く滑って転んだのではないか等々良くないことばかり思う。発車迄あと1分のところで、もうこれは無理だ、タクシーだなと思ったら、停留所から母の姿が見えた。一生懸命小走りしようとしているが、こんなところで転ばれたら大変だ。「走らなくていいから」と声をかける。シャトルバスには既に1組の女性客が乗り込んでいた。ギリギリで滑り込めた。

 シャトルバスが発車して、「心配で何度も電話したけれど出ないし、どうしたの?バスが遅れたの?」と訊くと、「携帯は要らないと思って、持ってこなかった、大丈夫だと思って」と言う。???一体何が大丈夫なのか意味が分からない。こういう時のための携帯ではないのかと思うが、車内で怒るわけにもいかず、ぐっと我慢する。

 イライラして待っているうちに痛みがぶり返し、どんどん不機嫌になる私。嗚呼、アラ還になっても人間が出来ていないのは間違いないが、どうして毎回母はこうなのだろう。ため息が漏れる。五十日(ごとおび)で週末、雨ということもあり、道路が混んでいたそうだ。余裕をもって出たのだがバスが遅れたという。乗る予定だったバスは到着が10分以上遅れて時間通りに折り返しできず、欠便になったようだった。
 そういうことも携帯で話が出来れば何等問題がなかったのに・・・と、また性懲りもなくイラっとするが、母は同じことを繰り返す。

 そうこうするうちに順調に公園墓地に到着した。外は少し青空になってきている。ひとまず墓参の時に雨が止んでくれていて本当に良かった。前回、事務所で火を点けたお線香が急に大きく燃えて、ロングスカートに焦げ穴を作ったのに懲りて、今日は母がマッチを持ってきて墓前に行ってから火を点けるというので任せることにした。それでもなんとなく湿っているのか、なかなか点かない。私はお花を準備して水をかけて、お線香の準備が出来るのを待った。

 4年前の7月10日の早朝、母から、父の容体が急変したという連絡があった、という電話で起こされ、急ぎ病院に到着したけれど、既に父は息絶えていた。6月末、浴室で尻餅をつき、腰椎圧迫骨折のため救急で整形外科に運ばれた時は、食欲も旺盛で、まさかこのまま還らぬ人になるとは誰も思わなかった。だが、あっという間に誤嚥性肺炎となり、それが命取りになった。本当に入院から内科に移ってあっという間のことだった。

 葬祭場の関係で、母の83歳の誕生日であった16日が告別式。前日の通夜までは、丁寧に湯灌をしてもらい、病院であれほど帰りたいと何度も繰り返していた自宅で最後の数日間を送ったのだった。
 「亡くなった日は〇〇さん(従姉)が(実家に)先着して、お布団の用意をしてくれて本当に有難かったね。」、「お父さん(夫)が皆のお弁当やお茶を買ってきてくれたね・・・。」等と当時のことを思い出し語りながら、母と帰りのシャトルバスを待った。

 駅前のレストランで母とランチ。ひとしきりお小言を言ったのでなんとなく後味は悪いし、なんと言っても痛みで全く笑えない。まもなく誕生日を迎える母に、先月の旅行のお土産と、先日失くしたと聞いた眼鏡ケースを渡した後は、ただひたすら黙々と食事をする。

 母が先日の介護保険の書類が届いたと言って出して見せたり、楽しそうにデイサービスの話等するが、苦虫を噛み潰したような顔で相槌を打つのが精一杯である。スープから始まってメイン、デザート、お茶まで母は私よりもしっかり平らげた。こちらは急いで食後にロキソニンを飲む。

 お茶を飲み終え、少し買い物でもしたいの?と訊くと頷くので、アウトレットモール経由で近くの停留所からバスに乗って帰ってもらうことにした。といっても欲しいものがあるようでもなく、靴下だけ買うと「足がだるくなってきた。」と言う。こちらも早く帰って横になりたいので、「ではもうお帰りください。」とバス停へ。タイミングよく殆ど待たずに目的地往きのバスが到着。乗り込み、席に着くのを確認して、見送った。

 それにしてもしぶとく痛い。胸骨付近がメインで痛かったのが、肋骨まで広がると上半身全部痛いといった具合。仏頂面のまま帰宅して誰に当たることも出来ず、最低限の片づけもの。あとは夫が戻って来るまでまたソファと一体化。夫が帰宅してからおもむろに起き上がり、何とか頑張って夕食の準備を整えた。

 明日はオンライン瞑想ヨーガの日である。この後、スタッフの方たちとZoomの打ち合わせである。どうかクラスの間中痛みが出ませんように、きちんと声が続きますように、と祈るのみである。
 
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