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ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2025.6.2 退院から1か月 MRIとレントゲン撮影、夫は今日から入院 

2025-06-02 19:50:42 | 治療日記

 昨夜はブログアップ後にドラマを視てから入浴。夫から入浴を勧められたが、栓が抜けていたトラブルがあり、先に裸になるのではなかったと思うが、後の祭り。
 結局、MSコンチンとタリージェを飲んでから入浴して、もろもろのケアを終えたら久しぶりに日付が変わってからの就寝となった。咳と息苦しさがベッドに入るとなんとなく鎮まってくれるのが有難い。

 今日で退院から1か月。真っすぐ歩くことも倒れずに座っていることもままならなかったことを思えば、こうして家の中では掴まることもなく不自由なく歩けるようになった回復度合いには感謝しなくてはなるまい。

 今朝は気が張っていたのかもアラームが鳴ってすぐに目が覚め、そのままお手洗いを済ませリビングに行った。家を出るまでにまだ2時間半たっぷりある。
 朝食を摂り、身支度を済ませる。ごみをまとめ、花の水切りをする。一番最初に花開いていた芍薬は花びらが大分落ちてしまった。

 夫は今日から最短2泊3日の入院で、キャリーケースを持参である。電車が遅れているようだとの情報を得て、タクシーを早めに呼ぶ。順調に駅に到着し、予定より1台前の電車に十分乗れる算段だったのに、その電車が運休になったことを知る。
 始発駅が混んでいる。乗り換える予定だったJRは次の快速になってしまい、20分の遅れ。ネット情報では、遅延の原因は駆け込み乗車をした人のリュックの紐がドアに挟まり、それを外そうと駅員さんが5人がかりで対応したからとのこと。駆け込み乗車はどうか止めましょう、である。

 車内のお供は小川糸さんの「今夜はジビエ」(‘幻冬舎文庫)。
帯には「薪ストーブの前でワインを愉しんだり、庭にハーブや野菜を植えたり・・・、森の中の山小屋で暮らすことにしました」とある。1月から始まる日記エッセイ。糸さん節を味わいながら読んだ。今日は3月まで進んだ。続きはまた明日、だ。

 病院最寄り駅に到着したのも当初予定の20分ちょっとの遅れ。人が多い。ぶつかりそうで怖い。用足しをしてタクシー乗り場に向かう。病院到着はMRI予約時間の1分前。滑り込みセーフのチェックインではあるが、15分前には到着するように言われているので遅刻だ。
 放射線科受付の2階に行くと、MRIの受付は地下だと言われ、ここで5分のロス。エレベーターで地下1階に行き受付を済ませて待合室に入る。既に撮影開始予定時間から10分以上過ぎている。

 ふと、4月に撮影した時のことを思い出した。そう、ここでは全部脱いで撮影するのだった。これは思いのほか時間がかかりそう。更衣室で検査着に着替え、呼ばれるのを待つ。25分遅れでようやく検査室に入る。
 金属もプラスチックもご法度なので、ピンが付いているカツラも外さないとならない。マダラ禿げ頭で、誰が指をさして笑うわけでもないし悪いことをしているわけでもないが、自然と下向き加減になる。
 耳栓をして待つ。前回の装置とは違うようで、背中のシートや耳栓が外れないようにあてられたカバーがやけに暖かくなってくる。

 最初の撮影が20分以上、続いて造影剤を入れて6,7分と言われたが、優に10分ほど経ったように思った。相変わらず凄い騒音だが、それは特に気にならない。造影剤を入れる前、前回はなかった暖かくなる感じについて質問したら、装置が3台あるが、機械によって違いがあるので心配はないとのこと。

 終了したのは12時近く。夫は午後1時指定の入院なので、もう間に合わないとかなりイライラしているのが伝わってくる。お昼は摂れない、という。申し訳ないけれど、いかんともしがたかった。
 病院に到着した時にもう一人で大丈夫だから、とそのままがんセンターを目指して貰えば良かったが、MRI待合室までついてきてくれたので荷物を見ていてもらったため、先に行ってというわけにもいかず。これも後の祭り。
 焦る夫に謝って別れ、今度はレントゲン撮影のため、再び2階の受付へ。バーコードで番号を取り、こちらは殆ど待たずに呼んで頂く。いつものようにブラトップと無地のニットを着てきたので着替え不要のつもりで写して頂いたら、なんとプラスチックがついたスリップを着ていたことが分かり、大慌て。申し訳ないと謝りながら映らないようにして正面と横向きの2枚撮影し、無事終了。

 ここで1階の会計に移動。4月の初めの通院時にも付き添いをお願いした高校時代の友人Aちゃんがこの後は同行してくれる。会計を済ませ、Aちゃんが待っている院内カフェで合流。終了予定時間より小一時間遅くなってしまい平謝り。そこからタクシーで駅迄移動し、駅ビルのイタリアンに入る久しぶりの再会だ。夫は昼抜きでは可哀想、何か食べてね、と連絡したら、お昼を食べてから受付すればよいと言われたそうでひとまずほっとする。

 パスタとピザを取り分け、前菜からデザートとお茶までフルコース。たっぷり2時間以上喋り倒した。LINEでお喋りすることはあってもリアルで喋るのはやはり大きな気分転換になる。辛かった入院生活のことを愚痴ったりして、すっかりガス抜きをさせてもらった。
 帰りも空いた電車でしっかり席を確保して、乗換駅まで喋りっぱなし。最寄り駅でお別れしてタクシーで帰宅した。無事帰宅したことを夫とAちゃんにLINE連絡。

 入院した夫からは個室の写真等が送られてくる。かなり厳重である。今日はもろもろの説明のみで、治療は明日。退院後も色々な制約があるようで大変だ。
 夕飯はありあわせで適当に頂く自由さを愉しんだ。母にも定時連絡を済ませ、いつものように問わず語りの昔話等を聞いた。これから早めに入浴してベッドに向かう予定だ。

 明日は、明後日の朝一番の診察に備えて前泊のみ。病院には行かない。前回緊急入院のためキャンセルした爪センターの予約だけ入っている。そして明日もまたAちゃんが、自宅最寄り駅からホテルまで付き添ってくれる。
 まさか夫の入院と見事にバッティングするとは思いもよらなかったので、Aちゃんにこんなに何度も出動頂くことになって申し訳ない限り。それでもそのおかげでテンポよいお喋りが出来て、久しぶりに外の空気を感じられる有難さといったら。

 今日は明日に備えて夫にはゆっくり休んでもらいたい。私も1日頑張ったので早めに休んで明日を迎えたいと思う。




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2025.5.20 入院日記番外編

2025-05-20 22:18:29 | 治療日記

 入院日記はひとまず、5月3日の退院日まで追いついた。入院日記番外編として、入院中の気づきについて少し書き記したいと思います。

みんな同じ顔に見えるけど

初めての脳神経外科病棟に入院してから早いもので10日以上が経った。最初はここの掟がわからず、私の下半身の尊厳は一体どこへ・・・、とかなりショックを受けたけれど、こうして10日以上お世話になってみると、少しずつ仕方ないのだなと思えるようになってきた。
日々、諸々の危険と隣り合わせでいる患者を転倒等から救うめためには、彼女たちの過酷なほど忙しい日々から生み出されたルールが、この病棟で必要なのだった。 
   
 最初はどの顔も同じに見えた。若い人たちは皆同じユニフォームで、同じ後ろで一つ縛りの髪型。お化粧も似ているし、年恰好は同じ。話し方も声までも似ている。マスクをしているから顔は目の部分しか見えない。
横になって、下から名札を確認させて頂くこともできないし、誰が誰なのか、一応担当交代で挨拶はしてくださるが、ぼ―っとした目と頭にはとてもすっきりは入ってこない。
結局、誰に対しても「看護師さん」と呼ぶ羽目になるが、出来れば名前を覚えてちゃんと呼びたい。

年配の方はすぐに覚えるし、ヘアスタイルが違う方はこれもすぐ覚えてお名前でお呼び出来るが、若い人たちでも担当にならずに部屋に見えない方も相当いるし、この病棟で40人近くの看護師さんのお名前全てを入院中に覚えられるかどうか。


初期症状と副作用の見分け方

 今回、夫と私は奇しくも同じような冷や汗物の経験をした。夫は希少がん治療で想定外の糖尿病をもらってしまった。予備知識があれば避けられたのかもしれない。不勉強を恥じ、ちょっとググれば糖尿病の初期症状サインはいくつも出ていた。
 アフィニトールの副作用(発現率は低い)である頻尿と信じ、糖尿病の初期症状である多尿や足の攣り、だるさとは思わず、水分補給には水だけではだめだから、アイソトニックドリンクでないと、と糖分たっぷりのポカリスエットを1日に2リットルも飲んでいた。
 さらに、口内炎と味覚異常から食欲不振で、口当たりのによいデザートをせめてカロリー補給に、といってたんと食べていた。そんなことはやってはいけなかったのに。

 そして私も同じ。眠気、ふらつき、物忘れの増加は全てMSコンチンの副作用であるとともに、転移性脳腫瘍の初期症状であった。これもMSコンチンを飲み始めた頃から出てきた副作用だったので、自分の身体の声を聴くのにちょっと油断してしまったのかもしれない。
 それでもとにかく、滑り込みで治療が間に合ったことはラッキーと言わざるを得ない、既にふらふら歩いていたことは下の階の奥様から指摘されていたことだった。
 今回のようにジャストマッチの副作用が出た時にどちらが正しいと思うか、どうしても人は自分に都合よく考えたがるから難しい。まさか20年経って脳転移とは、となんとなく自分は大丈夫という甘えた気が起こしたことだった。



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2025.5.17 退院から15日目のこと 泌尿器科卒業、午後からは息子夫婦来訪

2025-05-17 22:27:32 | 治療日記

 昨夜はブログアップ後に保険会社から届いていた通知を思い出し、自分の入院保険請求書類を作成する。以前は医師の診断書等が必要だったが、近頃では領収書と診療明細等の写しだけでOKとのこと。頑張って夫の分と2人分作成し、明日投函するところまでこぎつけた。それにしても、何度も見直しながら資料を仕上げるという事務作業も今ではかなりハードルが高くなっている。
 目も頭も草臥れてMSコンチン等を飲んで入浴。さっさとベッドに入る。咳も喘鳴も鬱陶しいしやはり心拍数は3桁だし、入浴時も入浴後も気持ち良いけれど、息切れがする。

 よく眠り、明け方お手洗いに行ったのは4時過ぎだった。すぐに眠れずスマホを触ってぐずぐずしながら、土曜日仕様のアラームで起きてBS朝ドラを視てからリビングへ。今朝はSpO2が93、心拍数は100だった。
 今日は午後から来客があるので、午前中、泌尿器科に1週間抗生剤を飲んだ結果の状態を見て頂くための受診だ。

 朝食後、身支度を済ませる。あいにくの雨なので杖を突いて歩くのは諦め、タクシーで駅前のビルまで。入口からかなり遠い所で止められてしまったので、傘を差しながらとぼとぼ歩く。クリニックは、混んでいたら先日のように時間がかかるかな、と思ったらどなたもおらず1番バッターだった。

ほどなくして呼ばれ、尿検査。出がけにお手洗いを済ませてしまって失敗。今日も5mlしか摂れなかったが、前回の茶色の尿と違って色は普通だった。
 そこから15分ほど待って診察室へ。前回は大腸菌が出ていたけれど、薬に良く反応して今日は問題なし、と薬の処方もなく無事帰して頂いた。また繰り返さないようにしなくては。

 夫の昼食をコンビニで調達し、タクシーで帰宅する。
 帰宅後は、ずっと手を付けられなかった夫の帰国後緊急入院にかかる海外保険の請求書を作成する。途中でMSコンチンを飲むのも忘れ、はっと気づくともうお昼を過ぎてしまった。書類はまた後で作成することとして急いで昼食。レンチングラタン。夫の薄味になれてしまって、やけに味が濃く感じる。

 1時からのお客様との面談のため、昼過ぎに息子夫婦が来るということだったが、タクシーで少し早めに到着し、あたふた。
 1週間遅れで母の日の花束を貰った。花はお嫁ちゃんが選んでくれたといい、今の季節だけのシャクヤク、八重のトルコキキョウ、カラー、アルストロメリア等白を基調とした私の好きな花ばかりの上品な花束。ありがとう。早速花器に投げ入れて食卓に飾った。とても綺麗。

続いて今日のお客様も到着。息子夫婦同席でもろもろの説明等を聞き、署名捺印等を済ませたら1時間近くかかっていた。仕事を辞めてからこんな機会はなかなかないので、正直疲れた。おいで頂いた方は私と同い年というが、元気ならまだまだ働けるのだなあとしみじみ。

 ゲストがお帰りになってから、4人でお茶。夫は甘い物は食べられないのに、今日は低血糖気味ということでお土産のシュークリームをちょっぴり頂く。2人は結局昼抜きになってしまったというので、可哀想。
 それから頂き物のマスクメロンを頂く。上品な甘さ、ジューシーでこの前のアップルマンゴーのお返しという感じ。旬の果物は本当に美味しい。これも夫はしかと味見をしていた。

 さすがに朝の通院、打ち合わせでちょっと疲れてソファに横になったが、皆に申し訳ないので自室でお昼寝させてもらうことにした。2人は特に今日急ぎの用もないので夕飯を一緒に摂ってくれるという。

 しっかり2時間以上お昼寝をして復活。その間3人はアクション映画を観たそう。タクシーで駅前まで向かい、久々にオムレツレストランへ。皆でそれぞれ好きなものをオーダー。マンゴー好きのお嫁ちゃんは、食後にマンゴーのデザートドリンクをチョイスしていた。お腹一杯で先にタクシーに乗り込むのを2人に送ってもらって帰宅した。

 今日はあれこれ多忙な土曜日だった。膀胱炎は完治したし、本来は4月末に行う予定を繰り下げてもらった面談も無事済んで、2人にも会えて、母にも皆の声を聞いてもらう時間に電話が出来て良かった。

 明日は今週初めて何も予定がない日だ。ゆっくり起きてのんびり家事が出来たらと思う。


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2025.5.15 退院13日後のこと 訪問看護師さん&ケアマネさん来訪、 午後はヘルパーさんお掃除再開、その後は・・・

2025-05-15 23:18:48 | 治療日記

 昨夜はブログを書いて、MSコンチンとタリージェ、そして膀胱炎の抗生剤を飲んで入浴したら日付が変わっていた。そこからベッドへ。しつこく喘鳴と咳が出るが、静かにベッドに入って暫し我慢したら何とか落ち着いて無事眠りに付けた。


 今朝も6時前に目覚めてお手洗いに。その後ぐずぐずして朝ドラをBSで視て、スマホの返事をしたりするうちにまたウトウトしてしまい、夫が起こしに来た。
 今日は午前中に月1度の訪問看護師さんが来訪してくださる日。昨日ケアマネさんから連絡があり、今後のことがあるので30分ほど遅れて同席させてほしいというご連絡があったのでOKする。
モタモタしているうちに、ろくに片付けもせず時間になってしまう。

 看護師のMさんとお目にかかるのはかなり久しぶり。確かトルコから緊急帰国してすぐのことだった。夫は挨拶をして直ぐに、予約済のクリニックに出かけた。Mさんの変わらず元気で一生懸命なところにこちらも元気を頂く。まずはその後の入院状況等をご報告していると時間どおりにケアマネOさんのピンポンが鳴り、3人で話を進める。 

 血圧は96-72、SPO2は98、心拍数は100、熱は6度2分。聴診器を当てて頂くと、右はやはりギーギーと狭窄するような感じの雑音が大きく聞こえ、それに反応してか左も雑音がするとのこと。今後、訪問診療のドクターを選ぶとなると、呼吸器に特化したというよりも総合内科医のような存在になるだろうという。夜間も祝日も同じドクターが変わらず来てくれる方が安心なのでは、と。

 ここで、実は初発の手術をした病院で緩和ケア病棟の予約は済んでいる、という話をすると、ならば呼吸器のケア、オピオイドのケアの2本柱でやっていくには全く問題がない、との結論。
 打ち合わせの後、Mさんに、今通っている病院の患者サポートセンターO看護師に電話で連絡してくれるように言われている旨お伝えした。Mさんはこの後職場に戻り、他の看護師の意見も聞いてみるとのこと。8人の看護師さんが控えているそうだ。

 これからも安全に安心して生きていく力をサポートするのが目的で、味方が増えていくワクワク感がある、と仰る。なるほどそうだ。
 一つだけ約束してほしいと言われる。考え事は日暮れまで、夜はしないこと。どうしても夜はネガティブに流れてしまう、との心配からだ。けれど、最近は悩む時間もなく眠くてたまらないのでそれは大丈夫、と。
 自分の幕引きをいかんせんと考えていながら、どうもいまだに他人事のように客観的な自分が見ている感じが抜けない。だから人に伝える時もわりとさらっとしているのかもしれない。

 今後はMさんを含めもう一人の看護師さんが隔週で来てくださることになった。心強い。やはり1か月に1度ではもの足りないと思っていたので。
 持ち時間は今日も1時間半をたっぷり使い、お二人を見送る。暫くして夫が帰宅した。検査は問題なかったようだ。ほっとする。もうこれ以上勘弁してください、神様、という感じだ。
 
 ほどなくしてMさんから電話。今日は多忙なOさんと直ぐに繋がって話が出来たので、予定より早いけれど報告です、とのこと。Oさんと話したところ、自分たちと同じ考えで、この方向で進めましょうということになったようだ。沢山の専門家が、いかにしたら私がこれまで通りの生活を出来るだけ長く続けられるかについて考えてくださっている。申し訳なくも有難い限り。


 お昼は夫が、お友達が送ってくれた“待ってたトマト”をたっぷり使ってパスタを作ってくれたので有難く頂く。お腹一杯になったと思ったらもうヘルパーさん来訪の時間。
 「お掃除に来る前に綺麗にしておこうとする必要はありません。ヘルパーが来るのがストレスになってはいけないから。」というお話を真に受けて、ほぼ何もしないでお迎えした。今日もヘルパー会社代表のAさんが書類を持っていらして若干説明をされた後、担当してくださるTさんに引き継いでいかれた。
 1時間仕事をされて、私は認印を押し、口座振替がまだなので3月のお支払いを現金で済ませた。

 お帰りになった後、久しぶりに(2か月ぶり)どうしてもカフェのドーナツが食べたい、と頑張って杖をついて駅迄歩いた。時間はかかったが、よろめくこともなくカフェに到着。やった!大進歩。
 夫はブラックコーヒーで、私はいつものようにラテに蜂蜜トッピングとアールグレイミルクのドーナツを夫の前でぱくつく。普段半分も食べられないのに、夫に一口だけ味見してもらって後は全部引き受けたら、食事前なのにお腹一杯になってしまった。夫は「もうフラペチーノも卒業したぜ(涙)。」とのこと。

 スーパー等で買い物を済ませ帰りはタクシーで。
 さすがに疲れて諸々片付けてからお夕寝タイム。結局、2時間爆睡して夕食はかなり遅い時間になった。
 母に電話。今日はちゃんと携帯をキャッチ出来た。「昨日はおかしくてごめんね。」とのこと。今日出来たことが明日出来なくなる、というのはとても他人事ではない。私も気を付けなくては。

 従姉妹に我が家に来てもらう話については、従姉に連絡をして日程調整をお願いした。母も4人で逢えれば幸せだろう。




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2025.5.14 退院12日後のこと 腫瘍内科診察 ランチは3度目の正直、お礼の焼肉で満腹

2025-05-14 23:20:14 | 治療日記

 昨夜は夕食から戻ったらもうぐったり。早めに入浴させてもらい(お風呂椅子は便利だった。)ひょろひょろ抜ける髪の毛を横目に見ながらお風呂から上がる。そのままベッドに入ってしまったらMSコンチンを飲む時間まで起きていられず、夫に起こしてもらう。またすぐに眠りに落ちたのだが、日付が変わる頃、腹痛で起きる。スインプロインク、効き目あり過ぎである。夕焼けは部屋の窓から拝めたが、フラワームーンという満月は方向が違ったのか拝めなかった。

 今朝は普段通りの起床。昨日調達した朝ごはんを2人で頂く。朝ドラを視て、少ししてからチェックアウト。キャリーケースを預けタクシーを呼んでもらったらスイスイと進み、予約時間20分前に病院に到着した。
再来受付はすんなり。腫瘍内科で受付もすんなり。後は自分の番号が掲示板に出るだけ。長く読みかけの阿川さんの本の続きを読んで待つ。予約時間から10分ほど遅れて廊下で待つこと10分、一番で呼ばれる。夫とともにこの診察室に入るのは2回目か。1回目は17年前のタキソテールの緊急入院時だった。

 まずはた自力歩行で診察に来られたことのお礼から。睡眠はとれているが、咳と喘鳴が気になることをお話しする。先生が4枚のCT写真を並べて下さる。去年2月、10月、今年2月と昨日の分だ。
「(今出ている症状は) 右の気管支が狭くなっているせいだ。」と仰る。なるほど、黒い穴が腫瘍に押されてかなり小さくなっている。そして、右の肺の腫瘍が一回り大きくなっている。
「これはエスワンを1クールお休みしたから、というわけではないと思う。一時的にエスワンが効いていた時期もあるが、限定的な効果だったと思われる。」とのこと。
「息苦しいながらも左が無事なのでエスワンを再開する手もあるが、使ったからといって劇的効果はないと思われる。この小さい穴が塞がるとかなり苦しくなる。」と。
 「今後の選択肢として①エスワンを続ける。②いかに穏やかに過ごすか、無理に抗がん剤を続けず気管支が詰まらないように、若しそのような事態になればすぐに対応できるように酸素を使うなどして補いたい。左肺はしっかりしているのでうまくいけば普通の暮らしが続けられる。」と仰る。
つまり抗がん剤はここで終了、こちらの病院まで長い通院をせず訪問看護にして、家で対応した方が私らしい日々が送れるのではないかとのご提案だ。

 例えば、久しぶりに使うとまた効くことがあるというハーセプチンだけ繋ぎでお願い出来ないか、としつこく訊くと、「通院でやっていくのは状態が悪くなった時に難しい。呼吸は突然変化するので自宅にいて起こったら命に係わるし、その状態ではこちらまで通えない。抗がん剤と同様ギャンブル要素があるので、上手くいかなかった時、変化を待つのでは後手に回る。家で安心できる体制を訪問治療で確立した方が良い。患者相談センターのO看護師が全て調整するといっているので電話があると思う。今の元気を保つのがベストである。次の一歩、新たなリスク対策として3週間後、レントゲンだけ撮っておきたい。ポートはもう使えないが、(漏れている)ポートフラッシュもなし。抜去することもないので存置で良い。」とのこと。

 血糖値が今も100ちょっとで高めだが、と訊くと、今迄が低血糖だったので100はあってよい、とのこと。夫のことがあってつい神経質になる。脱毛が始まったことも取り合えずご報告。
 今後の治療の流れについては恐らくそうなるだろう、と判っていたので私はそれでOKだったが、夫はエスワンが効いているならもうちょっと頑張ろう路線だった。けれど、実際にはエスワンがもう効いていないことがわかったので、無理に頑張って続けるのは無駄だと納得してくれた模様だ。それでも3か月地味に効いてくれて有難かった。

 訪問診療にしたらこの病院とはバッサリ関係を切られるのでは、と心配だったが、今後も様子を話しに体調の良い時には診察室で、と言って頂けてほっとした。会長さんが是非主治医の先生にも渡して、と仰った患者会のニュースレター(私の文章と写真が5頁掲載されている)をお渡しし、お礼を言って診察室を出る。
 さらに化学療法室のKrさんに、病室に来て頂いたお礼方々ニュースレターを渡してきた。喜んでくださってこちらが恐縮した。 
 
 門前薬局に処方箋をLINEで送付。また診察室で30分以上が経過していた。いつもながら丁寧にご説明くださるが、今日は治療方針の大きな舵取りだったので、ある程度時間がかかるのはやむなしか。
 会計に時間がかかりそうだったので、先日お世話になった5階の脳神経外科のナースステーションにもご挨拶に。私がいた個室は既に男性が入っており、満室だった。既に退院から10日以上経っていたので、すぐにわからなかったようだけれど、Oさんを呼び出して頂いてご挨拶するとともに、こうして自力で来られました、お世話になった皆様によろしくお伝えくださいとお伝えした後、500円ほどの(申し訳ない)会計を済ませる。

 結果的に病院に2時間近くいたけれど、薬局に寄ってもまだお昼には早い。薬局ではほどなくして薬剤師のIさんが長椅子まで来てくださり、立っての対応が免れた。これまでの報告をして9000円ほどカード支払い。今後の方針も話してお礼を言って薬局を後にした。

 帰路、銀行に寄りながらランチまで時間調整でカフェに入る。夫がご馳走してくれるというので私がホットレモンティをお願いしたら、どうしてそうなるのか、自分のアイスコーヒーと私にもアイスレモンティをトレーに載せて帰って来た。「ん?ホットじゃないの?」と訊くと、「そうだった・・・。」とホットレモンティを注文してくれて、自分がアイスティとアイスコーヒーどっちも飲むから大丈夫と。実際しっかり飲み切っていたけれど、氷だらけの飲み物をあんなに飲むなんて・・・考えただけで寒くなる。

 お昼になって3度目の正直、焼肉屋さんのランチへ。夫へのお礼なので、お昼では一番いい御膳を夫に、私は焼肉サラダ御膳を頂いた。ほぼ個室のようなテーブル席でゆっくりマイペースで食事が出来て良かった。食後はミルクのアイスが出た。可哀想に夫は一口だけ、私がほぼ二人分を頂いた。

 会計を済ませて駅ナカでちょっと買い物をして快速電車に乗った。若い男性から席を譲って頂き、有難かった。夫もなにやら隣の席が空いて座ることが出来た。ようやく本を読み終わり幸せにウトウトする。
 最寄り駅に到着してタクシーで帰宅。もろもろ片付けて洗濯機を廻す。まだ風もあり、乾きそうなので外干し。

 その後、患者サポートセンターのOさんから電話連絡があり、切った途端に今度はケアマネOさんからも電話。本当に対応が早いことと言ったらない。本当に有難い事だ。明日は訪問介護の看護師Mさんが見える予定なので、そこで色々お話をしようと思っている。

 郵便物を見ると、運転免許の更新通知が来ていた。前回はコロナ禍の中、試験場までわざわざ行ったのだった。さて、今回は更新するかどうか迷っている。先日、マイナンバーカードの更新をしてきてもらった(夫代理)が、なんと令和30年まで有効だそうだ。そんなに生きているわけが・・・
 それが済んだら眠くてたまらず、2時間ほど爆睡。

 いつもの時間に母に連絡するもなかなか出ない。出たと思ったらなぜか切れる。それを20分くらい繰り返してだんだんイライラしてくる。家電で漸く通じてまたお小言である。「なんかわからなくなって赤いのを何度も押した。」つまり、通話が終了したら押す赤い電話マークを、通じた途端に押し続けていたよう。
 最近は漸く携帯電話に出たり掛けたりが出来るようになったと思っていたが、今日はうまく出来ず、母曰く「精神的に不安定で・・・」という。
 私の方が精神的に不安定だと言いたい。本当に困ったもので、多分考えても自分では解決方法が見つからない私のことを、あれこれ考えて悩んでいたのではないか。
 

 
 





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