いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

いか@、タコを思う。

2007年06月20日 21時18分07秒 | 札幌

タコ の造りたまいし赤レンガ。

 GHQ軍政部がタコ部屋の中止命令を出すきっかけは、真駒内事件にある。 1946(昭和21)年8月、札幌市外真駒内(現在市に編入)の進駐軍関係土木工事を請け負っていた新*組飯場で、土工夫の不法監禁、虐待事件があることを探知した道警察部と札幌検事局は、現場を臨検して土工夫3人を保護検束して内情を調べたところ、部屋にいた300人の土工夫は、いずれも周旋屋にだまされた者で、暴行・虐待をうけ、窓はすべて格子つきで、棒を持った監視人がおり、外出も許されない状態であることがわかった。 すなわち、敗戦後も依然存在していたタコ部屋が、真駒内で摘発されたのである。
北辺に斃れたタコ労働者の碑、ある親方の怒り

上記 タコ が従事した建築が今もなお残る、マッカーサー指揮下の占領軍の建物である。現在は、なぜかしら日の丸を掲げる、「米」衛隊の基地となっている。


タコ部屋を廃止したのは、マッカーサー将軍である。われらが地崎宇三郎センセは、地*さんは改進党の幹事長をつとめた方ですし、幣原さんは改進党総裁でしたから。 地*さんが北海道にもどられ、各組長を集めて。『あきらめろ、天皇陛下より偉いマッカーサーの命令だから、その命令をひっくり返して無罪ということはあり得ない。 幣原さんも、かけあったがダメだったからみんなに納得してもらえ、といっていた』と、いったと上記リンク先には書いてある。

あー、おいらの、となりの類族、タコ。


 将軍さまは、hard core slaveを解放し、ぬっぽんずんぜんぶを ソフトなドレイになさいました。
- - 将軍さまと、われらが!ソフトなドレイの酋長サマ - -
- - - あげくのはてに、ゲンバクやむなし!
- - -


現在、『性奴隷』が日本人の羞恥心と罪悪感をあぶっていることは、明に暗に貴殿たちの知るところである。日本人の羞恥心と罪悪感をあぶる火の手が上がるのは、これまた、マッカーサー将軍のふるさと、米国に他ならない。でも、ここで、『性奴隷』の特権性が、改めて、問わなければならない。なぜなら、文字通り、本当の 奴隷 については言及されていないからである。


それにしても、われらが、近代ぬっぽんの「貧乏農場」である北海道の、デージンさまは、今日言及した地崎センセをはじめ、なぜかしら、奴隷関連デージンである。

町村センセは、既に言及した。

今日新たにわかったことは、終戦直後内務官僚・警察は占領軍の指令を受けて、タコ部屋を摘発した。終戦前はタコ部屋を看過してきたことは、別に内務官僚・警察はタコ部屋を人道的・倫理的にどうこう思っていたわけではないことを示す。すなわち、日帝時代は日帝中枢の意向を受け、タコ部屋の維持し、タコ部屋を人権という見地から廃する占領軍が権力者となれば、その意向でタコ部屋を摘発する。

これすなわち、ある種の、奴隷、に他ならない。

もちろん、法制官僚はそんなものだ。法制官僚に、倫理や人道を求めてどうする。おまえは、あほか!? そうなのだ、おいらは、つい、すめろぎサマの臣たる日帝官僚に倫理や人道を求めてしまう、ないーぶなろまんてぃすと=薄ら馬鹿な夢想家ではある。

そんな、内務官僚・警察であったのは、戦後北海道知事となりあそばされる、町村元外相のご尊父であらせられる、町村金吾さんに他ならない。

ちなみに、こういう ぬんげんである、後藤田正晴さんについては、書いた。

ぬっぽん、ってなんだろう。

近代ぬっぽんの「貧乏農場」+ときどき/しばしば・奴隷=ほっけーどー!

マンセー!

■デージンになりそこねたよ。
   
主は奴、

   
奴は主。

主と奴は、同い年である。
あるじ と やっこ は、おないどしである。



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