いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

【2012年回顧 ③】 the と a の物語、あるいは、original と derivative について

2012年12月23日 19時17分58秒 | 筑波山麓

"Wherever does one have one's tea?" she asked with the oddest thrill of excitement in her voice,  
(「どこでだってお茶は飲めるでしょう?」興奮のため奇妙に震える声で彼女は言った、) 
Virginia Woolf, 『Kew Gardens』 (西崎憲 訳)


         ―左列の画像はKew Gardens, 右の列の画像は筑波山麓、国立科学博物館実験植物園(最上図)と洞峰公園―

■ ロンドンに行った時、キューガーデンに"参拝"。もっとも英語ではKew Gardensであるが。ロンドンで一番行きたかったところだ。このガラスの温室がつくられたのが、1848年である。日本では将軍は徳川第12代、徳川家慶(1837-1853)、という時代だ。蛮社の獄[wiki](1839)の9年後、そして、黒船来航の4年前だ。1848年、この年、東郷平八郎や桂太郎が生まれている。このあと半世紀して、えげれす と組んで、ろすけ をやっつけたみなさまだ。

この陸海の軍神さまが生まれた頃、すでに鉄骨とガラスでつくった建物で、蝦夷地より北極に近い地において、熱帯の植物を生かしていたのだ。

キューガーデン、温室。雲に斜めに筋が入っています。これは、ガラス越しに撮ったことを示しています[註1]。

■ オリジナリティー、あるいは、独創性

四半世紀前、おいらががきんちょの頃は、独創性!、独創性!と叫ばれていたように記憶する。科学技術業界の話だ。そもそも、科学や技術において、独創性が求められることは当然なのではあるが。現在はむしろ、実社会への応用が叫ばれているように感じる。例えば、かの山中センセは自分の独創性に意義をおいたアピールをするより、一刻もはやい臨床応用を!と主張している。 ”論文で勝って開発で負ける日本を変えたい : 私が京都マラソンを走った理由”、という御時世である。

さて、独創性。独創性は英語のoriginalityの訳語なんだろう。そして、その昔、上記四半世紀前、独創性とは何か?の論争めいたものがあった。背景は日米貿易摩擦である。強すぎる日本の製造業について、米国が科学技術ただ乗り論で"いいがかり"をつけてきたのだ。今は昔だ。そのとき、独創性バンザイ!主義の熱血派から、太陽の下に新しきものなし!と冷笑派まで、いろいろあった。

おいらが今思うに、originalityに独創性という訳語をあてたのは、少し残念。上記論争で、独創性とは強烈な個性をもった天才がひとり(独り)でつくる(創る)ことだ、という言葉遊びまであった。でも、originalityはorigin。川でいうと水源。どんな大河にも二級河川にも水源がある。そして、その水源は岩からでるひとすじの雨だれ程度のものだ。問題は、その雨だれがどれだけの大河になるかであろう。のちに大河となった雨だれの出来(しゅったい)がorigin, originalityと解釈すべきだ。すなわち、originalityとはどれだけ他人さまにパクられたか、まねされたか、の度合いである。そして、パクッた人たち、まねした人たちが、derivativesに他ならない。

そういう観点から、世界中に熱帯植物園がありふれた現在、つまりは世界中の人がキューガーデンをパクッている現在、偉大なる最初の"雨だれ"をおいらは参拝にいったのだ。ここでは、脳内に上記の歴史的いきさつを踏まえた思いあこがれ続けた肥大化した"脳内Kew Gardens"が跋扈していることが重要だ。

もし、万が一、こういう肥大化した"脳内Kew Gardens"をもたない人といっしょにキューガーデンを訪れたなら、「あなた!これって実験植物園と洞峰公園じゃないの! つくばでいつも行ってるでしょう? あなたって、どうしていつもにたようなところばかり行くのよ! どうしてあなたは私をつまらないとこばかり連れまわすのよ!」と、おとろしい事態が生じてしまうからだ。

「どこでだってお茶は飲めるでしょう?」興奮のため奇妙に震える声で彼女は言った

「あなた!これって実験植物園と洞峰公園じゃないの!」と言った彼女は、昔はここでしかお茶が飲めなかったこと(世界中でガラス張り温室はここにしかなかったこと)を知らないのだ。

どこでだってお茶は飲める世界! or 世界中でガラス張り温室がありふれた世界! グローバル化の嚆矢!

恐るべし、キューガーデン!

▼捕捉; そして、何より、「筑波研究学園都市」こそが、パクリの殿堂だ。敗戦後、一端アカになったが、転向して米国に留学した研究者たちがアメリカに行ってパクったものを具現化したの筑波大学やその他施設だ。このことについて、おいらがカナダでのポスドクの次に筑波山麓に来た時、つまり筑波大学を見たときすぐ気付いた[註2]。これは、北米の大学のパクリじゃないか!、と。敗戦後というのは、明治維新に続く、さらなるパクリの時代に他ならないのだ。

[註1] 

[註2]:おいらは筑波大でポスドクをしたわけではない。念のため。

 


以下、Kew Gardens 画像シリーズ


Kew Gardensという「地下鉄」の駅があります。上の画像にいみじくもThe railwayとあるように、地上を走っています。


地下鉄の駅からキューガーデンまでは歩いて10分ほどです。瀟洒な邸が並びます。そして、街路樹はプラタナス。

温室です。

 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。